ある週末のこと。(前回登場した)お手伝いさんが僕の家にある貴重な日本米を盗もうとした。それを発見した僕は理由を尋ねると、「(ザンビアの主食シマの原材料である)ミルミルを買うお金もない。食べるものもなかったから」と彼女は平然と答えた。結局、僕は家にあったパンと15000クワッチャ(約300円)の給料の前貸しをしたのだが…。
僕はがっかりした。何も相談せずに勝手に盗ろうとしたこと、援助は当たり前のように言われたことに。困ったらお互いさまというザンビア人のシェア文化も尊重し始めただけに、彼女の品位を疑ってしまった。僕も遺児家庭で育ち、親の自己破産などもあって決して裕福ではなかったので、経済面の貧しさが精神面の貧しさにつながることを体験的に知っている。だから、貧困が彼女をそうさせてしまう部分もあると思う。
だが、これは貧困層に限った話ではない。中流階級以上に属する同僚のマケワナさん(30歳男性)は、僕から何度もお金を借りてその返済をする前にまた借りようとする。上流階級である上司のチトンファさん(57歳女性)は、自分の私腹を肥やすことに余念がない。(同じく上流階級の)政府関係者もいつ自分たちが貧困に陥るかわからないから賄賂や汚職をしてでも常に富を得ようとする。そこに、ザンビア人のモラルのなさを感じてしまう。
「それもザンビア文化の一部だ」と主張するのは元ジャーナリストのピリーさん(35歳男性)。「独立後、カウンダ初代首相による社会主義体制が20年以上続いて、(特に35歳以上の人たちは)タダでモノやサービスを請うことに慣れきっている。若い世代も親からの影響を受けている」と言う。普段は親切で相手を尊重するザンビア人だが、カネの話になると、なりふり構わずその貧しさが前面に出てくる。
「そこにザンビア人としての誇りはあるのか」とピリーさんに尋ねると「ない」と答える。「だから、愛国心のない多くのザンビア人は一度、海外に出たら帰ってこない」のだそうだ。優秀なザンビア人は海外に行ってしまい、いま国内は人材難であることがそのことを物語っている。
そんなザンビア文化を危惧してピリーさんは言う、「求めてばかりいては駄目だ。お互いに助け合わないと良い人間関係はつくれない」と。
今日もあるザンビア人にまた「give me…」「You can support …」と言われた。この言葉を聞くたびに彼らの心の貧しさに嘆きたくなるが、ピリーさんのようなそれを疑問視するザンビア人もいることに期待したい。
(この文章は環境ビジネスに掲載されたものです)
※写真はある村落で撮ったもの。こんな道を歩いて学校に行く。
(文章とは全く関係ありません)