Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

剱岳 点の記

2010-03-30 | 日本映画(た行)
★★★★ 2008年/日本 監督/木村大作
<とある上映会にて観賞>

「景色の凄さと人間ドラマが反比例」

壮絶な雪山の景色はぜひともスクリーンで見るべき、と聞いていたのですが、都合が合わずこりゃDVDになりそうだぞ、と思っていましたら、住んでいる地域で上映会が開催されたので行ってきました。

引きの絵がすんばらしいですよね。雪山にちょんちょんと黒い豆粒のように見える人々。前も見えない、びゅうびゅうと吹きすさぶ吹雪の中をごろごろと人が転げ落ちたりして。「本当に命の危険を感じました」と香川照之が言っていた言葉に嘘はなかったです。おそらく本物のマタギの方だと思うのですが、銃を構えたまま急斜面を滑ってヒグマをしとめているシーンは驚愕でした。撮影スタッフも出演者もどれほど苦労して撮りあげたのかを思うと本当に頭が下がります。

ところが山のシーンが壮絶であればあるほど、山を下りた日常のシーンの陳腐さが際立ち、作品全体の足を引っ張っているように感じられて仕方ありません。夫婦の会話シーンもベタ過ぎて思わず苦笑いです。何だか寅さんを見ているようで。金持ちの遊びと揶揄される山岳隊との確執、陸軍の名誉のために命をかけることの滑稽さ。このドラマとしての大きなふたつの軸が胸に迫ってこないんですよねえ。何とも、もったいない。ちゃぶ台ひっくり返すようだけど、この主演浅野くんで良かったんだろうか。このベタな演出にはいわゆる演技派と呼ばれている人が合っていたのではないだろうか。まあ、浅野クンの件はさっ引いてもなお、対話のシーンのベタな演出が残念なのでありました。


ロスト・ワールド

2010-03-29 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★☆ 1997年/アメリカ 監督/スティーブン・スピルバーグ

「エゴイストがイイ人に大変身」

「ジュラシック・パーク」を先日見たので、続けて続編を再観賞。

見終わって長いなあと感じる。でも実際は129分の作品。サイトBで延々と恐竜に追いかけ回されるのが、とても退屈だから長く感じるんだろうなあ。でもって、何とか助かりましたじゃ前作と同じになってしまうから、恐竜をアメリカ全土に連れてくると言う展開に。これがラストの20分。どうせ前作と変えるんだったら、アメリカ本土に連れてきてからのストーリーをもっと膨らませればいいのにと思うけど、そうすると「キング・コング」のストーリーに酷似しちゃうんでしょうねえ。

前作では、泣き叫び逃げまどう、うるさい子供が恐怖の増幅装置としての役割を担っていたのだけど、本作では一転して行動的な黒人の女の子に変わっている。白人のマルコムの娘ということは、おそらく養子なんでしょう。「黒人で養子」という設定に少々偽善的意味合いを感じたりしちゃう私はひねくれ者なんでしょうかねえ。自分の都合で勝手に恐竜を作ったハモンド博士も本作では、環境保護を訴える人になっちゃうし。どうも、本作は人間のエゴイズムを非難しているようで、結局アメリカ人(特に白人)ってイイ人なんです、って結論になってるのが、何だか納得できない。

前作は、神に背いて勝手に命を操作した人間が自然界から壮絶なしっぺ返しをくらう。そのプロセスが純然たるパニックムービーに仕上がっていて爽快だったのに、本作ではあちこちで白人の偽善が見え隠れして、何ともむずがゆいのだった。

恐竜たちを救わなきゃって、勝手に檻を開けたり、怪我しているT-REXの赤ちゃんを手当したり。それが、大パニックになるわけで。何だか、昨今お騒がせの「シー・シェパード」を思い出してしまった。



ルドandクルシ

2010-03-27 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★★☆ 2008年/メキシコ 監督/カルロス・キュアロン
<梅田シネ・リーブルにて観賞>

「右に蹴るか、左に蹴るか。運次第の人生でもなるようになるさ」

メキシコの片田舎のバナナ園で働くベト(ディエゴ・ルナ)とタト(ガエル・ガルシア・ベルナル)は、草サッカーに明け暮れていた。そんなある日、スカウトのバトゥータ(ギレルモ・フランチェラ)が彼らにPK対決をさせ、勝ったタトをメキシコシティに連れていくが…。

ガエルもディエゴも好きな私は、ふたりがかわいかったらいいやくらいの気持ちで見に行ったのですが、すごく面白かったです。サッカー選手を発掘してはチームと契約を行うスカウトのバトゥータが作品の語り部。ダイヤモンドの原石を見つけると言うと聞こえはいいけど、結局チームや監督に賄賂を渡しては選手を出場させ、時には八百長まがいのプレイでスターにのしあげる。こうしたメキシコのサッカー業界の裏事情にしても、ふたりが暮らすバナナ農園の仕事ぶりにしても、メキシコと言う国が抱える貧困や社会問題がちらほらと顔をのぞかせる。

人生の機微をサッカーのプレイになぞらえるナレーションや、PK戦でメキシコシティーに行く方を決めるという逸話がラストの絶妙な仕掛けにつながっているなど、脚本もすごく良かった。

何より期待通りガエルもディエゴも母国メキシコでのびのびと演技していて、ふたりがとてもキュートなんですよねえ。ようやく歌手デビューしたクルシのプロモーションビデオ。テンガロンハットをかぶってド派手なジャケットで、陽気に歌うガエルくんは見物です。

思わず声を出して笑ってしまうシーンもあれば、ペーソスたっぷりじんわりくるシーンもあり。一見陽気なコメディ映画を装いながらも、懐の深い映画に仕上がっている。これは掘り出し物でした。





ジャーマン+雨

2010-03-23 | 日本映画(さ行)
★★★★★ 2006年/日本 監督/横浜聡子

「松本人志は見ただろうか」


ゴリラーマンと名付けられた少女、よし子。ヘンな日本語をしゃべるドイツ人。よし子にまとわりつく小学生。まるでコントのごとき人物構成。周りとうまくいかずに傍若無人な言動を繰り返すよし子がおかしくて溜まらず、ふふふと笑っては、時折爆笑。こりゃあ、私のツボにドンピシャ。初期の山下敦弘作品の雰囲気に通じるものがある。

ところが、後半部。この調子でいくのかと思いきや、だんだんとよし子の孤独と不遇をとことんブラックに描ききり、俄然シュールな展開に。地獄の憂き目を笑っていいのか、と罪悪感さえ感じつつ、独特の世界に引き込まれる。そして「ジャーマン+雨」。なんつー不可解なタイトル?の意味もそうきたか、のオチ。こりゃあ、完全にやられました。

ゴリラーマンというネーミング。つまはじきの悲哀。異形人と子供の交流。そして、オフビート。これはもう、松本人志の名作「トカゲのおっさん」を思い出して仕方がないのですよ。彼が映画制作において目指す世界観って、これじゃあないのか、なんて余計なお世話なんだが。まあ、そんなことはさておき、久しぶりに個性の炸裂する邦画を観たなあという満足感でいっぱい。若い女性監督ってことの衝撃も含めて五つ星。こりゃ、「ウルトラミラクルラブストーリー」も見ないと。



アマゴ解禁

2010-03-21 | 子育て&自然の生き物
今日からアマゴが解禁ということで、
朝早くから夫と息子が釣りにいってきました。
5時頃に起きていってきたようですが、ふたりで6匹釣れたそうです。
(もちろん、私はグーグー寝てますよ、はい)
エサはイクラだって。

昨日、今日と天候が悪く、雨も降っていたし、
川の状態はイマイチだったと思いますけど、
釣果があったのは何よりです。


焼いて食べましたけど、あれれれ?
鮎よりおいしいかも!?(笑)
全然臭みがないです。
また、釣りに行ってきてくれていいよ~。



夜顔

2010-03-19 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★★★ 2006年/フランス・ポルトガル 監督/マノエル・デ・オリヴェイラ

「ポケットに飴を見つけた」

ブニュエルの名作「昼顔」の後日談として、マノエル・デ・オリヴェイラが御年99歳で撮影したと言う、まさに爺さんによる爺さんの映画であります。妻の形見を捨てストイックな生き方を選んだ「扉をたたく人」のウォルターに比べたら、このユッソン、執着もりもりの好色爺です。さすが、おフランス。

かつて秘め事を共有した女との再会。会いたくない彼女を追いかけ回す。まあ、その浮き足だった様子と言ったら!まるで、ポケットに入れたまま忘れていた飴玉を見つけた子供のよう。こんなところにあったんだ。嬉々として口に入れる。しゃぶり尽くすのがもったいないから、また包みに入れてポケットに戻す。そして、時折手を差し込んでその存在を確認する。

もし、セヴリーヌをカトリーヌ・ドヌーブが演じていたら、この作品は全く様相を変えただでしょうね。おそらく、セブリーヌのその後にイマジネーションは膨らみ、男と女の駆け引きがクローズアップされたに違いないのです。でも、本作はあくまでもこの好色爺の胸の内を想像させることに終始しているのね。

したり顔で見知らぬバーテンダーに女の秘密を暴露する。それって、反則じゃない。爺さんのいやらしさ、しつこさが厳然として存在しているわけですが、そこを小粋に見せてしまうってのがオリヴェイラ監督の職人技。バーに入り浸るふたりの娼婦の存在が効いてますね。ようやく、セブリーヌをとっつかまえて約束を取り付けるシーンなんて、一体どこから撮影しているのでしょう?ってくらいのロングショットで、無音なの。ホント、この引いては寄せる、引いては寄せるという間がすばらしいのね。

私がセブリーヌでも、ワインを頭からひっかけてやるわ、こんなジジイ。立ち去るセブリーヌを見てほくそ笑むユッソン。今日の晩餐の思い出をまた飴玉代わりに取りだしてはしゃぶるのよね。セブリーヌは、パリを去るのかしら。そして、ユッソンは死ぬまでパリでセブリーヌの亡霊を探し続けるんでしょうね。

「昼顔」を見ていた方がいいのには違いないのだけれど、案外見ていなくても楽しめると思いますよ。老いぼれジジイがバーテンダー相手に昔話をして、昔の女と飯を食ったという、それだけの話なのに、老いた男の狡さ、醜さ、哀しさが見事に映し出せるんだってことにちょっと感動。


「昼顔」のレビューはこちら



今度は愛妻家

2010-03-18 | 日本映画(か行)
★★★★ 2009年/日本 監督/行定勲
<高槻ロコシネマにて観賞>

「主演ふたりの演技を堪能する作品」

すいぶん前に見たのに感想を書くのをすっかり忘れていました。

驚きの展開が待っていると聞いていたにも関わらず、すっかり騙されました。気持ちよいくらいに。騙された!という感触の後、悲しい余韻を残したまま終わってくれたら、間違いなくこの作品の評価は上がったんですが、とにかく最後の30分が長すぎる。助手のカメラマンの恋愛話やら、オカマちゃんとのダラダラしたパーティやら。そんなの、いらなかったよなあ。

原案は舞台劇らしく、キャストも少人数。ぶっきらぼうで口も女癖も悪いカメラマンを演じる豊川悦司と、どこか間が抜けているんだけどとってもキュートな薬師丸ひろ子。この2人の演技力がとにかく光ります。私はトヨエツ目当てで行ったのですが、薬師丸ひろ子のかわいらしさに目を奪われて仕方ありませんでした。あの年であのキュートさは、ありえない!豊川悦司もぶっきらぼうな男と言う設定で、適当に流しているようなに見えて、とても丁寧に役作りしているのがよくわかりました。妻に対する態度やしゃべり方などが実に自然で、だらしないけど憎めない複雑なキャラクターを見事に自分のものにしていたと思います。何より前半部の夫婦の姿にリアリティがあればあるほど、あのどんでん返しに観客は驚かされるわけで。「これ、地でやってるんじゃないの?」と思わせるような演技だからこそ、それぞれの役者力をひしひしと感じます

一方、女優志望のモデルを演じる水川あさみとカメラマンの助手を演じる濱田岳。どうも、このふたりは違和感がありました。正直、ミスキャストではないかと。オカマちゃんを演じる石橋連司を加えて、ほぼ5名で本作は構成されているのですが、夫婦ふたりのハーモニーが完璧なのに対して、残りの3人が加入してくるアンサンブルになると、どうも不協和音が生じるのです。まあ、それだけ豊川&薬師丸夫妻が映り込んだシークエンスが完璧過ぎたってことかも知れませんね。全く違う設定で構わないので、このふたり別の作品でもぜひ共演して欲しいです。



パラノイドパーク

2010-03-17 | 外国映画(は行)
★★★★ 2007年/アメリカ 監督/ガス・ヴァン・サント

「彫像に血は通っていない」

スケートボードに夢中の16歳の少年アレックス。その日、スケートボーダーたちの憧れの公園“パラノイドパーク”へ向かった彼は、不良グループと出会い危険な遊びに誘われる。しかしその遊びの最中、思いもかけぬ事件が起きる…

主演の男の子のクローズアップが何度も出てきますがとても美しいです。まるで、ギリシャ彫刻のよう。でも、この美しさというのは、生との乖離が生みだしたものなんだろうというのを強く思います。悩み、苦しみ、悶えるという醜い姿からかけ離れているからこその美しさ。だから、彼のクローズアップが美しければ美しいほど、私は怖くなりました。

自分が犯したできごとなのに、警官に詰め寄られてもまるで他人事のよう。何が起きているのかわからない。事実を受け止められない。アレックスにとっての日常って、白昼夢みたいなものなのでしょうね。そうした、現実との乖離というのは、これぐらいの年頃にはきっと誰にも当てはまるものかも知れない。ガールフレンドともそういう関係になると煩わしくて別れると言い出すというのも、理解できるしね。むしろ、事故現場の写真を見せられた少年たちが嫌悪の表情を全く見せずに、「こりゃあスゲーや」とヘラヘラ笑ってるシーンの方がショックだった。

彼らにとって現実と言うのは、どれほど確かなものなのだろう。「君は明日死ぬんだよ」。そんな宣告を受けても、「そりゃすげーや」と笑ってやり過ごすのだろうか。そんなことを考えると、やりきれなくなる。でも、ガス・ヴァン・サントは決して絶望的には描いておらず、今、この時代を生きる少年たちの孤独を淡々と描写することで我々大人たちのなすべきことをしっかり考えさせる作品になっている。その手腕は見事だと思う。



シャーロック・ホームズ

2010-03-16 | 外国映画(さ行)
★★★★ 2009年/アメリカ 監督/ガイ・リッチー
<TOHOシネマズ二条にて観賞>

「ジュードの方がホームズ向きかな」

コナン・ドイルの愛読者である息子と観賞。私はずいぶん昔に読んだ記憶がある程度です。

個人的に昔のヨーロッパの街並みが出てくるだけでワクワクするタイプなので、1890年のロンドンという舞台設定は楽しめました。石畳の道を馬車が走ったり、猥雑な街並みなどは十分に惹きつけられるものでしたが、残念ながら港の景色やエンディングにかけての吊り橋のセットなど、うまくできていはいるものの、CGの違和感がぬぐえません。もちろん、CGなくしては全てを再現することは不可能なんだろうけど、リアルセットとのバランスが取れてないんですよね。そういう意味では「ハリー・ポッター」シリーズは、美術面でのトータルなバランス力がすばらしいんだなと再認識しました。

息子によるとホームズは空手と柔道の達人らしいのですが、本作のホームズは武闘派には変わりないのですが、どうも汚らしいのが難点(笑)。アクションバリバリに文句は付けませんが、もう少しスマートでもいいんじゃないかと思ったりして。そう考えるとジュード・ロウがホームズでも良かったんじゃないか、なんて意見もアリかなあ。ハンチングをかぶり、バーバリーのコートを着たジュードが空手の達人、とかスクリーンで見てみたいけど。

さてさて、名推理でどんな犯人をとっつかまえるのかと思ったら、黒魔術ですよ。ううむ、何だか「ダ・ヴィンチ・コード」みたいな展開。世界初の化学兵器装置って「K-20」!?はたまた、死んで復活&ガス殺戮って「20世紀少年」!?みたいな。何だかどこかで見たことのあるような話の羅列がちょっとねえ。もう少し、推理物にシフトして、犯人との丁々発止で盛り上げるような脚本の方が私は好みですね。

アバター

2010-03-15 | 外国映画(あ行)
★★★★☆ 2009年/アメリカ 監督/ジェームス・キャメロン
<TOHOシネマズ二条にて観賞>

「不覚にも泣いてしまった」


話題作ようやく観賞。映像は凄いけど、ストーリーは大したことないなんて話をあちこちで聞いていたので、期待せずに行ったのですが、結論から言うと大変楽しんでしまいました。「しまいました」という語尾になっちゃうのは、後から考えると大変気にかかる部分があるからです。それは、後で書くとして、あのごついメガネをかけて、でかいスクリーンを前に座り、次から次へとめくるめく映像美を見せつけられると、その時ばかりは興奮状態に陥ってアドレナリンが出ちゃう。抗えないんですよね。あのメガネは「時計仕掛け」のアレックスが目を閉じないようまぶたに貼り付けられた医療器具みたいなもんですよ。そう考えると少し恐ろしい。恐ろしいんだけど、もう一度見たいと言う映像体験には間違いないわけです。

そのアドレナリンが出るほどの原因は、「過剰」ということでしょうか。スクリーンを埋め尽くす情報量の多さ、ナヴィを彩る動物や植物のカラフルさ、そして人間によるとめどない破壊活動。咀嚼する間もなく、脳の中に洪水のように流れ込んでくる。最も刺激的なのは、翼竜に乗って空を飛ぶシーン。3Dになって、弾丸が目の前を飛んだり、電車が目の前でぶっ壊れたり、臨場感あふれるシーンは数多くあれど、「空を飛ぶ」ということほど、快感となるものはないのですね。つくづく実感しました。それは、おそらく人間の脳奥深くに実現不可能なこととして刻まれているからかも知れません。人間は空を飛べない。だからこそ、まるで自分が翼を持ったかのような感覚にとらわれる、あのシーンにとてつもない快感を感じて溜まりません。

聖なる木が焼き払われるシーンでは不覚にも号泣。そして、戦闘シーンにも興奮してしまいました。でもね、1日経って冷静に考えると、戦争シーンに対してあれだけ興奮した自分に自己嫌悪を起こしているのも確かなんですよね。人間側がアメリカでナヴィがネイティブ・インディアンと言う構図に限らず、これはアフリカなり、南米なりで繰り広げられてきた侵略する者とされる者の歴史、全てを反映している。その意図もわかるし、実にわかりやすいアメリカ批判であることも承知の上で、この見せ方はあまりに単純すぎないかと思うのですよ。なぜ、何でもかんでも対立関係の中でしか描けないのだってこと。資源が欲しい。だから、攻撃する。って、それは、アメリカ人の論理だろう?と穿った見方をしてしまう。共存するって、考えはないのかね?相手をとことんやっつけることでしか、解決策ってないのかね?そんな人間不信を引き起こされてしまう。「そんなツッコミどころは置いておいて、単純に映像の凄さを楽しみなさいよ。」そんな声にも何となく頷いてしまうパワーは間違いなくあります。



ジュラシック・パーク

2010-03-11 | 外国映画(さ行)
★★★★☆ 1993年/アメリカ 監督/スティーブン・スピルバーグ

「立派なパニックムービー」

子供と久しぶりの再観賞。

最初に見た時は恐竜のCGに驚き、さすがハリウッド大作だなあと、技術と作品のスケール感に感心したのだけど、こうして見直してみると、立派なパニック・ホラーなんだなってことがわかって、ちょっと見直しました。

最初の犠牲者であるドナルドが頭からスッポリと食いちぎられ、振り回されて胴体が転げ落ちるところなんて、小さい子にはきっと強烈。実際、私の知り合いでも、このシリーズは怖くて子供たちが途中で消してしまう、と言った声も聞かれるんですよね。

面白いと思ったのは子供の描き方。ハモンドの孫である姉弟は、終始足手まといでうるさい。正直見ていてウザくなるほど。特にお姉ちゃんを演じるアリアナ・リチャーズの叫び声が大変不快。恐竜に逃げられている恐怖にこの不快がプラスされて、胸の奥がじりじりと焦げるような嫌な感覚がまとわりつきます。こうした子供の描き方を見ると、本作は子供向けとして作られたんじゃないんだなという認識を新たにします。あくまでも恐怖の増幅の一装置として子供の存在があるんですよね。

そして、何といってもローラ・ダーンでしょう。最後まで一番見終わって、何が頭に残ってるかって、恐竜のシークエンスじゃなくて、ローラ・ダーンの逃げる姿ですもん。あの大股で走る姿の豪快なこと!恐竜よりインパクトあります。「2」はマルコムが主人公で「3」は再びグラント博士が主人公になりましたが、私はぜひともローラ・ダーン演じるエリーを主人公にして欲しかったですねえ。

フロスト×ニクソン

2010-03-10 | 外国映画(は行)
★★★☆ 2008年/アメリカ 監督/ロン・ハワード
「ニクソンの心の内側」

アメリカの政治には詳しくないけど、十分楽しめました。

ウォーターゲート事件で失脚したニクソンは、政界への復帰を狙っている。そんな中イギリス人司会者デビッド・フロストからインタビューを申し込まれる。ニクソンは、組みやすし相手として、インタビューを受託するのだが…。

インタビュー初日、相手を煙に巻くニクソン。その戦法の巧さと言ったら。まあ、アメリカの政治家だったら、これくらいお手の物でしょうかねえ。何せ「ディベート」大好きなお国柄ですからね。4日間に亘って行われるインタビューでフロストとニクソンの丁々発止があるかと思ったんですけど、意外とそうでもありません。ああ言えばこう言うの激しいやりとりの中でついにニクソンが屈服する、そんな物語を期待していると少し肩透かしでしょう。むしろ、このやり取りの中で現れるのは、ニクソンの心の奥に隠されているもの、人間性。

アメリカの大統領までのぼり詰めるんですから、ある程度の腹黒さは理解できます(笑)。そして、お金に対する執着。やはり、ひと際クローズアップされるのは、自分の出自と容姿に対する劣等感です。大統領にもなった人間が、すでに60歳を過ぎた男が、未だにそんなちまちましたコンプレックスを持っているんだなあ。フロストが履いていたグッチのビットモカシンに興味を示し、部下の前では「女性的」と蔑むのが印象的です。ああした小粋な靴を履きこなせないことの劣等感でしょう。

このようにインタビューのやり取りそのものではなく、ニクソンという老獪な政治家の心の奥がちらちらと見え隠れすることが、本作の面白さ。ニクソンを演じたフランク・ランジェラの演技あってこそかなと思います。

さて、随所に関係者の証言が挿入されるのですが、これが本人ではなく、俳優陣。当たり前ですが。でも、こうしたドキュメンタリー「風」の演出って、あまり好きではないんですよね。せっかく作品に入り込んでいるのに、現実世界に引き戻されちゃう感じがして。あの証言シーンがない方が私は好きです。





コネクテッド

2010-03-09 | 外国映画(か行)
★★★★ 2008年/香港・中国 監督/ベニー・チャン

「ダイ・ハードのリメイク?」


アメリカ映画「セルラー」のリメイク。オリジナルは未見。

ロボット設計士のグレイスは、ある日突然何者かに拉致される。恐怖の中、電話回線を復旧した彼女だったが、その電話を偶然取ったのは普通のサラリーマン・アポン。娘が誘拐されるから、どうか小学校へ行って欲しい。死にものぐるいの訴えに、やむなく動き出すアポン。

巻き込まれ型アクション・サスペンスなんですが、いやはや普通のサラリーマンのわりには、カーチェイスも、アクションもすごいのなんの。どちらかというと「セルラー」ではなく「ダイ・ハード」のリメイク?ってくらい、主人公が死なない(笑)。そんなアホな!って展開ですけれども、勢いがすごいのでぐいぐい引っ張られますね。随所に挿入されるコミカルさな場面や、アクションシーンでちらっと見られるカンフー的なエッセンス。リメイクですけど、香港映画らしさを見せているのもとてもいいです。悪いヤツが警察ってのは、オリジナルと同じでしょうか。悪役の設定がありきたりなのが不満でしたが、エンタメとして素直に2時間楽しめる作品だと思います。

扉をたたく人

2010-03-08 | 外国映画(た行)
★★★★ 2007年/アメリカ 監督/トム・マッカーシー

「出会いでこそ人は変わる」

魂の震える感動作、というわけではない。率直に言って「地味な作品」とすら感じられた。しかし、後から後から様々な感情が浮かんでは消えていくのは、どういうわけだろう。本作の堪能度は、今この瞬間自分自身「老い」をどう捉えているかによるところが大きいだろう。なぜなら、老教授ウォルターとジャンベ奏者タレクの出会いはほんの数日でしかなく、ウォルターの行動を「なぜそこまでして」と感じる人も多いかも知れないからだ。

妻を亡くし、仕事への意欲も失い、人生への愛着を失ったウォルターの心にできたぽっかりとした穴。その空虚さを埋めてくれたのがジャンベのリズムだった。そして、ウォルターは妻の大切な形見であるピアノを他人に譲ってしまう。メロディは人を感傷的にさせる。しかし、ビートはどうだろう?アフリカのビートは、原始の叫び。メロディを捨て、ビートを選んだ。そのウォルターの心情が私には痛いほどわかる。

何もできない自分とアメリカという国に絶望したウォルター。しかし、その無力感の向こうに生きる意味を見いだせるとしたら、それこそがタレクが残してくれたジャンベの力なんだろうと思う。タレクを演じたハーズ・スレイマンの清々しい笑顔も実に印象的な作品。

ハッピー・フライト

2010-03-07 | 日本映画(は行)
★★★ 2008年/日本 監督/矢口史靖

「当確線上の映画作り」

矢口監督って、いい意味でも悪い意味でも「ウォーターボーイズ」の成功でいろんなものをしょわされているような気がしてならない。軽いテンポで楽しい作品が作れるという周りの期待だとか、群像劇風に面白いものが作れて当然という認識だとか。でも、本作を見ての正直な感想は(大成功だったと言われている)「スウィングガールズ」とほぼ同じ。個々の人物の掘り下げが甘くて、波乱が起きるわりにはエンディングにかけてのカタルシスが乏しい。

映画館を出て「つまらない」という感想になる類の作品ではないと思う。エンタメとして、何とか及第点がつく(例えば、ぴあの出口調査とかさ)ラインを維持するための映画作り。そんな風に思えてしまうのは私だけだろうか。その印象を持ってしまうのは、脚本の練りが今ひとつ、ふたつということ。

飛行機が落ちるかも知れないという事柄のハラハラ感はさておき、パイロット、キャビンアテンダント、グランドホステス、管制塔員など、飛行機を取りまく人物達の悲喜こもごもは、その役職の中で完結している。彼らが交錯することで意外な展開が生まれるわけではない。飛行場にはいろんな人が勤めていて、それぞれが任務を果たすことで飛行機は無事に飛んでいるんですよ、はいおしまい。その無難な展開が何とも物足りないのだった。