人は障害とは言わないが何かしら心の傷を持って生きているのではないだろうか!
閉所恐怖症、悪さをして押し入れに入れられた、クローゼットに隠れて出られなくなった。
水恐怖症、海プールで溺れかけた。
高所恐怖症、高ところで危険な目にあった。
幼いころの一時的な体験がトラウマとなって消えないまま大人になったが、生活に支障はないのでそのまま放置しているのが実情だろう。
東京で住んでいたのは墨田区、最寄り駅の押上駅傍に東京スカイツリーが設置されるとニュースがあった。世界一高い電波塔、高さは634m、六三四と覚えれば忘れない。どんなタワーなのか興味が尽きない。写真を撮るのが趣味だったので工事の進捗を写真に撮り始めた。逆さツリーが見えると聞けば十間川に、桜のシーズンになると隅田公園に、浅草の吾妻橋のアサヒビールの炎のモニュメントは絵になると何度も訪れた。完成を楽しみに工事の進捗を見守っていたが、天に向かって高く伸びるタワーを見ていると、高さは分かっていたはずなのに高過ぎる、これはダメだと思った。ガラス張りの展望台、あそこに立つ姿が思い浮かばない。2009年3月9日から工事が始まり2012年5月22日にグランドオープンしたが昇りたくない気持ちは変わらなかった。これは医師の診断も必要がない高所恐怖症だ、自分に起きている高所恐怖症の原因が解らない。木から落ちたことないし、高い所で危険な目にあったこともない。どんなに考えても判らない。そのまま放置して来たが原因が解らないのは気にはなっていた。小説「おもかげ」を呼んでいると主人公が高所恐怖症でその原因を解明しているので、私の原因も考えてみた。
◇小説「おもかげ」主人公竹脇は高所恐怖症その原因は、小学校一年か二年のときの東京タワー見物が、初めての自覚症状だったことにちがいはない、それまではジャングルジムも木登りも大好きで、高い場所を怖いと思ったためしはなかった。東京タワー展望室の窓辺には、母と子が鈴生りになっていた。高い場所に不慣れなせいか、みな申し合わせたように手を繋いでいた。僕はどうしても、その間に割りこんで歓声を上げる気にはなれなかった。それでずっと、うしろの壁にもたれるかしゃがみこむかして、時が過ぎるのを待っていた。嫉妬や羨望ではなかった、あやういと感じたとき、手を握ったり肩を抱き寄せてくれる人を、僕は知らなかった。つまり、「母親」という種族の本質と存在意義を、僕は思いがけずに発見してしまったのだった。誰もが持っていて、僕だけにはないという心許なさは、嫉妬や羨望を一足飛びにして、耐えがたい恐怖に変わった。
◇主人公竹脇の高所恐怖症、状況が私によく似ている。高い所はダメだが飛行機に乗るのは問題がないのも同じ、これまで高い所は苦手だったが恐怖に変わったのは竹脇と同じ東京タワー、ひとりで訪れ展望台に上り景色を見ようと窓に近づいた真下の道路と足元が一体となり見えた。その時に恐怖を感じ後ずさりした。壁が1mぐらいでもあれば違ったかもしれないが全面ガラス張りは恐怖だった。竹脇は高所恐怖症の原因を守ってくれる人がいない孤独感と不安と感じた。私の場合も孤独という面は似ている。酒を飲み入退院を繰り返す父に代わり母は働き詰めで、母と遊びにいった記憶はない。しかし一人で遊び回っている中で、小説のような高所のシーンがあったのかは思い出せない。
東京タワーに初めて上ったのは45歳、記憶の中で高い所は好きでない、少し苦手という意識はあったが恐怖と感じたのは初めてだった気がする。しかし、東京タワーが高所恐怖症の原因だとは考えにくい。45歳で高所恐怖症が発症したというのも理解できないのでさらに過去を振り返ってみた。「おもかげ」を読んで感じたのは、高所恐怖症=高さ+孤独+不安がキーワードになると思った。
過去の記憶を思い出してみた、30代の頃に一人で住んでいたのはマンションの6階だったが、最初の頃は、高さは気にしていなかった。会社で火災訓練があり、消防署の人から逃げ道を確保するのが大事と教えられた。マンションの場合はエレベーターを使わずに非常階段から逃げる。マンションには避難はしごの設置が義務化されているので確認しておくようにと言われた。避難はしごは端のよその部屋のバルコニーに設置してあるようだが確認できない。バルコニーから下を見た、高い!ここからは逃げられないと思った。避難はしごは直接一階まで降りるのではなく下の階に降りるのを繰り返すのだが、その時には、それは考えずに高い、ここからは逃げられない、不安だけを感じた。それ以来、ベランダから真下を見ることがなかった気がする。過去を振り返って記憶を思い出そうとしたのだが、高さに関して思い出したのはこれだけ、30代で発症したというのも納得できないが、これより前の記憶は思い出せない。しかし、東日本大震災を体験した人の中には、震災後、海を見られないという大人の人たちがいるという。年は関係なく、その人が恐怖を感じた体験がトラウマとして消えないかも知れない。
※終わりの見えないコロナ渦、多くの人たちが不安を抱えて生活している。抱える不安のストレスは人それぞれ違うが、特に子供たち、高齢者には心に傷が残るような体験をしている人が居るかも知れない。子供たちの発たつ障がい、高齢者の認知症発症とコロナ渦に関係がないか調査中。