maidoの”やたけた”(ブログ版)

ジジイの身辺雑記。今日も生きてまっせ!

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Today's maido (日記)を主に、新しい記事と併せて、OCNの旧maidoの”やたけた” 内の関連のある日付のToday's maidoや記事も此方へ再掲載しております。


☆☆☆ お薦め与太話 ☆☆☆
支離滅裂-迷想迷夢-地震対策の妄言 目次 をアップしました。(2015-01-18 )、OCNのHPにアップしたのは 2005/02/19 でした。

虚々実々-喜愛香港 目次 をアップしました。(2016-11-12)
虚々実々-心筋梗塞顛末記 目次 をアップしました。(2016-11-12)
支離滅裂-迷想迷夢-白姫伝説 目次 をアップしました。(2018-09-17)
支離滅裂-迷想迷夢-雨上がりの妄言2004-05-21 をアップしました。(2021-04-18)
虚々実々-U.S.A.-1964-目次 を更新しました。(2022-01-08) NEW

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2012/03/30

2012-03-30 16:40:01 | Today's maido(日記)

今朝はちゃんと起床しまして、5時29分の電車で庄内駅下車の12Kmコースを歩きました。
温かい朝という予報を信じて、春の格好で家を出まして、歩き始めこそ冷っこかったけど正解でしたね。

途中、福島7丁目北交差点の南西角にある自販機でコカ・コーラ・ゼロを会社で飲むのに買ったんです。
何で会社の近所で買わんかというと、自販機によって@120と@100と値段が違うんですわ。
早い話が此処から先会社までの間に、@100の自販機がペプシのは在るけどコカコーラのが在れへんのです。

たかが20円といわず、例え1円2円でもしまつ出来る事はして、ここぞという時にはドンと使うのが浪花っ子の心意気。
といいつつ、ケチってる割りにはドンというほどの余裕是無く、ここぞという時にもチョロッとしか出せんのが恥かしい。
ま、そんな話しは置いといて、100円玉を入れてボタンを押したらゴットン、ゴットンと2缶も出てきたんですわ。

ひとつは黒いゼロの缶、もひとつは赤の普通の缶、えっ、押し間違えたか?それとも木の芽時で自販機ご乱心かいな?
取り出して見ると赤い方の缶のプルトップが妙な感じ、ラベルに「アタリ(ヘッドホン)」と書いてますねん。
小さい字は老眼鏡が無いと読めまれへん、老眼鏡はディパックの中で出すのも邪魔臭い。

缶のドテッ腹に「HAPPY CAN アタリ」と大きく書いてあって、その下の50週年、振ったら中でコトコトいうてますねん。
うふっ、コカコーラ自動販売機50周年記念キャンペーンの賞品が当ったみたいですわ。
危険なものではないと判ったんで、両方ともディパックに入れてトットと会社へ向かいました。

会社の自室に落ち着いて、改めて老眼鏡をかけて缶の小さい字を読みましてん。
「缶を開ける時ケガにご注意ください。」とか「*このシールをはがすと貯金缶として使えます」と色々書いてましたね。
中にはペーパーウエイト2個と折りたたみのヘッドホーンが入ってました。

今日が3月最終営業日、電話も大して架かって来んし、来客も無く静かなもんですわ。
ワイワイガヤガヤ騒がしく動き回ってその合間に儲けを拾うのが船具屋、社内が静かというのは甚だよろしくないねぇ。
それにしても、三月は去るというけど、ビュン!と通り過ぎたみたいですなぁ。

帰途に朝の自販機を落ち着いてみたら、50周年キャンペーンのシールが賑やかに貼って有りましたわ。
朝はそんな物目に入らんかったけど、何種類も景品があって期間中50万名に当たるんやそうな。
50万名も当たると知れば有難味は薄れたけど、そない仰山当たるんか、と二匹目のドジョウを狙うほど能天気やおません。

十三大橋の上で川風に吹かれると気持ち良うて、ついこの間までは震え上がってたのにね。
川面にはまだかなりの数のヒドリガモ、キンクロハジロ、オナガガモなどが浮かんでました。
鴨さんもこの春の乱調子に帰るタイミングを測りかねてるんやろか、まさか居付く気ではなかろうな?

さて、今日は日付の1の桁が0のドーナッツの日、宝塚ホテル十三駅構内店でハードドーナッツを買って帰りました。
形が0という事でか、カミさんの好物バームクーヘンも2割引、何時もお世話になってるんでついでにお買い上げです。
買ったはエエけど、両方ともかなり高カロリーやなぁ、よ~し、この分頑張って運動するぞ。(来週からね・・・)


2012/03/18

2012-03-18 21:19:07 | Today's maido(日記)

昨夜は遅くに就寝したし、今日なんぞは早起きせんでもエエのに、4時過ぎに目が覚めましてね。
さすがにそのまま起きる気になれず、6時過ぎまで苦手な二度寝をしてから起き出しました。
空は曇り空、晴れずとも雨さえ降らんかったらエエのになぁ、といいながら身支度をしてたら霧雨が降り出しました。

今日は長男は家族全員で参列するので自動車は満杯、我々夫婦は電車です。
電車に乗った頃から霧雨は小雨に変わり、阪急高槻駅では傘が要るほどの雨になりました。
娘が駅から式場まで先ず我々を送ってくれ、その後自宅に帰り家族を乗せて式場に取って返す段取りやったんです。

やがて現れた自動車の中にはマゴ一号の姿が!家で待ってるのも暇なんで我々と一緒に式場に行く、と乗って来たんやて。
式場につくと私と遊ぼうとマゴ一号がバッグからオセロと将棋取り出しまして、まぁ用意のエエ事でっせ。
祭壇の写真を撮っている間は次男がオセロで相手をして、その後私がヘボ将棋を3番、お陰で開式まで気が紛れました。

只1つ段取りが狂ったのは、カミさんが喪服に使う帯揚げと帯締めを家に忘れて来てしもてねぇ。
嫁入りの時に故人が縫って持たせてくれた喪服やから最後に見て貰う、と昨夜から用意をしてたんですわ。
母親似でキッチリしてて、忘れ物などした事は無いのに、表面上は気丈に見えてても、相当応えてるんやね。

しかし、アカンとなったらグズグズ悔やまず、式服ではないけれど家から着てきた黒の衣装で葬儀に出る事にしました。
「おかぁちゃんは此処まで持って来ただけでも気持ちを判ってくれて、何をしてるねんな、と笑ろて許してくれはるやろ。」
この辺りが、下っ端とはいえ彦根藩士の血を引いた故人、その思いっ切りの良い気性を間違いなく受け継いでるね。

葬儀では導師について夫婦で仏説阿弥陀経を唱和、お教本を自宅から用意してきたとは、我カミさんながらエライ!
お教本を持ってくるほど気が廻っていながら、肝心な喪服の小物を忘れるとはそれだけ悲しみが大きい証拠でしょうなぁ。
帰りも娘に阪急高槻駅まで自動車で雨の中を送ってもらい、阪急岡町についたら雨はほとんど上がってました。

自宅に戻って一息入れ、十三で買ったお彼岸の「おはぎ」を食べていると、気が緩んだかじわっと疲れが出てきましたわ。


2012/03/17

2012-03-17 21:18:03 | Today's maido(日記)

シトシトと雨が降る生憎のお天気で、それで無くても身内の不幸で湿気てる気持ちが余計沈んでしまいますわ。
そうはいうても、お彼岸やよって朝から商店街でお花を買い、旦那寺まで歩いてお墓参りをしてきました。
昼食後、気晴らしに風呂を沸かして入ったら、少しは効果が有ったみたいでしたね。

今夜はお義母さんの通夜、長男の自動車に便乗して会場へついたのは開式1時間前。
近しい身内だけで送るという事で、こじんまりとした家庭的なお通夜でした。
お通夜の後、簡単な夜食を皆でよばれて、夜伽をされる次兄さん夫婦に後を託して失礼しました。

帰宅したのは22時頃で、私にとっては真夜中なんですが一向に眠くならず、さりとて何かをする気にもなれず。
結局、布団の中で文庫本を眺めながら、23時を廻った頃まで起きておりました。


2012/03/16

2012-03-16 20:15:29 | Today's maido(日記)

昨夜はカミさんの帰りを待ってまして、21時過ぎに就寝したんです。
横になったらアッという間に眠り込んだようで、4時半頃に充分寝足りた感じで目が覚めました。
起き抜けからサッサと動けるのは相当眠りが深かったんでしょうね、久し振りに手早く身支度が出来ました。

運動前の糖分にと亡くなったお義母さん特製の干し柿を食べたら、不覚にも涙目になってしまいましたわ。
16歳から50年以上何かと気に掛けて貰って、気持ちの上では実の母と同じように思ってたからこたえますねぇ。
これで夫婦とも両親が亡くなって、こうなってみると糸が切れたような心細さをかんじますわ。
私の方は父親が享年83才、母親が95才、カミさんは父親が享年92才、母親が96才、総じて長命といえるね。

会社へ着いてみると、シャンとしてたんは起き抜けの早朝だけで、何処と無くしんどなってしもてやる気無し。
やる気はどうであれ心臓を怠けさせてはイカン、と往復共お馴染みの12Kmコースを歩きましたが、チトきつかったなぁ。
おまけに、朝はまるで冬の寒さやったのに、午後は桜の頃のような暖かさで汗ばむほど、ウロウロさされますわ。

先刻みると、早朝の豊中と午後の大阪市内では気温差が14度以上もあったんですねぇ。
身体の適応力が相当落ちてるんやよって、どうぞあんまり揺さぶりを掛けんようにしてちょうだい・・・。



2012/03/15

2012-03-15 22:11:32 | Today's maido(日記)

カミさんは昨夜「容態が安定してるようやから、」と21時前に帰って来ましてね。
遅い夕食を食べてると、カミさんの妹さんから「病院に来て!」と電話が架かってきましてん。
病院の次兄さんから「主治医に危ない状況、といわれた。皆に報せてやって、」と連絡があったそうなんです。
それは大変!とトンボ返り、私も一緒に急いで病院へ向かいました。

岡町駅21時37分に乗り、阪急高槻駅からTAXIで病院へ向かって22時30分に到着。
ところが入り口が施錠されていて入れんのです、確か夜間で入り口が駐車場へ行く途中に在った筈と横手へ廻ったんです。
それらしい扉があったんですが此処も施錠されていて、インターホーンも見当たらず駄目。

救急搬入口に脇にインターホーンがあったので試すと当直の方が出たので、ワケをいって鍵を開けて貰い内部に入れました。
入った所は救急処置室、救急搬入口やねんから当たり前ですなぁ、どう考えても夜間出入り口を兼ねてるとは思えん。
正面玄関にもインターホーンがあったんやろか?兎に角どこも照明が暗く、これでは仮にあったとしても判らんやろうね。

病室に行くと誰も居ない部屋にお義母さんが既に亡くなって横たわっていました。
程なく次兄さん夫婦が部屋に帰って来て、21時15分が臨終やったそうで、電話を受けてた頃に亡なりはったんやなぁ。
覚悟してはいても、いざ現実となると茫然としてしまいますねぇ。

何やかやありまして時間がどんどん過ぎ、長兄さん夫婦に仏さんのお守りをお願いして病院を出たのは深夜2時前。
今更岡町へ帰るに帰られず、カミさんが実家の鍵を持っているので、そちらで朝まで仮眠する事にしたんです。
次兄さんの自動車で藤の里の実家まで送って貰い、コタツに足を入れ毛布を着て2時間余り眠りました。

今朝はお義母さんが帰って来はるからと、仏間に布団を北枕に敷いて、阪急高槻駅まで歩き6時23分の通勤急行に乗車。
三国駅付近で靄に霞んだ朱色の朝日が現実離れした感じでねぇ、帰宅したのは6時50分でした。
カミさんは朝食後、黒っぽい服に着替えて実家の方へ、今朝方に2~3時間ほどしか寝てないのに大丈夫かいな・・・。

私は本日会社はお休みにして、訃報と通夜・葬儀の情報を今判っている範囲でメールで必要な先に報せましてね。
さて、寝ようと横になったんですが、これが妙な事に全く眠とうならへんのです。
その癖、ヤッパリ寝不足なんでしょうなぁ、頭は何時もにも増して霞が掛かってハッキリせんという困った状態。

眠れんまでも横になって身体を休めようとすると、今日に限って電話が次々に架かりワヤ。
それもカミさん関係&私の関係のに加えて、しょうもないセールス電話までが何本も架かってきますねん。
さりとてしょうもない電話かどうかは取ってみんと判らんのやから、出んわけにもイカンしなぁ・・・。

カミさんの方も、朝には病院から実家へお義母さんが移送されて、枕経を上げてもらえる心算が夕方にずれ込んだんやて。
途中経過の電話がカミさんからあったけど、何や知らん段取りがテレンパレンで、歯痒い思いをしてるみたいやねぇ。
カミさんは男2人女2人の長女で、どっちかいうと穏やかおっとり型の中で唯一人、イラチ系の素質があったみたい。
段取りの良さと時間に厳しいことで商売が成り立ってる船具屋と結婚して、持ち前の素質に磨きが掛かったんやろね。

いうてる端から、どんな事情か知らねども、葬儀式の時間が午前から午後に変更、朝送ったメールの訂正を送り直しですわ。
不本意に時間ばかりがズリズリと過ぎてもう夕方、今更遅いけど、こんなんやったら会社を休む事は無かったなぁ。