一つ前の記事の続き
ある幼稚園+小学校を訪問した時の写真
生徒達が書いた絵です。明るい色彩に嬉しくなりました
ここは日本のある団体から援助を受けていて、日本人ボランティアも先生として入っており
校長先生を始め、先生方の教育に対する意識がとても強い学校でした
小学生向き「平和教育」の教科書
*表紙の絵は子供達がブロックで新しい国づくりをしている
という「復興」を表しています
市民教育という教科があり、平和やモラル等を学びます。
この国は1994年に国内の民族間で紛争があり80万人という命が失われました。
二度とこの悲劇を繰り返さない為、学校教育の中に「平和の大切さ」を学ぶ授業があります
ホームステイ先の家の門の前
のどかです
ある町の中で…
いくつ頭の上に乗せてるの
市場で煮干発見
私はたった10日間しか滞在できなかったので、どれ程多くの事を実際に見てこられたかは分かりませんが
ここで起きた悲劇は、未だル○ンダの多くの人々の心に残っています。
でも、彼らの多くが過去の事実を受け止め、それでも前に進もうという前向きな気持ちを
インタビューで聞かせてもらうことができました。
自分の子宮にできた癌により失った物の大きさということは、やはりずっと私の心の中で残っているのも事実で、
その悲しみというのは、どこか忘れる事のできないものであると今でも思っています。
でも、だからと言って前に進まないでいることは、現実的にできないと思うのです。
悲しいです、辛いです、苦しいです… という思いが人よりも少ないとも思えません。
でも、しがみついているだけではダメなんだ、そう思うんです。
戦争でどれだけ悲惨な現実を見てきた、もしくは体験してしまったかも知れない人が多くいるこの国で、
それでも子供達が将来、二度と残虐な出来事を繰り返さない様に、過去の自分達から学んでもらう様に、
良い国を作ろうと頑張っている人達と接し、その論文を書き終えた時、
これまで失っていた自分自身に対する自信を少し取り戻せた気がしました
色んな意味で大変な留学でしたが、そして頑張った割りにあまり成績が良くない修士論文でしたが、
何を学んできたかと振り返ると、この論文を通して学んだ事が私の中で一番、記憶に残っています。
(それしか印象にないくらい…英語の授業が分からなかった、とも言う)
大した成績ではありませんが、出来上がった修士論文(製本しました、いや、しなければならなかったのです)は、
今、私の宝物です