04/05 まるチャンの「何だ、これ!?」 (45)
maru のお友だち
記事後半の実質的内容は、毎日新聞 (2010年2月9日 東京朝刊) の
『しっぽの気持ち』欄~『私にできることは=渡辺眞子』を
そのまま転載させていただきました。
今までの『ボクの出てきた記事』一覧だよ。
「ボクのなかま、かわいがってね?」
(43) 不要な犬猫の回収
(44) 収容所で分かれる運命
(45) maru のお友だち
(46) HACHI クン ありがとう!
(47) 死んでからも虐待?
(48) 「行方不明」のまま…
やあ、ボク、まるだよ、ワン!
maru のやつはね、これまでにも動物を飼ったこと、
色々あるんだ。
まず、黒いシェパード。 maru がまだ小学校に上がる前
のことで、帰国しちゃうアメリカの軍人さんから、お父さんが
「飼ってくれ」…って頼まれ、引き取ったんだって。 名前は
ミッキー。
でも、最初は仔犬だからいいけど、あれ、すごく大きくなる
でしょ? 特大の犬小屋まで作ってもらったんだけど、散歩
や世話が結局できなくなっちゃったの。 だから、また別の
人のところに貰われていったんだ。
お父さんはね、その頃から金魚や熱帯魚を飼い出したん
だよ。 おウチの中の水槽で、ヒーターなんか揃えて。
小学校に入ってからはね、知り合いの人からウサギさん、
貰ったの。 でも、あれ、飼うのとても難しいから、やがて
死んじゃったんだって。
中学校に入るとね、今度は猫のチャコちゃんが貰われて
きたの。 お母さんがネコちゃん、大好きなんだよ。
チャコちゃんはね、10年ぐらい生きてたのかな…。
maru の妹、弟と、チャコ
ボクはね、2002年6月4日の月曜日に死んだんだ。 今は天国
から書いてるんだよ。
だんだん食欲が無くなってってね、最後は栄養水しか摂らなく
なっちゃったの。 「人間で言えば、多分肝臓がんではないか。
検査をしてもいいが、それだけでも身体には負担になります、
今からでは…」って言われちゃったの…。
もう自分じゃお散歩も出来なくなってさ、最後の日の朝は、
近くの芝生の生えた公園まで、抱きかかえられて行ったの。
おウチへ帰っても、床のマットで横になってるだけなんだ。
お昼過ぎにね、maru のやつがトイレへ行って戻ってきたら、
ボクが静かになってたの。 最初は眠ってるだけかと思ったん
だって。
「あれ? まるチャン、まるチャン、息、してないよ!?」…って
呼びかけたんだけど、もう起こしたくなかったんだって。 その
前にも何度か声、かけられて、ボクは眼を開いたんだけど、
それ以上揺り動かしたりするの、もう可哀想で出来なかった
んだって。
それから、ウチのお姉ちゃんが学校から帰ってきて。 夜
遅く、今度はお兄ちゃんが仕事から帰ってきて。 みんなで
悲しんでくれたよ。
「まるチャン、ごめんね。 病気だって、もっと早く気付いて
あげなくて」…って言ってたよ。 最初の獣医さんにね、「食欲
が無くなったのは、ドッグ フードが合わなくなったからじゃない
ですか?」…って言われたので、「病気かもしれない」とは思わ
なかったんだって、誰も…。
その後で、ボクの写真、集めたら、全部で 200枚以上あった
んだよ。 アルバム作って、ご近所でお世話になった方々や、
みんなに見せてたな。 「まるチャン!」っていつも可愛がって
くれた、小学生のお姉さんたちにも。
それに、ボクを最初に川のそばで拾ってくれた、ご家族たち
にもね! お蔭でボクは11年生きたんだ。
maru のやつ、今でも「ワンちゃん、飼おうかな」って思うとき、
あるんだけど、もう気力が無いんだって、お散歩したりする。
それ、"ペット ロス 症候群" と違うかな? 大げさに言えば。
でも今はね、ご近所に心の優しいワンちゃんがいて、maru
は、とっても可愛がってもらってるんだ! 名前はハチくん。
♪だからボク、とても安心なんだ!♪
でも、なんだか、maru のやつが飼ってもらってるみたい
だねー…。 変なの…!
このコラムを書かせていただきながら「もっと楽しい話を提供したい」と、毎回思う。でも私がこうして動物問題に向き合うきっかけは殺処分を待つ犬の姿なので、心はいつもあの場所の動物たちに向かってしまう。
信じた飼い主から捨てられた犬と猫たち。彼らが残された時間を過ごす収容施設。その灰色の空間を支配する、じんとした悲しみと寂しさをはらんだ重たい空気。そして、殺処分。私は長いこと、それらの現実から逃げていた。知ることが恐ろしかったし、知ったところで何ができるとも思えなかった。
11年前の1月。大切な宝のような犬が旅立ったとき、闘病期間が長かったことや獣医師への不信もあったことから私は疲れ果てていた。仕事と日常生活は普通にできても、心は空っぽだった。そんなころ、ある巡り合わせから動物問題をテーマにした仕事が舞い込んだ。ただでさえ避けたい話題な上、タイミングとしては最悪だ。頭では「絶対にノー」と言っているのに、口から出たのは逆の返事だった。
どうして引き受けてしまったのだろう? 後悔しながらも約束を取り付けては人に会い、話を伺う日々。知れば知るほど現状はむごく、動物たちは哀れで、取材はつらいものだった。でも、もっともっと知りたかった。立ち止まりそうになる私の背中を押したのは、かつての私と同じく、問題から目を背けることに罪を感じてきた人たちから届く気持ちだったのだと思う。
動物にまつわる現場は、確かに過酷だ。けれど、その先には必ず希望がある。それは救うための活動に携わる人々の熱意であり、現場職員の涙ぐましい努力である。救われた命であり、その一頭が新しい家族へ幸福をもたらす姿である。だから決して絶望してはいけないと伝えてゆくのが「私にできること」と信じ、この問題を見つめ続けてきた。その間に恵まれた数々の出会いが、大きな力となってくれた。
このたび、出版プロデューサー石黒謙吾さんのサポートを得て「犬と、いのち」(朝日新聞出版)を上梓(じょうし)しました。手にした方がそれぞれの「できること」を見つけ、犬たちの現実に光をあてる一助となりますように。(渡辺眞子/作家)