杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

白隠フォーラムin沼津 2014 (その3)~白隠劇場の役者たち

2014-11-23 15:46:50 | 白隠禅師

 11月9日白隠フォーラムin沼津の続きです。

 三番目に登壇されたのは、このフォーラムの顔ともいえる芳澤勝弘先生(花園大学国際禅学研究所副所長・教授)です。

 ちょっと面白かったのは、フォーラムが始まる前、花園大学側代表者の挨拶で「若い頃より年齢を重ねてからのほうが、禅を学ぶ面白さが分かると思います」と、熱心に社会人入学を勧めていたこと。入場無料でこれだけ充実したプログラムを提供するのはこういうPRも兼ねていたのか、と妙にナットクしてしまいました。私自身は出来るものならすぐにでも芳澤ゼミに入学したいと願っているのですが、今のところ京都へ遊学できる時間&経済的余裕はナシ(涙)。時間とお金に余裕のあるシニアのみなさん、ぜひ学生になって本格的に学んでみてはいかがでしょうか。こちらの大学HPを参照してください。

 

 さて、7月のプラザヴェルデ開館記念講演で「富士大名行列図」を取り上げた芳澤先生。今回は「布袋吹於福」をメインに紹介してくださいました。「布袋吹於福」は、布袋さんが煙草を吸いながらお多福(於福)を吹き出すという、一度見たら忘れられない奇天烈な絵。2年前の渋谷Bunkamura白隠展のビジュアルツアー映像(こちら)に紹介されています。2分10秒~30秒あたりをご確認ください。

 

 布袋さんというのは中国に実在していた僧で、本名は契此(かいし)。生まれはさだかではありませんが916年に亡くなっています。山やお寺に籠もっている人ではなく、街の盛り場を行き来して人々に物乞いをしては袋に詰め、かついで歩いていたので「布袋」というニックネームがついた。お天気や人の吉兆を予言し、けっこう当たっていたそうですが、メタボ腹の見るからにだらしのない怪しげな乞食坊主だった。916年3月、奉化県(今の浙江省寧波市)の岳林寺の廊下で遺体となって発見され、そばに、

 「弥勒真弥勒、分身千百億、時時示時人、時人自不識」

 という偈(げ=仏の教えを説いた韻文)が残されていました。「我こそは真の弥勒菩薩なり。されど誰もわからなかった」という意味だそうです。このことが布袋伝説を生み、禅宗とともに日本にも伝わって、七福神に加えられました。

 白隠さんはこの布袋さんをとても敬愛し、数多く描いています。先生曰く「白隠劇場の主演男優」なみの扱い。お多福を吹き出したり、春駒(張子の馬)を操ったり、人形遣いを演じさせたりと、大道芸人並みのパフォーマンスをさせている。白隠監督のもとで布袋さんが演じた一番人気のキャラクター「すたすた坊主」は、お参り代行をして日銭を稼いでいた乞食坊主のことで、寒い冬でも裸で縄の鉢巻をし、腰に注連縄を巻いて面白おかしく口上を述べながら東海道筋を闊歩していた。元禄時代に来日したオランダ人ケンペルも、「街道でたくさん見かけた!」と目撃談を日記に書き残しています。すたすた坊主や大道芸人のようなストリートパフォーマーの存在を白隠監督はしっかり認識し、画題に採用していたんですね。

 

 お多福は先生曰く「白隠劇場の主演女優」。おふく、おかめとも呼ばれます。丸顔で鼻が低く、おでこが大きくて両頬がぷっくり。今風に言えば「ブサカワ」って感じでしょうか。神代、天照大神が岩戸に籠もってしまったとき、岩戸を開かせようと妖しいダンスをした天鈿女命(あまのうずめのみこと)は、いわゆるお多福顔だったそうですが、当時はそれが美女とされていた。今年の正倉院展で話題になった「鳥毛立女図」も蛾眉豊頬のお多福系美女。美の定義は時代や地域によっていろいろ変わるものですね。

 白隠さんの時代、お多福はあいにく醜女の典型として扱われました。芳澤先生は白隠画のお多福の髪形や前帯姿から推察し、「宿場町の旅籠の飯盛り女か女郎を演じさせたのでは」と説きます。社会の底辺にいた醜女を「主演女優」にしたからには、当然、描きたい、伝えたいテーマがあったはず。着物の柄に「壽」という文字や「梅鉢紋」が躍っていることから、不幸の象徴ではなく、長寿の天神様のつもりで描いたのではないかと先生。

 醜いお多福が実は天神様の化身だった。大道芸人のような布袋さんが実は弥勒菩薩の化身だった。・・・白隠さんは「見た目で判断しちゃいけないよ」って教えたかったのでしょうか。

 

 白隠画の主題を探る“hakuin code”ともいうべき〈画賛〉を、先生に解説していただくと、

 

  随分とおもへど、おふくばかりは吹にくひものじや

  (一生懸命きばって吹き出そうとしたが、お福さんばかりはなかなか難しいものじゃ)

  善導吐三尊彌陀。布袋吹二八於福。吐彌陀依稱名功、吹於福將其何力。

  (中国浄土宗の開祖、善導大師が念仏を唱えるとそれが阿弥陀さまになったそうだが、この布袋は、煙草の煙から妙齢のお多福美人を吹き出すのだ。阿弥陀さま を吹き出すのは念仏の功徳だが、このお福さんを吹き出せるのは、さて、いかなる功徳によるのか)

  

 布袋が生きたころの中国には煙草がなかったので、煙草を吸う布袋さんとは、大の愛煙家だった白隠自身のこと。布袋さんの腰のあたりに描かれた瓢箪の根付には『道楽通宝』の四文字。室町時代に大陸から伝わった通貨『永楽通宝』を明らかに捩っています。

 これらの描写から、白隠さんが画賛に込めたメッセージとは「わしは煙草道楽もするが、人々に法を説き、福を分け与えるのが一番の道楽なんじゃ」と解読できるようです。衆生を救うのが道楽だという表現、とても面白いですね。芳澤先生によると「白隠が描く道楽とは、仏道修行によって得る楽しみと、酒色や趣味におぼれ放蕩し財産を食いつぶすという真逆の意味が込められている」のだそうです。

 各キャラクターにも二面性をしっかり与えています。すなわち、酒色道楽の象徴であるお多福が実は天神様の化身であり、すたすた坊主にまで身をやつした布袋は弥勒菩薩の化身であり、白隠自身でもある。・・・ものすごく高度で重層的な表現です。極楽と地獄、美と醜、正と邪、強さと弱さ―社会も人もつねに表裏一体、相反し、矛盾するものを孕んでいる。それをまるごとひっくるめて受け入れ、救うのが白隠禅の目指すところ、といえるのでしょうか。

 

 

 先生はこのほかに「雷神」を取り上げてくださいました。雷神が風の又三郎(風神)に「雲どもに集まってとお願いして」と手紙を書き、その返事を庄屋(宿場町の代表)が待っているという絵です。恵みの雨=仏の教えを乞う人々への思いやりが伝わってきます。お寺の名前に「雲」の字が多いのは、仏の教えのことを慈雨と表現するからだそうです。

 

 白隠フォーラムin沼津(その1)でも触れたのですが、このような絵と画賛を当時、どれだけの人が正しく読めて、内容を理解できたのか不思議です。そんな自分の疑問を見透かしたかのように、芳澤先生が明快に語りかけてくださいました。

 「当時の人々は、ひらがなを150文字ぐらい知っていた。今の人は50文字しか知らない」。・・・そうだった、ひらがなは、今使っているひらがなだけじゃなかったんだ、と今更ながら目からウロコでした。みなさんは変体仮名をどれだけご存知ですか?

 

 

 

 



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