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『巨人ゴーレム』ゴーレムは電気羊の夢を見るか?

2011年03月24日 | ドラマ
【ロボットの反乱】



最近、ちょっと、ロボットの物語と巨大コンピュータの物語をチェックし直したりしていて、その一環で『巨人ゴーレム』(1920年公開)を観たりしていました。超古典の“ロボットもの”……これをロボットものと言うとちょっと違いますかね(汗)原則的には“オカルトもの”とでも言うべきかもしれないんですが。
しかし、この作品が、後の映画『フランケンシュタイン』(1931年公開)にも多大な影響を与え(テストショットの段階ではモンスターの扮装はゴーレムそっくりだったとか…)、その『フランケンシュタイン』の持つ「自らの科学で創造した人造人間」というモチーフと、その創造物の暴走という波乱を踏襲して、ロボットの反乱系が芽吹いていった事を思えば、“ロボットもの”という位置づけで観るのも一興という気がします。

物語は…実はちょっと分かりづらかったんですが…(汗)ユダヤの司祭レーフが、皇帝からユダヤ人の退去を命じられ、その決定を覆すために奇妙で役に立つ魔術としてゴーレムを造ります。そしてひと騒動あって、その命令を撤回させるんですが、その後、ゴーレムは段々言うことを聞かなくなって最後には暴走して城から飛び出ていってしまう…という感じの話かな。元々、ゴーレムって造ったはいいが、最後には制御ができなくなる魔術みたいですね。

…で、今、ロボットにひっかけてゴーレムを語ろうとしているのですが、ゴーレムの、ところどころの動きはかなりロボットっぽくもあるのですが、ところどころの動きは妙に素早かったりして、あんまりロボットっぽくありません(´・ω・`)
というか、このゴーレムは、かなり表情豊かで(↑)怒りの形相なんかかなり凄まじく(ゴーレムの怒りの表情は大映の『大魔神』が影響受けたらしいですね)、造形に関しては正直な所、“泥で出来た生き物”と観たほうがしっくりくる気もします。しかし、その“暴走”の在り方は、やはり『ロボットの反乱』の元型になっていると思われます。おそらくは宗教的な理由から、人型を造る事への忌避感からどうしても暴走に到ってしまうプロットが生み出されるのでしょう。



…というか、観ていてつくづく思ったのですが、映画『フランケンシュタイン』は『巨人ゴーレム』の科学的リメイクという感が強いです。感というか…ほぼ間違いなく『巨人ゴーレム』を模している。レーフ司祭とゴーレム、フランケンシュタイン博士とモンスター、の最初の接し方~とりあえず歩かせてみる~の様子はかなり近いですし、終盤に少女と接する画は、もう、完全に重なっているw(結果が違うけど…)ゴーレムと、フランケンシュタインがなんとな~~く、制御不能で暴走して行く様も同じです。

これメアリー・シェリーの原作の『フランケンシュタイン』(1818年出版)とは大分違うようです。
誕生した怪物は、優れた体力と人間の心、そして、知性を持ち合わせていたが筆舌に尽くしがたいほど容貌が醜かった。そのあまりのおぞましさにフランケンシュタインは絶望し、怪物を残したまま故郷のスイスへと逃亡する。しかし、怪物は強靭な肉体を与えられたがために獣のように生き延び、野山を越えて遠く離れたフランケンシュタインの元へ辿り着いた。自分の醜さゆえ人間達からは忌み嫌われ迫害され、孤独のなか自己の存在に悩む怪物は、フランケンシュタインに対して自分の伴侶となり得る異性の怪物を一人造るように要求する。怪物はこの願いを叶えてくれれば二度と人前に現れないと約束するが、更なる怪物の増加を恐れたフランケンシュタインはこれを拒否してしまう(フランケンシュタイン・コンプレックス)。創造主たる人間に絶望した怪物は、復讐のためフランケンシュタインの友人・妻を次々と殺害。憎悪にかられるフランケンシュタインは怪物を追跡するが、北極に向かう船上で息を引き取る。そして、創造主から名も与えられなかった怪物は、怒りや嘆きとともに氷の海に消えた。
ストーリーに込められたメッセージ性などからたびたび映画化されているが、人造人間の容貌が醜いとされることから、原作でのその繊細な側面は無視され、知性の低いモンスターとして扱われる事が多く、また後世にはパロディ化されている。

(フランケンシュタイン~Wikipediaより)

原作の『フランケンシュタイン』が、超人間…少なくとも“レプリカント”な存在を示唆する先見性を示しているのに対して、映画化された『フランケンシュタイン』は、『巨人ゴーレム』と共に(宗教的ブレーキがあるとしても)技術的事故の側面が大きい。失敗、あるいは出来損ない、といった感じでしょうか。
ビジュアル的にも…“不気味の谷間”の狭間にあるというか……人間に近いのだけど、人間とは違うものの恐怖というモチーフで成り立っているような気がします。これは僕が『ロボットの反乱』、『コンピュータの反乱』として追ってる、人間に摂って代わる、あるいは神に摂って代わる事への恐怖というテーマには、まだ到っていないもの……かな?と思いました。
フランケンシュタインのモンスターもそうですが、ロボットという言葉の起源になったカレル・チャペックの戯曲『R.U.R』(1921年発表)のロボットも製造は生体部品というか、生身のものを使った存在で、最初の「人間に摂って代わる存在」に対しする恐怖は、生命の複製からはじまっているようですね。…当然か。当然だねw

これが「機械、機巧、金属の塊の存在であっても、超人類に成り得る」という発想は、アシモフの解釈を待つ事になった……と、そういう流れかもしれません。
そしてフランケンシュタインのモンスターは『巨人ゴーレム』との融合を果たすことによって、どちらかというと『悲哀の怪物』、『無垢の怪物』(そういえばゴーレムって“胎児”って意味だったな)の系譜を形成していったように思えますが(そのテーマは原作から外れたものではない)、そちらを追うのはまた別の機会ですね。
……うむ。どっちかと言うと『フランケンシュタイン』の話をした気もするけど…まあ、よし。(`・ω・´)


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1 コメント

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敵に渡すな大事なリモコン (ロヒキア)
2011-03-24 11:47:51
LDさんの見た『ゴーレム』は三作目で、一作目のリメイクに当たるようですね。

二作目はコメディだったともいわゆる競演モノだったとも聞きますが、どうだったんでしょう?スチルはあるみたいですが、フィルムは残っていないようで。

操り人形という点では同時代だと『カリガリ博士』の眠り男チェザーレがありますね。

“フランケンシュタインの怪物”でいえば、ハマープロは明らかに不具者っぽい描き方をしてるし、『フランケンシュタインの怒り』では悪の催眠術師に怪物の主導権を奪われるという遠隔ロボットっぽい事もしてますな。

ゴーレムに関しては水木しげるが描くデザインの方の映画も、部分でしか見たことないんで見てみたいなー。

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