mardinho na Web

ブラジル音楽、その他私的な音楽体験を中心に

中村真一郎の1950年代終盤の作品

2017-03-05 09:08:46 | 
中村真一郎は1957年に最初の妻、新田瑛子を自殺で亡くしている。
それによって深い心の傷を負った中村は精神を病み、電気ショック治療を受ける。電気ショックによって1年分ぐらいの記憶が亡くなり、治療後も「激しい自殺衝動と強迫神経症」になったと『愛と美と文学』に書いてある。
他方で、不思議なことに、というべきか、こうした時期にも中村は間断なく作品を刊行しつづけている。激しくつらい体験は作品にどのような影を落としているのか興味を持っていた。『中村真一郎小説集成第4巻』がその時期の作品を載せている。
まず、短編「野性の女」「奇妙な解放」は新田の生前に書かれたもので、法学者の主人公が新田を彷彿とさせる奔放な女優と出会って結婚するが、家出すると言って1週間いなくなったり、かと思うと家に引きこもったり、躁鬱的な妻に翻弄される姿を書いている。短編「天使の生活」は新田が死んだ1957年に発表されたもので、二人の結婚生活の内実や妻が死に至る経緯などを書いている。「精神を病んでいる」どころかひどく落ち着いているように読めるが、これを書くのはとてもつらかっただろう。
長編『自鳴鐘』は1958年11月の刊行だから、新田の死後、電気ショックの前か後に書かれたものだろう。意外なことに精神の異常の影響を全く感じない。主人公は映画の輸入会社に勤める会社員とその凡庸な妻。会社員は学生時代に文学の同人誌をやっていたが、眠っていた文学への情熱が仕事の発注先の魅力的な女性心理学者に触発されて蘇り、詩集を出版する。会社員と女性心理学者はやがて激しい恋愛関係に至る。一方、妻は夫への不満からやはり不倫に走ろうとする。こうしていわゆるW不倫の話かと思ったら、終盤では女性心理学者のかなりとんでもない性生活が明らかとなり、物語は急転直下終わる。この女性心理学者の人物描写はまさに中村の好みの女性像であり、これに似たような人は後年の『四季』4部作にも出てくる。また実業家の妾から政治家の妾に転身した女性心理学者の母は、中村の「第三の母」そのものであるようだ。
長編『熱愛者』は1960年刊行で、『愛と美と文学』によれば、「妻の死による重い神経症から回復して最初に書いた長編」である。音楽評論家で、大物女優の愛人である主人公が、女優との関係を絶って、インテリアデザイナーの若い女性と熱愛し結婚。しかし、夢のような生活は1年も経つと変化し、妻は仕事をやめても仕事に復帰しても夫の関係がうまくいかず、若いデザイナーのもとへ去る。私には『自鳴鐘』の仕掛けや緊張感の方が面白く感じられたものの、ここにも新田瑛子との結婚生活の破綻の残響が聞こえてくるようである。

温泉やプールで入れ墨、タトゥーを入れた人を排除するのはやめるべきだ

2016-05-31 22:54:18 | 日常
欧米では腕など普通に見えるところに入れ墨をしている人を大勢見かける。
日本では入れ墨をしている人は暴力団関係者だという認識が広くあることは否めないし、そうした認識は過去においてはだいたい正しかったのではないかと思う。しかし、欧米ではまったく暴力とは無縁なごく普通の若者が入れ墨をしている。
さて、日本ではいつのころからか温泉やプールなどで「入れ墨おことわり」の掲示を目にすることが多くなった。おそらく暴力団対策法が施行されて以後のことだと思う。私が銭湯に通っていた1980年代には銭湯で入れ墨をした人に出会うこともあった。社会から暴力団を排除していきましょうという空気が広まり、我々一般市民も「入れ墨おことわり」という掲示によって暴力団員の肩身が狭くなって、暴力団壊滅につながるからいいんじゃないかと思ってきたように思う。もしかしたら警察がこうした掲示をするように要請してきたのかも知れない。
ところが、欧米でこれほど入れ墨をしている若者が多く、かつ日本への外国人観光客が増えてくると、事はかなり厄介になってくる。温泉は日本観光のハイライトの一つだが、日本に来た欧米人観光客が温泉に入ろうとして、「入れ墨おことわり」のメッセージを目にしたら、また、入口で入れ墨を理由に入場を断られたらどう思うだろうか。欧米人観光客は、日本人がほとんど入れ墨をしていないことにも気づくはずで、そうするとこれは形を変えた「外国人おことわり」のメッセージだと受け取る可能性もある。少なくとも人を外見で差別する理不尽な決め事であり、人間の自由を制約していると受け取られることは間違いない。
観光客だけでなく、日本に定住する外国人もますます増えていく中、こうした差別と受け取られかねない決め事はなくしていったほうがいい。それによって暴力団員が我々の日常生活に入り込んできて怖いという気持ちもわからなくはないが、我々が憎むべきは暴力団の暴力や威嚇行為であって、彼らの外見ではないはずである。日本の暴力団員は、その特有の外見によって一般市民を威嚇してきた面は否定できないが、他方で、すでに暴力団から足を洗った人まで外見によって排除するのでは、彼らの一般社会への復帰を阻害することになる。
日本は外国人差別をする国だという評判が高まらないうちに、「入れ墨おことわり」の掲示はこっそり引っ込めておいた方がいいのではないだろうか。

LS北見の快進撃

2016-03-25 23:32:55 | 日常
カーリング女子世界選手権がいまカナダで開催されている。
毎晩寝ようとすると、日本時間で深夜0時ごろからカーリングの試合が始まり、見始めるとなかなかやめられず寝不足になってしまう。
序盤3連勝のあとのデンマーク戦。デンマークのスキップが奇跡のようなショットを決めて日本は敗戦。
次に見たのはドイツ戦。強豪チームと聞いていたが、日本は8対1の大差で撃破。このあたりから日本チーム(LS北見)がぐんぐん勢いづいてきたように思う。同じく強豪のスコットランド戦もみたが、これも圧勝した。
最後にストーンを投じるスキップの出来次第で結果がガラッと変わってしまうので、どのチームもスキップに一番うまい選手を配置するが、日本の強みは2番手の鈴木夕湖、3番手の吉田知那美が安定していることだろう。対戦相手は2番手、3番手の選手がミスしてしまうことが少なくないのに対して、日本の2番手、3番手はまずミスしない。二人が相手のストーンをハウスからかき出して、ハウスのなかに日本のストーンが3個ぐらい散らばって入っているような状態でスキップにつなぐから、相手のスキップが正確に決めても、スキップの藤澤五月が余裕で相手ストーンをはじき出して3点をもぎ取ってしまう。全体の2位以内でプレーオフに進出したが、この勢いで優勝しちゃうかも。


炉心溶融(メルトダウン)

2016-02-25 22:45:56 | 日常
2011年の福島第一原発の事故の際、東京電力は起きたのは「炉心損傷」だと説明していたが、実は東電内部のマニュアルに従っていれば「炉心溶融」と説明すべき状況であったということが判明し、東電が謝罪した。
東電の幹部たちが、予想外の事態になすすべもなく青ざめているなか、つい柔らかめの表現を使いたくなる心理はなんとなくわかるような気がするし、遅きに失したとはいえ、反省の弁も述べている。
ただ、日経新聞に「専門家の見方」として紹介されている北海道大学の奈良林直教授のコメントには腹が立った。奈良林教授いわく、「事故から間もない3月14日の段階で(もしマニュアル通りに)『炉心溶融(メルトダウン)』を正式に発表していたら、国民の間で大パニックが起きていたと思う。炉心溶融と認めたところで、何かしらの利点があったとは思えない。」
つまり、奈良林教授は、原発の大事故が起きてメルトダウンだと認識したとしても、国民がパニックを起こさぬように柔らかく粉飾して発表するべきだ、と言っているに等しい。原子力村の住人たちにあるこうした傲慢な考え方を原発事故当時の東電経営陣も共有していたから、大きな事故を小さく見せるような言葉を選んだのではないか、と思ってしまう。
実際には原発事故によって国民の間で十分にパニックが起こっていた。放射能が東京周辺にも飛んできて浄水場の水から検出され、人々はミネラルウォーターを求めて商店に行列を作った。自衛隊のヘリコプターで海水を汲んできて原発の上からかける、というまるでパニック映画のような映像をテレビでみて、もう原発を止める手立てが何もない事態であることは誰にでも分かった。「炉心損傷」程度の軽い事故だと思う人は少なかっただろうから、その意味でさほど害がなかったのかもしれない。
事態が深刻なことはわかるが、この先どうなるのかは素人にはわからない。その点について専門家の知見を聞きたいところなのだが、もし専門家たちがみな奈良林教授のような考えなのだとしたら、専門家たちも信用できないということになってしまう。


アイドルという名の奴隷

2016-02-10 12:23:19 | 日常
タレントのベッキーさんが既婚の男性と恋愛していたことが発覚して、それまで出ずっぱりといってもよかったテレビ画面から(一時的に?)追放される、というキツーい制裁を受けている。
イギリスのThe Guardianがこの件を報じて、恋愛相手の歌手はその後も活動を続けているのにベッキーさん(同記事によればフルネームはRebecca Eri Ray Vaughanというそうだ)だけ追放されるのは女性差別の表れである、と論じている。たしかにそうかもしれない。
ただ、ガーディアンの記事は、日本の多くの女性アイドルが事務所から「恋愛禁止」を言い渡されていて、その禁を破った人、例えば峯岸みなみさんが頭を丸めて謝罪したことにも触れ、この問題が単なる女性差別以上の広がりをもっていることを示唆していて興味深く読んだ。特に注目したのが、恋愛禁止の禁を破った23歳の女性アイドルが、事務所から1000万円の損害賠償を求める裁判を起こされ、第一審の東京地裁ではこうした契約は国民の幸福追求の権利を定めた憲法に違反するとして原告の訴えを退けたというくだりだ。この裁判のことはまったく知らなかった。この判決のことはぜひAKBのメンバーたちに教えてあげたい。
つい先だっては、SMAPのメンバー4人がジャニーズ事務所からの独立を模索し、その結果SMAPが解散するのではないかという憶測が流れ、結局4人が独立をあきらめてテレビで謝罪するということもあった(らしい。見ていないので)。
私がベッキーさんのことも含め、一連の事件から感じるのは、アイドルたちがタレント事務所、あるいは芸能界全体によって幸福追求権を封じられた奴隷のような境遇に置かれているのではないか、ということだ。
ベッキーさんは好きになった男性をその妻から奪おうとした。倫理的にどうなのか、私は当事者の事情はよく知らないから軽々な判断は慎むが、一つ断言できることは、そのようなことは私の身近にもよくある、ということだ。日本でも結婚したカップルの3分の1ぐらいは離婚するらしい。離婚した人たちの何分の1かは再婚する。その再婚相手との交際が離婚成立前に始まっていれば、それはベッキーさんのケースと同じだ。恋愛や結婚という自分の幸福を追求する活動のなかで、それぐらいのこと誰にでも起きうるのではないか。ガーディアンの記事によれば、ベッキーさんのCM降板は彼女の所属事務所からの要請なのだという。建前は視聴者からの抗議やスポンサーの意向があるから降板させる、というのだろうけど、本当は奴隷主に刃向かったことに対する制裁ということか。
妻のいる男性に恋をするのも、長年世話になったタレント事務所からの独立を考えるのも、狭量な人の「倫理」には外れるのかもしれないが、刑法には触れない自由の範囲内だ。そうした自由の領域に踏み入った人を公衆の前で土下座させたり、仕事から干したりすることは制裁としてあまりに過剰ではないだろうか。そうした制裁を許容するのは芸能界で横行するアイドルへの人権抑圧を容認するということではないのだろうか。

男子サッカーAFC U-23選手権 イラク戦と韓国戦

2016-01-31 01:42:54 | 日常
リオ・オリンピックのアジア最終予選であるAFC U-23選手権で日本代表は難敵イランを撃破し、準決勝はイラクとの対戦となった。
ここまで来たら、あと2戦のうち1戦さえ勝てばオリンピック出場が決まるので、手倉森監督は準決勝はコアメンバーと目される7人(櫛引、岩波、植田、室屋、遠藤、中島、久保)のうち5人ぐらい残して他の選手を入れ替えてくると予想した。
蓋を開けてみたら7人のうち岩波以外の6人が先発したので、まあ当たらずとも遠からずといったところか。ただ、この6人以外にMF原川も先発したのは予想外だった。その原川が値千金のロスタイムの決勝ゴールを蹴りこんだのだから、やっぱり手倉森監督の用兵は大当たりしたと言うほかない。
もう一つ予想外だったのは、準決勝とその次の試合を見据えて2試合で1回勝てばいいという余裕の戦いをするのかと思ったら、監督はイラク戦で決めに来たことだった。
イラクはイランほど手ごわい感じはしなかったが、油断していると短刀でグサッとやられそうな怖さがあった。

決勝の韓国戦。
オリンピック本大会出場という目標は達成し、やや気楽な試合だった。代表の選手たちとしては最も楽しめる試合であるし、最もピッチに立ちたい試合だったはずだ。だから、監督は論功行賞の意味を込めて今回の大会で功績が大きかった選手を先発させるのではないかと予想した。コアメンバーの7人以外に大島や矢島が先発したのはそういう意味があったのかもしれない。
韓国はこれまで対戦した相手のなかで図抜けて強かったと思う。実力では明らかに日本より上だった。
韓国はワンタッチのパスで日本を翻弄してスルスルと前へボールをつないでいく。日本がボールを回そうとすると、すばやく囲まれてボールをとられてしまう。韓国はいっぱいチャンスを作るが日本はたまにしか作れない。
前半を0:1で終わった段階では、終盤に相手が疲れて来れば何とかなるかもと思ったが、後半が始まったとたんに2点目をとられてもうダメだと思われた。まあ実力差があるのだからしょうがない、オリンピック本番までに実力を上げてくれ、と思った。
日本のFWの先発は久保とオナイウ。鈴木武蔵がケガで出場が難しく、南野はオーストリアに戻ってしまったとあっては、これ以外の選択肢がない。だが、オナイウは相変わらずボールを収められない。
後半開始から監督はオナイウに代えて原川を投入。本当はオナイウを後半途中まで引っ張って浅野を投入というシナリオだったと思うが、オナイウのパフォーマンスが悪かったので、ボランチの原川との異例の交代になったのだと思う。しかし、その直後に2点目を失ってしまった。
韓国に敗因があったとすれば、2点も取ったのに、その後も3点目を取りに来たことだろう。実際、3点目、4点目をとられそうだったシーンもあった。2点目のあと韓国が逃げ切り態勢に入っていればおそらく日本の逆転勝利はなかった。
2点目をとられた日本は捨て身の用兵に出ざるを得ない。浅野を早めに投入したところ、その浅野がものすごい爆発力を見せて見事に逆転した。
先発の11人どうしで比べれば韓国に分があったが、交代要員の力まで含めたら日本も負けていなかったということだろう。

映画『蘇える金狼』

2016-01-29 23:26:23 | 前野曜子
『蘇える金狼』は1979年に公開された映画で、村川透が監督、松田優作が主演していた。当時一世を風靡していた角川映画の一本である。
松田優作が演じる主人公の朝倉は大企業の東洋油脂の経理部に勤める平社員。だが、実はボクシングがめっぽう強い。
朝倉は現金を運んでいた人から1億円を強奪し、殺してしまう。彼はその1億円を暴力団との死闘を経てヘロインと交換することに成功する。
そのヘロインを使って彼は東洋油脂の役員の愛人を籠絡。実はこの役員は社長らとぐるになって会社のカネを横領していた。闇の勢力がその情報をネタにカネをゆすりとろうと画策していたが、朝倉はそうした勢力を暴力で排除し、結局自ら社長や役員を脅して東洋油脂の大株主に収まる。そして社長令嬢と婚約し、会社をわがものとしてしまう。朝倉は得意の絶頂にあってカウンタックを乗り回していたが、最後は役員の愛人に刺されて死んでしまう。
この映画は「オレだっていつかビッグなことをやってやる」と息巻くチンピラの妄想をそのまま具象化したかのようだ。朝倉は素手の戦いでは絶対負けないし、銃の打ち合いになっても相手の打つ玉は当たらず、自分の玉は必ず当たる。彼は野望を実現するプロセスで無数の邪魔者をなんの感傷もなく殺してしまう。これだけ大勢の人を殺したり傷つけたりしたら警察がほおっておくはずがないなどと突っ込んではいけない。しょせんはチンピラの妄想なのだ。
昔の私ならこんな映画は鼻から軽蔑して見向きもしなかっただろう。
だが、30年以上経った今日見ると、自由に妄想を膨らませたようなストーリーに妙に惹かれる。
同じ時代に中国で高倉健主演の『君よ憤怒の河を渉れ』が公開されて、高倉健や中野良子が大人気を博すが、この映画も『蘇える金狼』並みに荒唐無稽だ。ただ、改革開放が始まったばかりの時代の中国人を歓喜させたのはまさにその自由さ、荒唐無稽さだったように思う。もし『蘇える金狼』も公開されていれば松田優作と風吹ジュンも中国で大スターになっただろう。
なおペドロ&カプリシャスの初代女性ボーカルだった前野曜子さんが主題歌を歌っているほか、劇中の挿入歌も何曲か歌っているようだ。


手倉森監督の用兵術

2016-01-23 22:35:28 | 日常
 AFC U-23選出権(リオ五輪アジア最終予選)で、手倉森監督は最初のグループリーグで登録メンバー23名のうち22名を出場させた。サッカー解説の山本昌邦氏は誰が先発してもチームの戦い方ができる団結力が日本の強さだという。
従来の日本代表や五輪代表では、先発する主力メンバー、試合状況に応じて繰り出すサブ、そして主力メンバーがケガや不調だったりしたときの控え、というヒエラルキーが割とはっきりしていたように思う。ところが今回は日程が詰まっていることもあり、第1戦の北朝鮮戦と第2戦のタイ戦とではかなりメンバーを入れ替え、結果的に消化試合となったサウジ戦ではさらに控えの選手を出した。
 その結果、準々決勝のイラン戦が延長戦になったとき、中3日のイランに対して日本は中2日でより不利だったにもかかわらず、フレッシュなメンバーで臨んだ日本のスタミナがイランを上回り、大勝することができた。手倉森監督の用兵術の勝利だと言って過言ではない。
 イランに勝ったことで、あと2戦のうち1試合勝てばいいという状況になった。こうなったからには次の準決勝はベストメンバーをぶつけて何が何でも勝つ、という戦い方ではなく、イラン戦とは先発をかなり入れ替えて、コンディション重視で選手を選ぶことになるだろう。そしてその次の試合、つまり決勝もしくは3位決定戦は再びイラン戦と似たようなメンバーになるだろう。
 ただ、手倉森監督は完全にローテーション制で考えているのではなく、やはりチームの柱と目しているメンバーが何人かいるようだ。大会の流れから言えば一番重要な試合は初戦と準々決勝だった。その両方に先発した選手がこのチームのコアメンバーだと思う。すなわちGK櫛引、DFの岩波、植田、室屋、MFの遠藤、中島、FWの久保である。準決勝はこの7人のうち5人ぐらいを残して、他はイラン戦で控えだった選手のなかから出してくるのではないか?
 イラン戦で膠着状態が続いて、次に出すカードはFW浅野だろうということは私にも予測できたが、私は浅野に代えて出されるのはオナイウだろうと思っていた。オナイウはくさびのボールを奪われることが多く、ゴール前での決定的シーンでもミスしてしまうし、役割を果たせていないと思ったからである。
 ところが浅野と交代させられたのは久保だった。久保もマークされてなかなか役目を果たせなかったとはいえ、実力ではチーム屈指の選手であるはずなのにこの重要な局面でなぜ?と思った。だが、試合を最後までみて、オナイウを残したのは監督の教育的配慮だったという気がしてきた。
 延長後半、もう日本が点を入れて試合の帰趨があらかた決まったような段階で、オナイウがいいプレーをしたのに対して手倉森監督から「オナイウ、ナイス!」と声がかかった。これを聞いて、監督はこの最終予選を選手を成長させる機会ととらえていることがよくわかった。もし交代で出されるのがオナイウだったとすると、オナイウは結局「いいところを見せられなかった」と評価され、彼自身もこの交代を懲罰として受け止めたであろう。だが、延長の最後までピッチにいたことで、オナイウには守備も頑張り最後まで走り続けた、と一転していい評価がなされた。これでオナイウは次の試合に気持ちよく望めるだろう。

男子サッカー、リオ五輪アジア最終予選(2016年1月)

2016-01-23 01:33:40 | 日常
サッカーの日本オリンピック代表がアジア最終予選を戦っています。
今日はイラン代表と対戦し、みごと3:0の勝利を収めました。
今回の日本オリンピック代表は久しぶりにずいぶん地味な陣容だと思います。
思えば2000年のシドニー五輪の時の日本代表には中田英寿、中村俊輔、稲本、宮本、高原、柳沢、中田浩二らがいて、ほとんどフル代表みたいな豪華な布陣でした。
今回の日本代表は、遠藤航選手こそフル代表にも呼ばれていますが、ほかは率直に言って知らない選手ばかりです。Jリーグでもなかなか出番が来ない選手もいるのではないかと思います。
また、このチーム自体、これまでアジアでベスト8より上へいったことがない、ということはテレビでも何度も言われています。
しかし、今回のアジア最終予選ではいい試合を続けています。
初戦の北朝鮮戦は得点は1:0でしたが、危なげのない勝利だったと思います。続くタイ戦は4:0の大勝で、地力の差を見せつけました。サウジ戦は2:1でしたが、やはり地力の差があったと思います。
イラン戦は一転して苦しい戦いでした。イランは今まで対戦した3か国より一段二段強かったと思います。体が強い、うまい、汚いの3拍子揃っている感じです。くさびのボールがうまく入らず、すぐに奪われてしまいます。0:1か0:2で負けててもおかしくない感じでした。延長戦にもつれ込んだのは日本に有利に働いたと思います。
1998年ワールドカップの予選でジョホールバルで日本とイランが対戦した時もそうでしたが、延長戦に入ると、日本のほうがスタミナが残っていて有利になるようです。日本が1点とったあとはイランにスキが多くなり、立て続けに2点取れました。でも試合内容は3:0というスコアよりはるかに緊迫していました。
日本代表は地味な布陣だなと最初は思いましたが、1試合ごとに頼もしさを増しており、今後の試合、そしてオリンピック本番での活躍を期待しています。

自民党が反韓・反「慰安婦」の英訳本を学者たちに送った動機は何なのか?

2015-11-27 15:27:24 | anti facism
自民党の一部政治家たちが、アメリカなどの歴史学者に対して呉善花『なぜ「反日韓国に未来はない」のか』と産経新聞社『歴史戦—朝日新聞が世界に巻いた「慰安婦」の嘘を討つ』の英訳本を多数送付していることが話題になっています。
モンタナ州立大学の山口智美氏によりますと、本の差出人は自民党の猪口邦子参議院議員となっているそうです。
本に添えられた猪口議員の署名による書状には、韓国等によっていかに歴史がねじ曲げられているかを明らかにしているのがこの2冊の本であり、ぜひ読んで欲しいと書いてあるそうです。
同じ本はオーストラリア国立大学のテッサ・モーリス=スズキ教授のところにも送られてきたようです。テッサ教授は誰とは名指ししていませんが、「自民党の有力メンバーから英語圏(主にアメリカ)の学者、ジャーナリスト、政治家に対して、求められていない贈り物が届いた」と言っています。テッサ教授の紹介によれば、呉善花氏の本は自分の出身国である韓国を貶め、日本による植民地支配を正当化する内容だそうです。また産経新聞社の本は河野談話を否定し、慰安婦の被害者として名乗りを上げた韓国の女性たちは金のために嘘の証言をしていると断定しているそうです。
まあ日本には昔から愛国党のような極右は常にいたわけで、そういう人たちが変な主張をすることはさほど驚くに値しません。しかし、今回の件が怖いのは、自民党の国際情報検討委員会という組織を挙げて反韓・反「慰安婦」のプロパガンダを繰り広げているらしいことです。安倍首相は村山談話や河野談話の立場の堅持を約束したばかりですが、その政権を支える与党から、河野談話を真っ向から否定する内容のメッセージが英語圏の各界に届けられています。こんなことが起きると、安倍政権の本音はやっぱり歴史修正主義だと思われてしまうでしょう。
本を受け取った山口氏は、書状がお粗末なので、よもや本当に猪口議員が出したのではあるまいと思って議員事務所に電話をかけたら、なんと本人を含めたチームで送付に取り組んでいるのだという回答でした。山口氏に対して猪口議員は、慰安婦問題に関して日本はアジア女性基金を設立するなど頑張ってきたと話されたそうです。私の理解によれば、日本政府としては日韓条約がある以上、元「慰安婦」が名乗り出ても政府補償はできかねるが、河野談話を受けて、民間からの償い金を元「慰安婦」に支払うためにアジア女性基金を設立しました。その基金を評価するということは猪口議員は河野談話を擁護する立場に立つということであって、送っている本の主張と矛盾しています。
テッサ氏が鋭く指摘するように、日本の一部における独善的な議論を反映したこの2冊の本を自民党議員が海外に発信することは、日本に対する理解を深めるどころか、安倍政権に対する疑念を深め、ひいては日本人一般が歴史修正主義に立っているかのような誤解を招くゆゆしき行動で、国益を大いに損ねていると思います。聡明な猪口議員がどうしてそのことに気づかず、こんな愚行に荷担してしまったのでしょう。
いったい何のためにこんなクズ本をアメリカ等に一生懸命発信しているのでしょう。
その理由として2つ考えられます。1つは山口氏も指摘していることですが、「日本(の右翼)の主張を対外発信した」ことを国内の右翼的な人たちにアピールしたいからかもしれません。彼らは韓国側の宣伝によってアメリカの知識人が慰安婦問題を誤解していると思いたがっていますから、自分たちの主張がアメリカに届いたことで溜飲を下げている側面はあるでしょう。もう一つは、あまり考えたくないことですが、アメリカの知識人たちに対する脅迫の意味もあるのかもしれません。どうやら今年5月にテッサ氏や山口氏を含む英語圏の日本学者多数が署名した「日本の歴史家を支持する声明」に署名した学者たちを中心に本が届けられたようです。この声明は、朝日「誤報」事件に続く歴史修正主義の総攻撃に対して日本の歴史学を守れと声を挙げたものですから、それに署名するような学者たちに歴史修正主義そのものであるこんなクズ本を届けても、反発を買うばかりであることは目に見えているでしょう。そんな人たちに敢えて送るのは「あんたの言動を我々は見ているよ」という警告なのではないでしょうか。誰かを罵倒し非難するビラや本が自宅に突然届いたら誰しもギクッとするでしょう。そういう効果を狙っているのではないでしょうか。