ASANTE!!MARATHON!!

マラソン日記

復活の兆し!

2007-11-25 23:22:07 | Weblog
この3週間、地獄のような毎日だった。
本当にタダの風邪かと思っていたら、やっかいなものが
体に入り込んでしまった。
咳がひどく、すぐにもどしてしまったり、腹筋が何度もつってしまう程
激しい咳が続いた。最初の医者は、誤診。
いくら真面目に薬を飲んでも、全く効いてない。
こりゃ、だめだ、そう思って友達に良いお医者さんを紹介してもらった。
そしたら、即血液検査&レントゲン。
やっと病気の原因がつかめたのだ。
全く、最初の1週間は無駄な時間とお金を使ってしまった。悔しい・・・。
家族がことごとく、咳に見舞われる。結局全員マイコプラズマだった。
全員で薬を飲んだ。
1週間が経って、ようやく楽になってきた。
この調子なら、今週中には走り込みが再開できそうだ。
時間が無い。焦ってはいけないが、早くコンディションを整えたい。
元の体に戻りたい。
東京マラソン、納得のいく走りがしたい。
できる限りの努力をしよう。
毎日、できることをしっかりやっていこう。
自分に負けない、自分で納得して走ろう。

まさかの・・・。

2007-11-17 16:39:37 | Weblog
もう咳が2週間も続いている。
おかしい・・・。
病院では喘息の診断。でも、喘息とは感じない。
毎晩、咳が苦しくて眠れない。それがもう2週間も続いている。
その間、走ってない。
病院を変えてみた。
血液検査、レントゲンの結果、マイコプラズマであることがわかった。
結局、家族間でずーーーーっとマイコをうつしあっていたのだ。
治らないはずだ~。咳をしている全員が、一緒に治療していかないと、
マイコをずっとまわし続けてしまう。
仕事も休み。一週間は安静に、との事。
こんなんで、東京マラソン、大丈夫か~??!!

またか・・・。

2007-11-12 22:44:23 | Weblog
レースも終わって、まずはほっとしているところ。
でも、なんか変な咳がとまらない。
子供の風邪がうつった、と思っていた。
咳止め薬を買った。でも殆ど効果なし。
この変な咳は一体なんだ?
日に日に咳がひどく、苦しくなってきた。
ついに発作まで出る始末。
これはヤバイ。もしかして・・・?
そう、久しぶりの喘息発作だった。食事を作る仕事に発作や咳はかなり辛い。
でも日中はなんとか気合で乗り切っている。
朝、晩はまるで別人のように弱弱しい状況だ。
久しぶりに病院へ行き、今日からまた喘息の治療を開始した。
そうだ、私は喘息持ちだったんだ・・・。
夏場はすっかり忘れていた。この時期になると思い出す、あの苦しさ。
東京マラソンに向けて、今は走り込みの時期なのに、悔しい。
走る道を絶やしたくない。
自分から、諦めない!

勝沼ぶどうの丘マラソン ・結果報告!!

2007-11-07 23:19:49 | Weblog
今回のレースは、本当にあまり乗り気でなかった為、なんとなく自分でも期待していなくて、レースに慣れてきたせいか、緊張もあまりしなかった。
今回はタイミング悪く、幼稚園最大のイベントがレース前日にあり、疲れた。
そしてレース2日前には、両足首をブヨに刺され、2倍に腫れあがっていた。
あれこれ言い訳はできる。でも、それをレース前に口にしたくなかった。
最初から忙しい時期のレースという事はわかっていたので、それはそれで仕方ない。自分で走ると決めたのだから、よっぽどの事が無い限りはちゃんと走ろう。
ベストは尽くすが、無理したり見栄を張るのはやめようとおもっていた。
今回は、職場の料理長に勧められての出場だった。奥様とハーフを走るのだ。
実質上の勝負な訳?でも、いまある自分の力でしか走ることはできない。
それに奥様は多くの仲間を連れてきていたので、ベテランさんばかりだから、きっとこのグループではビリだろう、そんなことも考えていた。
案の定、スタート時は皆最前列に並ぶという。これはよっぽど自分の走りに自信がないと、この位置には立てない。遅い人が前にいると後ろから来る人に、つきとばされる事があるから。
でも、知っている人がいて、一緒にレースで走るという経験がなかったので、
スタート前はとてもリラックスできた。話す相手がいるだけで、何か違うものだ。
それに密かに練習していた5分間インターバルの成果が、このレースで発揮できるかどうかがみたかったので、結果を少し期待していた。
いざスタートしてみると、調理長の奥様は本気では走らんわ~と言っていた通り、本当はもっと実力ある方なのに、私から随分遅れていった。私は何度か振り返ったが、もう見えなくなってしまったので、周りの流れのまま走っていった。
ずっとゆるやかな登り坂が続く。そしてとうとうフルーツラインのすごい登りに差し掛かった。歩く人もたくさんいた。私は三石での練習のことと、M選手の「苦しくても我慢、我慢ね。」の言葉を思い出した。
しばらくずっとアップダウンが続く。途中真っ暗なトンネルを走り、前の人も見えない位の暗さにビックリした。
トンネルを出ると、いきなり長い急な下りになる。でも今度はそこをまた折り返し登っていかなければならない。そして登ったと思ったらまた急な下り。
住宅地まで下ったら、今度はまた登り。また登り、そして下って登って、一体いつになったら上りは終わるのか?と途中で笑ってしまう程の坂道だった。
これじゃ、牧丘より辛いかも・・・。もう歩いちゃおうかな~、もう辞めて途中から帰っちゃおうかな、そんな気持ちにもかられた。
でも、それは私の魂が許さない。そんなことしてしまったら、後でどれだけ後悔する事か。それがわかっていたから、苦しさを続けた。
今回はなんだかきつかった。10キロ通過の時点で、もう辛い~ふとももがちょっと張ってきた。坐骨神経痛が微妙に痛むのも感じた。まだまだ体が重たいな~体重をもう少ししぼらないとな~もっと軽くならないと重たいな~そんな事を思っていた。やっと平地のコースに出た時には、もう結構ヘロヘロだった。
おかしい、いつもと違う。だってこんな位置で女性ランナーに抜かれるなんて・・・。残り5キロほどの所で抜かれた。そんなこと、いままであまり無いのにな、よっぽど自分はヘロヘロ状態だったのだろう。
とにかくもう少しだ、この足を止めないぞ!それだけを考えていた。
ゴールが近づいてきた。
もう、足が動かない。いつもならこの辺なんか、ラクラクラストスパートかけるところなのに。きっとボテボテだな~。
でもゴールゲートが見えた所で、腕振りを意識して、足を大きく動かした。
歯を食いしばり、もうとにかく頑張った。
はいゴーーール!!!
すると「小林さーん!!」と呼ぶ声がする。
調理長と10キロの部に出た方が写真をとってくれていた。
自分のレースの写真を撮ってもらえるなんて、今までなかったな。
実は家族だって応援にこないのだ。こない方が気楽なのだが、少し寂しい気もする。グループ1位だよ!!と教えてもらった。
え~???私が??本当??
といった感じだった。きっとみんな先に行っているだろう、そう思っていたから。
タイムも自己ベストの1時間37分9秒だった。
もうちょい頑張れば、36分台だったのにな~なんて思った。
順位は247名中22位だった。案外速かったのかな?と思った。
でも全然満足なんてしていない。こんなタイムじゃまだまだまだ。
1時間30分は切りたい。常にそのペースが出れば、フルを走ったってサブスリーも夢ではなくなるだろう。
いつかそんな日がくるかな?
その日のうちにケニアのM選手に電話して報告した。
「すごい速いよ~頑張ったね~。」と言ってもらえた。
K選手は「もっと練習すれば、もっと早くなるよ!」なんて言ってくれた。
そんなこと言われたら、もっと練習しちゃうよ!!
とにかく年内のレースはこれでおしまい!
次は目標を東京マラソンにして、練習に取り組みたい。
とにかくスピード練習とLSDを組み合わせ、目的意識をもって取り組むことの大切さが今回のレースで実感できた。
インターバルの成果が出たのだ!
よし、やるぞ!!絶対に東京マラソンでは4時間を切ってやる!!