リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

バカ親父ふたたび

2017-02-12 07:53:00 | オヤジの日記
26歳になる息子がいる。

彼は、大学4年のとき、発達障害と診断された。

息子が大学3年のとき、ゼミの教授に呼ばれた。
そして、こう言われた。

「ボクの中学3年の息子が、発達障害なんですが、あなたのお子さんと共通するところがあるような気がするんです」

それを聞いたとき、余計なお世話だな、と反発した。
そして、「発達障害」って何? とも思った。

教授は「自閉症スペクトラム」がナンタラコウタラ、と説明してくれたが、違うやろ、としか思わなかった。

息子は、小学生のとき、同級生が毎日のように5人以上我が家に来て、ゲームをしたり、マンガを貸し合ったりして遊ぶのを日課としていた。
中学では卓球部に入り、3年のときにはキャプテンに選ばれて、後輩からも「マッちゃん」と言われて親しまれた。
高校でも卓球部に入り、みなから「マッちゃん」と親しまれた。

クラスメイトと、普通にコミュニケーションが取れていた。

大学では、親友が二人できて、一緒に旅行をするほど親しくなった。

そんな息子が、発達障害?
ありえないだろう、と思った。

「でも、私の息子と照らし合わせると、共通点が多いんですよ」
「一つのことにこだわりが強いし、ときに話がかみ合わないことがあります」
「冗談が通じない、という点も私の息子と同じです」
「質問しても普通の学生より、3拍4拍遅れて、意図したことと違う答えが返ってくることがあります」
「そして、不器用で、同じことを覚えるのに、普通より数倍時間がかかります」

散々な言われようである。

喧嘩売ってるのか、と思った。

ただ、冷静に思い返すと、不器用なのは間違いがない。
何かを覚えようとするとき、人より時間がかかるのは事実だ。

ただ、それを私たち夫婦は「個性」だと受け止めてきた。

不器用な子は、いくらでもいるではないか。
(私もとても不器用だ。そして顔がブサイクだ)

息子は、成績は悪くない。
理数系と体育は平均以下だったが、社会と国語はトップレベルだった。
そんな子は、いくらでもいるのではないか。
すべてが得意な子の方が、少ないと思うのだが。

ただ、自分の息子だ。
少しでも疑わしいのなら、目をそらしてはいけないとも思った。

そこで、中野のメンタルクリニックに相談に行った。
発達障害ではない、と断定してもらうために・・・。

息子は素直に医院に行き、テストを受け、2週間おきに通院して、医師と話をした。

3か月後、医師に告げられた。
「ボーダーラインですが、発達障害かもしれません。
おそらく医師によっては、発達障害だと判断しないかもしれませんが、私はお子さんのためを思って、発達障害の診断をします」
「障害手帳を得て、その上で就職した方が、お子さんのためだと思います」

その日の夜、家族会議を開いた。
一日では、結論が出なかったので、4回家族会議を開いた。

最後に決めたのは、息子だった。
「俺は、それでもかまわないよ」

その結果、息子は、幸いにも卒業と同時に、ある企業の研究所に勤めることができた。
資料整理と管理の仕事だ。

毎年1回、息子の上司に、挨拶がてら話を聞きに行く。

「会社は絶対に休まないし、真面目ですし、覚えたことは必ずやり遂げて、ミスが少ない」
「とても頼りになる存在ですよ」
「ファイルやデータのある場所をほぼ把握してるのは、奇跡と言っていいでしょう」

「誰もが息子さんの記憶力に、頼り切っています」
「いつもニコニコしていて、同僚みんなから好かれています」
「アイドル的存在かもしれません」

それを聞くたびに涙を流すバカ親父。


私が我が息子を尊敬するのは、こんなところだ。

嘘をつかない。
絶対に、人の悪口を言わない。

息子に聞くと、「嘘をつかないんじゃなくて、つけないんだ。悪口を言わないんじゃなくて、言えないんだ。心臓がバクバクするから」とのことだ。


先日、息子の大学時代の友人の結婚式があった。

息子は、スピーチを頼まれた。

心臓がバクバクになり、ほとんど呼吸困難になりながらも、息子は書いた紙を読み終えて、まわりから拍手喝采を浴びたらしい。

「まるでスターになった気分だったよ」と息子は喜んだ。


スターと言えば、浜崎あゆみさん。
息子は、10年以上前から、浜崎あゆみさんのファンで、全部のCD、DVDを持っていた。

息子が大学2年のとき、「コンサートに行きたい」とねだられた。
奇跡的に、家族4人分のチケットを手に入れることができた。

代々木体育館のコンサートだった。
普段は大人しい息子が、歌い、叫び、飛び、涙を流す姿を見て、家族みんなが驚いた。

息子の感情のほとばしりを間近に見たとき、親としては恥ずかしいことだが、息子のその姿は、驚き以外の何ものでもなかった。
俺たちは、いままで彼の何を見ていたのだろう、という情けない気持ちもこみ上げてきた。

彼は、色々な感情の引き出しを持っているのに、少なくとも、バカ親父は気づくことができなかった。
その後悔の思いが、私を切なくさせた。


息子は、今でも私を「パパ」と呼ぶ。

いや、「パパァ」という表現の方が近いかもしれない。

その「パパァ」が、何を意味しているのか、それが信頼なのか、ただの習慣なのか、私には親としての自信がなかった。
ただ、私が、彼の親であるということは事実だ。

そんな事実に対して自信が持てなかったとき、娘が私にこう言った。
それは、息子が発達障害だと診断された4年前のことだった。

「兄は、すごいぞ。
いつも、おまえとマミーのことを異常に心配してるぞ。
自分のことよりも、心配してるぞ。
だから、兄にあまり心配させるなよな」

それを聞いて、息子の純粋な親への愛情を真面目に受け止めなければいけないな、と強く思った。

俺は親だったんだ、ということも、あらためて自覚した。



いま、息子は大学3年の妹に、毎月お小遣いを上げていた。

兄が就職できたとき、涙を流して喜んだ妹。

ひいき目かもしれないが、とても素敵な「あにいもうと」だと思う。



これからも、そんないい関係が続くことを願うバカ親父でした。



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1 コメント

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Unknown (a.k)
2017-02-12 09:21:54
初めまして。

なぜか??
親近感を覚える文章に惹かれます。

またの更新楽しみにしております。
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