lightwoブログ

競馬のスポーツとしての魅力や、感動的な人と馬とのドラマを熱く語ります。

競馬と人生

2007-12-14 23:43:10 | 感動エピソード
廃止という最悪の方向への流れを止めることのできない地方競馬。
売り上げ不振による赤字経営を回避するために行われるコスト削減。
その骨身を削るような努力がレースの魅力を下げてしまう。

勝っても得られる賞金は雀の涙。
故に力のある馬は入ってこなくなる。
流れてくるのはもう他では通用しなくなった馬ばかり。

また安すぎる賞金はレースに出走するだけでもらえる手当てと
あまり変わらなくなってきている。
一度の勝利を得るよりも三回ただ走って惨敗する方が得してしまう。
勝つためにリスクを犯す厳しいトレーニングをしてレースで
全力を尽くすよりも、壊れない程度に調教を加減して
無難に多くのレースに出走することを優先する。

レベルの高い争いでもなければ懸命に勝利を得ようとする場でも無い。
そんな競馬を続けていれば客離れを起こすのは至極当然のことだろう。

だが、彼らとて最悪の結末へと向かうのを手を拱いている訳ではない。
強いスターホースを生み出す体力の無い競馬場は別の手段で
世間の注目を集めようとする。
負けても負けても走り続けるという馬が一世を風靡したことは
記憶に新しい。
しかし、それは本来の競馬の魅力とはかけ離れていると言わざるを得ない。

負け続けるのは勝利を最優先にしている訳ではないから。
それでも走り続けるのはそうしないと馬も人間すら生きていけないから。
そこに馬と馬とが競い合う真剣勝負がもたらす感動は無い。
だから私はその手の報道には一定の距離を置いていた。
ある馬が成し遂げた記録に対してもそうだった。

話は戦後間もなくの混乱期に遡る。
ダービー制覇という歴史的快挙を成し遂げた繁殖牝馬が
現役復帰を打診された。
仔出しが悪く産駒成績も振るわなかったという理由で
15歳の牝馬がレースを走った。
老いたとは言えそこは昔取った杵柄で何戦かして見事勝利を収めた。
だが、その後もう体がついていかなかったのか調教中に
非業の死を遂げてしまう。
その亡骸は行方知らずとなり墓も残っていない。
この馬の最期の勝利がかつてのサラブレッド最高齢勝利記録だった。
その記録をある地方の馬が更新した。

人間ですら食うに困り馬資源が極限まで欠乏していた時代。
そんな時代に作ってしまった悲しい記録。
それを塗り替えることに何の意味があるというのだろうか。

高齢になっても走らざるを得ないが故に達成した記録。
そのような馬でも勝てる馬たちを相手にした勝利。
果たして本当に価値があるのだろうかと。
どうしてもそんなことを考えてしまい素直に祝福する気になれなかった。

つい最近この馬が引退したことを聞いた。
彼はは持病である屈腱炎を再発した。
乗馬に転向するのも困難な程の重症だったという。
そして、彼は処分されるため九州の場へ送られた。

優勝劣敗の厳しい世界であり実際大半の馬たちは処分される。
しかし彼はずっと戦い続けることにより記録を作り名を馳せた。
彼の馬券を長寿のお守りにするファンも居たほどだ。
それなのに走れなくなったとたんにこの仕打ち。
あまりにも理不尽では無いだろうか。

しかし、彼に手を差し伸べる者が居た。
それはいつもパドックに応援幕を張りその姿を見つめていた女性だった。
彼女は処分寸前だったその馬を探し出し、養老牧場へと送り出す手配をした。
その馬は絶体絶命の状況からの生還を果たした。
この話を聞いたとき私は心底安堵したと同時に心の奥が震えた。



競馬は人生に似ていると言う。
人生が競馬に似ているだけだと言う人もいる。

優勝劣敗の無味乾燥した世界。
一握りの勝ち組とその他大勢の負け組み。
負け組みは最低の環境でいつまでも走らされ続ける。
驚くほど類似点が見つかる。

だったら最後まで走り続ければ。
走れなくなるまで走り続ければ。
きっと誰かが見ててくれる。

そんなこともあるだろうか。
そんなことがあるのならば。
きっと人生も悪くない。