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北タイ陶磁の源流考・#42<ドン・ハインの「東南アジアの窯業系統・17」>

2017-03-24 07:13:29 | 北タイ陶磁
<続き>
 
10.内陸部領域:タイ王国・その4
タイ中央北部の別の注目すべきサイトは、シンブリー(Singburi)近くのバン・ラチャン(Ban Rachan)で、それらはメナム・ノイ(Maenam Noi)窯と呼ばれる。レンガ造りで、長さ15メートル、幅5メートルまで測定することができ、結果として巨大な窯になっているが、内部に支柱は追加されていない(図35)。
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煙突の直径は2メートル以上で、昇焔壁の高さは1メートル以上である。いくつかの窯は巨大な人工丘陵の上に築窯されていた。大部分は粘土と窯の破片で構成されており、マウンド自体は発掘されておらず、窯の基礎となるものは不明である。中型の瓶や擂鉢などが主な製品であった。窯形式では、メナム・ノイ窯はシーサッチャナーライの後期の窯を模倣するが、サイズがより大きくなっている。
上記の窯場は、12〜18世紀の時代のどこかに属しているが、長期に継続していたと思われる一般的な創業は14-15世紀と云われ、ドン・ハイン氏の見解とやや異なっている)。
メーホンソン県のクン・ユアムの近くのフアイ・メアム・タムと呼ばれる窯場はビルマとタイの国境に近い。いくつかの周辺窯は、険しい川岸に掘られ、緑色施釉陶の瓶(壺)、鉢、およびビルマのスタイルの印花文が施された小皿などを作ったようである。
チェンマイ(Chiang Mai)では、20世紀初頭から1970年代まで、シーサッチャナーライに似たいくつかの大きな地上式横焔窯が、緑釉の家庭用雑器、中型の瓶(壺)、鉢などを作っていた(図36)。
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それらの陶工は、ビルマのシャン州から来たと言われている。このことは次のことを現わしていると考えられる。ビルマがランナーへ侵攻した1558年(ドン・ハイン氏は1569年と記す)ランナーの陶工は捕虜になりビルマに連行されて、チェンマイの陶磁技術は絶える。それがシャン州の陶工によって里帰りしたことをあらわしているであろう。

                                                                                            <続く>