昨日、ライブドアの元社長堀江貴文氏の初公判が行われた。午前中からテレビは、ライブドア事件の報道を特集していた。
こうした事件に際して日本のメディアはいっさい事件の本質を報じない。堀江=悪=裁きを下せ!、というような単純な世論誘導が行われている。
メディアが、誰かを「悪」と決めつけ、そして容赦なく断罪する時、そこには国民の眼から遠ざけたい真実があると思って間違いない。
堀江氏は、粉飾決算やインサイダー、マネーロンダリングなどを行った。確かにそれは事実だろう。しかし、堀江氏の逮捕理由は粉飾決算やマネーロンダリング、インサイダーとは関係がない。
粉飾決算をしていない企業が日本にいったい何社あるだろうか。粉飾決算を徹底的に取締ったら日本の企業は全滅するかもしれない。インサイダーやマネーロンダリングしかりだ。みんながしていることをライブドアもしただけにすぎない。では、なぜ堀江氏だけが逮捕されたのだろうか。
そもそも堀江氏と小泉政権とは密接に結びついていた。昨年の911の衆院選挙で、堀江氏は亀井静香氏への「刺客」として、無所属ながら小泉政権の全面的バックアップを得て広島6区から出馬した。竹中平蔵大臣も堀江氏を褒め称えた。堀江氏は、竹中大臣の唱える市場原理主義の体現者だった。竹中大臣の唱える市場原理とは、徹底した弱肉強食の経済であり、勝ち馬に群がるハイエナ経済だ。
まさに、堀江氏はサバンナで成功して勝ち馬になり、そしてハイエナに群がられて終わった。
本来なら、政界にパイプを築いた堀江氏には、検察庁は絶対に手を出さない。堀江氏は小泉政権にとって急に魅力がなくなったということだ。いったい何が起こったのだろうか。その真相と深層は、半世紀は明らかにならないだろう。しかし、ある程度のことは読むことができる。
一番のヒントは、やはり堀江貴文という人物にある。
彼は、型に嵌ることを極端に嫌っていた。
守旧的な既成秩序を嫌悪していたと言っていいだろう。
ライブドアがプロ野球に参入しようとしたとき、超保守的団体である日本プロ野球協会に、堀江氏の「型破り」が嫌われ、参入を許されなかった。長髪、Tシャツ姿で通す堀江氏を、プロ野球協会の重鎮は「どこの馬の骨かわからんような奴」という表現を使った。守旧派の間に存在する、あうんの呼吸を重んじないアウトローという意味だ。
しかし、堀江氏のそうした型破りは、日本の政財界を牛耳る長老たちにとっては、それほど本質的な問題でもなかった。彼らにとって重要なのは、政官財へ恒久的に資金を供給させることだ。カネがすべてであり、スタイルなどどうでもよいのだ。
日本の政官財は成功者にカネを要求する。それは、選挙資金などの直接的なゲンナマである場合もあるし、インサイダーなどの情報である場合もある。要はカネにつながるものすべてだ。これにはおそらく見返りはない。一方通行であり、出て行くだけのカネだ。
泥棒が泥棒にたかるシステムだ。そういう意味では、堀江氏のような存在は泥棒界の末端にすぎないと言える。誰かが危険を犯して盗んできた物のウワマエをはねる方が楽でリスクもない。泥棒を続けたければウワマエをよこせ、ということだ。要するに泥棒同士の掟なのだ。
しかし、堀江氏はそれを拒否したのだろう。もう、そんな時代ではないと、彼は言いたかったのかもしれない。
自分の頭脳一本で巨額のカネを生んだ堀江氏は、アタマもなく、努力もせず、単に地位を世襲しただけで、人のカネにたかろうとする連中に我慢ができなかったのだろう。そんな連中にくれてやるカネは彼にはなかった。つまり、掟破りだ。
しかしそれは、自分は人にたかっておきながら、自分がたかられるのはごめんだ、と言っているようなものだ。それが通用するほど甘い世界ではない。
堀江氏は、彼にたかろうとしていた連中は、代々「権力」を世襲して来たということを理解しなかったのだろうか。権力を乱用するのに、アタマも才能も努力も必要ないのだ。掟を破った者を葬り去ることなどいともたやすい。
政官財のたかり屋は、堀江氏を葬り去る前に、ライブドアを利用してかなりの荒稼ぎをしたようだ。そして、損をしたのは当然、一般投資家だ。総額6000億とも言われる。
実際の真相はもう少し違ったものかもしれない。
しかし、はっきり言えるのは、堀江氏は悪いことをしたから捕まったのではないということだ。確かに法律に触れることをした。しかし、みんな同じことをしているのだ。日本のシステムでは法律違反をしただけでは誰も捕まらないのだ。堀江氏は、泥棒世界のルールを無視し、秩序を乱すという大罪を犯したために処分されたのだ。これを、泥棒同士の勝手な争いと笑うわけにはいかない。
重要なのは、われわれ国民はこの泥棒たちによって、常にたかられ続けているということだ。
株式投資をしている人だけが、たかられているのではない。
税金が上昇し、福祉予算が削減され、金利は約5年間もゼロだった。
今後も、さまざまな形で国民の負担は増していく。
そして浮いたカネはどこへ消えていくのか。
メディアは、知っていても決して報じない。
悪は討て!と、お決まりの勧善懲悪の旗を振り回して国民の眼を反らしている。
メディアもまた、たかりの一端を構成しているからだ。
こうした事件に際して日本のメディアはいっさい事件の本質を報じない。堀江=悪=裁きを下せ!、というような単純な世論誘導が行われている。
メディアが、誰かを「悪」と決めつけ、そして容赦なく断罪する時、そこには国民の眼から遠ざけたい真実があると思って間違いない。
堀江氏は、粉飾決算やインサイダー、マネーロンダリングなどを行った。確かにそれは事実だろう。しかし、堀江氏の逮捕理由は粉飾決算やマネーロンダリング、インサイダーとは関係がない。
粉飾決算をしていない企業が日本にいったい何社あるだろうか。粉飾決算を徹底的に取締ったら日本の企業は全滅するかもしれない。インサイダーやマネーロンダリングしかりだ。みんながしていることをライブドアもしただけにすぎない。では、なぜ堀江氏だけが逮捕されたのだろうか。
そもそも堀江氏と小泉政権とは密接に結びついていた。昨年の911の衆院選挙で、堀江氏は亀井静香氏への「刺客」として、無所属ながら小泉政権の全面的バックアップを得て広島6区から出馬した。竹中平蔵大臣も堀江氏を褒め称えた。堀江氏は、竹中大臣の唱える市場原理主義の体現者だった。竹中大臣の唱える市場原理とは、徹底した弱肉強食の経済であり、勝ち馬に群がるハイエナ経済だ。
まさに、堀江氏はサバンナで成功して勝ち馬になり、そしてハイエナに群がられて終わった。
本来なら、政界にパイプを築いた堀江氏には、検察庁は絶対に手を出さない。堀江氏は小泉政権にとって急に魅力がなくなったということだ。いったい何が起こったのだろうか。その真相と深層は、半世紀は明らかにならないだろう。しかし、ある程度のことは読むことができる。
一番のヒントは、やはり堀江貴文という人物にある。
彼は、型に嵌ることを極端に嫌っていた。
守旧的な既成秩序を嫌悪していたと言っていいだろう。
ライブドアがプロ野球に参入しようとしたとき、超保守的団体である日本プロ野球協会に、堀江氏の「型破り」が嫌われ、参入を許されなかった。長髪、Tシャツ姿で通す堀江氏を、プロ野球協会の重鎮は「どこの馬の骨かわからんような奴」という表現を使った。守旧派の間に存在する、あうんの呼吸を重んじないアウトローという意味だ。
しかし、堀江氏のそうした型破りは、日本の政財界を牛耳る長老たちにとっては、それほど本質的な問題でもなかった。彼らにとって重要なのは、政官財へ恒久的に資金を供給させることだ。カネがすべてであり、スタイルなどどうでもよいのだ。
日本の政官財は成功者にカネを要求する。それは、選挙資金などの直接的なゲンナマである場合もあるし、インサイダーなどの情報である場合もある。要はカネにつながるものすべてだ。これにはおそらく見返りはない。一方通行であり、出て行くだけのカネだ。
泥棒が泥棒にたかるシステムだ。そういう意味では、堀江氏のような存在は泥棒界の末端にすぎないと言える。誰かが危険を犯して盗んできた物のウワマエをはねる方が楽でリスクもない。泥棒を続けたければウワマエをよこせ、ということだ。要するに泥棒同士の掟なのだ。
しかし、堀江氏はそれを拒否したのだろう。もう、そんな時代ではないと、彼は言いたかったのかもしれない。
自分の頭脳一本で巨額のカネを生んだ堀江氏は、アタマもなく、努力もせず、単に地位を世襲しただけで、人のカネにたかろうとする連中に我慢ができなかったのだろう。そんな連中にくれてやるカネは彼にはなかった。つまり、掟破りだ。
しかしそれは、自分は人にたかっておきながら、自分がたかられるのはごめんだ、と言っているようなものだ。それが通用するほど甘い世界ではない。
堀江氏は、彼にたかろうとしていた連中は、代々「権力」を世襲して来たということを理解しなかったのだろうか。権力を乱用するのに、アタマも才能も努力も必要ないのだ。掟を破った者を葬り去ることなどいともたやすい。
政官財のたかり屋は、堀江氏を葬り去る前に、ライブドアを利用してかなりの荒稼ぎをしたようだ。そして、損をしたのは当然、一般投資家だ。総額6000億とも言われる。
実際の真相はもう少し違ったものかもしれない。
しかし、はっきり言えるのは、堀江氏は悪いことをしたから捕まったのではないということだ。確かに法律に触れることをした。しかし、みんな同じことをしているのだ。日本のシステムでは法律違反をしただけでは誰も捕まらないのだ。堀江氏は、泥棒世界のルールを無視し、秩序を乱すという大罪を犯したために処分されたのだ。これを、泥棒同士の勝手な争いと笑うわけにはいかない。
重要なのは、われわれ国民はこの泥棒たちによって、常にたかられ続けているということだ。
株式投資をしている人だけが、たかられているのではない。
税金が上昇し、福祉予算が削減され、金利は約5年間もゼロだった。
今後も、さまざまな形で国民の負担は増していく。
そして浮いたカネはどこへ消えていくのか。
メディアは、知っていても決して報じない。
悪は討て!と、お決まりの勧善懲悪の旗を振り回して国民の眼を反らしている。
メディアもまた、たかりの一端を構成しているからだ。
これもそうなのかな。
スウェーデンの原発でメルトダウン寸前の事故が発生したのに全然報道しない。これを報じると広告料をたくさん貰っている電力会社の株価が下がるから配慮しているのかな。
同様の理由でトヨタのリコール隠しは、三菱自動車の時とは比べ物にならないくらい報じませんでしたね。
10数年後、いまの子供達が成人する頃、日本の財政は破綻しているかもしれないです。その可能性はかなり高いと思います。国家は破産できないので、破綻した財政を立て直すために、国民は想像を絶する負担を強いられます。
破綻しないまでも、破綻寸前になれば国民負担は同じように重くなります。その負担を強いられるのが、次ぎの世代です。
いま、誰もが予想している日本のこれからの姿は、ごく一部の富裕層と大多数の貧困層という図式です。中産階級は存在しなくなります。富裕層になる階層は、すでに決まっています。それは現在の富裕層です。
「構造改革」とはつまりそういう構造を作ることです。低経済成長時代に、富裕層に資本を集中するための構造です。貧困層は低賃金で高度な労働力を提供させられます。
いま、お子さんをお持ちの母親の方々にとっては、本当にゆゆしき近未来です。
しかし、まるで何事もないかのように時代は進んでいます。