おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

一身にして二生を経る

2010年07月03日 07時51分20秒 | 日記
もう7時になるけれど、厚い雲で暗い。雨は落ちていないが風が強い。風は南西方向で外輪山から吹き降りてくる。強い風だ。夜中にはかなりの雨量があったようだ。外に出しているバケツが雨水でいっぱいになっている。

昨日、夜新聞のTV番組を見ていたら、NHKでカンサンジュンの番組があるというので見た。武田鉄也とカンサンジュンが「故郷」熊本に帰り、自己を振り返るというドキュメントだった。武田は引き立て役に徹していた。(ディレクターがもっと武田と熊本の関係性も少しは描き出して、彼の個性も引き出して、カンと絡ませるように演出したほうが番組としては面白かったのではないかとも思った)
武田は1949年4月、カンが1950年8月、私が1950年1月なので、武田と同学年、カンの1学年上になる。

7時半。猛烈な雨が降ってきた。これは異常な雨の降り方で、この勢いは不気味で流石に恐い感じがする。

同世代に共有する感覚というものがある。同じ時代を潜って積み重ねられてきた歴史の事実は確かにそれぞれの精神の深くに蓄積されている。時代は戦争が終わって4,5年、まだ戦地からの復員者がいた頃だし、戦後の混沌は壊滅的な戦災を受けた都市だけでなくどんな田舎にも混乱と無秩序、混沌(カオス)的状況があったはずだ。カンは熊本市の駅裏の在日のに生まれ住んでいた。私は県北のさらに田舎にあって、被差別があり、そこには在日の人達もいたのだが、彼らが作るどぶろくの原料となるこうじを作って販売していた。カンの親は廃品回収業。今でも彼のお兄さんが市内でその後を継いでいる。

何故、カンなのか。まず共通感覚。そしてちょうど彼の「悩む力」を読んだばかりだった。何十万冊と売れた本らしいがそれは知らなかった。人気があるのだろう。TVではあまり見たことなかった。この本の影響で夏目漱石を一遍じっくり読み直そうと思い立ち、「我輩は猫である」から読み始めた。順番はどうでもいいのだが、全集の最初に入っていただけ・・・

番組のエンディングは見たような場所だなと思ったら、家のすぐ近く南阿蘇のアスペクタの裏で局から依頼された親父暴走族がハーレーの重低音の爆音を響かせてやって来た。カンの夢らしい。「福沢諭吉の「一身にして二生を経る」という言葉が彼の好みで、第二の人生は黒の革ジャンを着て、ハーレーで旅をするということが本に書かれていたことから、この「ご愛嬌」だったのだろう。ハーレーの後部座席に乗って、のろのろと走り回る姿で番組は終わった。いっぱい考えさせられたし、同世代から来る「そうだよな」という思いと撮影場所が知っているところばかりだったので、面白かった。


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