MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

グリンカの『幻想的ワルツ』

2009-03-29 00:00:18 | その他の音楽記事

03/29     グリンカの管弦楽曲 (1)

    ほろ苦いプレゼント ~ 『幻想的ワルツ』





          これまでの 『その他の音楽記事』




                関連記事



   グリンカの管弦楽曲

    (1) 幻想的ワルツ        ~ ほろ苦いプレゼント

    (2) 幻想曲『カマーリンスカヤ』 ~ グリンカの青りんご ①

    (3) 幻想曲『カマーリンスカヤ』 ~ グリンカの青りんご ②

    (4) 『ホタ・アラゴネーザによる華麗な奇想曲』 ~ スペインの果実

    (5) 『マドリ(ッド) の夏の夜の思い出』 ~ スペインの薫り



   (ャ)ィコーフスキィ と 『カマーリンスカヤ』

    (1) (ャ)ィコーフスキィ 交響曲第4番 ~ 地下の白樺

    (2) (ャ)ィコーフスキィ 弦楽セレナーデ ~ ピョートル君の青りんご

    (3) (ャ)ィコーフスキィ 交響曲第1番、第2番 ~ 青りんごのタネ




     歌劇『ルスラーンとリュドミーラ』で名高い、

    ミハイール・グリンカ (1804~1857) には、

        管弦楽曲がいくつかあります。



 あいにく日本では、どれもあまり演奏されないようですが、
その中に、『幻想的ワルツ』という、演奏時間5分ほどの曲
があります。




 彼はロシア国民楽派の偉大な先人として今日、名を残して
いますが、また8ヶ国語を操る国際人でもありました。

 その足跡は、ヨーロッパ大陸のほぼすべてに及んでいます。
亡くなったのも、研究のために訪れていたベルリンでした。

 そしてその歌曲の中には、多くのロシア語歌曲のほかに、
フランス語、イタリア語、またポーランド語の詩に基づいた
ものも見られます。




 二曲の歌劇は、いずれもロシア語で書かれており、
第一作目の『皇帝に捧げし命』(1836)は、ロシア語
オペラとして広く受け入れられた、最初のものと
言われています。

 ただしこの歌劇、のちのソヴィエト時代には改題され、
イヴァン・スサーニン』と呼ばれていました。 劇中で
自ら犠牲になる農民の名です。



 さらに複雑なことには、台本の作者で依頼者でもある
ロゼーン男爵は、『愛国的な英雄の悲劇』なる題名を
希望
していたともいわれます。

 またグリンカ自身は、『イヴァン・スサーニン、英雄的
な農民
』なる表題を、その後望んでいたそうです。

 いずれも政治的な理由、またそれに絡んだ劇場側の
思惑により、二転三転した実例なのでしょう。

 初演の日は皇帝も臨席し、劇場は超満員。 大成功を
収めました。 と言っても、音楽的な感銘が大きかったが
ゆえのことです。




 二作目の『ルスラーンとリュドミーラ』(1842) は、原作
が偉大なる文豪プーシキンによるものです。



 音楽的素材としては、前作同様ロシア的な節回しが
用いられています。 それと同時に、新しい様々な作曲
技法も試みられていますが、基本的な語法スタイルは、
やはり "西欧的" と言えましょう。

 この国の方々に現在でも共通して見られる精神意識、
西欧との調和と葛藤」は、グリンカの中でも大きな
比重を占めていたようです。




 グリンカ自身が大きな課題としていたものの一つに、
"オーケストレーション" がありました。

 ロシアには、ペチェルブルクを除くと近代オーケストラ
の伝統がほとんど無く、誰かが先陣を切らねばなりま
せん。 この分野の権威、リームスキィ=コールサコフ
に先立つ、40年ほど前のことになります。

 グリンカが幼少の頃からオーケストラ演奏に親しんで
いたことは、その大きな下地になりました。
      (このことは、今回の一番最後に触れます。)



 管弦楽曲を数曲書き上げたのは20歳前後のことですが、
その後は歌曲や歌劇に打ち込んでいました。 しかし40歳
を過ぎた1845年頃からは、再びこの分野に盛んに手を染め
始めています。



 『幻想的ワルツ ロ短調』は、1839年のピアノ作品を、
後年自らオーケストラ用に編曲したもので、その作業は
数度に及んでいます。

 初期のものは残念ながら消失していますが、現存して
いる版には、金管部分の編成に
「ホルン2、トランペット2、バス・トロンボーン1」
という数字が見られます。




 また、その後スペインを旅行した折の印象が特に強烈
だったらしく、『二つのスペイン序曲』を残しています。

 スペイン語の学習、困難な山越えの大旅行…。 それを
押してでもスペインを知りたいという、意欲の賜物でした。
現地では進んで民衆の中に飛び込み、自らカスタネットを
持ち、ホタを踊りながら、"ドン・ミゲル" (ミハイールさん)
と呼ばれ、親しまれたといいます。



 第1番『ホタ・アラゴネーザによる華麗な奇想曲』は、
マドリ(ッド) 滞在中の1845年に書かれています。

 重々しい4/4拍子の序奏の後に、速い3/4拍子で、
活発なホタが続きます。

 金管の編成は、
「ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、チューバ1」で、
華やかな打楽器群、それにハープまで加えられています。



 第2番はワルシャ(ー)ワで作られましたが、作曲当初の
1848年には『カスティージャの思い出』という題でした。

 後の1851年に、これもワルシャワで手直しされ、現在は
スペイン序曲第2番『マドリ(ッド) の夏の夜の思い出
として残っています。

 やはりホタで始まりますが、テンポは前作に比べて
抑え気味で、抒情的です。 また部分的には、まるで、
のちの印象派や、ラヴェル"ラ ヴァルス" を思わ
せるような箇所さえあります。

 こちらは「ホルン4、トランペット2、バス・トロンボーン1」
で、ハープはありません。




 "ホタ" については、音源サイト[タルレガ作曲『グラン・ホタ』]に

 以下の記述があります。




  「ホタはスペインの民族舞曲の一つで速い3拍子の曲。

 アラゴン、バレンシア、ナバラ地方で盛んであるが、

 なかでもアラゴンのホタが有名である。」



 上記の『ホタ・アラゴネーザ』は、"アラゴンのホタ" の意味です。




 管弦楽で民謡的な主題を扱うという、この音楽的姿勢。
この直後に舞台はスペインからロシアへと移り、かねて
から思い描いていた、幻想曲『カマーリンスカヤ』として
結実します。




 ここでは、音源の得られた中の一つ、『幻想的ワルツ』を
ご一緒に聴いてみましょう。

 グリンカがピアノ曲として作ったのが40歳前、管弦楽用に
編曲したのが数年後ということになります。




 [音源 ①] 演奏と、『グリンカの手記』朗読 (1) から



 冒頭から5分間、この曲が演奏されます。 また 8'03" 頃
からは、同じ曲がやはり中途から演奏されています。



 語りの部分では、



 「乳母の伝える民話民謡、また農民たちの踊り
幼少時から親しんで育った」こと、



 「"音楽のことしか頭に無いのでは" と絵画の家庭教師に
諭され、"音楽こそ自分の魂です" と答えたのが、十歳
そこそこの時期だった」こと、



 「叔父の抱える農奴オーケストラが、自宅にやって来て
ダンス音楽を奏でている中に紛れ込み、ヴァイオリン
ピッコロを受け持ってオーケストラに親しんだ」こと、



 「18歳を迎える早春に知り合ったソプラノ歌手に恋心を
抱き、その奏でる見事なハープと (おそらく自身の) ピアノ用に

モーツァルトの主題を用いて曲を作り、さらに

ピアノ用に自作のワルツを作って贈った

のが、作曲を試みた最初の機会だった」こと



…などが語られています。



      ただし内容にはまったく自信が無いので、ぜひ
      どなたか訂正、補筆してくださるようお願いします。





 ただ、この "幻想的ワルツ" はそれとはまた別の、17年後
のワルツで、やはり別の女性に献呈されています。 それも、
人目をはばかりながら。

 のちに彼の結婚が不幸なものだと分かってからの出来事です。



 そう言われれば、人生の悲哀や苦しさを訴えかけているよう
にも聞こえる曲ですね。 いわば、ほろ苦いワルツです。

 ところで、18歳の頃の "甘酸っぱい" ワルツ、こちらは一体
どんな響きがしたのでしょうか。




 [音源 ②] Sinfonische Musikschulorchester Sachsen
                 (静止画像)




 [音源 ③] サンクト ペチェルブルクの静止画像

 [音源 ④] Victor Ryabchikov (ピアノ版、静止画像)



 [音源 ⑤] Vyacheslav Gryaznov (ピアノ版)

 こちらは、現代のピアニストによる再編曲の
ピアノ自演で、楽譜入りです。




 (続く)