13時からの昼休みまであと30分というときに携帯電話が鳴る。
「いま近くにいるので、これから行くよ」
とだけ言ってその電話は切れてしまった。
電話の主は貧困者地域に住む陽性者の在宅ケアのボランティアをするデリック(男性43歳)さんだった。
この日の朝9時に僕のオフィスで会う約束をしていたが現れなかった彼だ。
そのデリックさん、10分後に何事もなかったように僕のオフィスに入ってきた。
そして、普通に世間話を始める。
「ちょっと待って・・・」
僕は彼の話を遮って質問を投げかける。
「なんで今日の9時に来なかったのですか?約束していましたよね?」
そう言われてから、彼はそのことについて話し始めた。
「実は、私の関わっているコミュニティスクールが今日からスタートして、子どもの世話で・・・」
彼が言いたいことも理解できた。
だが、自分からこの日の朝9時が都合よいと言っておいて、連絡もなしに遅れたことが納得できなかった。
釈然とせず気持ち悪い感情が残っていたので、率直に思ったことを伝える。
「事情があるのは分かりますが、それならなぜ事前に連絡をくれなかったのですか?
僕はあなたのために9時から時間を空けておいた。僕もそれほど暇ではない」。
そこで初めて彼は「ごめんなさい」と言った。
この日は他に2人と会う約束をしていた。
8時半アポイントだったバンダさん(40歳)もやはり連絡なしに遅刻した。
僕のオフィスに来たのは10時頃。
彼も自分から遅刻したことを言及しないので、僕から尋ねる。
「私は7時半にはこの近くに来ていたが、同行する者が来ていなかった」
と平然と話すから、思わず僕も言ってしまった、「それは言い訳だ」と。
ザンビア人の言い訳の多さもさることながら、
この普通に時間を守らないという感覚はどうなのだろうか。
その理由について会計職のメンダさん(男性31歳)は答える、
「それはザンビアだけでなく、アフリカ全体のことだ。交通手段など不確定要素が多いからだ」と。
それを聞いた同じく会計職のカサンガさん(男性35歳)は、
「だから、ザンビアでは相手が遅れることを見込んで、いつも30分の余裕をもって予定を組むんだ」と付け加えた。
彼はこうも言う、「みんな時間を守れないからオレも守れなくなるんだ!」
確かに多くのザンビア人は時間を守れないが、全ての人たちではない。
その証拠に、もう1人の14時に会う約束をしていた無職のスティーブン(男性22歳)さんは、30分も早く僕のオフィスにやってきた。
毎週土曜日に早朝ランニングを一緒にする電力会社勤務のサムさん(男性50歳)も、必ず約束の4時半には起きてくる。
僕が以前に住んでいたブラジルもやはり時間を守らない人が多かった。
でも、それは「時間を守ることばかり気にしていい顔で相手と合えないのであれば、少し時間に遅れてでも笑顔で人と会う」という
ブラジルらしい文化も影響していた。
この国ではよく機嫌の悪いザンビア人と出会うこともあるから、
どうやらそういった文化的な背景が影響しているわけでもなさそうだ。
なぜザンビア人は時間を守れないのか?
通信、交通のインフラが整っていないこの国では時間通りにものごとが進まないのは、僕自身も肌で感じている。
きっとそういう社会状況を誰もが理解しているので、時間を守れないことに対して容認しているのだろう。
時間を守るべきだという認識は彼らのなかにもちゃんとある。
メンダさんは、「時間にルーズであることは、その人の信頼を失うことでもある」ことをよく知っている。
日本人だから時間を守るというわけでもない。
次の日の朝、デリックさんが7時に僕のオフィスに来ていた。
約束した30分前だった。僕の言う時間を守ることの大切さを理解してくれたのだろうか。
この日は前日とは違って朝から気持ち良く彼と会うことができた。
やはり時間を守ることは重要だ。
周りがみんなそう言う中で育って、暮らしてくると、相手の怒っている理由すら想像できない。
時間を守る人は、守らないことで何かを失ったか、そう言う状況を目の当たりにしたんでしょうね。
知らない事は罪では無い、知ろうとしない事は時に罪になる。
時間を守らなければ、他人に迷惑をかけると伝えてあげたことで、大きな事の中の何か一つが変わったんじゃないでしょうか。
環境が与える影響はとても凄くて、例えば生まれながらにある宗教と共に生活している人は、それが生活の一部、自分を構成する一部になっている。
日本人が無宗教だとは言わないけれど、日々の生活に根付いている仏教的動作・儀礼は「いただきます」等の感謝の念くらいでは無いだろうか。
一部の日本人で、生まれながらに特定の宗派の深い部分に居る人もあり、その人たちと話すと時折感覚の違いを感じる。
それは善悪ではなく、相
互理解に求める「質」の問題なんでしょうね。
僕自身とても共感します。
だから、何かを変えようとするときには、
システムを変えることが大切なのだと思います。
(簡単なことではないんだけど・・・)
相互理解の「質」の問題をあげられたけど、
あるタンザニアのOBが
「2年間でわかったのは、タンザニア人とは分かり合えないということ。それを理解したうえでどう共に歩んでいくかが大切である」
と言ってました。
僕もその通りだと思います。
「質」が違うということを理解したうえで、
どうしていくのか?
きっとそれはこの活動の本質的な問題のひとつだと思っています。