雑感。というか考えをまとめるために書く。
昨晩会の集会だった。そして今私はその会の代表、会長をさせてもらっている。
この週末、会メンバーが沢で事故を起こした。幸い大事には至っていない。しかし事故の主原因はトップがOKのコールを出していないのに、フォローが登ってしまい、不幸にもその時に落ちてしまった事らしい。とにかく指導をしてきた側としてはそんな初歩ミスをされた事が残念でならない。そういう経緯もあり、集会で私は「山は自己責任ですから」と締めくくった。すると副会長が、「遭難で自己責任はありえない。一人が事故を起こしたら周囲に迷惑をかけてしまう」との発言。
うーんそれは自己責任の意味が違う、と思ったがとっさにはその理由も浮かばす、またみんなも話を聞き流してしまっているようだったし、会場の時間もなかったこともあり、そこで一旦おしまいにした。しかし結果的に、私の言いたかった事は、おそらくメンバーには伝わっていない。
私が言いたかったのは、山は基本的に危険な場所。そこで自身の安全を守るのはその人自身の責任。だからもっと一つ一つに判断に気をつかってください、とそう言いたかった。まあこれは言い。今問題にすべきは自己責任と言ってしまった結果、全く別の自己責任論を展開されてしまっているということ。これは特に山の世界では、「山で遭難した奴は、自己責任なんだから、放っておけ」というような論法で、非難される時に使われる自己責任となる。だから、少なくともどこかの山岳会を代表する身としては、おそらく使ってはいけなかった語のように思う。
そもそも責任とは英語で responsibility、つまり response ,返信・返答する義務という意味で使われる。何に対する返信・返答かというと、契約書などに書かれた約束であったり、法律で事前に定義されているルール。例えば、契約書で売った製品が書かれている性能を満たさなかった場合には代替品を無償で渡します、とか、飲酒運転で捕まった場合には免許停止、といったもの。
しかし、主に罵声とともに飛んでくる「お前、責任取れ!」の責任には、そもそも約束した覚えがないものや、死人を生き返らせろ!のようなできるはずのないものを含む場合がある。
つまり「山やは、自己責任・自己責任というけど、実際に事故を起こして自己責任で済むか!」という論法の、最初の自己責任と、最後の自己責任は違うと考えたほうが良い。最初の自己責任は、「私の行動判断は、すべて自分で判断します。仮になにか不幸が起こっても、判断ミスをだれかに押し付けることはしません」という意味の自己責任。後者の自己責任は、「事故が起こってもその後始末は自分達だけでします、他の人は巻き込みません」という意味の自己責任。私の言いたかったのは前者。副会長の行ったのは後者。
でもそう書きながら、やっぱりほとんどの場合は後者の「自己責任」が一般的な「自己責任」かなと思ってきた。そう思っているから自分も墜落したとき、頑張って下まで歩いてタクシーで病院に行ったわけだし、今回の事故も自分達で歩いて帰ってきている。回りも大変だねと言ってくれるか内心馬鹿にしているかのどちらかではあるが、非難までされない。つまり非難されたくないという気持ちを持っているということは、自己責任とは他人に迷惑をかけない、とほど同じ意味だと、私も思っているわけだ。