MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

Viola にも鈴を?

2009-09-26 00:03:05 | 私の室内楽仲間たち

09/26 私の音楽仲間 (102)  ~  Viola にも鈴を?




          私の室内楽仲間たち (82)





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 前回は、ヴィオラが古くからある楽器で、"Viola" という
言葉の意味する内容が大変広いことを、ご一緒に見て
きました。

 おまけに、ヴィオラ・ダ・ブラッチョ、ヴィオラ・ダ・ガンバ、
ヴィオラ・ダモーレ、ヴィオラ・ポンポーザなどという楽器や
呼び名まで登場しました。

 これでは、「一体、"普通のヴィオラ" はどれなの…?」
と言いたくなりますね。 かく言う私自身も、元はと言えば
まったくチンプンカンプンでした。



 思い出すのは次のようなジョークです。



 楽器屋へお客さんがやって来ました。

 「セカンド・ヴァイオリンを下さい!
  … あれ、お宅にも無いんですか…?」




 私がヴィオラに初めて触れたのは、大学1年のときです。
もちろん名前ぐらいは聞いていましたが、それまでは興味
も関心もありませんでした。



 初めてヴァイオリンを手にしたのは、小学校5年生のとき。
「やりたい!」とねだったら、父親が買ってきてくれました。

 と言っても、本当に安物の楽器でした。 しかし当時の
我が家は家計が決して楽ではなかったので、よくぞ買って
くれたものだと思います。




 その父親の両親、つまり私の祖父母になりますが、祖父
はヴァイオリン、祖母はピアノを弾く人間でした。 共に明治
生まれですから、この時代で西欧楽器に親しんだ人間は、
本当に数少なかったろうと思われます。

 二人はさる楽団で知り合い、一緒になったとのことです。
しかも祖父は "楽隊長" だったとか。



 その "楽団" と言うのは、活動写真の上映の際に、音楽を
演奏していた代物です。 若い方々には、きっと信じがたい
存在でしょう。




 ご存知のように、昔の映画には音が付いておらず、
サイレント映画と呼ばれていました。 セリフが無い
のですから、外国語映画に限らず、筋書きの進行が
よく解りません。 これを補うものとして、活動弁士
または"活弁士"、"弁士" という存在がありました。

 この弁士は、話術に長けていなければならないのは
もちろんのこと、その場の雰囲気を敏感に察知しながら、
観客を誘導し、最大限に楽しませなければなりません。
その代表的な弁士に、名高い徳川夢声がいました。

 若い方々はもちろんご存じないと思いますが、これは
かつての代表的な話術家です。 この "ムセイ" という
名が、無声 (サイレント) 映画に由来することは言うまでも
ありません。



 私も幼少時、この方の声がラジオから流れていたのを何度
も耳にしています。 初期の白黒テレビでも、その姿が。

 また、"おじいちゃん、おばあちゃん" のところへ遊びに行く
と、「夢声さん、夢声さん!」と、二人はよく口にしていました。
二人は当時、と言っても大正から昭和の初期の話ですが、
東京の代表的な "楽団" に属していたらしいので、この名士
とも親交があったのだと思われます。




 祖父は、私がヴァイオリンを手にし始めたと聞くと、
「ぜひ楽器を持ってこい」と命じ、レッスンをしてくれた
のを覚えています。 「ド・デーズ」、「ハ・デーズ」など
と、小学生の私には、いや、今でも、見当もつかない
ような難語を駆使しながら。

 その祖父と同居していた叔父たちは、私が難儀して
いるのを目撃すると、「爺さんの言うことは古いから、
あまり真面目に聴かないように」などと、助け船を出して
くれることがよくありました。



 祖父は頑固な反面、飄々とした人間で、音に関しては
本当に純真、無邪気でした。 老後は市から委託され、
子供たちのための音楽教室を開いていました。



 そして、私にヴァイオリンを買ってくれた父親ですが、これも
音楽好きな人間でした。 と言っても、「オーディオ機器にお金
をつぎ込む」ほどではありません。 ただラジオ放送 (AM) の
クラシック番組は欠かさず聴いていたお蔭で、何とか最低限
の音楽環境で私も育ったのだと思います。




 その父親も、つい先日亡くなりました。



 遺品を整理していたら、カセット・テープが何本か出てきました。
見るとその中には、私が当時所属していたオーケストラの演奏
が…。 そう言えば、FMで放送されたものがあったので、それを
チェックしていたのでしょう。

 それと共に、私が送った招待状や、プログラムも何枚か。
オケの演奏会や、私が指揮した学生オケのものが、大切に
しまわれてありました。



 また遺品の中には、なんと鈴が一杯!

 夥しい数の診察券は、それぞれが小さなクリアー・ケースに
入れられ、クリップで鈴が結び付けられています。 財布にも、
キー・ホルダーにも。 さらに、様々な形の風鈴の数々…。
可愛い、優しい音がきっと大好きだったのでしょう。



 ひょっとして私自身も、そんな音楽好きな祖父や、父の血を
受け継いでしまったのでしょうか。




 おっと! 肝心のヴィオラの話がちっとも進みませんね。
まことにまことに申しわけありません。
 
 これでは競合脱線。 余談が鈴生(な)りです。




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  (続く)