まこねこまどかブログ

マンガ家まこねこの気ままな日記

勝海舟邸

2011年10月05日 | 歴史

今日は、本当に寒くなったので、ホット座布団を敷きながら仕事をしています。
体調を崩しやすいシーズンです。
みなさんもお体には気を付けてください。
ところで、私のブログは、勝海舟の話がよく出てきますが、10年以上前に勝海舟とキリスト教の関係を知り、いろいろ資料を集めてきました。
そして、現在その資料を整理しているのです。
勝海舟が、住んでいたのは、赤坂が多いですが、何回か引っ越しをしています。
そして、終の住みかになったのが、赤坂氷川町4丁目でした。
ここはもともと、あの四十七士のお殿さま浅野内匠頭の屋敷で、松の廊下の殺傷事件で御取りつぶしになったところです。
その後、大旗本・柴田七九郎の屋敷になり、明治になって静岡から東京に帰って来た時、津田仙の勧めで、勝さんが買ったのです。
約2500坪を500両で買い、500両で改修しました。
その後に、勝さんの晩年にも増築をしています。
勝さんは、新しい部屋に移るのがいやだと駄々をこねましたが、お風呂に入っている間に、部屋替えされてしまいました。
その後は、しょうがないとあきらめて、新しい部屋に住んでいましたが、本当ははなから移りたかったのかもしれませんね。
勝家の通りをはさんだ所に宣教医のホィットニーの赤坂病院が建てられ、後に一部が赤坂教会になります。
江戸の地図と言うのは、「松平○○守」の名前の文字がいろんな方向に書いてあります。
なぜかと言うと、文字の頭の方が入口、つまり玄関側だと言うことを教えているわけです。
だから、それを見ると、勝家の門は、赤坂病院とは違う方向にあったことが分かるのです。
この勝海舟邸は、氷川小学校に寄付をされ、廃校後は特別養護老人ホームおよび、赤坂子ども中高生プラザになりました。
クララは、最初「勝」と言うのを「キャッツ」と聞こえたので、後に夫になる梅太郎をふくめて子供たちのことを「子猫達」と呼んでいました。



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