リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

ミスチル

2012-05-18 05:57:17 | オヤジの日記
Mr.Childrenは、今年デビュー20周年を迎えるという。

その残した足跡は、B'zとともに、日本のミュージック・シーンに間違いなく一時代を残したと言える。
まさしく日本を代表する音楽ユニットと言ってもいい存在だ。

私は仕事中は、iTunesで音楽を流していることが多い。
iTunesには、千曲近い曲が入っているのだが、なぜかミスチルは、入っていない。

アルバムは「BOLERO」と「深海」は持っている。
「深海」は、コンセプトが気に入っていて、おそらく50回くらいは聴いていると思う。

ただ、iTunesには、入れていない。

ミスチルの楽曲の特徴は、ボーカルの桜井氏が考え抜いた言葉を、それぞれの曲に効果的に散りばめ、言葉同士が有効な化学反応を起こすところにあると思う。

それを桜井氏は、精緻なメロディに乗せて、ジワジワと染み込むような歌唱で表現する。

そのガラス細工のようなキメ細かい作業を通して作られた歌を、仕事をしながら聴くのは、申し訳ないような気がする。

だから、iTunesには、入れていないのである。

ミスチルの歌は、本気で向かい合って聴く音楽だと私は思っている。

そういった面倒くさい手順が嫌いな人は、(特に働き盛りの男たちは)ミスチルを聴かない。

私の友人にも、ミスチルを聴くという人は、一人もいない。

「重い」という人もいれば、「歌詞が入ってこない」という人、「カラオケで歌えない」という人もいる。

確かに、現実的な仕事や事態に直面している働き盛りの男には、ミスチルの歌は、感情移入がしづらいかもしれない。

しかし、逆に言うなら、とことん向き合えば、ミスチルの歌が持つ深遠な心象風景が、聴けば聴くほど脳に染み込んでくるのではないか、とも思う。


最近は、忙しくて向き合うことができなかったが、2年ぶりに「深海」を聴いてみようか。

桜井氏のコトバは、どんな風に、私の脳に染み込んでくるだろうか。

それは、楽しみでもあるが、もし自分の感性が昔よりも衰えていたら、と思うと怖いような気もする。


しかし、とにかく、聴いてみよう。

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ゴリ押し

2012-05-06 08:57:38 | オヤジの日記
友人の47歳の奥さんは、ジャニーズの嵐の大ファンであるが、アンチK-POPでもある。

その理由は、K-POPに対するテレビ局や雑誌などの「ゴリ押し」が目に余るからだという。
まるで、一部のネット住民と同じ思考回路。

そうですか。

しかし、ジャニーズという会社も、業界全般に、タレントを無理押ししているように、私には思えるのだが。
ファンの方には申し訳ないが、実力的に人様の前で踊ったり歌ったりするレベルのないお方たちが、テレビ画面の前で発展途上の芸を披露するというのは、「ゴリ押し」と同じではないか、と私などは思っているのである。

他の例で言うと、たとえばアメリカに「ビルボード」という音楽チャートの雑誌がある。
これは、日本のオリコンと違って、CDの売上より、ラジオなどによるエアー媒体での再生回数を重視したランキングを発表している会社だ。

そして、アメリカの音楽の流行に関して言えば、FMなどのローカル局に、名物DJが必ずいて、自分好みの曲をいつも流すという方法がある。
彼らが気に入った曲やアーティストは、ヘビーローテーションで1時間に、同じ曲を5、6回流されたりもする。

その結果、そんな名物DJたちに気に入られた曲は、CDが売れていなくても、ビルボードのチャート上位に顔を出すこともあるという。

つまり、これも考えようによっては、DJたちによるヒット曲の「ゴリ押し」ではないだろうか。

しかし、アメリカでは、この方式が長年取り入れられていて、大きな批判は起きていないようだ(ただ、昨今の音楽事情に合わせて、CDや音楽配信の比率を多少増やしてはいるようだが)。


こんな風にして、あなたの好きな歌手も俳優もタレントさんもお笑い芸人も、そして作家や芸術家、政治家だって、同じように「ゴリ押し」で、人気を得ているんですよ、と私は言った。

みんな誰かのゴリ押しで、実体のないものを実体があるように見せているんですよ。
ゴリ押しの力は、一部の人たちだけに働いているんじゃないんです。
あなただって、親のゴリ押しで成長したのかもしれませんよ。

そんなことも付け加えた。

高校二年の娘のお友だちの、「ももいろクローバーZ大好き、AKB嫌い」の子にも、そう説明したら、友人の47歳の奥さんには、かなり感情的に、「そんなこと、ありません!」と否定されたのだが、娘のお友だちは、「ああ〜、わかりやすい!」と感心してくれたのである。

若い子は、頭が柔軟なようだ。
(あるいは、単純なだけか)

だが、柔軟すぎて、こんなことも言うのである。

「じゃあ、親が私に、勉強しろ! 勉強しろ! って、しつこく言うのも、一種のゴリ押しだよね。相手にしなくてもいいんだよね」


・・・・・・・いや・・・・・・それは、違うと思うが。


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清水翔太に関するミステリー

2012-04-27 06:03:47 | オヤジの日記
同い年の友人に、流行に敏感な男がいる。

本は、ベストセラーしか読まないし、ファッションなどもすぐ流行りのものを取り入れる。
そして、行列ができる店があれば、2時間でも待って、流行の味を食う。
映画も、評判のものしか観ない。

だから、当たり前のことだが、歌も流行歌しか聞かない。

流行っていれば、アイドルでも聞くし、演歌でも、童謡だって聞く。

好意的な見方をすれば、頭が柔軟。
批判的に見れば、自分を持っていない。
極めてまわりの影響を受けやすい単細胞、と言える。

そんな男が、先日「清水翔太って、いいよな」と言い出したのである。

それを聞いて、私は違和感を持った。

清水翔太は、それなりに有名だとは思うが、流行っていると言えるかどうか。
流行かぶれの彼が好きになるには、知名度が足りないのではないかと思ったのだ。

そこで、どこがいいのか、と友人に聞いてみた。

「まず、歌が上手い」

それは、わかる。
加藤ミリヤとのコラボ曲しか聴いたことがないが、艶があって、いい声をしているし、歌唱力はプロとしてハイレベル。

「それに、ダンスもうまいしな」

はて?
清水翔太は、ダンスを踊っただろうか?
そのイメージはないのだが、コラボしか聞いていない私の知らないところで、華麗なダンスを披露しているんだろう、と思った。

そうか、彼はダンスもうまいのか。
それは、見てみたい気もするな。

「ああ、和製マイケルとも言われているらしいな」

和製マイケル?
清水翔太が?
それも、私は知らなかった。

彼が、マイケルのように華麗に踊る姿が想像できない

で、それは、どこで見たんだ? テレビか?

友人が言う。
「いや、バーでビデオが流れていて、歌はうまいしダンスもすごいから、この人は誰って店の子に聞いたら、清水翔太って言われたんだ」

そうか。
清水翔太が、ダンスをねえ・・・・・。

何となく腑に落ちなかったので、違うことを聞いてみた。

そこには、加藤ミリヤは映っていなかったか?

「誰だ? 加藤ミリヤって?」

知らなかったようである。

ほかの聞き方をした。

そのビデオに写っていた男は、髪が短かったか?

「いや、短くはないな。見ようによっては、韓国の歌手のようにも見える髪型をしていたような・・・」

余計わからなくなった。
ただ、それが清水翔太でないことは、確かだ。

清水翔太は、韓国の歌手のような髪型はしていないはずだ。

そうすると、その清水翔太は、誰だろう。
彼は、誰と間違えたのだろう?

また、聞いてみた。

その人は、一人で歌っていたんだな。
そのバーでは、その人以外のビデオは流れていなかったのか?

「一人で歌っていた。他のビデオも流していたが、印象に残らない歌だったので、忘れた」

つまり、こういうことか。
清水翔太のビデオは流れていたが、友人の印象に残らなかったので、それは憶えていない。
そして、ダンスの上手い歌手のことは憶えていて、バーの女の子が言った「清水翔太」をその人だと勘違いした。


そうすると・・・・・・。


その清水翔太は、いったい誰だ?

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思い出だけではつらすぎる

2012-04-22 08:19:14 | オヤジの日記
前にも書いたことがあるのだが、昔の歌を懐かしむという風潮には、馴染めない。

大学時代の友だちとの飲み会で、「昔の歌はよかったよな。それに比べて」という話をされると、じゃあ、お前は今の歌をどれくらい知っていると言うんだ、と必ず問い詰めたりするから、私は完全に鬱陶しい存在として見られているようだ。

さらに、昔の歌は、「思い出」というフィルターを通すから、よく感じるだけなんだよ、と言うと、「思い出を語って何が悪いんだ」と反論される。

悪い、とは言っていない。
過去の記憶が、歌によって美化されることと、昔の歌が優れているということとは、違うと言っているんだ、と言うと、「屁理屈を言うなよ」と最後は、お決まりの殺し文句で、封じ込められる。

自分が、面倒くさいことを言っているというのは自覚しているので、それ以上、議論をふっかけることはしない。
ただ、確実にストレスが溜まる。

だから、毎回のように、昔の歌を懐かしがるなんて、後ろ向きな奴らばかりだな、と心の中で罵っている。


地上波では、最近の歌番組は、新しい曲を放映するより、昔のヒット曲を流すことの方が多いようだ。
テレビ離れした若者より40代以上の「懐メロ世代」をターゲットにしたほうが、視聴率が取れるからだろう。

昔を懐かしがるだけでは、新たな創造は生まれないと思うのだが、目先の視聴率の方が大事だということか。

そんな現象を見ると、私には、テレビ局が音楽産業の衰退に拍車をかけているとしか思えないのだが・・・。


話し変わって、3年前まで得意先だった輸入家具販売会社のことを書こうと思う。

その会社は、3年前に倒産したのだが、そこからは、年に4、5回程度、仕事をいただいていた。

その会社の社長が、大の演歌好き。
私は、演歌が体質に合わないのだが、それと同時に懐古趣味も嫌悪している。

その社長は、演歌好き、懐古趣味という私の嫌いなダブルの要素を持っていたから、お得意様ではあったが、その会社に伺う前は、いつも気が重くて、ほとんど鬱状態のまま、会社のドアを押したものである。

仕事の話が終わるとすぐに、毎回のように「あの頃は、よかったよ」が始まる。

「あの頃」というのは、バブルのころのことである。

「あの歌が流行った頃は、バブルの真っ只中でね。忙しかったけど、儲かったよねえ!」
「あの歌」というのは、ナントカいう演歌なのだが、興味がないので、曲名をすぐに忘れる。

社長は、バブルの頃はどんなに忙しくても、寝る暇を惜しんで、毎月、中国か台湾、韓国に行って、良からぬ場所に出没していた、と自慢。

さらに、駅前のワンルームで安い出物があったので、そこを買って若い女の子を住まわせていた、と自慢。

バブルの頃は、外車を2台持っていて、車庫が華やかだったよね、と自慢。

そんな話を聞いて、「羨ましいですよねえ」と言える人間ならいいが、私は死んでも、そんなことは言わないと決めているので、自慢するだけ無駄なのだが、それに気づかず毎回のように自慢話が続く。


その輸入家具会社が倒産する前のことだ。
(そのときはまだ、私はその会社が倒産することは知らなかった)

「俺は、演歌以外聴かないんだよね。他の音楽は、ゴミだからね」という毎度のご託宣を聞かされた私は、4年間溜まりに溜まったものを吐き出すように、社長に向かって言ったのだ。

ああ、じゃあ、世界的に有名な(ネイティブっぽ発音で)エアロスミスやガンズアンドローゼス、ボンジョビ、U2、オアシスを聴いている人は、みんなゴミなんですね。
カラヤンや小澤征爾、朝比奈隆、コリン・ディビィスを聴いてる人も、ゴミなんですね。

良かったですよ、オレ。
ゴミの仲間で。
ああ、本当に、ゴミで良かったぁ!


そんな私の言葉を聞いたときの社長は、初めてイヌイット語を聞いた人のように、呆然とした顔で、私の顔を見つめたものである。


それから2ヵ月後に、その会社は倒産した。


そのときに、どんな音楽が流行っていたか、私には、その記憶が全くない。
思い出せない。

それはきっと、その倒産が、思い出にするほどの価値がないものだったからだろう。

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日本語で

2012-04-13 05:43:52 | オヤジの日記
言葉というのは、どの国の言語でも美しいものだと思う。

人に自分の心を伝えようと思って、工夫をしたものだから、どの国の言語も理にかなったものだと思う。

だから、歌も慣れ親しんだ母国語で歌うのが、一番美しい。

日本人が米国に進出しようとすると、たいていの歌手は英語で歌う。
英語に不慣れな人でも、英語で歌おうとする。
それで、果たして情緒的な部分が伝わるのだろうか、と私はいつも疑問に思っている。

宇多田ヒカルさんは、ネイティブな発音ができるから、彼女が英語で歌うのはわかる。
その方が、彼女にとって、自然な表現ができると思うからだ。

しかし、英語力に乏しい日本人が、英語圏の人が作った曲を歌う場合、相当な努力をしない限り、ネイティブには敵わないだろう。
そんな中途半端な英語で勝負していいのかと、やはり疑問に思う。


たとえば、韓国の歌手が、日本でデビューするときに、ほとんどの人が日本語で歌う。
申し訳ないが、私は、それを醜悪だと思っている。

まず、発音が下手だ。
そして、韓国の歌に無理やり日本語を乗せているから、確実にリズムが崩れる。

さらに、一番の問題点は、何を歌っているか、ほとんど伝わってこないことだ。
韓国語と英語と日本語が交互に出てくる歌詞は、ほとんど伝えようとすることを放棄しているとしか思えない。

日本語で歌ったら、それはK-POPではなくJ-POPだろうと思うのだが、J-POPにもなりきれていない。

K-POPは、韓国語で歌ったほうが、確実に心に響く。
アップテンポの曲なら、気持ちが浮き立つ。

しかし、日本語で歌われた「韓国人が歌う歌」は、中途半端すぎて違和感しか感じないのである。


英語圏のアーティストがいいと思うのは、ほとんどを自国語で歌うところ。

彼らの多くは、自分の歌は、自国語で歌ってこそ、相手を感動させるという信念を持っているからだろう。

たまに、サービスで日本語で歌うアーティストもいるようだが、それはあくまでもサービスだ。
日本語で全曲を歌うことはない。

歌は、生まれ育った国の言葉で歌うとき、一番の力を持つ。

たとえば、日本のベテラン歌手・由紀さおりさんが、英語圏でそれなりの評価を得たようだが、彼女は、ほとんどを日本語で歌ったということを聞いた。

彼女も、自分が歌に魂を込められるのは日本語しかない、という信念を持っていたのではないか。
付け焼刃的な英語で歌うより、自分の感情が確実に込められる日本語で歌ったほうが、気持ちが伝わる。

そして、確かに、それは日本語を知らない外国人の心を打った。


大切なのは、言葉が伝わることではなくて、心が伝わること。


だから、これから日本のアーティストが、外国でデビューする機会があったなら、私はぜひ日本語で歌い通して欲しいと思うのだ。

日本語の表現力に優れた人なら、確実に外国人の心を震わすことができると思うから。

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