時の流れの中に!

少子高齢化の中で高齢者はどう生きて行けば良いのか。

人生の最後 母の死

2021-04-09 11:27:28 | 日常
新型コロナウイルス 本日の感染状況、新規感染者数、重症者数、そして死亡者数が毎日、ニュースで流れてくる。死亡者数、重要だが気持ちは落ち込む。今日は多い少なかった、この数字に慣れるのも怖い。ほかの病で亡くなる時は立ち合い看取ることができるが、この新型コロナでは面会もできず、最後の時も看取ることはできない。知らない医療従事者に見守らながら人工呼吸器を装着して亡くなっていく。

母(86)が転倒して足の骨折で入院。手術はしなかったがリハビリになり医師から退院間近かだと知らされる。そんなある日、母の容態が急変したとの連絡を受ける。病院に駆けつけると医師から救急救命器を使いますかと聞かれ、即答で「お願いします」と返事をした。しばらくして二人の妹と子供たちも来た。人工呼吸器とチューブに繋がれ眠っているような母に声を掛けるのも憚れた。
医師と看護師は救命装置をセットすると病室から出て行った。病室は小さな機械音だけが漂う静寂な時が流れた。数時間が経過した時に子供の一人が「止まった」と言った。モニター画面の信号音が消えていた。人間の死とはこんなにあっけないものか、現状を理解出来ず受け入れるのに時間が掛かった。誰もが母に最期の言葉を話しかけることが出来なかった。母は妹と孫たちが来ているのが分かったのか、何か言い残すことはなかったのか、誰にもぶつけられない憤りを感じた。
救急救命処置とは何だったのか、人工呼吸器を付けたまま亡くなった母の姿が今も思い出す。
人工呼吸器を使っていなければ、母の表情が変わればみんなが声を掛ける。母も頑張れたかも知れない。そんな思いを今も引きずって生きている。

◇人工呼吸器は治療の一環として使うこともあるが、ただ延命だけに使うこともあるようだ。母の場合も延命だけだったようだ、救命装置をセットすると医師と看護師が出て行ってから母が亡くなるまで数時間が経過したが、その間、一度も医師と看護師が訪れることはなかった。救命装置を使用するか問われた時に、急変の原因と今後の対応を聞いておくべきだった。急な展開に戸惑って混乱していたのは歪めない。手の施しようがなく、延命だけの人工呼吸器の装着だったら、使用せずに自然に任せたほうが良かったのか、今も自問自答している。

※母の死因は肺炎、足を骨折して何故、肺炎で亡くなったのか、一連の経過も納得できずに、後日病院側に説明を求め話し合ったが、病院の不信感だけが残り納得することはできなかった。

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