杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

東大寺法華堂によせて(その1)

2010-02-23 17:05:44 | 仏教

 今朝の新聞に、私が一番好きな奈良・東大寺法華堂が、内部修復されるというニュースが載っていました。5月から、国宝や重文の仏像16体の舞台である木製の須弥壇の耐震修理と、仏像の修復が始まるそうです。

 天平仏の至宝・日光・月光菩薩さまはその後、建設中の免震装置付き「東大寺総合文化センター」(2011年10月オープン)に移されるそうで、法華堂で諸仏を拝めるのは今年5月17日が最後とのこと。・・・記事を見て、こころにポッカリ穴が空いてしまった気分です。

 

 

 4年前、奈良の文化情報誌『あかい奈良』に、法華堂について記事を書かせていただきました。天平の御堂で、国宝の諸仏と同じ空間に居られる幸福感を強調するあまり(苦笑)、草稿の監修をお願いした奈良国立博物館の西山厚先生に細かく直していただいたことが、昨日のことのように思い返されます。

 

 1300年もの間、保たれていた法華堂の原型が、まさか自分が生きている時代に失われることになるとは、4年前には想像もできませんでした。『あかい奈良』で書かせていただけたこと、今はその“仏縁”がただただありがたく、合掌の気持ちでいっぱいです。

 拙文を2回にわたって再掲いたしますので、もし関心を持たれましたら、ぜひ修理前の法華堂を訪ね、その原型をしかと眼に焼きつけておいてください。

 

 

 

 

東大寺法華堂(三月堂)   文・鈴木真弓 『あかい奈良 34号 2006年冬より』

 

 

 東大寺は朝八時から(四月~十月は七時半から)拝観できる。早朝の境内で見かけるのは、犬の散歩かランニングに汗を流すご近所らしき人の姿ばかりで、嵐の前の静けさといった風情だ。伽藍や仏像をゆったり鑑賞するには、最適の時間なのである。

 大仏殿の東廻廊の脇から「ねこ段」と呼ばれる石段を上がり、鐘楼を経て、さらに切石の階段を登ると、法華堂の側面が目の前に現れる。

一見、ひと棟に見える建物だが、屋根の色が左右で異なり、欄干にも段差がある。向って左側は、東大寺の伽藍の中では最も古い七七〇~七七七年頃の創建といわれる正堂。右側は、その約四百年後、重源上人が再建した礼堂で、現在の法華堂は、天平と鎌倉の二棟を合体させたものだ。礼堂は大仏殿と同じ中国様式の土間床だが、正堂は神社に見られるような日本の伝統的な板敷床。法華堂は、古代と中世の異なる様式が見事に調和した稀有な仏堂なのである。

 四百年の時空をひとまたぎして正堂に入ると、国宝十二体、重要文化財四体、計十六体の仏像が隙間なく立ち並ぶ。

 本尊は高さ三六二センチの不空羂索(ふくうけんざく)観音像。そもそも法華堂は毎年三月に法華会が行われたことから法華堂あるいは三月堂と呼ばれるようになったが、古くは羂索堂と呼ばれていた。

 

 

羂索とは鳥獣や魚を捕獲するときに使う大縄のことで、仏教では煩悩を縛り上げ、どんな人もとりこぼすことなく救うとされる。これを左第三手に持ち、頭上には二万数千個の翡翠や水晶で飾られた宝冠をいただき、威厳たっぷりの姿でいらっしゃる。頭部はほの暗く、裸眼ではよく見えないが、眼のあたりだけ鍍金が残り、顔から上半身は金がはだけた肌が、鋼鉄のように逞しい。

 

 

このご本尊は、昭和十二年、宝冠が盗まれ、時効寸前に盗品ブローカーの手から戻ったという災難に見舞われた。当時を知る写真家・小川晴暘氏は、のちに「事件を担当した奈良署の刑事は“羂索は刑事の守り本尊でもあるのに、この事件が解決できなかったら刑事生命にかかわる”と必死のようだった」と述懐している。

 

 

 

両脇の日光・月光菩薩像は、入江泰吉氏の写真作品などで知られ、多くの文人や美術家を魅了し続ける天平期の傑作塑像である。

この両像には謎も多い。本尊の不空羂索観音像が三六二センチであるのに対し、両像はニ〇〇センチ余と小柄で、脇侍にしては不釣合いだ。また、菩薩像は素足が鉄則なのだが、よく見ると靴を履いていらっしゃる。両像は羂索堂本尊の脇侍菩薩ではなく、他寺の梵天・帝釈天として造られ、何らかの事情で法華堂に移された客仏、というのが現在の定説だ。

とはいえ、日光像の陽だまりのように柔和な表情や、月光像のまさに月の光を人格化したような肢体を目の前にすると、天平人が本尊の両脇に置き、後世の人が「日光・月光」と呼ぶようになった気持ちも解る気がする。

 

亀井勝一郎氏は名著『大和古寺風物誌』にこう綴る。

 

 

渾身の力をこめた本尊の合掌は、日光月光に余韻し、両菩薩は更にその合掌に対して合掌するといったような内面の交流がみられないだろうか。(中略)私は三像を拝しつつ、合掌による対話を思った。この対話はそのまま天平人の信仰の音階を示しているのかもしれない。

 

須彌壇の右手から月光菩薩を斜め左方向に眺めると、本尊の右第三手が月光に手かざしするように見える。その美しいしぐさに、“内面の交流”を想像せずにはいられない。(つづく)