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北タイ陶磁の源流考・#37<ドン・ハインの「東南アジアの窯業系統・12」>

2017-03-18 06:52:11 | 北タイ陶磁

<続き>

9.内部領域:ラオスと北西ベトナム:その1
文化的にも民族的にも異なる多様な少数民族社会、それにはタイ族も含むが、それらの民族がベトナムの北西部の高原に存在していた。タイ族は、その祖先が2世紀頃から西側に移動してラオス、タイ、ビルマのシャンに移住したと考えられている(これについては根拠不明、時期的に早すぎる印象)。 さらにはアッサムまでも到達した。今日、ベトナム・ソンラー省のマイチャイ地区のムオンチャン(Muong Chanh)の村にあるタイダム(黒タイ)は、地下式横焔窯を使用しているとHuu Ungは1987年に報告している(過去にも存在していいたかどうか?、今日の現代窯は中世からの継続か?、いずれにしても当該ブロガーにとっては、新情報であるが詳細は不明)。窯は沿岸地域の窯と似ていないが、内陸部の周辺窯と技術的に一貫しているようである。これらの窯の形態と歴史についてのさらなる研究は、東南アジアにおけるキルンの伝播を明らかにするために必要である(そのように望みたい)。
村人からのアドバイスによって、ルアンプラバンの北約20キロメートルのところにあるメコン川のほとりのバン・サンハイで、地下窯の発見と発掘につながった。発掘された窯は、長さが4〜5メートル、幅がわずか2メートル、形が卵形で直径が約40センチメートルの小さな丸い煙突であった(図25、26)。燃焼室と焼成室との間に中程度の(30センチメートル)段差があり、焼成室の断面は半円形であり、壁と地面との接合部でわずかに丸みを帯びている。

この場所にはいくつかの窯の残骸が表面の近くに存在し、他の窯はより低いレベルにあって、不思議な層状を示している。比較的新しいと思われる窯が、古い窯址の下層に存在していたであろうと推測される。その下層の窯の一つが部分的に掘削された。地下式横焔窯のように見えるが、規模は少し小さい。この場所には約20基の窯が記録されているが、地表の痕跡はもっと多くの窯があることを示している(図26)。

焼成陶磁は、様々なタイプの無釉の鉢と、耳付壺で小さなものから60センチメートルの大きさのものである。それはラオスの特徴で背が高く、口縁が広がったタイプの壺。二重口縁壺は焼成陶磁の中では一般的であった。漁網の錘や糸巻き、幾つか動物肖形が見つかった。いくつかのフレアーのように波打った口縁をもつ褐釉壺が現地で発見された。それらは陶片で出土し、一部は地元産を指し示すが、発掘された窯で作られたという兆候はなかった。
さらに僅かのシーサッチャナーライ青磁とベトナムの褐釉陶が出土した。 バン・サンハイ(Ban Xang Hai)のもう一つの興味深い面は、多くの先史時代の石器、青銅の人工物などが、主に堤防が浸食された川の端で発見された。表面には多くのタバコ喫煙用のパイプが見られ、シーサッタナーク(Si Sattanak:以下参照)で最もよく認識されているが、幾つかはルアンプラバン(LuangPrabang)型と呼べるものであった。発掘現場ではパイプ製造の証拠はなかった。それらは中国国境近くの村で、可能性が考えられる窯があるという。
ルアンパバーン近郊のバン・タオハイ(タオハイ村)と呼ばれる村で調査が行われた。地下式窯では、素焼で灰色をしたジャーと建築の屋根瓦等の陶片が出土した。起源が明らかではない印象的な幾何学文および動物文様を有する緑系統の釉薬の壺が、村の地面で見られた。村の誰も窯の存在を知っていたわけではなかったが、調査の結果直径約1メートルの煙突が発見され、内部には釉薬が残存していたことが確認された。




                                    <続く>