良い子、悪い子、こまりん子

幼児教育20余年。多くの子ども達を育て、ママ達の悩みに耳を傾けてきました。辛口アドバイスも含め、子育ママ達にエールを!

知らせなければ、始まらない

2008-04-16 23:50:56 | すてきパパママにご提案
 「信じられません。こんな・・・こんな酷いことになっていたなんて・・・」マイクを向けられたアメリカの若者が、声をつまらせました
 2,3日前、NHKのニュースで「全米原爆展」の話題が放送されていました。
第二次世界大戦が終結して60余年。人の人生の、半分以上にも渡る長い時間が流れたというのに、何とアメリカでは今まで、広島、長崎に投下された原子爆弾の実態について、公式には詳しく紹介されることはなかったのでした この驚くべき事実について知っている日本人も、じつは多くはないでしょう。
 確かに、終戦後半世紀以上の時間が経過し、日本では高度経済成長の時代を得て、すっかり平和な生活が定着し、おぞましい戦争があり、日本中が焦土と化して、あまたの命が失われていったという記憶がどんどんと薄れていっています。
 私のような昭和30年代生まれが幼かったころは、両親や祖父母など、身近な人達から生々しい「私の体験」として、戦争の話をよく聞きました しかし、実際に実体験として戦争を経験した世代がどんどんと少なくなっていく中、今では「戦争」は記憶の中にあるものではなく、教科書の中の世界、ほとんど受験では扱われない?!現代史の中の出来事となり、どんどん、今を生きる若い世代からは遠い「物語」になっています
 とは言え、そんな現状の中でも、広島と長崎に原爆が投下された、という事実を全く知らない、という人は少ないのではないでしょうか?

 ところが・・・実際にその原爆を生産し、広島と長崎に投下し、多くの一般市民を死に至らしめ、今なお、放射線の後遺症で苦しむ多くの人達を生み出したアメリカでは、「アメリカが、日本と戦争をした」ということさえ知らない人がたーくさんいます
 多くのアメリカ人にとっての第2次世界大戦は、あくまで、連合国として、ヨーロッパ戦線でナチス相手に戦った、という意識が強いようです
 このような「事実を知らない」という羞恥の現実は、じつは日本にも明らかに存在し・・・第2次世界大戦では、日本はアメリカと戦争をしていたんだ、という認識しかなく、中国や朝鮮半島をはじめとするアジアの多くの国々に派兵し、占領し、多くの罪もない一般市民を巻き添えにした日本軍については何も知らない、という日本人が多い、という事実とよく似ています

 これは、人間の心理の「やったこと、はたらいた悪事」は忘れ、「やられたこと、被害者になったこと」のみを覚えている、という、自分にとって都合の良い記憶だけを残そうとする、自衛本能?なのでしょうか・・・

 今回の「全米原爆展」では、アメリカ各地で多くの若い世代が原爆の被害等の実態を初めて知り、大きなショックを持って受け止められているようです
 アメリカで若い世代にインタビューをすると「戦争終結のためには、原爆の投下は必要だった」と核兵器使用の正当性を謳う人は多いものです。確かに、それも一つの正しい認識でしょう。
 しかし、「頭」でものを考えるのではなく、肌で、心で、真実を知り、「人として」事実を学び受け止めるチャンスが与えられると・・・人は、「頭で考えた結果の答え」は、時には情けないほど虚しい、ということを知るものです

 今から30年ほど前の話ですが・・・
私は大学時代、ライオンズクラブを通じて、夏休みや冬休みを利用して、日本に短期ホームステイでやってくるアメリカやカナダ、オーストラリアやニュージーランドの学生達の滞在中のお世話をするボランティアをしていました。
 当時、夏休み中に、アメリカやカナダから関西地区に派遣されてくる私と同世代の若者達は、必ず揃って広島に行き、平和記念公園、平和記念資料館を訪れました。
 行きの新幹線の中では、ワーワーキャーキャーと興奮気味で楽しそうですが、必ず、平和記念資料館を訪れた後は、ほぼ全員が無駄口をきかなくなり、顔面蒼白で、その後、昼食をかねて訪れる宮島では気もそぞろ・・・食事はほとんど喉を通らない、という状態に陥ります。
 中でも、アメリカ人の憔悴振りは、毎回、見ていても気の毒なほとでした しかし、当時、結構「アメリカかぶれ」をしていた私でも、この広島行きの日だけは、かなり日本人としてのアイデンティティーで高揚し、アメリカ人が違って見えた・・・そんな気がしたものでした。

 私は以前からブログで何回か触れていますが、マザーテレサが残した言葉に「愛の反対側にあるのは、無関心」というものがありますが、自ら心を動かし、その物事に関心を示す、示さない、ということ以前の問題として、知らない、知るチャンスがない、ということは、結果的に「人として」本当に大きな損失となることだと思います

 1977年の春、私が大学2年になる直前、「広島の平和記念資料館を訪問したアメリカ人」と同様の経験をしたことがあります。それは、全国高校生友好訪中団の秘書というお役をいただき、訪中した時のことでした。
私達メンバーは、3日間の南京滞在中、南京大虐殺の慰霊碑「雨花台」を訪れました。高校生達は献花台に備えるための花を持ち、小雨の中を歩いて行きました。歩きながら淡々と語られる中国人通訳の方のお話、私達のまわりを進むたくさんの中国人の訪問者達の視線・・・
 あれから、すでに30年以上の時が流れた今も、その時の通訳の方の声のトーン、まわりの人々の冷たい視線、いつまでも私達を目で追っていた人達の表情を、忘れることが出来ません。若かった私は、ひたすら雨に濡れて歩きながら、何度も何度も心の中で繰り返しつぶやいていました
「なんで私は、平然と毎日、暮らしているのだろう?なんで私は、こんなことがあったという事実を詳しく知ろうとせず、平気で暮らしていたのだろう?今の私にできることって何だろう?」

 今回のチベット問題でも、中国政府が発表する諸々の報道、特に死傷者数など、「数」に関してのレポートには、なかなかにわかには信じがたいものが多いように、南京大虐殺での被害者の数は、昔からよく問題にされます。この部分に言及してしまうと、論旨がぶれてしまうので、ここでは敢えて問題にしませんが、その数がどうあれ、かつてそこで起こった「事実は事実」であり、歴史を変えることはできないのです

 まずは「知る」ということ。
たまたま、今日は「戦争」というような大きな話題ですので、5,6歳のわが子達にはまだまだ無縁な話題ね、と思われてしまうでしょうが、私は話題に大きいも小さいもない、と思っています
 最近のご両親は、とかく頭でっかち(失礼!)の方が多く、行動をするよりも前に、頭の中で論理ばかりを展開して、机上の空論的な考えの中で、自ら先に答えを先に出してしまう場合が多いようです
 そして、また困ったことに、そういうタイプの方のほうが「自分達は、教育に対して意識が高い」という認識がおありです

 しかし、我が子に「知識」として物事を語り、教えるのではなく、子どもの「心を豊かにする、柔らかい心で物事を見る目を育てる」ほうが、どれほど意味のあることか・・・
 親が我が子に語り、伝えることで、子どもは、幼いながらもきっと「考え、感じ」ることでしょう
 私は、そういう子どもの心の動きこそ、その子をどんどんと豊かにすることだと考えています
 知識の習得は、子ども達は小学校入学以降、毎日毎日、いやというほど学校の中で繰り返していくのですから

 さまざまなことを、幼い頃には幼いなりに「知っている」ことは、とてもすばらしいことです。なぜなら、人は「知る」というチャンスを得て、初めて「考える」という作業が出来るから、なんですね
 小さい頃に、下手に教えてしまうと、正しい知識が身に付かない、とおっしゃる方もおいでになるでしょうね。しかし、知識などは年齢に応じて、積み重ねられれば良いのだと思います。それが良い証拠に、私達は子どもの頃から親に教えられたり見聞きして知っていた「偉人伝」。小さな頃には、その偉人の業績、功績の詳細を、それほど知っていたわけではないですよね。
 でも、それでもなお、彼らは偉い、ということを、子どもなりに理解してたものです

 子ども達が幼く、自力で知ることが難しい間は、当然、親がその多くの「知るチャンス」を作ってあげなければなりません
 いやいや・・・もしかしたら、まずは「親」こそが、知らないといけないことが多いのかもしれませんね


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