Asaさんのレビューと、この表紙をみてとても読みたくなりました。
真ん中でどら焼きらしきものを持って佇んでいる女の子が
物語にかかわってくるのかなーと、思いながら読み始めました。
もしそうなら、この本の前に読んでいた『桐島、部活やめるってよ』からの
高校生つながり、になるなあなんて。
主人公は、どら焼き屋「どら春」の千太郎。わけあって、特に好きでもない
どら焼き屋をやっている様子。
店の前にある桜が満開の頃、ひとりの女性が現れます。
徳江という名で70歳をとっくに越えていて‥でも、店の貼紙をみて
「働かせて欲しい」と言うのです。
体力的にも見た目的にも、無理と判断した千太郎の気持ちを途中で
変えたのは、徳江が作って持ってきた「餡」の素晴らしさ。
千太郎の中で、ぱちぱちとそろばんがはじかれ、安い時給のさらに半額で
いいと徳江が申し出たこともあり、採用となるのでした。
これで「どら春」が繁盛していく話でおわるはずはないな、という予兆は
すぐに訪れ、物語は、自由とはなにか、生きて行くとはどんなことか、等など
こころの深い部分へと降りていくのです‥。
+++
物語の終盤で、徳江の友だちの森山さんがこんなふうに話すところがあって‥
ここだけ読んだのではなんのことがわからないと思いますが。
(私はこの箇所を読んで、それまで堪えていたものがいっきに溢れだしました。)
「~小豆の言葉なんて聞こえるはずがないって。でも、聞こえると
思って生きていれば、いつか聞こえるんじゃないかって。そうやって、
詩人みたいになるしか、自分たちには生きていく方法がないんじゃないかって。
そう言ったの。現実だけ見ていると死にたくなる。囲いを越えるためには、
囲いを越えた心で生きるしかないんだって」
‥囲い。
心身の自由が奪われる現実の「囲い」の恐ろしさは、そこに身を置いたことが
ある人でなければわかりませんが、それとは別に、自分で自分に線を引いたり、
こうでなければいけないという常識観念にとらわれ過ぎたり、あるいは
ジョーシキ的に生きれば楽だからという理由で、精神の自由を、のびやかに広がる
心を、自ら囲ってしまうことの怖さや、囲われていることの楽さに、気づかないふりを
してしまいそうになる心の弱さを思いました。
囲いを越えた心。
自らの気持ちに囲いを設けないこと‥果てのない空のように。
私、何年か前にドリアン助川さんが「明川哲也」名義で
本を書かれていたころ、仕事でご一緒して、
ちょうど出版になったばかりの本を買って読んで、
はまって何冊も読み漁ったことがあるんです。
(まだblogをよく書いていたころです)
その後あまり読まなくなっていたので、
またドリアン助川名義で本を出されていて
rucaさんのところに久しぶりに立ち寄ったら
その本が紹介されている、という。
…なんというか、偶然というかつながりというか、に
正直とってもびっくりしました。
rucaさんも助川さんも
「パティスミス好き」という共通項もありますしw
脱線しちゃってすみません!
内容、とてもよさそうですね。
また買ってみようかなーー
私はドリアン助川さん=明川哲也さんだと認識ないままに
新聞の人生相談の回答者としての記事をよく読んでいました。
著書を読んだのは、今回が初めてです。
>偶然というかつながりというか、に正直とってもびっくりしました
こういうことってありますよね。そしてすごく驚いて
偶然ではなくって必然だった?って思ってしまったり。
そうなんだあ、ドリアンさん、パティ・スミスのファンなんですね~
なんかわかりますね。
私ももうすこしドリアンさんの本、読んでみようと思ってます。
「あん」はとってもお薦めです。