夜空に輝く「たぬきりん座」。

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名誉学長講演

2007年11月17日 14時44分38秒 | 全人ワーク
今、あたしは自分とこの大学の卒業企画実行委員をやってます。

そのなかで、「将来につながる仲間づくりのきっかけとなる」「県大で過ごした4年間を振り返り、これからの自分を考えるきっかけとなる」ことを目的とした企画をつくる交流会係というセクションでお仕事をさせていただいてます。

先日、交流会係企画の第一弾、『名誉学長特別講演』を無事終えることができました。



名誉学長の講演をきいて感じたことは。。。

◎出逢いのたいせつさ
◎感性のたいせつさ
◎自分自身が相手をキラキラさせるための起爆剤=キラ星になる☆


このことは、学外の活動(おもに全人w)で何となーく感じてきたことで、今年のサマーのあいさつ文にも少し書かせてもらったけど。

何となくしか言葉にできてなかったことを明確化させて、ひとつにつなげてもらった感じがした。



この講演を終えてみて初めて、交流会班、めで隊メンバー、それから出席してくれた人たちとの出逢いに気付いた。

最近課題山積みで、全然人に優しくなれなくて、交流会が思いっきり仕事化してた。

そんなあたしが運営者の一人になってる講演会だったのに、出席してくれた人たちはめちゃめちゃ良い反応を名誉学長に返してくれたし、周りの人たちがいっぱい心配して、いっぱいサポートしてくれてた。

そのありがたさに気付けない、感謝の気持ちを全然もってなかった自分何なの?ってすごい凹んだ。


だけど、名誉学長のお話とそんな出逢いのおかげで、昨日あたしは「この大学入って本当良かった。」って、初めて思うことができた。

それまで、あたしは外の世界にばかり目が向いていて、自分とこの大学の良いところなんて見ようともしていなかったから。


そう思えたのはきっと、名誉学長や、委員のメンバー、出席してくれたみんなとの出逢いのおかげ。


これからも。
人との出逢いを大切に。
自分の、相手の感性をたいせつに。

決意表明。

2007年03月20日 13時08分36秒 | 全人ワーク
3月16日~18日に京都のホテル然林房で開催された、『全人的医療を考える会』の春ワークに行ってきました。
すごくすごく、考えさせられることがいっぱいで、たくさんたくさんモヤモヤした3日間でした。

てかそれはきっと私がここんとこずっとモヤモヤしてたせいでもあるんだけど。

正直私は「コレから先どう全人に関わっていくか。むしろ関わらないという選択肢もとり得る」と最近考えていて、自分のスタンスを見極めるために、今回の春ワークに参加しました。

今回の私は、久しぶりに参加者の視点でワークを見ていたように思います。
それは意識的にそうした部分もあるけど、大部分は無意識的に。
なぜなら企画段階に関わることを自分がしなかったから。

私は元々人付き合いがものすごく苦手です。
大学に入ってからも単独行動をすることがすごく多かったし、人間関係のイザコザはすごく面倒なもので、なるべく関わりたくないとまで思っていました。

そんな私ですが、全人と出逢って、その場で出逢う多くの人の心に触れて刺激をもらって。
人から得られるものの大きさに気付いて、人ともっともっと関わりたい!って思うようになったし、ちょっとずつだけど、確実に成長してきているんじゃないかって思ってました。

だけど。
やっぱり苦手な部分はまだまだたくさんあったみたい。
なかでも顕著なのが「出来上がった輪の中に入っていくのが苦手」という部分。
今回のワーク、ひいてはその前の関東ワークでも、このマイナス面がすごく大きく働いてしまったように思うのです。

今回はそのせいで、たくさんの人に迷惑をかけてしまいました。
私は人のことを考えているようで、実は自分のモヤモヤで手一杯で、周りの人のモヤモヤに気付けなかった。
いや、むしろ気付いていながら見ないフリをしていたんだな。

そんな自分が嫌で。
でも間延びしたまま進んでいくワークにイライラが募っていたりして。
そんな状況にモヤモヤを感じながらも、モヤモヤ打破に奮闘してる子らと関わろうともしなかった。

途中でハッとさせられてそういう自分本気申し訳ないって思ったのに、結局最後までそのスタンスが抜けなかった。

最終日の朝は最高にモヤモヤしてた。

だけど最後に時間延長してそのモヤモヤなくそうってみんなで話し合いして、他の人の思い聞いたり、自分のモヤモヤぶつけたりしたことで、だいぶスッキリした気がする。

関西のスタッフと話して、「やっぱりこの人達と一緒に動いてみたい」ってすごい思ったし、スタッフ目標を考えてる時はすっごい楽しくて、それぞれの提示した目標が最後にひとつになった時は本気すごいって思った。


やっぱり私は全人が好き。
これからも関わっていきたい。

自分にはやりたいことがある。
だけどそのやりたいこと全部をやりきる自信は自分にはないし、全人をやりたい!だけでやっていいのかが正直ずっと不安だった。

だけどこの日確信したんです。
やっぱりこの全人っていう場は、今の私にとってすごく大事な場で、必要な場みたいです。
「今の私から全人をとったら、抜け殻しか残らない」って前に誰かに話した気がするけど、それを再確認できた感じ。

一年後の自分に不安がないわけじゃないけど、今できること、したいことを一所懸命考えてみてもいいのかなって思いました。

楽しいだけが全人じゃない。
むしろ「面倒くさい」っていう最近のはやり言葉のがしっくりくる感じはするんだけど、それでもやりたいなって思えるようになりました。


これまで中途半端でいっぱい迷惑かけちゃってごめんなさい(><。)
もっともっと、みんなの気持ちが考えられるように。
もっともっと、自分のやりたいことに自信がもてるように。
頑張っていきたいと思います。

12/26『ユーモアの本質~臨床に必要?~』

2006年12月29日 06時42分43秒 | 全人ワーク
ケオロシ@アガリスクのワークだよ

まずは説明文!

「ユーモアって何だろう?」
頭ではイメージできるけど、説明するのは難しい。
それがユーモアです。
ユーモアは笑いに関係するものですが、ギャグやジョークといったものではありません。
もっと知的なものです。
イギリスではユーモアは紳士の証とも言われています。
ではユーモアの本質はなんでしょう?
ユーモアに触れて、一緒に考えてみませんか?
また、ユーモアは臨床において必要かどうか考えてみませんか?
きっと何かが見つかるはずです。


ってことで、ユーモアってなんだろう?ってことを私はドレミちゃん(notドラミちゃんw)グループのくみたん、ずん、ちゃお、ぱっち=とむ、ゆりこと一緒に考えることとなりました


一番最初の質問は、「ユーモアを一言であらわすと?」
私の答えは「笑。人を笑顔にすること」という、いたって無難な考えで、他の人からは道化とか人間っぽさ、自分と相手を笑顔にする、幸せにするちょっとしたアイディアだって話がでました。

二つ目の質問は「ユーモアのイメージを絵であらわすと?」
・・・なんて難しい質問なんでしょw

基本ワタクシ絵が大の苦手なもので。

とりあえず一人じゃユーモアを感じることなんてできないよなぁ・・・思って、にっこー笑顔見せてる人のとなりにそれ見て笑ってる人々を書いてみたり。

それから、ユーモアって場面転換でもあるよなぁ・・・思って、笑顔の前に緊張でがちがちになってる人の絵を描いて、ユーモア=Ice Breaking的な絵にしてみた。

ごめん、これが私のせいいっぱい(笑)


その後、「24日から今日までの間にあっ、これってユーモアだなって感じた出来事はなんだろう?」っていう、これまた無理矢理なお題をもらって、クリスマス一人だったこと、記録提出に追われていたことを皮肉って、「クリスマス、バリバリカップルだらけなプリクラコーナーで、女4人でプリクラ撮って、これでもか!ってくらいシングルベルを強調した」ことを話してみた。

うん、なんだかみんな似たりよったりな内容で、ユーモアには自分を落とすことでネタにしたり、寂しさを笑いに転換させる効果もあるのかなっておもったょ☆


こっからが本題のワーク。「ケオロシ王国での暮らしぶり」がスタートしました。

ここはケオロシ王国。
ケオロシ国王による独裁政治が行われている国です。
この国では私たちの国とは違い、「笑顔になること、笑うこと」が禁止されています。
そんな国での人々の生活とは、いったいどのようなものでしょうか・・・


ということで、「ジュワッ」っとその国にワープした私達は、その国で暮らしてきた人々の生活を考えてみることになりました。
私たちドレミちゃんグループに課せられたお題は「商店街での人々の暮らしぶり」。
商店街での人々の姿から、この国の人々の暮らしぶりを考えてみました。

まず、商店街のイメージである「明るい、活気のある場所」っていうのはなくなるだろうねって。
笑顔のない街は、人々が他人との交流、反応を求めない活気のない街。
だとしたらそこに人々は集まってこないし、商店街は閑散とした、色でいえば灰色の街になってしまうんじゃないかな。
お店で売ってる野菜やなんかもくすんだ色で小さくておいしくなさそうだ。

色んなものをみて楽しむ、選ぶっていう喜びもなくなりそう。
必要最低限なものを、食べられればいいや、使えればいいや、って買うようになっちゃいそう。

遊びとかってどうするんだろね?
笑顔になれないと感動することもなくなりそうじゃない?
一緒にいった友達が笑わなかったら一緒に遊ぶことの意味もよくわからないし・・・

笑顔がなくなったら、他の感情も乏しくなりそう。
段々段々、人々は無表情になって、何も感じなくなっていくんじゃないかな・・・


こんな感じで、すっごいネガティブな世界が私達の頭の中には浮かびました。
こんな世界、一秒だっていたくないし、早くもとの世界に帰りたいよねーって。

笑いがなくなる=人間的でなくなる。
機械的で感情のない人間ができあがる。
人生に喜びを見出すこともなくなって、人々はただ生きる、ただ子どもを残すだけになってしまいそうだよねーって。

なぜって、人は笑いを求めて生きるものだし、笑顔は生きていくためのエネルギーでもあるからさ。


ここで発想を転換させる画期的な意見が出ました。

「・・・でもさ。犬とかって動きで喜びを表現してるよね。笑いはしないかもしれないけど、喜んでるってのは相手にちゃんと伝わるんじゃないかな?」

確かに!
これってすごい新しい考え。
うちらは笑いがない=喜びもないって考えてたけど、確かに喜びの表現方法って笑顔だけじゃないよねぇ。

スキンシップで伝える。
絵で伝える。
みつめあいとか、目で伝える。
動作であらわす。
手話をしてみる。

色んな方法があるじゃない!って話になった。
この中で手話があがった理由としては、口元を意識せずに気持ちを伝える方法だからってことがある。

言葉で気持ちを伝えようとすると、どうしても相手の視線は動いてる口元にいくじゃない?
でもその口元が無表情で笑みが見えてこないと、言葉自体が薄っぺらなものに聞こえてそこに感情が見えてこない気がしたの。

だから、手話。

手話にすることで相手の注目が口元から離れて、目の輝きに着目して感情を捉えることができるようになるんじゃないかって。

他にも同じグループになったちゃおは外見に着目して、「髪型とか洋服で気持ちを表現すれば良いじゃな~い」ってすごい良いこと言ってくれた♪
ちゃおの発想力には毎回本当驚かされてるよ


んで、うちらはこういった「何らかの方法で笑い、喜びを表現できる人」を、これまで考えてきたネガティブな〝機械的対処〟と比較して〝動物的対処〟をする人間として捉えることにしたんだ。

こう捉えると、生活のあちこちに笑いが生まれる気がしてきて、「この世界では笑顔がみられなくて、もしかしたら言葉もなくなってしまうかもしれないけど、動作であったり外見であったり、生活全体が『笑い』を表現するものとなって、これこそユーモアって言うんじゃないか!」っていう、非常にアツい学びに達してしまったのです

ワークやってて、そこで得られる気付き、自分の考えの変化に気付くことって本当に久しぶりで、やってて「超楽しい~」ってずっと思ってたw


最後にまとめとして考えた「今ワークを終えてみてのユーモアのイメージ」を考えてみることになった。
私はネガティブな状況をポジティブに変えていく、ポジティブな要素を引き込んで喜びを増やしていくための要素であって、その形は様々で、何も笑顔に限ったことではないって感じた。

他の子の意見としては、
「ユーモアって限られた人が持ってるものだと思ってたけど、本当はみんなが持っていて、その人らしさが発揮されることがユーモア」
「笑いとか喜びだけじゃなく、ネガティブなものも含め相手の素直な感情を引き出すもの」
ってのが出ました。
もーぅ、みんな何ていいこと言うのかしら

ドレミちゃんグループは本当最高でした
ワークの醍醐味をいっぱいいっぱい感じられた2時間。

23日の時点から、あんな短期間でこうもワークの内容って充実させることができるんだぁ!って、淳ちゃんはじめみんなのここ数日の頑張りに本気感動させられちゃった


こうやって参加者さんにたくさんの気付き、学び、インパクトを与えられるワーク、私もしたいなって思ったよ☆

12/26『生活再考~それぞれの自己予防を目指して~』

2006年12月29日 04時58分58秒 | 全人ワーク
KTAことzukkyのワークだよ

まずは説明文!

生活の中には、生活習慣病などの「病の原因」がたくさんある一方で、予防の可能性もたくさん詰まっています。
日々の暮らしが自分の健康に影響するということは、誰もがなんとなく理解していること。
なのになぜ、人は病に至るような生活を送ってしまうのでしょうか?
その原因を、一人ひとりの自己責任に求めてしまうのは簡単です。
けれど、生活とはみんなの力で形作られているもの。
そこで今回は、医療者と生活者が手を取り合ってより良い生活を築くために、「生活」をみんなで捉えなおしてみたいと思います。


ということで、医療の場でよく語られる「健康管理」「自己予防」について、生活の視点からみていこうよ!っていうのが今回のワークの主題です。
このワークで私はおかっこ、かおる、のぶ、ゆきち、よしと一緒になりました


まずは導入ということで、「昨日一番幸せだった瞬間はなんですか?」という質問が。
奇しくも前日25日はクリスマス。
この質問に対するグループメンバーの答えを聞いて、切なくなっちゃった人が他のグループにいたりいなかったり。
私の答えはもちろん「16:59.中途半端でありながらも最後の急性期実習の記録をレポートボックスに放り投げて、実習メンバーと円陣をした瞬間」ですけどねw

〝幸せな瞬間〟には色々あって、特別な出来事に幸せを感じる人もいれば、毎日の生活の中に幸せを見出す人もいる(ex.犬の散歩とかw)。
そんな身近な生活に焦点をあてるって案外大事な視点かも。

じゃあその「身近な生活」ってやつをもう少し具体的に思い起こしてみようじゃない。


そこから始まったワーク、「日常生活カウンセリングROOM」
グループの人間がペアになって相談者とカウンセラーに扮して「日常生活で不健康だなぁと感じるけれど、ついついやってしまう習慣や行動」について話し合ってみる・・・というワークです。

私は相談者の役となり、相談にのってくれるカウンセラーはのぶでした

まずは相談内容。

締め切りが近づくまで頑張れないっていう自分に甘い傾向がある。
ので、課題提出期限が近づくと毎回徹夜に近いことをしてしまうのです・・・
特に実習中は毎日ね。
しかも、夜の時点では気持ちが焦り過ぎてて「ご飯なんて食べてる時間ないわぁ!」ゆうてちゃぶ台ひっくり返す勢いでテンパってるから夕食抜き・風呂入らずとか当たり前。
だけど深夜遅くまでやってるとなればそりゃあ途中でお腹も空くってもんです。
「糖分補給して脳に栄養送らなきゃ」なんて妙な言い訳して、買い込んであるお菓子をバクバク。
絶対的なカロリー不足で実習終わり少し痩せてわっほーいなったとはいえ、よく考えたらめっちゃ不健康な生活送ってたんですね私。
こんな生活繰り返さないために、私はどうすれば良いのでしょう・・・



はい。
これ相談した瞬間、のぶには悠貴姉さんの相談は重過ぎて俺の手には負えません・・・諦められてしまいましたw
頑張れのぶ~(笑)


ってことで、のぶが私にしてくれたアドバイスは以下のようなものです。
◇実習が悪い!
◇ひたすら耐えるしかない・・・
◇自分の限界を知りましょう
◇知人・友人に相談


このアドバイスに対し、わかりましたの言えない天邪鬼な私は、なんとかしてのぶの提案を打ち破ろうとめいっぱいの抵抗をしましたw

まず「自分の限界を知る」に対しては、「人には限界を超えねばならない日があるのです・・・」ってことで、実習中は自分の限界知りつつもそれを超えた頑張りを見せないと先生の前に出られないんですってことをアツく語り。

「知人・友人に相談」に関しては「知人友人もいっぱいいっぱい過ぎて相談なんて出来る状態ぢゃありません!」提言して。

カウンセラーのぶ。
ノックダウンされかけw
でも彼はそこで踏ん張って、とってもとっても良いアドバイスをくれました
それは一瞬でも実習のことを忘れる時間をつくること

思えば実習中、夢の中でまで記録の内容考え続けてた私にとって、実習以外のことを考える時間は皆無でした。

この悩みの原因となった『実習』っていう大きな枠の中の原因となる因子一つ一つを細分化してみると、「記録量が多くて絶対的に時間が足りないこと」だけじゃなくて「気持ち的に追い込まれて余裕がなくなって作業が思うように進まない」ことがあることがわかったので。
その気持ちの部分にアプローチするって意味で、一瞬でも違うことを考えてみるというこのアイディアが生まれたのです。

お風呂に入った時は超リラックスしちゃうとか、電車の中は友達とのおしゃべりタイム、メールタイムにしちゃうとか。

うんうん、良い気付きじゃない
カウンセラーのぶはよく頑張りましたww


このワークのまとめとしては。
自分の中で気になっていること、不安に思っていることを他人に話して、コメントをもらうことは、自分の悩みを客観的な見方で見ることにつながる。
自分なりに気をつかってやってきた対処行動にプラスして新しい捉え方がでてくるってのはそこに新たな気付きを生じさせてくれること。

将来対象からそういった「相談」を受けることになるかもしれない私たち医療者のたまごに必要な考え方。
それは相手の状態、病理だけに意識をもっていくのではなく、その生活に着目して関わっていくこと。
病気であったり、体の不調であったり。
その背景には必ずその人の生活状況や心理的な特性が絡んでくることになる。
そのことを知って関わることってきっととっても重要なことなんじゃないかな。

そしてもうひとつ。
「予防」は医療だけじゃない。
本当は生活の中にこそ存在すべき概念。
「この疾病のリスクファクターは○○だからそこを予防していこう」と教科書的に関わっていくだけじゃなくて、「この人の生活の中でここを改善したらより健康な暮らしが送れるかも」とその方の暮らしを考えた上でやり方を考えていくことってのも大事。


それがこのワークの言わんとするところだったのかな?って私は思った。



だけど、『カウンセリング』って言葉を用いたこと、説明のなかで『提案』って言葉がつかわれたことで、少しカウンセリング技法的な考えを取り入れて作業してしまったグループがいくつかあったみたいで、その班の子らはちょっと難しかったって言ってた。

全人のワークのお約束は「知識を用いない」こと。
話し合いの中で知識をもとにした考えが述べられてしまうのはしょうがないことだけど、話の本筋がそういった技術的なものになってしまったのでは全人でワークする醍醐味が薄れてしまうから、ちょっとそこは残念だったかなぁって思った。

言葉って難しいなぁって思ったし、そういった反応予測して企画って作らなきゃいけないんだな~ってすごい勉強になった。

あ~私もワークが作りたい



全人運動会オープニング

2006年11月24日 19時55分53秒 | 全人ワーク
11月18日の全人運動会でやったオープニングの方法とか狙いとか☆


○しっぽとりゲーム
方法;
【個人】ひもをしっぽにみたてて体につけ、お互いに取り合う。
【チーム】しっぽが肩から、背中から、おしりから、ひざ裏から生えちゃって4つのチーム戦で取り合う。

狙い;体を動かしながらも緊張をほぐすICE BREAKING的要素。

→個人で戦うよりもチームで戦う、知らない人とチームを作るよりも知り合えた人とチームで戦う方がより楽しく協力してできる!って感じで次の自己紹介につなげたかったんだけど、意外とこの時点でみんな結束してて、「あ、自己紹介、必要ない・・・?」思っちゃったり(^^;)

本気みんな仲良過ぎだからさw


○空気のキャッチボール
方法;説明が難しい
えっとね、普通キャッチボールって野球ボールだったりを使ってやるじゃない?
だけどうちらのキャッチボールは野球ボールを使いません♪
じゃあどんなボールを使うかって?

もちろんココにあるボールだよ

・・・みたいな感じで軽くスベリながらも、ボールの質感、カタチ、大きさ、投げる速さってものを想像しながら投げてみようっていうバーチャルな遊びをペアで3つのお題に沿ってやってもらった後、最後に一球ずつ投げあいましょうってお知らせしてから、〝今目の前にいる相手に投げたいボール〟を1分間考えてもらってからそれぞれ入魂の一球を提示しあってもらって、グループでそのボールにこめた想いを語り合ってもらいました。

狙い;
カタチとか、早さとか想像しながら投げるといろんな投げ方があって、人それぞれ違う球を投げてくる。→人によって持ってる意見、考え方は全然違ってその表出方法も様々。
普通のボールと見えないボール→コミュニケーションの手段は言葉のようにハッキリと相手に伝わるものだけじゃなく、表情や空気感といった感じ取るもの、目に見えないカタチじゃないものもあるんじゃない?

今日の運動会を主催している〝全人的医療を考える会〟っていう団体は、人との出逢いを大切にしていて、ここに来れば自分一人では気付けなかったもの、新鮮な意見に出逢えるっていうこと。

新たな気付きをいっぱい得るためにはやっぱコミュニケーションって重要で、言葉によるコミュニケーションってもちろんめっちゃ大事だけど、そうじゃない感じ取るもの、目に見えないカタチないものである表情とか空気感っていうものも大切だと思ってるってこと。

全人はそういうものを大事にしてる団体で、今日一日運動会を通して少しでもそういうことを感じてもらえたらいいなってことで、オープニングは作られました。

参加してくれたみんなに、この想いが伝わってたら嬉しいな。