「今日までそして明日から」

アフリカのザンビアへ行きます。こうした機会を与えられたこと、応援して下さる方々への感謝の思いを忘れずに、書きます!

ザンビア人の心の貧しさに触れて、精神的な豊かさについて考える。

2009年05月22日 15時35分00秒 | Weblog


ある週末のこと。(前回登場した)お手伝いさんが僕の家にある貴重な日本米を盗もうとした。それを発見した僕は理由を尋ねると、「(ザンビアの主食シマの原材料である)ミルミルを買うお金もない。食べるものもなかったから」と彼女は平然と答えた。結局、僕は家にあったパンと15000クワッチャ(約300円)の給料の前貸しをしたのだが…。

 僕はがっかりした。何も相談せずに勝手に盗ろうとしたこと、援助は当たり前のように言われたことに。困ったらお互いさまというザンビア人のシェア文化も尊重し始めただけに、彼女の品位を疑ってしまった。僕も遺児家庭で育ち、親の自己破産などもあって決して裕福ではなかったので、経済面の貧しさが精神面の貧しさにつながることを体験的に知っている。だから、貧困が彼女をそうさせてしまう部分もあると思う。

 だが、これは貧困層に限った話ではない。中流階級以上に属する同僚のマケワナさん(30歳男性)は、僕から何度もお金を借りてその返済をする前にまた借りようとする。上流階級である上司のチトンファさん(57歳女性)は、自分の私腹を肥やすことに余念がない。(同じく上流階級の)政府関係者もいつ自分たちが貧困に陥るかわからないから賄賂や汚職をしてでも常に富を得ようとする。そこに、ザンビア人のモラルのなさを感じてしまう。

「それもザンビア文化の一部だ」と主張するのは元ジャーナリストのピリーさん(35歳男性)。「独立後、カウンダ初代首相による社会主義体制が20年以上続いて、(特に35歳以上の人たちは)タダでモノやサービスを請うことに慣れきっている。若い世代も親からの影響を受けている」と言う。普段は親切で相手を尊重するザンビア人だが、カネの話になると、なりふり構わずその貧しさが前面に出てくる。

「そこにザンビア人としての誇りはあるのか」とピリーさんに尋ねると「ない」と答える。「だから、愛国心のない多くのザンビア人は一度、海外に出たら帰ってこない」のだそうだ。優秀なザンビア人は海外に行ってしまい、いま国内は人材難であることがそのことを物語っている。

 そんなザンビア文化を危惧してピリーさんは言う、「求めてばかりいては駄目だ。お互いに助け合わないと良い人間関係はつくれない」と。

今日もあるザンビア人にまた「give me…」「You can support …」と言われた。この言葉を聞くたびに彼らの心の貧しさに嘆きたくなるが、ピリーさんのようなそれを疑問視するザンビア人もいることに期待したい。


(この文章は環境ビジネスに掲載されたものです)


※写真はある村落で撮ったもの。こんな道を歩いて学校に行く。
 (文章とは全く関係ありません)



ある病院での出来事

2009年05月21日 15時17分31秒 | Weblog
「次は2週間後の同じ時間に目の具合を見せに来てくださいね」

そう目の専門医の先生は言ったので、
僕は2週間後のその日の予定を空けておいた。
他に用事が入りそうになったが、
病院は第一優先だと思って、日にちや時間をずらしてもらったりして、
その日のその時間は空けておいた。

その先生は、週に一度しかその病院に来ない。
だからそのチャンスを逃してしまうと、また一週間後になってしまう。


約束の日の午後3時。
予定通り病院に到着するが…

先生はいない。


受付から「他の巡回先をまわっているので、16時半まで待てますか」と聞かれる。
僕の家や職場からその病院は決して近くない。
僕も都合つけてきたので、なるべくなら診察して欲しい。
だから、「待ちます」と答える。

だが、ここはザンビア。
彼らの言う時間を信じてはいけなかった。

16時半になるが当然のように先生が来ない。
受付の担当者から何度が先生に電話をしてもらう。
その度に、
「いま○○にいて、これからタクシーで向かう」
「もうすぐ近くだ」
「いま向かってる」
「17時10分には着く」
とこちらに期待を持たせる返答がある。

でも、結局病院に来たのは…18時頃。
この時点で僕はかなりイライラしていたが、
先生は何事もなかったかのように診察をする。

そして、
「レントゲンをとりたいが今日はもう終わりなのでまた来週来て下さい。」
と言ってきた。

うーん、すべてがむこう都合で言われたことで、
どんどん腹が立ってきた。
しかも既に日が沈みかけていて、
このまま帰るとタクシーか夜道を歩くことになる。
当初予定したバスで帰るという手段も使えない。


とりあえず、自分が思っていることを先生に伝えた。
「僕もそんなに暇ではない」
「先生の都合でレントゲンをとれなかったのではないか」
「約束は守って欲しい、もし無理ならばもっと早く連絡が欲しかった、
夜になってしまったし…」


僕の言いたいことをわかってもらえたのか、
「家まで送る方法を考えるわ」
と言ってくれたので受付にて1時間ほど待つ。
だが、先生の姿は見当たらず、受付に聞いてみると「もう帰りました」と。

もうなんだよこれは…と思いながら、
そんな状況を受付の人が心配してくれたのか、
病院の車を手配してくれて30分後、出発することができた。
そのことにはもう感謝感謝。


これがザンビアなんだよなぁと思った出来事だった。


※写真は病院の診察室。
 日本と違って医者と患者が机をはさんで診察を受ける。
 これでは医者と患者がいいコミュニケーションをとれないのではと思うが…。






ワークショップ

2009年05月19日 01時42分33秒 | Weblog

ザンビアの学校では新しいタームが始まった。

それにあわせて各学校のエイズアクションクラブのメンバーのために、
ワークショップを開催しようと思って、最近はよく学校訪問をしている。
でも実際には、交通手段がなかったり、担当の先生に会えなかったり、
なかなか思うようにいかないことがほとんどで、
ストレスをためて終わるだけのことが多い(笑)。

もと営業マンとして高くて品質の悪い製品を売るために、
新規開拓ばかりしていたときのことを思い出す。



そんななか、
先日、リバラ高校の先生の協力のもと2日間のワークショップを開催した。
ザンビアでワークショップを開催するためには
参加者の交通費や昼食代などが必要になるが、
僕の所属するNGOでは、いま予防啓発にお金をつけるドナーが全くなくて、その資金がない。

今回は、担当の先生が高校の持っている予算をとりつけて、
なんとか実現することができた。

でも、当日まで何が起こるかわからないのがザンビア。
僕の職場のソーシャルワーカーのスタッフが
ファシリテートしてくれるだろうと期待していたのだが、
その彼女が突然の病欠。

そのため、友人のピリーさんにお願いして
急きょ一緒にオーガナイズしてもらうことに。

プログラムも何も決まっていないところからスタート。
幸いにも職場が発行している教材が良かったので、
それに助けられながらプログラムを進めることができた。


いつもザンビアでワークショップに参加して思うのは、
「ザンビア人はやったことに満足していないか」というところ。

正直、交通費や食事が出るから来るのではという感は否めない。

日本人ボランティアのなかには、
「ものをもらえるのが当たり前と思っている。そんなワークショップは嫌だ」
と強く反対する人もいる。

僕個人の考えとしては、
モノをあげたり、食事や交通費を提供することには異論はない。
それで人が集まるのであれば僕はいいことだと思う。
僕自身、大学の頃にずっと関わっていた知的障害者のボランティアも、
きっかけは謝礼とかわいい子がそこに来ていることだった(笑)。


要は入り口は何だっていい。
動機は不純でも参加したことで結果的に良かったのであれば。
それは僕が前にセールスしていた生分解プラスチックでも同じで、
それを企業価値を高めることで使われたとしても
結果的に環境に良いのであればそれでいいと思っていた。

だから、思う。
どんな理由でもいいからまずはザンビア人にもまずは参加してもらって、
そこで結果的に「何か」を持って帰ってもらえれば。



そのために、そういう場をもっと提供しよう。
もちろん、何回も提供するなかでワークショップの質も高めていきたいと思っている。

そんなことを考えながら、
今日も学校巡りをして営業活動に勤しんだ。



※写真はリバラ高校で行われたワークショップの写真です。

バオバブの木

2009年05月18日 16時20分38秒 | Weblog

アフリカに来たと感じる瞬間に、バオバブの木を見たときがあげられる。

マダガスカルによく分布すると言われるバオバブの木は、
ここザンビアでもたまに見ることができる。

その独特の樹型から、悪魔が大木を引き抜いて、
逆さまに突っ込んだといわれているこのバオバブの木。
サン・テグジュペリの『星の王子さま』では
星を破壊する巨木として描かれているように、
この木を見るとなぜか神秘的な思いになる。


シアヴォンガに行ったとき、
通称「バオバブ村」と呼ばれるところに寄った。
そこではたくさんのバオバブの木を見ることができた。

写真のように登ってみようと試みたが、
この大木の前ではそれはやはり難しかった。


石鹸作り

2009年05月17日 22時29分07秒 | Weblog
前にこのブログにも載せた石鹸作りをトライできるときがやっときた。

やろうやろうと前から思っていたのだが、
石鹸づくりに欠かせない苛性ソーダを見つけるのに苦労したこと。
そして、
何よりもザンビア人で積極的に関わろうとする人が現れるのを待っていたことが、
延ばし延ばしになってしまった理由だ。

今回、一緒に石鹸づくりをしたのは、
ルサカの中心部から北に4キロほど先にあるカバナナ地区で活動をする、
「マダリソ ホーム ベース ケア」というグループ。
このグループは前々から新しい収入源を探していて、
いろんなビジネスに挑戦するがうまくいかなくて失敗。
でも、あきらめずに毎月メンバーで少しずつお金を貯金して、
新しいビジネスのために貯めていた(約15000円)。

新しい収入源を探して何かをしたいというザンビア人は多い。
でも多くの場合、それは絵に描いた餅だったり、イニシャルコストがなかったりと、
どれも具体性に欠けていた。
その点、このマダリソグループは
イニシャルコストの問題を解決できるだけの能力があった。

そして何よりも彼らは積極的に僕へアプローチしてきたのが大きい。
「石鹸作りのために何を準備しないといけないのか?」
「いつならば来ることができるのか?」
僕がメンバー全員との顔合わせのために訪問したときにも
既に石鹸作りのための道具を全て用意してあり、
「今日は石鹸づくりを見せてもらえると思った」と期待していたのだった。

そんな彼らの情熱が「本気なのかな」と僕に思わせてくれて、
この日の石鹸作りトライにつながったのだった。


僕は日本でもザンビアでも石鹸を作ったことがない、言ってみれば素人だ。
でも、彼らは、「あの人は石鹸作りの先生」であるかのような眼差しで僕を見てくる。
ほとんど初トライに近かった僕にとって、それはプレッシャーだった。

でもマダリソメンバーの助けによってなんとか終了。
あとは石鹸ができるまで1週間ほど待つだけだ。


彼らは僕が来てくれたことにとても喜んでいた。
そして、石鹸作りを成功させるためにみんなで色々と意見を出し合っていた。
帰りに断ったのに交通費と昼食代ということでわずかながらの謝礼までもらってしまった。

簡単に成功しないかもしれないが、
でも本気でなんとかしようとしている彼らのためにも、
僕のできることを全力で取り組んで「最後に笑えれば」と思う。

いただいた謝礼で昼食をとりながら、その重さを感じた。



※写真は石鹸づくりの様子。


シアヴォンガ

2009年05月17日 21時56分42秒 | Weblog

目を怪我してから1週間。
その間は、いろいろ考えること、やることが多くて、
また目が不自由だったのもあり、
精神的にも肉体的にも疲れた日々でした。

そんなとき、目の保養!?と気分転換も兼ねて
シアヴォンガというリゾート地に行ってきました。

ルサカから車で3時間。
ジンバブエとの国境境にあるカリバ湖に位置するシアヴォンガは、
内陸国ザンビアとは思えない大きな湖が一面に広がっています。

そこで隊員OGの方がストリートチルドレンの支援の傍ら
経営されているロッジにお世話になりました。

昼は湖を見ながらビールを飲んで、
夜は満月を眺めながら火をおこして、
夜はぐっすり寝て翌朝はゆっくりして(早朝満月も見ました)、
時間を気にすることなく過ごした1泊2日でした。


目の保養!?になったかどうかわかりませんが、
おかげで写真のように目の腫れもほとんどひいて
顔もほぼもと通りになりました。

抵抗したときに痛めたであろう体の痛みもあって、
まだ本調子ではありませんが
みなさんのおかげで順調に回復しています。

ありがとうございます。



学校に戻りたい…

2009年05月14日 16時05分38秒 | Weblog
あるコンパウンドで会った家族の写真である。

写真真ん中はおばあちゃん。
写真左はその娘でお母さん。
そのお母さんの娘が写真右でTamaさん。

彼女は2年前から学校に行っていない。
G9でストップしている。理由はお金がないからだ。

この家のお父さんは10年以上前に肺炎で亡くなっている。
その後、すぐお母さんがHIVポジティブだとわかり、
ずっとART治療を行っている。
さとうきびや小魚を売りながら生計をたてていたが、
ここ数年そのやりくりも厳しくなってきている。

娘のTamaさんが行った「学校に戻りたい」と。

同じ遺児家庭で育ったひとりの遺児として、
でもある遺児支援団体のおかげで進学する機会をもらえた身として、
なんか他人事とは思えなかった。

僕はたまたま日本にいたからそんなチャンスをもらえた。
人は同じでも生れ落ちた環境によって、その後の人生も変わる。

ここザンビアには60万人以上の遺児がいると言われているが、
彼らが学校に行く機会をちゃんと与えられているかといえば
きっと「NO」だろう。

貧困地域に行けば行くほど、学校に行けない子ども見かける。
教育を受けられないから将来の可能性も開けない。
彼らはさらに貧困に陥る。

この負のスパイラルはどうとめられるのだろう。

彼女の一言から、この国が抱える大きな問題を考えさせてられた。

リビングストンツアー

2009年05月13日 18時58分17秒 | Weblog

リビングストンのことをもう少しだけ。

4月のイースターを利用して
ザンビアの同期とケニア・ウガンダ・ナミビアの同期が
リビングストンに集まりました。

みんなでオリジナルTシャツをつくって、
世界各国に散らばるJOCVからメッセージをもらって、
ルナレインボーを見て、
カヌーでザンベジ川を下って、
サンセットクルーズで夕日を眺めて、
マイクロライトで空からビクトリアの滝も眺めました。

たくさん肉食べて、
バックパッカーズの宿に泊まったし、
一流ホテルの朝食も食べました。

海外から来たメンバーは会いたい友達だったので、
彼からかたくさんのエネルギーをもらいました。

外から来た人たちによって
ザンビアにいる自分を客観的に見ることもできて、
とても貴重な時間でした。

ずっとブログに書こうと思っていたのですが、
なかなかまとまった時間がなかったので今更ながら報告します!


※写真はカヌーでウガンダの友達と一緒に!



マイクロライト

2009年05月12日 00時27分32秒 | Weblog
ちなみに、先ほどの空からのビクトリアの滝は、
マイクロライトというエンジン付きのハングライダーからでした。

日本でも経験したことないマイクロライト。
ここザンビアで初体験。

もともと高所恐怖症なところがある僕ですが、
このフライトはとても気持ち良かった!

途中で運転もさせてもらって、
空を飛んでいる気分になりました。

これ、リビングストンでオススメのアクティビティです!




空からのビクトリアの滝

2009年05月12日 00時18分12秒 | Weblog
4月にイースターを利用して行ったリビングストンでは、
はじめて空からビクトリアの滝を眺めました。

今までとは違った角度から見たビクトリアの滝。

この写真を見ればわかると思いますが、
その大きさをあらためて感じることができると思います。

空からビクトリアの滝を見るためにはちょっとお金がかかりますが、
でもおすすめです。

ぜひビクトリアの滝を見る際には空からも!