ジョージィのおとなりさんたち

【個人史】「人生って、とっても楽しいもの」
そんな風に感じている今日この頃。Blogでメモっておきたい。

日記: 死ぬことの「意義」(15) - IPS工学と『死』の幸福論

2010年09月24日 23時18分15秒 | Weblog
[個人史]: 日記 特質 気質 性質 特異:体質 思想 信条
日米崩壊 Sequence( 8th Stage )準備中 - ヒト/サル属分離 大陸再構築 Sequence 実行 「 安全装置 不全 」

私の ”脳周辺の痛みを伴う視覚不良” も着実に進行しているから 『こんどこそ ”人生も終わり” か?』 とついつい錯覚してしまう。
だが 私はエサなのである。 最後に ガッツリと食い付かれるまで死ぬに死なない。
それにしても、 見えない(見え難い)というのは 脳疲労が大きすぎて 死ぬ思いだ。

<軽口 年寄り>
老衰等で肉体が衰えてもなお生きながらえるのは 拷問を受けているに等しい。
肉体と霊が 離れる時期は 生易しい苦痛ではない。
いっそ死んでラクになりたいと願うのは本音であろう。

健気盛んな年代は 年寄りたちが「死」を口にするたび 「気弱(ネガティブ)だ!」 と腹が立つ。
だが、 写真家のアラーキー氏も ガンが見つかって以降 「死」の言葉を多用するようになったと同様、 実際には周囲に対する 準備宣言 でしか無い。
ワクワクしながら 親しい者たちに予告しているのだ。

精神的に追いつめられて 「自ら生命を絶ちたい」 と願うのは 鬱(うつ)。
地獄の恐怖にも勝る。

しかし、
授かったいのちを全うするゴールとして肉体が衰え 死(お迎え)を待つのは 明日(天国)への希望。
天寿全うの「死」はご褒美にしか感じない。

障害者が 「障害を持つ故に不幸だ」 とは考えないように、 人生を一所懸命生きて来た者にとって 「死」 は不幸ではない。 <災害予告>

 (続)

関連記事
'10.10/27 日記: 死ぬことの「意義」(16)- 人生の目的
'10.08/25 「人生における役割」その雑感(15)- 生き餌
'10.07/29 日記: 死ぬことの「意義」(12)- 夢体験(1)
'08.11/27 日記: 死ぬことの「意義」(1)- 「死の恐れ」


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。