ももちゃんの面白古代史

ももちゃんが生活科学の目で主に日本古代史解明します。新しい情報いっぱい。例えば日本の縄文時代に製鉄が行われていた根拠など

製鉄のルーツは渇鉄鋼製鉄

2018-01-23 18:31:32 | 製鉄のルーツ

大雪お見舞い・・やっぱ製鉄のルーツは渇鉄鋼製鉄からでしょう! 2018・1・23 百瀬

大雪に続いてスキー場では噴火!雪崩!自然現象の混乱はハルマゲドンが近い前兆?

ともあれ私は世界一の巨大古墳・仁徳天皇陵及び大阪・奈良の巨大古墳について少し調べていた結論は、日本には全長200m以上の前方後円墳は40基位、その内、岡山3基・京都1・群馬1基他は奈良20基・大阪15基前後ですが、なんとその90%位から埴輪が出土しているのです。日本の巨大古墳の位置付けがはっきりして無い為、世界一の仁徳陵も未だ世界遺産に登録されていないようですが、大阪と奈良で40基近い200m以上500mの古墳が存在するとは、日本は何と不思議な国でしょう。「秦の始皇帝陵」級の古墳は日本には100基以上??も実在するのだから・・

・それはともかく以前「製鉄のルーツ」は渇鉄鋼=高師小僧と主張していましが、しかし少し不安に思っていたら、製鉄の始まりは「隕石」に間違いないと読んで、それは違うでしょう!と久しぶりに反論書いてみたくなりました。
・「隕石」は滅多に無いし有っても何処に隕石が落ちるか解らない。隕石が人手に渡る頃は温度が冷めて固くて手も出ない石状態でしょう!それをどうやって溶かして形造って製鉄品に形造ったというのか?説明が付かない!!それより鉱山とかに沼鉄という柔らかい鉄が自然の中に存在すると言います。焚火の中で柔らかい鉱石が熔けて鉄剣や鉄刀の技術が生まれた方が確実性があると思いませんか?それが自然界の植物の根についた渇鉄鋼なら焚火で鉄分は溶け出すし、人間にとっては身近だと思いますが、いかがでしょう。?!。寒い中御身お大切に!!

 


天平の甍わ青かった2・・   ももちゃん古代史 2,018/1/6

2018-01-06 19:09:11 | 天平の甍わ青かった・鉛溶解・古代瓦・巨大古墳

天平の甍わ青かった2・・   ももちゃんの古代史 2,018/1/6

奈良の都に青い瓦の三重塔や寺院や政庁など立ち並び美しい時代が有った事は西大寺や薬師寺や唐招提寺出土「青い瓦」が実証している。

 問題はこの青い瓦の時代が何時かという問題だが、現実に奈良時代の聖徳太子や推古天皇が会議で集まったりする現場に(500年頃)から後の文献に青い瓦の寺院などは書かれていないと未確認だが推定する。

 問題は奈良で200m級の巨大古墳が15基程築造され実在している現実。この巨大古墳の多くから埴輪(野焼き焼成)が出土している事。土器の焼成方法としては須恵器技術が伝来する遥かに早い時代に200m級の巨大古墳が築造された時代が有るという現実。埴輪時代は土器焼成技術から言うと弥生土器時代と同類技術と言える。

 その弥生時代に巨大古墳を築造できる文化があり・土器焼成技術から言うと弥生時代という事になる。生活科学の目で論じると、一般的には土器焼成は未だ高温焼成は難しい時代だった。青い釉薬は鉛だが土器焼成などで高温を使えるようになれば銅でも青い色を出せる。奈良三彩壷など国宝級の多くの青く美しい美術品は低温釉薬鉛の緑色だ。

 さて青い瓦(土器で青い土器は鉛釉薬時代で釉薬時代で鉛は400℃程度の低温溶解する)という事は青い瓦の実時代は弥生時代に可能だという科学的現実がある。!弥生時代の銅鏡時代の同じ時代は推定では銅鐸の時代の後期と言える。そういった紀元前1000年頃に奈良の都に青い瓦の屋根の美しい建物が幾つか建設され、東日本の原始仏教的思考の文化が、新しい都建設の槌音と華やいだ期待の文化が、美しい若やいだ奈良の都・巨大古墳時代文化の幕開けだったと推定できる。その後、馬や貴金属の東日本文化の伝来で、銅鐸及び銅鏡そして巨大古墳時代、そして青い瓦の「青に良し奈良の都は咲く花の匂うがごとく今盛りなり」という時代の存在を筆者は確信できます。