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エドルネ日記

散策、写真、サイクリング、バードウォッチング、神社、地形、料理、手芸、etc

橋遺構探訪「原前橋の親柱」・・「原前」という字名

2025-08-19 | 江戸川区
自転車で通りすがりに見つけた「原前橋」跡   道路わきにひっそりと佇む原前橋の親柱、 思いもよらぬ発見ににんまり さっそく「今昔マップon the web」にて確認してみる。   〇昭和11年の写真 下のスクショ(↓)にカーソルをおいてクリックしてね。 左:1936年(昭和11年)の写真 / 右:現在の地図(オープンストリートマップ) ※利用 . . . 本文を読む

ブログ開設から18年、振り返り①

2025-07-25 | つぶやき、etc
gooブログがこの11月にサービス終了とのこと、 私がこのブログ開設したのが、2007年3月、 今から18年も前のことでした。   終の棲家として江戸川区に住み始めて数年が立ち、 江戸川区のことを何も知らないなあって 思っているところに、ちょうど江戸川総合人生大学が開設。 面白そう!って、興味本位で通い始めたのがきっかけで 2007年10月開催の第16回全国川サミットin . . . 本文を読む

怪無池と青龍神社

2024-10-24 | 神社仏閣
古地図で 中井堀の水源である小合溜井(葛飾区水元)付近を眺めていたら ちょうど西用水が中井堀に分岐するポイント付近に池が!   東京府南葛飾郡全図(明治38年(1905))  ※引用:江戸川区立図書館>資料グループ選択>地図(資料グループ)>東京府南葛飾郡全図(目録)         引用:今昔マップon the web . . . 本文を読む

江戸川区史掲載の神社70社のマッピング

2024-09-17 | 江戸川区
※利用ソフト:カシミール3D/ 利用地図タイル:今昔マップon the web   江戸川区史第3巻2章「神社と寺院」 第1節「神社」(467頁~)に掲載の神社70社の 神社マップを作成してみました。 上の図は、カシミールで明治42年測図の今昔マップに70社をポイントアップしたもの。     ※利用ソフト:カシミール3D/ 利用地図タイル:スーパー地 . . . 本文を読む

中井堀のかつての流れと一之江境川 古地図と年代別空中写真で検証

2024-06-14 | 地図・地形
かつての中井掘(※)の流れを今昔マップ(明治42年測図大正2年製版)上に青線で引いたもの。 ※カシミール3D使用   先日のブログ(「消えた地名「袋」面影さがして~三島橋交差点・船堀5丁目児童遊園その1 ) にて地図上で検証中に生じた疑問、一之江境川と中井堀の流れの関連性について調べてみた。 まずは中井堀とは?というところから・・   ※中井堀とは? 「上一 . . . 本文を読む

消えた地名「袋」 面影さがして~三島橋交差点・船堀5丁目児童遊園 その1

2024-05-22 | 江戸川区
引用:「スーパー地形」アプリ>「関東迅速測図」(農環研)     引用:「スーパー地形」アプリ>今昔マップ(首都圏)1944-1954   水にまつわるフィールドワークにて (※↑関連ブログ:「橋」が付く交差点(江戸川区内)~水にまつわるフィールドワーク 2024-05-02 ) 橋の付く交差点マッピング作業中に今昔マップで眺めて . . . 本文を読む

「橋」が付く交差点(江戸川区内)~水にまつわるフィールドワーク

2024-05-02 | 江戸川区
引用:江戸川区史3巻952頁 「・・昭和20年8月現在で、区内の橋梁数は八四四を数え、三十五区中その数は 第一位を占めていた。しかし、そのうち木橋は六二三橋もあり、しかも 全般的に腐食がひどく、交通制限をうけるものがほとんどであった。・・」   ・・橋の数が844ってすごくないですか? びっくりです!     文化の交流点、橋にまつわるフィールド . . . 本文を読む

江川橋跡~水にまつわるフィールドワーク

2024-04-30 | 江戸川区
橋跡を今昔の地図で眺める . . . 本文を読む

2024年 辰年、風の時代

2024-01-10 | つぶやき、etc
(2024年元日の夕日、葛西臨海公園にて)   遅ればせですが、 謹賀新年 今年もよろしくお願いします。   2024年は辰年、十二支の中で唯一、空想の生き物である龍(辰)は、 天に昇る様子から、中国では古来より成功や発展の象徴、 大変縁起が良いとのこと 冒頭の2024初富士と 江戸川区西小松川の大変ありがたい龍神様のお姿にのせて、 年頭に思うこと、抱負な . . . 本文を読む

船堀稲荷神社(2023/05/12フィールドワーク)

2023-05-24 | 神社仏閣
〇稲荷神社(船堀一丁目一番五号)の由緒「このあたりは寛永の末頃から人が住むようになったといわれ、この土地を開いた七戸の人たちが、元禄四年(一六九一)に稲荷大明神を勧請して五穀豊饒を祈願したのに始まるという。祭神は豊受姫命、旧船堀村西組の鎮守で東小松川の宝珠院が別当であった。明治七年に稲荷神社と称し村社となった。もとは西方の四三二番地にあったが、荒川の開さくにより大正四年現在地に遷座した。境内に水神 . . . 本文を読む