mardinho na Web

ブラジル音楽、その他私的な音楽体験を中心に

mue弾き語り8周年記念ワンマンライブ

2009-04-12 17:38:49 | mue/musey
4月11日、吉祥寺マンダラ2でmueさんのライブがありました。
mueさんは吉祥寺などのライブハウスなどで音楽活動を続けておられる女性です。okyonと組んだユニットのmuseyの名義で3枚、mueの名義で1枚+(ビートルズのカバーをやったミニアルバム)をすでに出しています。
紹介文によると、「ブラジル音楽・ジャズ・ソウル等さまざまな音楽の影響を受けつつ、ポップにとどまらない自由な作曲センスで独自の『muesic』を創り上げている。」
ブラジル音楽の爽やかな成分だけを抽出したような曲、フォークみたいだけどずいぶんロック的なひねりの利いた曲など、私の乏しい音楽知識では表現することが難しいですが、ひと言で言えば、どの曲も「非凡」なのです。ヒットチャートをにぎわしているような「ありがちな曲」がありません。最初にmuseyの1stアルバムを聞いた時に、「もし私がピアノも自由に操れて、作曲の才もあったならば、こんな音楽を作りたかった!」と思いました。
それから、歌詞については、単純とは言えませんが、「こころ」のことを取り上げている曲が多いです。その理由は今回のライブで初めて知りました。
私は2005年にmue(musey)の音楽を知り、2006年4月11日の5周年ライブから皆勤賞?ではないかもしれないけれど、ほぼ毎回行っているような気がします。

さて、今回の8周年ライブですが、今まで見たなかではmueさんが語りの時も、演奏でもとてもリラックスしていたようです。歌・演奏の時はいつ聞いても本領を発揮しているように思いますが、語りの部分になると、mueさんは照れ屋さんぶりを発揮します。今回もそうでしたが、今までよりもリラックスしていた(それとも私が慣れた?)感があり、演奏にもよい効果が現れていたようです。
曲は最初の3曲ぐらいは初めて聞く曲で、最近はロックな気分なのかと思います。
そのあとは最新作のClosetから数曲、mue流に編曲されたLucy in the sky with diamonds、museyの最初のアルバムから「話のつづき」(my favorite!)、「東京の夜」でいったん締めて、アンコールで「ブラジル」など。
気分が高揚しつつ、癒された一夜でした。

半年間の育児休業が終わりました

2009-04-06 17:23:32 | 育児休業の日々
2009年3月31日をもって半年間の育児休業生活が無事終わりました。
この間に、娘のはーちゃんは、ゆるめのお粥や柔らかい野菜とミルクを交互に食べたり飲んだりする生活から、ほぼ大人と同じ物を食べる生活になりました。
ハイハイも余りうまくなかったのが、今はとことこ歩き回っています。
言葉はまだ「バイバイ」と「うん」と言えるぐらいですが、食べたいものを指さしたり、意思表示の方法も覚えました。前は泣くことでしか意思表示できませんでした。
半年間、私は何をしていたかと言えば、食べ物を与え、出したものを始末し、あとは散歩したり、時々遊んだりした以外は、ほとんどはーちゃんが一人遊びするのを放置していただけですが、こうして健やかに育ってくれたことは本当にありがたいことです。
私の貢献かどうかわかりませんが、はーちゃんは見知らぬ人にもフレンドリーで笑顔で接します。4月1日から保育園に入りましたが、親と離れても泣いたりせずに保育士さんや年長の子たちと楽しく過ごしたようで、よかったです。
私が育児をしたのは、半年間といっても実際にはそのさらに半分です。18時半頃から朝8時前までは奥さんの貢献が大きく、今度8才になったりーたんもいろいろと助けてくれ、私はリラックスしていました。
おかげで私は休業期間中もけっこう仕事ができました。もちろん外出していろいろ調べものはできませんでしたが、今はインターネットを通じて自宅から世界中を見て回れるので、それでだいぶ助かりました。
育児休業をとると給料がもらえないという問題はもちろんあります。雇用保険からいささかの給付金も出るのですが、前年の所得に基づいて計算される住民税がどーんと請求されて給付金があらかた住民税に消えていってしまった感があります。もっとも、その分来年の住民税が少なくなることで取り返せる部分もあるのではありますが。
そんな経済的デメリットもありますが、何よりも子供への理解が深まり、絆も強くなり、子供の可愛さも日々高まって、休業してとても良かったと思います。

宇野重規『トクヴィル 平等と不平等の理論家』講談社、2007年

2009-04-04 16:20:16 | 
本書発刊まもない頃に一度5分の4ぐらい読んだところで頓挫し(内容のせいではなくて、単に寝床で読んでいて眠くなったからだが)、このほどふと思い立って改めて読んでみた。
トクヴィルについて、正直言って私はその著作を読んだことはおろか、「アメリカのデモクラシー」という本を書いた人、以上の認識はなかった。ということは、「アメリカ」にも「デモクラシー」にもそんなに深い関心を持っていなかったということでもあるが、そんな私をも最後まで引きつけて離さない面白い本である。
本書は、トクヴィルを彼の生きた時代、関連する思想の中に位置づけてその特徴を語っていくのだが、その背景描写のなかに著者の並々ならぬ知識の広さ・深さを感じさせる。かといってそれがいわゆる「博覧強記」的な、これ見よがしな書き方ではなく、それとは正反対に易しくわかりやすく書いている。登場するのは例えばスタンダールの「赤と黒」だったり、マルクスだったりで、世界思想史や世界文学史の概説などで必ず出てきそうな本なのだけれど、著者の読み方が個性的だったり、深かったりするので、よくある「お飾り」的な引用ではない。
そうしたいろいろな思想や文献、時代背景への言及の仕方も含め、話の繰り出し方がとてもうまい本だと思う。