マオ猫日記
「リヨン気まま倶楽部」編集日記
 




(写真)ルーヴァン・ラ・ヌーヴ中心街の外観。人工地盤の上に建設され、自動車は全て地下を通る。

 ブリュッセルからルクセンブルク方面へ延びる高速E411号線を20キロほど走ると、ワロン(ワロニア)地方圏ワーヴル(Wavre)市の近くでルーヴァン・ラ・ヌーヴ(Louvain-la-Neuveという町への出口が現れます。
 このルーヴァン・ラ・ヌーヴ、意訳すれば「新ルーヴァン」という意味で、名前の由来となった本家のルーヴァン(蘭語では「ルーヴェン」、Leuven)市はブリュッセルの東約20キロにある人口約9万人の大学都市であり、フランデレン(フランダース)地方圏フラームス・ブラバント県の県庁所在地にもなっています。実はこのルーヴァン・ラ・ヌーヴ市(本稿では便宜上「市」としているが、ベルギーの基礎自治体には「市」「町」「村」の区別は無く、単一の「市町村」があるのみ)、オランダ語圏にあるルーヴァン市の大学から分離独立したルーヴァン・カトリック大学Universite Catholique de Louvain、UCL)を受け入れるためだけに、1960年代終りに新たに建設された人工計画都市なのです。

(写真)ルーヴァン・ラ・ヌーヴの中心街、「大広場」
 
 ルーヴァン・カトリック大学は、1425年にローマ教皇のマルティヌス5世によって設立されたベルギー有数の大学で、蘭語圏であるフランデレン(フランダース)地方圏にありながら、主としてフランス語で授業を行っていました。特に1830年のカトリック及び自由主義者主導のベルギー独立以降、プロテスタントたるオランダ王政の影響力排除のために、仏語が、カトリック・自由主義者の言語として、南部ワロン地方のみならず北部フランデレン地方でも(貴族や大商人、大学教授によって)使用された結果、蘭語は庶民の生活用語という位置づけに格下げされてしまいました(オランダ語は長らく高等教育では使用されず)。大学の仏語部門も優遇され、ルーヴァン市内にも仏語系住民が多くなり、首都ブリュッセルが仏蘭併用地域として他の地区から独立した際は、仏語系住民はルーヴァン市もこの併用地域に編入すべしとさえ主張しました。
 ところが、1960年代以降、仏語系住民と蘭語系住民の対立(というより、蘭語圏における蘭語復権、仏語排斥の運動)が高まり、特に蘭語地域である北部フランダース地方において、「単一言語主義」(蘭語のみを使用し仏語を排除するとの考え方)が主張されるようになると、蘭語系であるルーヴァン市民は優遇されていたルーヴァン・カトリック大学の仏語部門の閉鎖を要求。政府は、1962年に言語関係4法(ギルソン法)を制定し、大学の蘭語部門と仏語部門はそれぞれ独立した自治的運営を行うよう制度が改正されましたが(8月11日)、蘭語推進運動は盛り上がり続け、仏語部門反対運動は止みませんでした。そこで、1964年7月ごろから、大学の仏語部門は新たな校地の建設を目指してブラバン・ワロン県内で土地取得の検討を始めましたが、この時点では、全仏語部門の移転や新都市の建設までは考慮されていませんでした。

(写真)市内の商店街の様子。人工地盤の上に建設され、道路は歩行者専用になっている。

 しかし、1967年11月5日、キリスト教社会党(PSC-CVP)の国会議員27人を含む3万人がアントワープにおいてフランス語系学部の廃止を訴えるデモ行進を実施。これを受けて大学の蘭語系学生が仏語系追放を訴えてデモや授業放棄を繰り返すようになりました。時のボエイナン(Paul Vanden Boeynants)首相(キリスト教社会党出身、仏語系)は適切な対応ができずに総辞職し(1968年2月7日)、続く議会選挙ではキリスト教社会党自体が仏語系(PSC)と蘭語系(CVP)に事実上分裂して選挙を戦うことになりました(正式な分裂は1972年)。
 選挙後、大学を所管する司祭が仏語・蘭語の分離を容認したことを受けて、かろうじて政権を維持した政府は仏語部門の分離を宣言。1968年9月18日、大学は蘭語系のルーヴェン・カトリック大学(Katholieke Universiteit Leuven、KUL)と仏語系のルーヴァン・カトリック大学(UCL)に正式に分裂し、仏語部門は現在のワーヴル付近のオティニー(Ottignies)に建設された敷地に移動。この地区はやがてルーヴァン・ラ・ヌーヴと呼ばれるようになりました。

(写真)駅前広場。駅は正面の建物の裏側に半地下構造で建設されている。

 現在のルーヴァン・ラ・ヌーヴ市は、ワロン(ワロニア)地方圏ブラバン・ワロン県ワーヴル郡に属する人口2万9000人の自治体で、32.96平方キロの面積を有しています(東京都葛飾区程度の大きさ。ちなみに本家のルーヴェン市の広さは56.63平方キロ。日本で一番狭い市である埼玉県蕨市は5.10平方キロ)。大学は神学部、哲学部、法学部、経済・社会・政治学部 、文学部、心理学・教育学部、理学部、工学部、応用生物工学部、医学部、薬学部、運動学部を有する総合大学で、医学部以外の全ての学部がルーヴァン・ラ・ヌーヴの校地に設置されています。ベルギー国鉄(SNCB)の路線も通っており、市内に2面3線の「ルーヴァン・ラ・ヌーヴ・大学」駅を新設。ブリュッセル市内へは概ね1時間に1本の電車がブリュッセル・ルクセンブルク駅まで直通しています。
 ルーヴァン・ラ・ヌーヴは、上記のような経緯から人工計画都市として建設されたため、建物は全て新築であり、また市内のデザインは歩行者と自動車を分離するとの考え方が貫徹されています。その為、谷の上に人工地盤を設置して建設された中心街は全て歩行者専用になっていて、歩行者及び自転車以外は通行できません。自動車については、近くの高速道路や自動車専用道路からのアクセス路はありますが、車道は中心街では全て地下を通っており、商店街の真下が巨大な地下駐車場になっています(この点は、パリ郊外の新都市ラ・デファンスにも似ている)。実際、現地を訪れてみると、大広場から駅に至る商店街は完全に新築の建物ばかりで、書店や飲食店の他、衣料品店やパン屋が並び、一つの町として着実に機能・発展していることが伺われます。当初は、専ら大学を受け入れるためだけに建設された都市でしたが、最近では見本市会場や商業センター、映画館等が建設され、大学関係者以外の住民も居るようです。

(写真)ルーヴァン・ラ・ヌーヴ・大学駅

 最近、総選挙後の組閣交渉に際しての言語間対立が報道されていますが、新しい大学、新しい都市を作らなければならいほどに、ベルギーにおける言語間の対立は根深いようです。



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