Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

ピアニスト

2007-09-22 | 外国映画(は行)
★★★★★ 2001年/フランス・オーストリア 監督/ミヒャエル・ハネケ

「厳格な母親に育てられたピアニストの歪んだ性と自己崩壊を描く傑作」


愛に飢えた中年女は、痛々しい。今作の主人公エリカは、その求めるべき愛の形すらわからずに彷徨う。その姿は痛々しいを通り越して滑稽ですらある。ここまでエリカという女をこてんぱんに描く、ミヒャエル・ハネケという監督はなんて奴だと思ったけど、この映画には原作があるんだそうだ。しかも女性作家というんだから、この作品は己のことを己自身でえぐり傷つけできあがった作品なのだ。どうりで強烈なわけです。(ちなみにこの原作者エルフリーデ・イェリネクは2004年にノーベル文学賞を受賞)

エリカの歪んだ性。それは「女として」愛を享受された経験がないことに起因している。のぞき部屋に入って個室でポルノを見ながら男の使い果たしたティッシュの臭いを嗅ぐ。ドライブインシアターでカップルをのぞき見して放尿する。いずれも普通の女の性処理とは言い難い不可思議なものばかり。エリカが精神科医にかかったら、その医者は嬉々として彼女を分析するだろう。そんなエリカにも年下の愛してくれる男が現れたというのに、エリカが彼にお願いしたことと言ったら…。

父と息子が対立するとそこには憎悪が生まれる。父は息子に越えられることを畏れ、息子は差し違えても乗り越えようとする。しかし、母と娘という関係性は不思議だ。そこには憎悪とともに同化が存在する。母は自分を娘に重ね、娘も自分を母に重ねる。今作のエリカと母の関係は異常で、母は常にエリカを監視し檻の中に閉じこめるように育て、かつ同性として耐え難い罵詈雑言を娘に放つ。こんな母親、放っておいて出ていきゃいいのに、娘はできない。そこで自分を傷つけ、歪んだ性行動を取ることで精神的不安をごまかす。母親による変質的な愛によってここまで娘が無惨になる作品は他にはないだろう。

中年女の憂鬱という観点で考えれば、さすがはヨーロッパ、描き方が半端じゃない。中年女でもまだまだ恋ができるわ、なんてなまっちろいテーマを扱ってるようじゃ、まだまだひよっこ。これくらい冷徹にその存在自体をこれでもか、これでもかとえぐり出すような作品は、日本じゃなかなかお目にかかれませんもの。

イザベル・ユペールは、エリカという難役に体当たりで挑み、この実に哀れな女を魅力的にみせている。物語だけを追えば、エリカほど乾いた痛々しい存在はなく、見方によっては侮蔑や嫌悪が沸いてもおかしくない。しかし、イザベル・ユペールが演じるエリカの孤独と焦燥、そして愛への渇望は観客の心を揺さぶる。

そして驚愕のエンディング。ここにあなたは何を見るだろう。これはエリカの自己破壊衝動か、それとも過去との決別か、はたまた生まれ変わりを意味する希望か。沈黙のエンドロールが流れる中、我々はエリカの悲しみを心の奥深くで共有する。

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