おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

飛行機と近代というもの

2011年12月31日 09時35分51秒 | 日記
昨日、親戚が東京ディズニーランドに行くので、空港まで見送りに行った。

阿蘇くまもと空港が大きくなっている。これには驚いた

今も工事中で完成したらさらに立派さを増し、熊本の空の玄関口としてよそ様に誇れるものになるんではないか・・・と思った。同時に、それほど利用客が増えて増収なのかな?という疑問も湧いたのだ。空港はあちこちで経営が危うくなっているところが多いと聞く。

どんな場所でも飛行場ができ、便利になったといえば言えるかもしれない。熊本だって天草に空港ができている。
正直いって「だれが乗るん?」と関西弁で突っ込み入れたくなる。

飛行機が発着するのを屋上から眺めたけれど、こんな田舎でも次から次に飛び立ち且つどこからか降りてくる。

まあしかし、飛行機って凄いもんだ。あんなドデカイ物体がフワッと舞い上がり、鳥のようにサアーッと下りてくる。

飛行機はある意味で「時間を買っている」のだ。

汽車だったら丸一日掛かってしまうところ飛行機だったら1時間半で花の東京だ。

近代は文明を急速度に発達させてきた。そのコンセプトは経済効率をベースに「早く、便利」、すなわち時間の短縮を追い求めてきたのだ。

私は昭和25年生まれだから、戦後だけれどギンギンの昭和世代。汽車は電車ではなく蒸気機関車だった。初めての上京の際には普通列車(蒸気)でシートとシートの間に新聞紙を敷いて眠った。

どうしても「電車」という表現には慣れない。

高校生の時には汽車通学で片道1時間蒸気機関車に揺られて居眠りしながら通った。もちろん坊主頭だったけれど、下りる時頭を擦るとパラパラと石炭の燃えカスが落ちてきた。窓を開けると煙が入ってきてたいへんだったけれど、今妙に懐かしい。

昔はゆっくりしていたなあ・・・

ど田舎に住んでいるけれど、最近道路をメッチャ飛ばす若い女が増えた。村にそんな若いもんいる訳ないので街から来た連中なのだろうが、狭い道路で無理やり追い越そうとする。

そうすると年寄りのオヤジn闘争心に火がつく。そして悪魔の誘惑さえもー

横に並んだ瞬間、こちらもスピードをブワーッと上げて簡単に抜かせない。1車線しかないから対向車が来たら危険

抜こうと横に並んで抜けないとなると相手は慌てる。「甘く見るなよ

ふざけたヤツには「お薬」を処方したがよい。

でも冷静に考えると「子供っぽいね、自分

いい年こいて」危険行為止めた方がいいぞ、それでも元教育者か?

まあ、そんな慌てんでもいいじゃないかということさ

今の日本、進化のスピードを少し緩めた方がいい。時間を短縮したって、忙しさは変わらない。早く処理できるようになったって別の仕事が入ってくるので仕事量は不変。

現代人よそんなに慌ててどこへ行く???

子供の純真さについホロリ・・・

2011年12月29日 16時35分39秒 | 日記
今朝突然、友人が訪ねてきた。

街の通い慣れた寿司屋の女将さんとその娘さんと孫二人、親子孫の3代4人でやって来た。

その孫が5歳の年中、実に元気がよく天真爛漫。家の中を走り回る、引き出しは開ける、部屋もベッドルームだけは閉め切っていたけれど、「ここはなに?」と開けようとするのでここだけは「ダメよ」と外に連れ出した。

「これ何?」が口癖でなんでも訊ねる。

ちょうどジグソーで板を切ってトマトの形を作っていたので、これにペンキとカラースプレーで色をつけた。



これをずっとそばで見せて、帰る頃まで干して乾した。

いろいろ遊んで、女将さんが帰るというと「ぼく帰りたくない」と泣き出した。母親に抱きついて顔を隠している。

宥めすかしてやっと車に乗せたが、「お爺ちゃんといっしょに乗ろう」とシートの席を空けようとする。

卒業生がたくさん子供達を連れてくる。しかし、こんな素直に感情を吐露する子は珍しい。

幼稚園にいた頃、子供から好かれるコツを体得している。何しろ一緒に遊んでやることだ。

帰るときには畑からチンゲン菜とホウレン草を採りいれて箱に詰めもたせた。

こんな田舎に人が訪ねてきてくれるのは有難いし嬉しいものだ。

寿司を食べたいのだけれど、なかなか店(大砲寿司)に行けない。もちろん泊り掛けになるし、今年は無理だ。店は息子のYちゃんが切り盛りしている。いつも人が一杯いてなかなかの繁盛だ。

朋あり、遠方より来る、亦楽しからずや







もうすぐお正月

2011年12月27日 11時52分16秒 | 日記
寒い朝だ。

それでもお日様が照って、青空に阿蘇五岳がくっきり見えて最高


今日は27日。後4日で今年も終わりだ。

この一年は何年ヶ分の波乱と愛別離苦、悲喜交々の年だった。

来年こそはこの国にとって皆が幸せ感を味わえるような年であって欲しいものだ。

今朝は正月を迎える準備として門松を作って据えつけた。

門松の飾りつけはもう6、7年続けている。

知り合いから太い竹を頂いて、根に近い太いところを斜めに電動丸鋸を使って切る。節の所で切るのがコツ。



最初はバケツを使ったけれど、漬物樽に代えた。



固定するのに籾殻を使い、飾りつけは松竹梅をメーンとする。松飾は神様が家にやって来る依り代となる。

近くの林から熊笹を取ってきたし、庭の梅もどきの紅い実を利用。昨日玉名の墓掃除の帰りに立ち寄ったホームセンターで購入した紅白の葉牡丹を使う。樽の表面を菰で被い、縄で縛る。出来上がった「作品」がこれ!





今朝、お隣さんは正月を実家で過ごされ当分留守にするということで挨拶に行った。

ご近所でも正月を遠い故郷に帰省されるところがあり、寂しくなる。

今年は弟が大病に罹り、きつい治療を強いられ長い闘病生活になった。遠くにいるので見舞いも一度行ったきり。その心配がこころに沈んでいる。

死んだ母の妹二人は葦北と水俣にいるのだがもう88歳と72歳。下の叔母が姉のところに通って老老介護中。昨日弟の所と叔母達に畑に残った白菜と大根、チンゲン菜、みかん等を送った。

墓参りも済んだし、気分はすっきりしている。来年はいい年になるといいなあ

周囲の雑音にめげず、自由奔放に滑れ!

2011年12月24日 09時22分35秒 | 日記
スケートの全日本が始まった。

話題の多い大会で中心はなんと言っても真央ちゃんの滑り。

グランプリファイナルを母親の危篤の知らせで出場を辞退し急遽帰国することにした真央ちゃん、間に合えばいいけどと心中手を合わせていたのだが、非情にも愛する母を看取ることができなかった彼女。

若くして親に死なれるつらさを思うと深く同情する。

私の両親は既にない。親父が危篤状態になった時、北海道の奥尻島で地震と津波が押し寄せ緊迫した報道がなされていたことを思い出す。兄妹5人の内、大阪に出ていた妹が飛行が遅れ何度も息が切れそうになったのを医者は必死に命の灯(ともしび)が吹き消えない様に最後の手当てをし、意識は無くなっていたものの全員揃って見送ることができた。

その後、精神的なダメージというか父を亡くした後遺症は1年以上も続いた。

母の最期を見送れなかった真央ちゃんは可哀想だ。そして健気に全日本への出場を決め、昨日記者会見をした。

まだ、気持ちの整理もついていないだろうに人前で気持ちを伝えなくてはならないエースとしての重い責任、当たり前だが表情は暗く、鎮痛な面持ちで立たされていた。

人間の表情は黙っていてもこころの内を自然と顕現する。

「お馬鹿タレント」大流行のこの時代、真央ちゃんの顔に陰影が刻まれその影の深さが美しさを倍増しているように思った。

今日ショートプログラムだが、人のために滑るんではなくて自分のために滑って欲しい。

失敗したって構わない。滑ることをお母さんも期待しているだろうし、娘が氷上にいることで親は安心するのではないだろうか。

真央ちゃん、皆応援しているよ。自分らしく、思ったとおりに滑って下さい。

うぎゃあ・・・面白かった『蒼穹の昴』

2011年12月22日 09時18分41秒 | 日記
霧がかかっていて、五岳が見えない。気温は零下にはなっていなかった。もちろん霜も降りていない。

天気がよくないとどうも気分も晴れない。

今年の年賀状にはこう書いた。

春色亦到 深山中 

深い山奥にも(どんな場所、境遇のところ)春は必ず訪れる・・・ 

最近太り気味

夏から比べると1.5kgオーバーだ。歩いているし、朝はお粥、飲む量も食べる量もそう増えている訳ではない。

何が違うか?それははっきりしている。仕事量の違いだ。

200坪の畑をほぼ一人で(妻はバラ園他庭の手入れ専門)自給用に耕作しているのだが、この作業がこの時期ぐっと減る。

まず鍬、シャベルで汗をかくことがない

冬以外には午前中、シャワーを浴び着替えて昼食。午睡の後再び日暮れまで作業してまた風呂に入って着替え。多い時は一日に3回着替えることもしばしば・・・

今は一日中霜が解けず、することがない。それでも畑を見回すと、隙間なくビニールシートで被われた畝畝。

今年は葱が600ほど。去年は750植えたけど結果は散々で大きいのはほんの僅かで、ほとんどベビーオニオンの一口サイズ。他人には食べやすいように、小さな品種を選んで作ったんですよ・・・と冗談飛ばしたが心中はわびしかった。

今年はしっかり元肥を施し、植える前に土の手入れをよくしたので期待している。

あと、キャベツ、白菜、ホウレン草、春菊、長ネギ、チンゲン菜、大根、カブ、ライ麦、にら、細葱、グリーンピース、スナックエンドウ、陸海苔、ブロッコリー、ラッキョ・・・

標高450mの高原地。気温が低いので冬の間は作物はほとんどじっとしている。時々必要に応じ、収穫するだけだ。

そうそう大根の切干は成功した。今第二弾を干しているけど、第3弾、第4弾と作るつもりだ。

里芋などイモ類は深い穴を掘って、杉の葉、籾殻などで保温して保存しているので、食べるために取り出すのだ少々手間

そうだ、今日のテーマは読書だった。

浅田次郎の『蒼穹の昴』4巻全て読み終えた。長かったけれど面白くて、温泉や我が家の風呂に浸かりながら、ベッドに寝転んで一日50ページを目処に読み耽った。

これまで中国史ほか世界史関連の本は小説でも殆ど読んでこなかった。この『蒼穹ー』は中国近代草創期、激動の歴史を春児と文秀を主人公にそして二人が成長して仕えることになる西太后や李鴻章、袁世凱、康有為さらに伊藤博文など多士済々の巨人が登場してくる。

4億の民(当時)を支配する西太后と科挙(官吏登用試験)で全国トップの成績で採用され、(日本で言うならば省庁の事務次官かな?・・・)政治の表舞台で活躍する文秀と皇太后の御傍に仕える宦官トップの春児。近代化の遅れた中国は先進列強に分割支配されていくのだが、その中でどう封建体制を守るのか、文秀は変法(体制変革)派の中心だし、幼馴染の春児は太后を守護すべき守旧派の側近。愛憎あいまみえて悲喜交々、興奮する。

大きな歴史を語っているのだが、その中の人間ドラマを考えるとだれでもよく分かる夢物語。こういう本を書ける浅田ってすごい。

一つ苦労したのは人名に中国語読みが出てくるのだがこれに最後までついていけなかった。例えば春児はチュンル、文秀はウェンシウ、西太后シータイホー。普段は漢字の音読みだが、中国語の発音を並べて書いてある。これがちょっとつらかった。

昨日は古本屋で中国近代の歴史本を捜したけれども見つからなかった。強烈な興味が湧いてきた