医療と適当に折り合いをつける内科医

医師国家試験浪人後の適当な医療を目指す内科医を追います

廃墟はそのままに召しませ

2006-10-26 01:02:58 | 日記
大阪は新今宮、今や廃墟と化したフェスティバルゲートに行ってきた。いや、先ほどまでは廃墟だと思っていた・・・。ここで千日前青空ダンス倶楽部の公演があった。彼女達の舞踏は本当に素晴らしいのである。が、ちょっと言葉にする事ができないくらいなので今回は触れない。それと別に何がすごいってフェスティバルゲートである。あのショッピングモールと遊園地の入り乱れた複合施設がなりを潜めてからあそこは完全な廃墟だと思っていた。が、こうやって「Art Theater dB」なんていう小劇場や、面白そうな本が並べてあるカフェがひっそりと輝いていたのである。

このフェスティバルゲート、廃墟の割にはこうこうとライトが照らされておりそれがなおかつての賑わいを彷彿とさせ、寂しさを醸し出す。しかし見るからに空間の使い方から店舗の入り方まで人気のなくなる要素満載で構造的に魅力のない空間が、驚くべきことにこうも廃墟になると魅惑の地になってしまうのである。今やここはなんだかわくわくしてしまう空間へと変貌を遂げている。怪しげな寂しさとスリル、ひょっこり現れる知的刺激をくすぐる店。この潰れた店舗のシャッターを背に歩行空間に無秩序に屋台や出店がならんだらさぞや魅力溢れる場所になるに違いない。
そういう意味で今ここで新しい芸術空間を模索している団体の方々の目の付け所はさすがだなと、感心してしまう。そういう場所で上演しようというのだから、内容も斬新で知的に刺激的で、危険でしびれてしまうようなものであることは当然なのでしょう。すでにバックグラウンドが内容を語っているわけです。
廃墟は廃墟であるからこそ廃墟を脱した魅力を放ちうるというこの深さを痛感する一日でした。

阪神と飛び込みと失ったもの

2006-10-22 02:41:53 | 日記
今年は阪神が優勝戦線に随分頑張った。結果残念ではあったが。3年前の阪神優勝の時はそれは盛り上がったものだ。ただし阪神優勝で失ったものが一つある。それは戎橋である。あの時阪神ファンが随分とあの橋から道頓堀に飛び込んだ。お上が飛び込みは危険だと禁止したのだが、やはり飛び込むものが後を絶たず、結局あの戎橋には透明板のバリケードが作られた。その圧迫感といったらとんでもないものである。大阪最大の景観破壊である。

 確かに道頓堀は汚い。とある番組でかつて道頓堀に沈んだカーネルサンダース像を引き上げる企画があり、船から底をさらってみるとヘドロまみれの自転車やらよくわからんものが次々と引き上げられたのである。あの川は底も浅く飛び込むには危険であることもわかる。あの時飛び込みについてマスコミが取り上げた時、賛否あった。飛び込んでの事故、感染症、それにより果ては死亡も考えられ反対する人たち。(確か実際に1名死亡者がでている)地元阪神の優勝を命がけで応援してきたファン、ましてや道頓堀が汚く危険な事は地元民は当然承知なこと、彼らの自己責任(当時この単語ははやったのだった)で飛び込んでもいいではないかと賛成する人たち。(飛び込む者は真の阪神ファンではないという話もでたが)お上の出した結論は結局飛び込みを禁止し、バリケードをつくったのだった。最も最低な選択であった。こうして阪神ファンの祭は一つ消えたのであった。飛び込まずともよい、という意見はもっともである。が、あの飛込みへの衝動に認められる隠れた欲望に思いをはせるべきではないのだろうか。
 宮本輝の道頓堀川という小説がある。古きよき道頓堀川周辺で生きる人たちの生き様を描いている。私は10代後半に本を読んだだけであるが、当時の道頓堀の様子が匂ってくるほどのリアルな描写であった。その川は活きていた、その近隣の人たちと共に。ところがバリケードとコンクリートで固められた今の川は完全に死んでしまったのである。現在、市はあの川をきれいにする事業をいくつか行っているようだが、それは結局何のためなのか。泳げるようにしてくれるのか。飛び込めるようにしてくれるのか。展望見えぬ事業には何の意味も感じられないし、息づいた住民と共に活きている川にしようという気が感じられない。きれいにしただけで、活性化に失敗した例は高知のはりまや橋を含めいくつか知っている。

こんな事を鬱々と考えていたわけだが、それを一気に晴らしてくれる光景、それはやはり郡上であった。郡上八幡に流れる川に掛かる橋がある、というのは前回した。あの橋で行われた同様の飛び込み。確かにあの川はきれいであり、川底もその場所は深い。だが安全なのかといわれればそうでもない。あの高さから腹打ちすればまず命は危ない。そして実際に郡上でも数年前に死亡者が出ている。事故があったときのその後の対応について詳しい事は知らない。が、こうやって今でも同じ形態で行われているところを見ると死者が出たから中止しようとか、ぬるい設定にしようとか、絶対安全を追求する流れに最終的にはならなかったようである。それに絶対安全であれば、前回書いた飛び込む意義が完全に失われてしまうのである。
 危険だから、死者がでたからやめる街とそれでもやめない街。この差はどこから生まれてくるのか。それはひとえに川に対する帰属意識に由来する。郡上の人たちには明らかに、あの川は自分達のものだという気持ちがあり自分達でその資源を守ろうという気持ちがある。そしてその川に対する責任というものも個々に持っている。しかし大阪市民に道頓堀川に対してそのような意識は当然ない。そうなると川を管理しているのはお上であるから、責任はお上にあるのが当然ということになる。川について事故が起こればお上のせい、お上はそうなるのがいやだから非責任族には近づかせまいとバリケード、と最悪の結果を招く。大阪で帰属意識が生まれないのは範囲の広大か、流動化、複雑化のためである。人の帰属意識など限られたシンプルな範囲でしか成立しない。だから一番良い街の規模は帰属意識の届く最大の範囲なのである。

責任とはいったい何なのかについてはまたいずれ考えねばなるまいが。実は今回のキモはこの帰属意識と責任という問題が実は我々の身体と健康と医療にも同じように当てはまるのである。おわかりいただけるでしょうか。

福島は常盤にハワイという奇跡

2006-10-07 14:11:42 | 日記
「フラガール」である。常盤ハワイアンセンターを題材になおかつ蒼井優である。もうこれは、見にいくしかないということである。常盤ハワイアンセンターの存在は随分昔から知っていた。かつてやっていたNHKの「日本映像の20世紀」福島編で登場した時、そのあまりの違和感に考え込んでしまったものである。あの番組は残っている映像を紡いでその県の時代の変動、日本という国家、及び近代化の波にいかに飲まれ影響されていったのかを見事に表現している名作である。

福島県は明治、炭鉱と養蚕業が盛んで、特に石炭を運ぶ為に列車が早くから整備されていた。ところが生糸は需要が減りまた世界恐慌をきっかけに値が半額以下となる。農家は徐々に果樹栽培に移行してゆく。日中戦争開始とともに炭鉱から男手は取られ太平洋戦争で総動員、また石油不足から石炭は増産し、女手でそれを支えてゆくこととなる。戦後福島県は進む資本主義のうねりの中で、生き残りの為の政策が次々ととられてゆく。それはすべて首都東京繁栄の為の犠牲に成り立ってきた。多数の木材が切られ首都へ送られる。高度経済成長期には国策の東北学童の集団首都就職が勧められ若年人口が激減。首都発展に伴う電力不足を補うべく多数のダム建設を進め電力を東京に売る。その為に多数の集落がなくなり、山河の資源が失われる。その後その流れにまかせ昭和42年原子力発電建設。逆に昭和35年から炭鉱人員削減、昭和51年常盤閉山。まさに福島県は東京、日本繁栄の為に搾取されたと言っても過言ではない。この様な流れの中、炭鉱閉鎖にが相次いだころ、起死回生の生き残り政策としてこの常盤ハワイアンセンターは生まれたのである。炭鉱の娘達が踊るというコンセプト。白黒画像で写されたその画像にあまりに異様な突然の流れに衝撃を受けてしまった。何故ハワイなのか。誰が考えついたのか。炭鉱という街でいかにそれを受け入れていったのか。期待も反対もあったはずなのである。そして踊り子はいかにして誕生したのか。評判はどうであったのか。その後のハワイアンセンターはどうなったのか。興味的疑問が次々と沸き起こってきたのであった。そして放送6年後、この疑問は遂に一つの形として映画に表現されたのである。

ヒロインの蒼井優という女優がすごい事も知っていた。TBSの情熱大陸で彼女がどれほど腰のすわった、物を考えられる20歳かをまざまざと見せ付けられた。フラガールの最後のシーン、彼女が初舞台を踏むシーンで監督からOKが出ていたにも関わらず彼女は悩みはじめ、後日もう一度撮りなおしを志願する。そして同じシーンにも関わらずその演技のあまりの違いと見事な表現に、只者ではない風格を感じたのである。撮りなおすということは舞台を見る観客、つまり多数のエキストラを再度駆り出さねばならず、セットも組みなおさねばならない。それだけ前の演技より優れた納得のいくものを見せねばならないわけで、おそらく彼女にはそれだけの勝算なしには提案できなかったはずなのである。そんな恐ろしいハタチ。ちなみにハチミツとクローバーは見にいかなかった。おそらく蒼井優の良いところは出ないだろうなと思ったからである。彼女の集中気質はああいう設定にはふさわしくない。「フラダンス」は蒼井優の集中気質があのダンサーの気質にぴったりとはまっていた。他の役者さんも見事な配役、演技でした。

どうですか、少しは見にいこうという気になりました?(笑)衰退してゆく街、そしてその街の苦しみ、そこからはい上がってゆく何かのきっかけ。生きる悦び。そこに必要な人間の気持ち、背後にあるのはいつだって死というテーマだったのですね。