医療と適当に折り合いをつける内科医

医師国家試験浪人後の適当な医療を目指す内科医を追います

ワクチンの未来を考える

2011-11-24 01:44:34 | 医学ネタ
前置きが長くなったが少しワクチンの話。私は決してワクチン反対派ではない。多くの人の命を奪ってきた数々の感染症がワクチンのお陰で駆逐されたことは素晴らしい歴史上の進歩であった。そしてこのところワクチンの種類もどんどんと増えてきている。最近では癌になりうるウイルスのワクチンも登場した。素晴らしいことには違いないが、これが進むとどうなるのだろうか。我々は数多くの種類の感染症にかかりうる。癌の原因が感染症だったという報告もこれから増えてくるだろう。ではその感染症のワクチンが次々作られた場合「すべて打つのだろうか」。いずれの感染症も重篤化する可能性はゼロではない。また、免疫不全の人にうつした場合悪化する可能性があるからうつさないよう健常人も打つべきという考え方がある。ならばうつる可能性がある感染症はすべてワクチンを打つのだろうか。この考え方は発展すると誰かが感染を起こして重篤化した場合、うつした人が悪いということになり、うつした人がワクチンを打っていなかった場合罪に問われるような流れにもなりうる。現に麻疹やインフルエンザはそういう風潮にある。こうなると社会的強制力、脅迫観念をもって数多くのワクチンを打たなければならなくなる時代が来る可能性は高い。そこで議論になるのは「ではどのワクチンまで打つのか」。現時点では重篤な感染症のワクチンが多く意味のあるワクチンが多い。しかし境界線まで来ると、ワクチン会社、国家の思惑が見え隠れしてくることは間違いない。

 次にワクチンの問題の一つは作り方である。簡単に言うとヒヨコになりかけの卵にウイルスをぶち込んで増殖させたものを使っている。そういう方法でなければ増殖が効率よくできないからである。それって結構残酷な方法じゃないですか。食べるためなら生物の歴史上致し方ないところもあるが、ワクチンを作るために大量の生まれかけのヒヨコにわざわざ感染させて殺しているのですから。この製造法には少し抵抗があるし、ちょっと傲慢な感じもある。

 最後に感染を起こす意義について。私は感染症を起こすことは何らかの意味があって起こっていると考えている派の人間なので、風邪は身体を整える仕事をしているという考え方に納得をしている。なのでインフルエンザを始め、麻疹など、歴史上人類が感染しながら生きてきた菌については感染の意義があるのではないかと思っている。もちろん重症化してしまうことについては残念でならないし、なんとか予防できればという気持ちはある。しかしやはり医学としてはそれを運が悪いというスタンスではなく、何か身体にあったために重症化したのではないかと追求するスタンスで今後も望むべきだと思われる。ワクチンはあくまでそれを発見するまでの過渡期の予防法に過ぎないと考えたい。そして感染することに意義があるということは、感染する時期に意義があるということである。ワクチンは擬似感染を起こすということなので、打つタイミングにも敬意を払いたい。何でも早けりゃいいというものでもないのではないか。その人の身体にとって最適の時期がきっとあるはずなのである。

今ワクチンについて思っているのは、あくまで過渡期の予防法にすぎず、またすごく雑な方法なんだということです。現時点では予防では最良の方法なのでしょうが、あくまで仕方なくというスタンスでそしてたくさんの問題を抱えた方法だという認識を持っています。

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