読書日記と読書ノート 第三部(2013年6月~2015年6月) 吉野三郎

退職してから読書中心の生活をしています。読んだ本の感想を日記に記し、要点をノートに書いています。その紹介です。

193、坂本義和「核時代の国際政治」(岩波)-その3―(3/4)

2017-07-22 06:38:05 | 読書記録

(2)ノートから-つづき-

第Ⅱ部 

(1)冷戦状況の政治構造

➀冷戦の進行により国内権力が総力戦体制に組織化され、平時においても「兵営国家」化が持続する。そして、軍隊の組織原理が国家の組織原理へと拡大適用される。

➁「兵営国家」の病理。

1)    軍部が権力中枢における比重を増し、政策決定への影響力を増大する。

2)    政治の体系そのものが軍事化することによって、軍人以外の文民が、しばしば軍人以上に軍事的・軍国主義的思考様式のとりこになり、軍事的考慮を政治的判断に優越させる。

3)    兵営国家の体制は思想の統制と組織化とを要求する。この結果、「自由」とか「民主主義」といった体制の理念は空洞化する。

4)    外部の敵と戦うためにまず内部の敵を倒すという論理の下に、同胞への凄惨な攻撃が開始される。対外政策上の失敗や挫折の責任は、何よりも国内の敵や裏切り者に着せられる。

 

(2)日本における国際冷戦と国内冷戦

①日本の大衆運動は何よりも平和運動であり、米への軍事的従属を批判する民族独立の立場からの運動は弱かった。

1)    戦前戦中の軍国主義、排外主義的ナショナリズムに対する嫌悪。

2)    権力によって打ち出される「愛国心」その他のナショナリズムのイデオロギーが持つ虚偽性に対する不信感。

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                         米軍基地反対は「平和」というシンボルによって意義づけられた。

 

※ナショナリズム忌避感情が、ナショナリズムの感情動員力を軽視したのではないか。ナショナリズムを叫ぶ排外的運動に対する警戒感を薄めたのではない。沖縄の反基地闘争はナショナリズムの叫びでもある。ナショナリズムは「対等な関係」を求める。排外主義は差別主義。両者は異なる。普遍的原理に媒介されたナショナリズムの可能性。

 

②権力の「力」と運動の「力」を明確に区別すること。権力はその性質上、人間の強制的組織化を可能にする条件だが。運動は本質的に、人間の自発的組織化に依存する。

 

(3)平和運動における心理と論理

①平和運動は絶対的な反権力運動であり、その意味で一種の永久運動の論理構造を持つのであるから、それ自体が体制化されることはあり得ない性質のものである。ところが戦後の日本では、平和運動の原理が憲法化されることによって、それは体制の原理の中に織り込まれた体裁になっている。

②平和運動が永久運動の論理構造を持つということは、この運動の特質の具体的な表現である非武装主義が、本来的・原理的に少数者の思想であることに端的に示されている。ここで少数派というのは、数量的に少数ということではなく、むしろ、いわば構造的に権力から疎外された反権力的な個人や集団という意味である。

③戦後日本での「平和主義」は、最高の法である憲法そのもの中に織り込まれた。元来憲法というものは典型的な多数派の思想の表明であり、従って日本では、「平和主義」を少数派の思想として受け取る態度とは著しく稀薄であった。

④権力による非武装化が如何に自己矛盾でありそれだけにいっそう、運動による非武装化のみが非武装の唯一の道である。平和運動は権力一般と原理的に対決するものである。そうであれば、「憲法も自衛隊も」といった弛緩現象が生じることはないだろう。

 

(つづく)


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