杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

小里貞利氏講演「大震災における政治のリーダーシップ」

2011-07-19 11:33:22 | 国際・政治

 こちらの記事でもご案内したとおり、7月14日(木)夜、ホテルアソシア静岡で、阪神淡路大震災時の震災担当大臣・小里貞利氏の講演会が開かれました。昭和5年生まれの小里氏、猛暑の中、お住まいのある鹿児島から空路、東京入りし、六本木にある個人事務所でお仕事をこなされ、夕方、新幹線で静岡へ。講演後は東京へとんぼ帰りされました。・・・いやホント、政治家というのはタフでなければ務まらないんですねえ。

 

 Imgp4620
 ご自身の口からも、「28歳で鹿児島県議会議員になってから、国会議員を引退するまで48年間、一日も休みは取らなかった」「今でも年賀のあいさつにはバイクに乗った自分の写真を使っている。バイク乗りのキャリアは日本一だと自負している」「馬も乗るし、競馬もやる。けっこうな荒馬も乗りこなせる自信がある」と後期高齢者(失礼!)とは思えない闊達な自己紹介。「底力のある馬はパドックを通るときからわかる。スタート直前も、非常に落ち着いているし、絶対にブレない。人を惹きつけるエネルギーを発信しているんですよ」と語ります。

 

 お話はそこから、ブレまくっている現政権の話題に入り、比較対象として、小里氏が震災担当大臣を務めた当時の政治情勢を解説されました。馬の話から入るなんて、政治家というのは話術の達人なんだなぁとしみじみ・・・。

 

 

 それはさておき、小里氏が大臣を拝命する前というのは、今以上に政治が混乱している時期でした。非自民・非共産の8党派が寄せ集まった細川政権が誕生し、小沢さんの糸引きで羽田さんにバトンタッチ。当時、小里氏は、下野した自民党の国会対策委員長を務めておられました。

 

 当時の自民党も、政権奪還を目標にあれこれ手を尽くし、社会党の村山党首を担ぎ出すという秘策に打って出ました。大政党である自民党が村山さんに「自分たちが支えるからやってくれ」と譲歩した。いくら政権奪取するためとはいえ、そこで党内がまとまったというのは、小里氏いわく「最後は、与党の混乱状態を長引かせたら、国家のためにならないとの思いが一致した。一度決めたら不思議と自然に、信頼や秩序が生まれた」そうです。

 

 

 そんなこんなで自民・社会・さきがけ3党で発足した村山政権が、いきなり直面したのが阪神淡路大震災でした。死者行方不明者6500人というのは、当時としては戦後最大の自然災害で、日本が戦後築き上げた文明の脆弱さを嫌が上でも見せつけられたわけです。

 

 村山政権で北海道・沖縄開発庁長官に就任した小里氏は、発生3日後の1月20日朝の閣議後に村山首相から「すべての権限を与えるから」と震災担当大臣を任命されます。就任後は、後藤田正晴氏や竹下登氏といった自民党の重鎮がこぞって支援・協力し、警察や自衛隊等の関係機関への報・連・相も徹底し、大阪府の横山ノック知事(当時)には「大臣の携帯に電話してもいつも話し中だ」とボヤかれたとか。

 

 

 「現場で動く実働部隊は、指示がしっかりしていればきちんと動く。公務員も、政治家が真剣に“汗をかいてくれ”“知恵を絞ってくれ”と言えば、真正面から取り組んでくれる。彼らが力を発揮できるしくみを作ることこそ政治の責任」と語る小里氏。氏が指揮した震災対策は後に「手堅く出来た」と評価を受けたようですが、その要因を、

①政官民の幅広いボランティア精神が醸成されたこと。

②官僚・役人の力を信頼し、大切にしたこと。

と振り返り、「オールジャパンで臨むというのは、こういうことだと実感できた」と語ります。

 

 

 ひるがえって、現政権は「政治主導・脱官僚」を旗頭にし、政・官関係があまり良好ではなかった状態の中で、3・11が発生した。非常時とはいえ、ただちに「オールジャパン」というわけにもいかず、官僚の中には現在の状況を非常に憂いて、自分なりに取り組もうと頑張っている人もいますが、現首相は「オレが、オレが」で自己中心で動き、専門委員会をいくつも作り、連日会議ばかりで、結局、具体的な現地対策や救済策が進まない。・・・確かに、今もテレビで予算委員会を聞きながら書いていますが、被災地に届くのはいつなんだと空しくなります。

 

 小里氏は、3・11の後、首相交代論が熱を帯びていたとき、「激流を渡る時、馬を乗り換えるのは得策ではない」と発言して批判を受けましたが、その後の状況を見て、「この馬に乗り続けていたら大変なことになる」と思い直したそうです。「今回の震災対策における政治の統治能力・とりまわし能力に、日本の命運がかかっている」と厳しい言葉で講演を締めくくられました。

 

 政治にしても、ビジネスにしても、チームスポーツで結果を残すにしても、組織を機能的に動かすことのできるリーダーの存在・資質が改めて、重く感じられます。リーダーは、キリストや聖徳太子みたいに神がかり的に生まれるものではなく、ある意味、社会が育て、社会が選ぶ存在であるならば、内側、外側、集団同士、いろいろな関係性の中で人とつながる根本的な意味を、今一度、考えてみる必要がありそうです。

 

 第三者ぶって評論家じみたことを言いっぱなしにするのは少々無責任だと思うので、私自身、今、新たに学びの場を作る準備をしています。また追ってお知らせします。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 中日新聞掲載『描かれた富士』 | トップ | ひまわりと風車 »
最新の画像もっと見る

国際・政治」カテゴリの最新記事