読書日記と読書ノート 第三部(2013年6月~2015年6月) 吉野三郎

退職してから読書中心の生活をしています。読んだ本の感想を日記に記し、要点をノートに書いています。その紹介です。

89、渋谷秀樹「憲法への招待」(新版)(岩波新書)-その2-(2/3)

2017-01-05 07:11:43 | 読書記録
(2)ノートから
①憲法上の権利と義務は一体。現憲法は権利ばかりで義務が少ない、という批判に対して。
 →『権利と義務は表裏一体」の意味を、権利の行使にはそれを行使する者に同時に義務が課されていると理解するのは誤り。この誤解のなかにある義務は、正確には、行使しようとする権利の限界、あるいはその権利の行使の結果として生じた事態に対する責任というべきでしょう。
②憲法制定権力というのは、憲法などのルールがまだ存在しない白紙の状態で行使される生の力(政治の力)なので、「ルールの世界」の外の、「事実の世界」において存在し行使されるものです。
③憲法を制定した正統性の根拠は、八月革命によって国民主権に変革したことに求めるには無理がある。根源的には当時の憲法制定権力の持ち主であるGHQの承認にその根拠を求めるしかないでしよう。
④人権尊重の根拠を何に求めるか。人間の尊厳は何に基づいてそうなのか。→歴史を現実に生きた人類の悲惨な経験こそが、人権を保障する根拠である。
⑤財産権制限の根拠とされる公共の福祉とは何か。『社会の利益』といえど、最終的には一人一人の利益に還元されるものでなければならない。個人を離れて抽象的な『社会の利益』なるものは存在しない。なぜなら、『社会』というものも、いわばフィクションで、その実態は多数の人が共に暮らしているということに他ならない。個人の利益を超越した『社会固有の利益』などはない。
⑥『国民』とは何か。人種、民族、宗教、言語といった遺伝的・文化的・社会的な相違を超えて、人為的・意識的につくり上げられた人間の集合体に過ぎない。
                ↓
自然的な『国民』となるのではない、人為的に『国民』を創出するのだ。現在の国籍法は血統を中心に『国民』の範囲を決める。が、著者は『国民』の範囲は生活の実態によって決定すべきである、と主張する。ある地域に住む国籍保持者+そこに暮らす人。

⑦『いじめ』防止法について。イジメの被害者がどのような救済を求める権利があるかが書かれていない。子どもを権利の主体=独立した人格として権利行使の主体と位置付けていない。

(つづく)

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