renconDiary

日々の徒然や趣味の写真を。

●ちょっと、書きたくなっちゃって。

2019-06-10 | 日々徒然

ひさしぶりに、ふと。

覗いてみたんです、自分のブログ(ここ)を。

 

「わっ、まだある!」

削除していないから当然といえば当然なのだけれど

いつの間にか自分のなかで

『無いもの』になっていたものが

変わらずそこにあったことに、驚きというか

感動に近いものを感じてしまった。

 

IDも覚えていなかったし

設定されていたメールアドレスはどこのいつのプロバイダのものか

さっぱり覚えていないし。

 

ブログ内容もほとんど他人の文章を読んでいるみたい。

 

わたしだったのに

わたしのものではなくなっていて。

 

過去って、記憶って、どんどん忘れて(手放して)いくんだなぁ。

 

などど思ってみたり。

 

ブログテンプレートは

もう今のわたしの古いMacでは正常に表示されなくて

それも時間の経過を実感させられてしみじみとなる。

 

編集ページもレイアウトが崩れてしまうけれど

記事投稿のページは幸運にもちゃんと表示されるので

懐かしくなり、こうして文章を打ってみています。

 

また、戻ってきたくなったときに

記憶を残してみようかなぁ。

 

久しぶりに書いたら

梅雨の閉鎖的な家の中で

なんだか気取った文になっちゃった。

 

最近読んだ星座占いに

「芝居がかった行動する時がある」みたく書いてあったから

文章もそんなちょっと勿体ぶった感じになりやすいのかもしれないわね。

 

 


■大通りを行くのが正解じゃないのだよ。

2011-05-09 | 日々徒然

今月を最後に、会社人間から卒業します。

フリーランスへと転身します。

 

致し方なく、ではない。

そうせざるを得ないのではなく

「そうすることに決めた」のだ。

そこ重要。

 

先日、両親とそう年齢も変わらない、人生の大先輩みたいな

職場の方とお茶して帰ったのだが

「これからの時代、肩書きだとかどんな大きな仕事をしたとか

 そんなことどうでも良くて、いかに自分が幸せを感じて

 充実した毎日を過ごせるかってことが大事なのよね」

みたいなことをおっしゃっておりました。(その場でメモりたかったぜ!!)

激しく納得。

「高収入の旦那様見つけて、家を買って子供育てて、っていう

 いわゆる典型的な幸せ像もいいけど、ちょっと脇道に入ると

 そうそう味わえないような意外な幸せが転がってたりするのよ」

って。

 

ほんとに

とても素敵な人です。

 

いろんな脇道にちょいちょい寄り道しながら

自分なりのルートを見つけていきたいもんです。

 

こうして選択ができるだけでも相当ありがたいことだと思う。

結局わたしはいつだって恵まれてるんだよ。

 

 


■暦の上は春です。

2011-02-14 | 日々徒然

立春は過ぎていますからね。

春なんです。春のハズ。

 

さて、会社の移転と共に通勤路も変わったわけですが、

何ですか,あの辺は。

ビル風とかいうやつですか。

 

おととし転職活動していたころ、

今、毎朝歩く通りを真夏に通ったことがあります。

死ぬほど暑かったです。熱かったです。

日陰なんてないし、無風。

 

なのにこの冬、どこから吹いてんだこの風

とばかりに進行を妨げるあろうことか向かい風。

 

わたしは寒さより暑さより、一番シンプルにイラッと来るのが

この「向かい風(特に強風)」。

(暑さはムカつく。)←さして変わりない

 

毎朝イラッとしながら歩いています。

せっかく横手には御苑?皇居?御所?(あれは何?)の

緑の木々に視界は癒されるのにさッ。

 

そう言えば、御苑?皇居?御所?(だからあれは何?)の

門の守衛さん達、交代時に自転車を使って現れるが

道か下り坂なのか自転車を漕いでいる姿を見た事が無い。

皆、ペダルに足を置いたまま、惰性で蛇行しながら下って行きます。

ゆるい。

ゆるすぎだよ。

 

日本は平和です。

 

そんな様子を眺めているこっちも仕事せぃ、って話。

 

さて、月曜ですね。

 

 

 


■思い出したから連続投稿。でも日はまたぐ。

2010-11-23 | 日々徒然
そうそう、人間の眼ってすごいな、って思ったんだ。


暗がりの中、デジカメの画像を見ると
ノイズだらけ。
肉眼ではこれだけ形が見えてるのに!?
ってデジカメの感度もあるけど
いやいや,それ以前でしょ。

銀塩だってもやっぱり暗いと何十秒って
シャッタースピードが必要で
どんだけ露光させなきゃいかんのだね、
って思うだに、人間の眼ってすごいよな~、
と思ったわけです。

脳内写真がプリントアウトできたら
ものすごく綺麗なんじゃないかと
時々思う。

■判断てむつかしいのよさ。

2010-10-30 | 日々徒然
本日は台風ナリ。

昼過ぎに東海道線運転見合わせの情報により、
帰宅難民を回避ずべく小田急線利用で
会社を早退、帰宅させていただいた。

以前、同じように台風が来るやら来ないやらの際に
大船駅で電車が運転見合わせになり、
挙げ句に豪雨、暴風で電車の扉が締め切られ(ホームに停車していた)、
1時間弱、車内に捕われの身になった経験があり、
あれは相当カンベンな感じだったので
今回もそんな事態だけは避けたかったのですよ。

確かにね~、18時くらいまでは
ずっと東海道止まりっぱだったわね。

しかし…
まぁ、早退しなくても帰れる程度で済んだのではと言う噂。
…というのは結果論なわけで、
あの時早退しないで仕事してりゃ良かったのに、
なんて今更思っても後の祭りっていうやつで。

だってわかんないぢゃん!自然相手のことなんだもんさ!

それとも責任ある社会人としては
オールで漫喫で過ごす結果になろうとも
仕事はして来るのがあるべき選択だったのだろうか…。

などと逡巡する気の弱いわたしです。

一応、最低限の確認事項は自宅から各商社様へメール連絡は
済ませたけれどもさ…。。。

休むに休めない、早引けするにできない、
店頭スタッフとかを思うと『自分、甘かったやも』
などと思うわけですよ…ね…。

帰ってきちゃったんだからすべて今更だけどさ。


月曜早朝出勤してこの遅れ分巻き返すぜ!おー!




…ジトジト。
(↑スッキリできずに心が湿気ています)
(↑つまりウジウジしています)



■選択

2010-10-19 | 日々徒然
「したい」と思っているのに
「できていない」ということは、
本当は
「したくない」
もしくは
「しなくていい」
と思っている、
ということではなく?

「しない」選択を、
無意識にせよ、採っているんではなく?

か、
「出来ない」ことを
知るのがこわくて逃げているか。

かな、と思うわけで。


今回で真夜中の独創第3弾くらい?

■何だかんだ働いてるぜ。

2010-09-28 | 日々徒然
マンガもアニメも好きですがアニソンは聞きません。
(アニメったって最近のは知らんが)

つまり(←?)大のお気に入りのAKGのヘッドホンが
片耳の音が途切れがちで
仕方なくウチにあった別のを使ってますが
全然!
音がちげーのよ。

AKGの「音を楽しむ」音が聴きたい!!

早く修理出しに行きたいのに
残業続きで行く時間がなく
パワーの源の音楽が力半分で
余計にエネルギーが足らないという
負のスパイラル中。
ぬぉ~

シルバートーンが…
ウッドベースが…
Beckの音楽をこんな薄っぺらい音で聴くなんて!
知ったこっちゃないだろうが
Beckに謝らなきゃいけない気持ち。
ごめんなさい。

軽く拷問です。


そういえば(話は変わる←てかむしろ本題)、
直近の半年間勤めた会社に入社したのが
昨年10月1日でした。
もうあれから一年が経とうとしてるんだと思うと
不思議な感じです。
まさか半年間しか勤めず
挙句の果てに再びGディレクターとお仕事してるとは。

そして
8年勤めた前の職場を思い出すと
未だメソメソしがちなお子様なわたしです。
ま、それだけ心に残る職場を経験できたんだから、
幸せってもんだな。
多分小学校より中学校より高校より大学より
わたしにとってあの8年は大切な思い出かも知れん。

明日は出会ってまだ4ヶ月の職場の仲間を見送ります。
こういう切なさは会社で仕事している限り続くんだよな。
まぁ、そうして人の縁て
日々巡っていくのだろうけど。

■ロールシャッハだわよ!

2010-09-23 | 日々徒然
今日は一日に複数更新だぜ。
だってちょっとテンション上がってしまったのだものさ。

なぜってロールシャッハだよ!ちょっと落ち着けよ

というのは、過日触れたラーメンズですが。
そういや最近賢さん(※小林賢太郎)のHP見てないな~、
と思って覗きに行ったのです。

そしたら!

来月から始まる劇場作品(ていうかそんな予定があったことにも
驚いたんだけれども!もうチケット完売だしさ…涙)が、
テーマが「ロールシャッハ」!!
ロールシャッハてナニ?と言えば。

目が光っている賢太郎さん(賢さんのこういうとこがスキよ)←※参照
言葉を借りれば、心理学で用いられるロールシャッハとはすなわち
『インクの染みによって描かれた偶然の形。
これが中心線をさかいに左右対称になっています。
その図柄は人によって、またその人の心理状態によって解釈が変わる、
というものです。』

これってばこれってばこれってば。

こないだのわたしの真夜中の独創みたいなことじゃん!

なんだか賢太郎さんと同じような着眼点を持ってたみたいで
嬉しいんですけどー!(そういうことにしてやっといて)

あ~観たかったな~。。。
当日券???
む~~~~。。。


■ドガ!!

2010-09-13 | 日々徒然


ドガ展が!
横浜美術館で今週末9月18日から!
詳しくは⇒こちら

ぅわ~、これは絶対観たい行きたい!


おシャルのライブもあり
ドガ展といい、上村松園展も行きたいし…
ゲイジュツの秋だわ。


…ドガの「エトワール」を見る度に
「悪魔(デイモス)の花嫁」(byあしべゆうほ:プリンセスコミックス)を
思い出す人は一体どれほど居るだろうか…。
分かる人が居たらきっと親友になれるぜ。


■秋の味覚…

2010-09-11 | 日々徒然
…と、題して先日の我が家の夕飯、
焼き野菜(椎茸、かぼちゃ、獅子唐、なす)が
それはそれは美味しそうなビジュアルだったので
パチリと写真に収めたのだが、
Macに取り込んでショックを受けて
あえなくUPを見送られることと相成りました。

何って、まだ醤油もおダシもおかかも乗せられていない、
格子状に切れ目の入った焼き茄子は、その渋く光る
茶色いなだらかなカーブ具合が…………が……………
台所の夜の王者、「G」の背に…………………………
…って
コラーーーー!お黙りなさい!お茄子さまに謝りなさい!!!


…コホン。
失礼いたしました。
でも焼き茄子は大好きです。


さて、夜の文章は朝見直せと申しますが、
全くその通りと経験上も存じておりますが、
そこを敢えて書いてしまおうと思います。

自分の世界に没頭しすぎて、地に足着かずの、
さながら夢を夢と自覚できずに、「なんでもっと早く走れないの!?」と
それでも必死に走っているつもりの己について語るようなものでしょう。
(↑わかるようで全くわからないこの例えからして
 すでにその現象は始まっている)


毎朝、大体決まった時簡の通勤のため、
よくすれ違う女性がいる。
とてもスタイリッシュでかっこいい、
きっと何かクリエイティブ(ひょっとしたらアパレル系)なお仕事を
なさっているであろう風貌なのだが。
とにかく会う度に、眉を寄せ口角を下げ、
まるで能のお面にあるかのような哀しい顔をしている。
その度に、どうしてなんだろう、なぜそんなに辛そうなんだろう、
綺麗な人だから,笑ったらきっと素敵だろうに、と思いながら
なんとなくやるせない気持ちですれ違うのである。

だがしかし、今日帰りの電車でふと考えた。
誰が、彼女が哀しいのだ、などど分かるだろうか?
そう思ったのは私自身の判断であって、
実際の彼女はちっとも哀しい思いなんてして居らず、
ただ毎朝日の光がまぶしくて
怪訝な顔で歩かざるを得ないだけなのかも知れない、
坂を歩くのがシンドイ、まさにその道のりで会ってしまっている
ただそれだけかもしれないじゃないか、と。
そう思った私自身が、実は哀しい感情に近い状態にいるから
そう感じやすくなっていたのではないか?と。
そしてつまり自分は笑っていたい、笑顔でいられる環境に在りたいのでは?と。

なんの状況説明もなく、ある表情の写真を複数人に見せた場合、
その解釈はまさに千差万別で、ひとによっては「楽しそう」と言い、
また別の人は「不機嫌そう」と答える、と以前TVか何かで見た気がする。
その時は確か、人は少ない中から何かしら情報を探し出して
そこから解釈する、と在った気がする。
(口角が上がってると感じれば「楽しそう?」だし、
 目線が下を向いてると特に感じれば「怒ってそう」となったり)

では、主観的に他人から得る情報は
実はその時の自分の状態を反映しているとは言えないだろうか?

と、思ったのである。
極論かも知れないけど。
前後の相手の状況を知らずに
何らかの判断を下しているわけだから、
その判断に至った情報は自分自身の内に限られているということで、
ってことは、その時の自分自身に一番近い、てことにはならないだろうか。


そこからまた話が飛躍したのだが、(飛躍とは良く言ったもんだ)
自分が誰かを嫌悪するとき、
自分を受け入れて貰えていないことを(無意識にしろ)感じた結果、
「この人ニガテだ」になる、
つまり自分が(極端に言えば)相手に嫌われたことから
自分自身を防衛する感情が「嫌い」「苦手」というものなのかもしらん、と思った。
受け入れて貰えていない、ということを自覚するには
時としてかなりな痛みを要するもので、
手っ取り早く痛みから逃れる為に、その対象を嫌ってしまうのではないのか、と。

そうでない場合は、自分自身が自分の欠点だとするところを
相手が持っている場合。
自覚の有無関係なしに、自分の欠点を毎度目の前に突きつけられている錯覚に、
その相手を苦手として自分の欠点をも見なかったことにしたいんじゃないか。

必ずしもどちらかに当てはまるとは思わないけど、
もし誰かに対して苦手意識を持った場合、
前者だなと思ったら、ひっくり返せば自分はその人と交流を持ちたかったのだな、
と思えば良いし、
後者であれば反面教師として「教えてくれてありがとう」くらいの気持ちで
接する事ができれば万々歳なんじゃないだろうか。

特に前者は、好意に関しても同じことが言えるよな。
相手から「あれ?好かれてる?」と感じれば、
受け入れて貰えた嬉しさがこちらから相手への好意へと繋がる。

…そうか、要するに人(というか私?)は人に受け入れて貰いたいという
根本的な感情が在るっていうことか。
ん?それって愛されたいってこと?
まぁ、愛されたくないって人のほうが少ないとは思うが。

こんなことを考えたのも、
帰宅時空腹で脳みそに糖分が足りておらず
思考能力が低下していたのと、
夜で己の世界に入ってるのと、
秋のアンニュイさのせいなのかもしらん。(←まだ早くね?)


朝起きて読んで、自分で笑うかもな、この内容。
真面目くさっっちゃって‥酔ってるね~、自分論に!って。

それ以前に文章が文章として成り立っているのだろうか?という疑問。
さて、寝る。