この物語の中心に居る、ゼンダー夫人(かつては、アイーダ・リリー・タル
という名でヨーロッパでオペラ歌手をしていた)は、主人公の少年、アメディオ・カプランに
向かってこう言います。
「わたしがいいたかったのは、人の九十パーセントは目に見えないということなの。〈中略〉
人間というのはもっと見えているつもりかもしれないけど、やはり十パーセントしか
見えていないの」
父親が芸術家で、名付け親はアートセンターの館長をしている、アメディオは
その環境ゆえ、同年代の子どもの中では飛びぬけてアートに詳しい。
だから、モディリアーニが誰かも知っているし、ゼンダー夫人の家財処分品の中から
モディリアーニのサインが入った「裸の女の人」の絵が出てきた時も、親友のウィリアムに
裸とヌードは違うと、父親はいつも言っているといい、さらにガラスをふきながら、
アメディオはゼンダーさんの九十パーセントと十パーセントの話を思い出していた。
とつぜん、裸とヌードのちがいがわかった。裸は十パーセントを見せている。
だけどヌードは裸以外の九十パーセントが見えている。アメディオは半分
独り言のようにつぶやいた。「裸とヌードは断然ちがう」
『ムーンレディの記憶』
E・L・カニグズバーグ 作 金原 瑞人 訳
引用した箇所は、↑の本の中で、とくに印象深かったところです。
一度読んだだけではわからないところがいくつかあったので、もう一度
図書館で借り直して読みました。
元オペラ歌手だったゼンダー夫人の家財処分品の中に、退廃芸術だと、かつて
ナチスから弾圧を受けたモディリアーニの作品があって、それが、ある家族の
歴史と結びついていたなんて、よくそんなストーリーを思いついたものだと
感心しながら、展開を追いました。
なぜ、その絵が、ゼンダー家にあるのかということだけでも歴史的なおもしろさは
ありますが、それを、アメディオとウィリアムという二人の少年が、ゼンダー夫人に
関わっていく中で「発見」したところが、物語を何重にも読み応えのあるものにしています。
冒頭に記した、90パーセントと10パーセント。
何人に生まれたか、どんな肌の色をしているかなど、目に見えるわかりやすい
10パーセントで、人間が人間を「分け」、レッテルを貼ったナチスの歴史的事実を、
作者はゼンダー夫人を通して、指摘していたのでしょかー。
見えていない残り90パーセントがあることを、「想像」する前に「認識」するようにと
言われているような気が、私はしています。
という名でヨーロッパでオペラ歌手をしていた)は、主人公の少年、アメディオ・カプランに
向かってこう言います。
「わたしがいいたかったのは、人の九十パーセントは目に見えないということなの。〈中略〉
人間というのはもっと見えているつもりかもしれないけど、やはり十パーセントしか
見えていないの」
父親が芸術家で、名付け親はアートセンターの館長をしている、アメディオは
その環境ゆえ、同年代の子どもの中では飛びぬけてアートに詳しい。
だから、モディリアーニが誰かも知っているし、ゼンダー夫人の家財処分品の中から
モディリアーニのサインが入った「裸の女の人」の絵が出てきた時も、親友のウィリアムに
裸とヌードは違うと、父親はいつも言っているといい、さらにガラスをふきながら、
アメディオはゼンダーさんの九十パーセントと十パーセントの話を思い出していた。
とつぜん、裸とヌードのちがいがわかった。裸は十パーセントを見せている。
だけどヌードは裸以外の九十パーセントが見えている。アメディオは半分
独り言のようにつぶやいた。「裸とヌードは断然ちがう」
『ムーンレディの記憶』
E・L・カニグズバーグ 作 金原 瑞人 訳
引用した箇所は、↑の本の中で、とくに印象深かったところです。
一度読んだだけではわからないところがいくつかあったので、もう一度
図書館で借り直して読みました。
元オペラ歌手だったゼンダー夫人の家財処分品の中に、退廃芸術だと、かつて
ナチスから弾圧を受けたモディリアーニの作品があって、それが、ある家族の
歴史と結びついていたなんて、よくそんなストーリーを思いついたものだと
感心しながら、展開を追いました。
なぜ、その絵が、ゼンダー家にあるのかということだけでも歴史的なおもしろさは
ありますが、それを、アメディオとウィリアムという二人の少年が、ゼンダー夫人に
関わっていく中で「発見」したところが、物語を何重にも読み応えのあるものにしています。
冒頭に記した、90パーセントと10パーセント。
何人に生まれたか、どんな肌の色をしているかなど、目に見えるわかりやすい
10パーセントで、人間が人間を「分け」、レッテルを貼ったナチスの歴史的事実を、
作者はゼンダー夫人を通して、指摘していたのでしょかー。
見えていない残り90パーセントがあることを、「想像」する前に「認識」するようにと
言われているような気が、私はしています。
多くを占めるけれど、その深さをきちんと分かる人に
なれるのかどうか・・・?
話してみなければわからない、付き合ってみなければわからない、
日常に使う言葉の、そんな部分でしょうか?
ただの愚痴になってしまうけれど(苦笑)
「想像」とは別の「憶測」だけで話す人を見て
なんだかなー・・・と淋しくなったのはつい先日。
アハハ・・・いろんなことがありますねぇ!
一時期、カニグズバーグ月間みたいな時があり
そのあと、金原瑞人祭りの時期があり、それなのに
まだこの本を読んでいません。
年内に読めるといいなー。私、モディリアニ好きです。
90%と10%。
見えていない部分が90%もあるの???が
私の本音です。
もうすこし、見えているんじゃないかなと思っているのですが
どうでしょう?
でも、見ようとしなかったら、そもそも
見えていない部分がある、と考えもしない人も
たくさんいるのが現実かなとも思っています。
>「憶測」だけで話す人を見て
なんとなくどんな人なのかわかるような、わからないような・笑。
本当にいろんな人がいますからね~
思わぬところで、傷つきそうになってしまいますよ。
jasuminさんが、金原瑞人訳のことを書いていたの、覚えてますよ。
この本未読だったなんて意外です。
カニグズバーグ作品、全部を読んだわけではないけれど
私的に、この作品はかなり上位です。
ナチスの政策について知らないことも多々出てきて、
自分の無知を知ると同時に、胸の痛みが大きくなりました。
そういう歴史を踏まえていると、やはり10%しか
見ていないと言いたくなるのかも、と思います。
頭を抱えました(笑)
久しぶりに、自分の読書記録を読み返したけれど
ちゃんとした記録じゃなかったし!
がっかり。そして、ショック。
でも、また、再読する楽しみが増えたってことだと思うことにします。
私の記録によると、登場人物が重なっていると知り、すぐに、スカイラー通りを読みたくなって、
おかげで、こちらの印象が薄れてしまった・・・と書いてありました(苦笑)
本当に。スカイラー通りは、ボンヤリとストーリーや印象に残った場面を覚えています。
今度は、そのときの感想通り、逆の順番に再読しよう。
でも、ゼンダー夫人が、とても魅力的だったことは、ちゃんと、覚えていました。
(あと、アイスクリームは、出てきませんでしたっけ?)
カニグズバーグの作品は、一度で理解するのが難しくて、いつも、何度も、反芻しながら読みます。
裸とヌードの違い。もう一度、反芻してみたくなりました。
そうだ、カニグズバーグを読もうと思い立ったとき
わたし、真っ先にこももさんの過去ログを探して
クライスラー通りとムーンレディ、どっちが先なんだったか
確認したんですよー
そしてちゃんと順番通りに読みました・笑。
クライスラー通りもおもしろかったけど、
ムーンレディの方が読みごたえがあったかなと思います。
やはり歴史とリンクしているところがおもしろかったし
勉強にもなりました。(いかに自分が何も知らなかったのかが
またよくわかったし)
アイスクリーム食べる場面ありますよ。
その時にゼンダー夫人が90%と10%のことを話すのです。