LanguageStyle

■「日本人と英語」を考えてゆくブログ

“Today You're Mine”|日本たばこのCM

2008年01月12日 | 記事
 「あなたが気づけばマナーは変わる。」というCMで世間の目を引きつけている日本たばこ
 「携帯灰皿という、新しいマナーが、広がっています。マナーを、携帯しよう。あなたが気づけば、マナーは変わる」というナレーションが入ったCMですが、それより何より私たちの注意をひきつけるのは挿入曲です。まずはYouTubeからそのCMを見てみましょう。
 


 
 インターネットで検索をしてみるとこのCMの挿入曲はJanis Ian(ジャニス・イアン)の“Today You're Mine”であるということが分かりました。この曲は最近までは発売されていなかったようですが、2007年9月27日にVictor Entertainmentから出た「アルティメイト・ベスト」の中に収められているということです。このCDの副題は“ULTIMATE BEST ~BEST OF JANIS IAN FOR JAPAN~”となっていますから、発売は日本たばこのCMに使われたことがきっかけのようです。
 ところでCMに使われている曲を唄っているジャニス・イアンさんは公式ホームページを持っておられます。その中で何曲か無料ダウンロードできる曲もあるようですから訪れてみるのもいいでしょう。同ホームページではイアンさんの曲の歌詞も公開されていますが、そこには“Today You're Mine”の歌詞は入っていないようでした。ということでネット上で検索をかけて探した結果、“Welcome to the dawn”というブログにその歌詞が載せてあるのを見つけました。その記事は「12/16(日) Today You're Mine」です。CMで使われている箇所とは違うのか、少し異なりますが紹介します。そこに記載されている歌詞は次の通りです。

No,you're not the first
Yes,I've had a past
Completely unrehearsed
A small supporting cast
But suddenly I thirst,
Afraid to drink too first,
And though I'm not your first,
I intend to be the last

Suddenly there's something more
Then memories and time
Thought I never know the way before
Today,you're mine


 歌を使った英語学習の方法は松澤喜好さんの『英語耳』(アスキー、2004)や『英語耳ドリルー』(アスキー、2005)などに詳しいのですが、その方法を簡単にまとめたものは「松澤喜好氏の英語・発音・語彙/英語耳」に記載しています。参考になるかと思います。

 これはShawn Colvinの“Never Saw Blue Like That”という曲です。



 
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新年のご挨拶と無駄話を一つ

2008年01月01日 | 記事
 新年明けましておめでとうございます。2008年も皆様にとって良い年となるようお祈り申し上げます。私にとってはどのような一年になるのか今から、楽しみでもあり、不安でもあります。このブログの運営についてはこれまで通り続けていこうと思っています。よろしくお願い申し上げます。

 この話題は2年前の2006年の正月に書いたものですが、なかなか興味深いテーマなので一部加筆修正をして再掲したいと思います。

 新年はじめの話題として、「あけましておめでとうございます」を英語でどのように言うのか取り上げてみたいと思います。日本には年賀状を友人やお世話になった方々、付き合いのある方々に送るという習慣があり、そのときに「あけましておめでとうございます」という風に書く場合が多いと思いますが、最近ではこれを英語を使って書いてある年賀状もよく目にすると思います。そのときによく書いてあるのが次の英語です。

Happy New Year!

 しかし、よく考えてみるとYearは名詞だからその前にAがいるのではないかという疑問も出てきそうです。そのためかAをつけたものもよく見かけます。

A Happy New Year!

 郵便局が提供している年賀状を自分で作るための支援ページ「郵便年賀.jp」を見てみると「明けましておめでとう」の英語版にはいろいろな表現があることが分かります。

Happy New Year!
A Happy New Year!
Wishing You A Happy and Prosperous New Year!
I Wish You A Happy New Year

 どれを使ってもよいのでしょうから、どれが正しいというのはないのかもしれません。どれを書いてもその真意である「めでたさ」や「新年の祝い」というものは伝わりそうですからコミュニケーションという観点から見ると問題はないと思いますが、無駄なことではあってもどれが好ましい表現なのか知りたい気持ちはあると思います。
 このうずうずする気持ちを満足させてくれるだろうことが大津由紀雄氏の『英文法の疑問―恥ずかしくてずっと聞けなかったこと』に書かれています。大津先生はこの問題を調べるのに、次の8つの表現を提示して、カードに書く場合、口頭で挨拶をする場合、それぞれの場合の表現として、どう感じるかについてイギリス人の言語学者をはじめ、数人の英語を母語とする話者に尋ねたそうです。

(1)Merry Christmas!
(2)A Merry Christmas!
(3)Happy New Year!
(4)A Happy New Year!
(5)Merry Christmas and a Happy New Year!
(6)Merry christmas and Happy New Year!
(7)We wish you Merry Christmas and Happy New Year!
(8)We wish you a Merry Christmas and a Happy New Year!

その結果に関しては大津先生の本からの引用をさせてもらいます。

 回答に多少ぶれ(つまり、個人差)はありましたが、だいたいのところは、ほぼ同じ意見でした。

 (1)と(3)は話しことばとしてもカードに印刷された挨拶としてもまったく自然だそうですが、(2)と(4)にはひっかかりがあるといいます。実際、Good morning.などの挨拶表現でも、A good morning.とは言いませんね。
 これに対して、文の形をとった(7)と(8)の場合は、冠詞が使われていない(7)は不自然で、冠詞つきの(8)が自然であるようです。挨拶表現であっても、文の形をとると、通常の文法規則に従わないわけにはいかないのでしょう。
 (5)と(6)は微妙ですが、(5)のほうが自然だとする人が若干多くいました。しかし、(6)もかまわないという人もいます。(6)はMerry ChristmasとHappy New Yearのいずれも冠詞なしで釣り合いがとれています。(5)はその点で釣り合いは悪いのですが、読んだときの口調のよさが聞いているという意見もありました。
(pp.184-185より)


 もうこれ以上何も補足説明をする必要はありませんね。英語の母語話者がそういっているのだからそうなのでしょう。ここらあたりにも文法が垣間見られるところが非常に興味深いところです。感覚としての文法を見た気がします。

 さて、話は変わりますが、去年を表す漢字は「偽」でした。私自身、振り返ってみると私には「一」という漢字が最もふさわしいかと思います。私の名前にも「一」がついていますが、それはさておき、去年ははじめて学校の教壇に立つ経験をした年でした(教壇は実際にはありませんが…)。一には「はじめ」という意味もありますが、去年私は英語の教え方を一から考えました。授業の仕方を一から学びました。生徒との接し方を一から教えていただきました。大学を卒業して現場に出るようになり、なかなか刺激的な毎日を送ることができたと思います。夜寝るときは次の日の授業のことを考え、気が重くなるような日もありました(ほぼ毎日!)。授業前に緊張しない日はありませんでしたし、授業後はこれでよかったのかと自問自答をしない日はありませんでした。
 学校現場に入っては思い知らされたことはいつが誰かが言っていた「生徒にする」という言葉のリアリティーです。子供たちは中学に入ると「児童」から「生徒」になるわけですが、校門をくぐれば「生徒になる」というわけではないのです。授業中の私語はもちろん、本を読んだり、カードゲームをしたり、飲食をしたり、はたまた立ち歩いたり、教室外へ出たり、授業妨害をしたり…などなどいろいろな問題が現場にはあり英語を教える以前に立ち向かわなければならない現実を実感しました。教師は子供たちを「生徒にする」ために日々たたかっていたのです。職員室では生徒にたいする文句(よく言えば生徒のここを正したいという点)について教員同士で意見交換なされいました。
 学校を離れては、はじめて他大学(広島大学と筑波大学)に行きました。どちらも国立大学でとても広いキャンパスでした。ウォーキングコースなるものが大学構内にあったりして驚きましたし、どちらの大学でも方向音痴の私は道に迷ってしまいました。広島大学の方では特に中学カリスマ英語教師などと呼ばれるすごい先生に直接お目にかかることができたり、著書を通じて存じ上げていた先生にお目にかかることができたりして、とても楽しいときを過ごすことができました。
 また拙ホームページ&ブログも開設から2年が過ぎ、3年目に突入したのも去年でした。去年書いた記事のタイトルは以下の通りです(一部にはニュースが含まれています)。

2007/12/29 文法の傍流【1】
2007/12/21 ミセス ミス ミズ
2007/12/16 指導の私道「There is[are]の導入と指導」
2007/12/09 「指導の私道」を新設
2007/12/09 自由にならない英語
2007/12/08 英語をやる理由って?
2007/12/05 鈴木孝夫先生を見たい?!
2007/12/03 田中克彦氏、TV出演
2007/12/02 『論文捏造』 村松 秀
2007/12/01 努力できる才能が。
2007/11/30 メモ帳作成の方法
2007/11/29 多聴に挑戦!オーディオブックのご紹介
2007/11/26 自由な選択授業―「トランスレイト」の試み
2007/11/24 田尻科研シンポ参加のご報告
2007/11/23 使えない英語
2007/11/23 世界一美しい言語は?
2007/11/20 ベルギーの言語対立政治にも影響、空より高い言葉の壁
2007/11/19 オーディオブックとは
2007/11/18 ディクテーションの方法
2007/11/18 たかじんのそこまで言って委員会
2007/11/17 死ぬ気でやれ!死なないから。
2007/11/16 壊れる機械―機械はいつかは壊れるんだな。
2007/11/16 生徒指導と授業―学ぶ主体だって。
2007/11/13 豪州、移民対象のテストに批判
2007/11/11 IFの活動
2007/11/11 「努力のプリント」の公開を再開
2007/11/03 年賀状を作ろう!
2007/11/02 電話表現に糸電話
2007/10/27 スティーブ・ジョブズ氏―Macworld Keynote Address
2007/10/15 ESSENTIALS OF GRAMMAR | 文法の本質
2007/10/06 ブログ【『名演説で学ぶアメリカの歴史』 上岡 伸雄】
2007/09/30 英文の整理【マッカーサー証言を読む】
2007/09/28 ブログ【中国、大学生に英語履修を義務化へ】
2007/09/28 ブログ【渡海文科相、教職員増など予算獲得に意欲】
2009/09/23 ブログ【英語を使った政治家に】
2007/09/22 ブログ【北京、ソウルで小学生の英語学習熱高まる】
2007/09/19 ブログ【「英語必修化 教員の負担が重すぎる」】
2007/09/18 ブログ【精神鑑定をめぐる宮崎・野田論争】
2007/09/17 ブログ【「一家に1枚宇宙図を」って】
2007/09/15 ブログ【クローズ・テストについて】
2007/09/11 ブログ【前倒しではないという小学校英語】
2007/09/10 ブログ【稲刈り2007】
2007/09/09 ブログ【世界自殺予防デー】
2007/09/03 ブログ【英語村について】
2007/09/02 ブログ【英語の授業数が増える?】
2007/09/01 ブログ【「誰かに」やってもらう宿題】
2007/08/31 リーディングプリント【Billy and the Queen】
2007/08/25 【ブログ【カタカナの王様!万歳!】
2007/08/19 ブログ【リーディングプリントを公開】
2007/08/19 どっぷり【2年生用リーディング課題「Animals in Danger」を追加】
2007/08/17 ブログ【アクセスカウンターを設置】
2007/08/17 どっぷり【2年生用リーディング課題「A Magic Box」を追加】
2007/08/15 備忘録【代々木ゼミナールの英語学習支援】
2007/08/14 備忘録【英語が世界を支配?】
2007/08/10 備忘録【表現に関する基本的事項】
2007/08/01 備忘録【あだ名は英語じゃなくタイ語で タイ政府が奨励策】
2007/08/01 備忘録【エスペラント―異端の言語 [著]田中克彦】
2007/07/30 ファイル【Reading Time】
2007/07/29 ブログ【選挙の朝】
2007/07/26 ブログ【自民党「英語が使える日本人育成」】
2007/07/25 ブログ【公明党「小学校で英語教育を必修に」】
2007/07/23 備忘録【接頭辞〔お試し的な作成・公開〕】
2007/07/23 ブログ【次世代を育てる責任~田尻悟郎氏】
2007/07/21 備忘録【「英語が使える日本人」の育成のための行動計画】
2007/07/21 備忘録【語学ビジネス市場に関する調査結果 2007】
2007/07/19 ブログ【雑記〔2007.07.18〕】
2007/07/18 ブログ【義家氏(ヤンキー先生)を生で見ちゃった!】
2007/07/17 ブログ【百ますを英語に】
2007/07/16 備忘録【アルファベット 筆記体の練習】
2007/07/16 ブログ【藤原正彦、小学校英語を語る】
2007/07/15 ブログ【〔プロフェッショナル 仕事の流儀〕】
2007/07/14 ブログ【非常勤講師!2ヶ月が経過!】
2007/07/01 英語の教材作成
2007/06/30 The Beatles - Hello Goodbye
2007/06/30 言語事件簿
2007/06/30 英語学習の方法について
2007/06/30 日本人はなぜ英語を学ぶのか(資料)
2007/06/30 小学校での英語必修化問題
2007/05/26 ブログ【広島市の小学校英語に注目】
2007/04/28 藤原正彦氏「小学校英語教育反対」
2007/04/16 備忘録【印刷設定時に入力すると便利な記号(ヘッダーとフッター用)】
2007/03/31 「私の日常」を開始(読者は限定)
2007/03/16 ブログ【英語の学習方法について】
2007/03/03 備忘録【This is a pen.への弁明】
2007/02/26 ブログ【杉村太蔵氏の小学校英語論にケチをつける!(2/2)】
2007/02/26 ブログ【杉村太蔵氏の小学校英語論にケチをつける!(1/2)】
2007/02/24 備忘録【ピアジェ(J. Piaget)の認知発達段階論】
2007/02/23 備忘録【イマージョンプログラムのタイプ】
2007/02/22 ブログ【Don't mind.は新英語?】
2007/02/20 ブログ【英語の時代:日本人英語】
2007/02/19 ブログ【R-1ぐらんぷり2007】
2007/02/18 ブログ【英語熱の行方】
2007/02/16 ブログ【英語学力をどのように保障しているのか】
2007/02/15 ブログ【『国語教科書の思想』 石原千秋】
2007/02/14 ブログ【『外国語で発想するための日本語レッスン』 三森ゆりか】
2007/02/12 ブログ【米国単独ライブ大成功の「なかやまきんに君」:ボンバー!?】
2007/02/12 備忘録【Charlie Chaplinの「独裁者」】
2007/02/12 備忘録【Martin Luther King Jr - I have a dream speech - Aug 28 1963】
2007/02/11 備忘録【息抜きとしての会話】
2007/02/10 ブログ【「偶有性/ぐうゆうせい」】
2007/02/09 ブログ【英会話がしたい!】
2007/02/08 ブログ【最近見た映画】
2007/02/07 ブログ【『英語にとって授業とは何か』 寺島隆吉】
2007/02/06 ブログ【『15(フィフティーン)』 中嶋洋一, 大津由紀雄, 佐藤礼恵, 幸若晴子, 柳瀬陽介】
2007/02/05 ブログ【韓国の英語熱:海外逃亡!】
2007/02/04 ブログ【『なぜあなたは英語が話せないのか』 東後勝明】
2007/02/03 ブログ【『世界の言語を楽しく学ぶ』 井上孝夫】
2007/01/31 ブログ【『語学の脳みそ―11ヵ月で4ヵ国語をマスターした僕の語学のツボ』 矢部 太郎】
2007/01/30 ファイル【語源カード(接頭辞編)】
2007/01/29 ファイル【アメリカ英語とイギリス英語の語彙】
2007/01/28 ブログ【“Why Is English Like That?” Schmitt & Marsden】
2007/01/27 ブログ【『日本の英語教育200年』 伊村元道】
2007/01/27 ブログ【『英語を学べばバカになる グローバル思考という妄想』 薬師院仁志】
2007/01/25 ブログ【教育再生会議の第一次報告】
2007/01/23 ブログ【「英語は選択に」 グレゴリー・クラーク】
2007/01/22 ブログ【『言語を生み出す本能』 スティーブン・ピンカー】
2007/01/20 ブログ【『絶対音感』 最相葉月】
2007/01/17 ブログ【「語源を利用して効果を上げる」 竹岡広信】
2007/01/17 ブログ【『これが正しい!英語学習法』 斎藤兆史】
2007/01/17 ファイル【オーストラリアの言語事件】を公開
2007/01/12 ブログ【努力のプリント】
2007/01/07 ブログ【「英米か!」というツッコミを。】

 私がいま興味を持っているのは新年早々すこし重たい話題かもしれませんが「ミセス ミス ミズ」で触れたような男女の間にある不条理な差をなくすための運動です。私はこれに反対したい。芸人などがどう対処してよいか分からないような話題の振られ方をしたときに「無茶振りやん!」と言いますが、私には「ミズ」などという汚い音は「無茶振り」の一種だと思われるのです。
 今、私はスペースワールドの近くのホテルに泊まっていてこの記事を書いています(スペースワールドで遊ぶ計画でしたが、ジェットコースターの故障で数名が怪我をされたようなのでスペースワールドはキャンセルしました←残念)。そこでの話をチョット。私が泊まっているホテルには大浴場があり、私も入ったのですが、突然、「お風呂のおばちゃん」が入ってきました。お掃除おばちゃんではなくバケツ直しおばちゃんです。身体を洗うのに使うバケツ(桶)をイスの上にきちんと直すおばちゃんです。髪や体を洗うところが7つくらいあり、私は一番はしっこに座ったのですが、そのおばちゃんは一番奥のほうからわたしのほうに向かってバケツの位置を整えはじめたのです。お風呂ですから、もちろん私は裸。一つ一つバケツを丁寧に直し、いよいよ私の隣までやってきました。私が顔をやると、おばちゃんはニコッと笑って何もなかったかのように向かい側のほうを直しに行きました。これは男子風呂におばちゃんという組み合わせだったために許されることで、逆に、女子風呂にオッサンだったら大問題になるんだろうなと思いながら、身体を洗い、お風呂の水につかりました。私はおばちゃんに素っ裸を見られちゃったわけですが、私はこれはこれでよいのだと思うのです。男と女の扱われ方を同じにしようと言って、おばちゃんを追い出す必要性を感じないのですね。おばちゃんにジロジロと見られたら少し困ってしまいますが、常識の範囲内であれば全然OKだと思うのです。若い女性におばちゃん役をされたら私も少し恥ずかしいかもしれませんが、おばちゃんも「自分が少々見たって男の人がどうこういうことはない」と了解し、男のほうも「おばちゃんに見られるくらいなんともない」と思っている。それならそれでよいと思うのです。逆にこういう光景は私などにとっては心の豊かさを意識できるものとなっており、良き習慣であるとさえ言ってもいいくらいだと思うのですが。
 「ミセス ミス ミズ」の問題もこれと同じように考えればよいのではないでしょうか。「ミセス、ミス」をやめて「ミズ」にするという発想はおばちゃんにおじちゃんの格好をさせるようなものではないかという…ことでしょう。話は少し変わりますが、名前の問題もそうです。中国に行けば「ヤマダ」さんは「シャン ティェン」さんになるわけですが、これは中国人が山田さんを「ヤマダ」さんと呼びたくないわけではなくて、中国語はこういうものなのだと思えばよいのではないでしょうか。自分の名前をローマ字にしたとき、[名+姓]にするか[姓+名]するかという問題があり、ある人は日本語で「姓+名」で呼ぶのだからローマ字でも「姓+名」でよいというわけですが、英語という言語の構造が日本語の構造を鏡に映したようなものだとすれば、名前の問題は英語の世界への入り口だと見れなくもない。目くじらを立てて[姓+名]にこだわる必要もないわけです。
 話がまとまりませんが、この話題も含めていろいろな話題を今年も取り上げていければと思います。

I wish you a happy new year!

今年もよろしくお願いします。

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文法の傍流【1】

2007年12月29日 | 記事
文法を知っているということ…

 文法は学習者のみならず英語教師をも悩ましている問題です。英語学習の中心は文法を学ぶことに向けられなければいけませんが、学習者はその習得に悩み、教師はその指導に悩んでいます。英語学習を始めて、最初に躓《つまず》きやすいのは主語が三人称単数で現在文のとき一般動詞の語尾が変化する(sをつける)という問題でしょうか。ややこしい文法指導をいかに行うのかについて英語教師は何か生徒をひきつける面白い方法はないものかと日々情報収集につとめるわけですが、これまでの日本の英語教育が世間の批判から解放されることはなかったというのが一般論です。最近では例えば三単現のsの指導を「桃太郎伝説」のたとえ話を用いて行うというような画期的な教育実践を行うような教師も現れるようになり、テレビ等でも取り上げられたりしていますが、やはりそれらの実践はごく一部の優れた教師の「稀《まれ》」な例として認識されているのが現実です。
 ところで文法指導の際に教師が意識しなければいけないことに次のような問題があります。

  • know grammar(文法を知っていること)
  • know about grammar(文法について知っていること)

     「文法を知っている」ことと「文法について知っている」こと。前者は文法が実際に使えるという意味であり、英語ならば実際に英語が使えることを意味します。後者は文法について説明能力を持っているという意味であると捉えればよいでしょう。一般的には前者はネイティブ・スピーカー(母語話者)であればだれでもこれに当てはまりますが、後者の方はネイティブであってもきちんと勉強をしなければ自分の言語の文法について説明するのは困難です。例えば日本語を母語とする人に「ビンボウ」と「カミ」で「ビンボウミ(貧乏神)」になるのに、「ビンボウ」と「ショウ」で「ビンボウョウ」にはならず「ビンボウョウ(貧乏性)」なのはなぜか説明してくれと頼んでもきちんと説明できる人はすくないと思われます(調べてみたわけではありません)。ただそうなるということは知っていても、それを説明する言葉は持たないわけです。一方で文法について知っているということは「ビンボウガミ」と「ビンボウショウ」に含まれるルールについて「音読み」「訓読み」という読みの方の違いを使って説明することができるわけです。しかし説明できるからといって実際にそれが使えるという保障にはなりません。日本人の場合は日本語を使えるわけですから経験則としてその事実を知っていますから説明はできなくとも実際に使えるわけですが、外国人がこの事実について勉強をし、得意げに説明ができたとしても、実際の場面では「ビンボウジョウ」とやってしまう可能性もありますし、「ビンボウカミ」とやる可能性もあるわけです。
     “know grammar”と“know about grammar”を言い換えるならば、実践と理論ということもできるでしょう。野球が上手な人がいたとしても、なぜ自分が上手なのかということについては理論を知らなければ説明はできないのと同じです。
     あるいは次のように言うこともできるかもしれません。“know grammar”は帰納的であり、“know about grammar”は演繹的であると。帰納的とは個別的・特殊的な事例から一般的・普遍的な規則を見出そうとする推論方法のことであり、ネイティブたちの経験則によるものがそれです。「ホン」と「タナ」で「ホンダナ」になり、「ボス」と「サル」で「ボスザル」になる。2つの単語が結びついたとき、後のほうが濁音になるのかなと推測してこれを一般的な規則として了解するということです。一方で演繹的とは一般的・普遍的な前提からより個別的・特殊的な結論を得る推論方法のことで一般には外国語として言語を学ぶ人がこの方法を採りやすいと言われています(どこかで)。この方法は2つの単語が結びつくとき後者が濁音になるというルールを前提として了解し、それを個別の例に当てはめていくわけですから、貧乏神では成功しても貧乏性では失敗するというようなことが起こるわけです。
     帰納と演繹。日本の英語教育はこれまでのところ演繹的な方法による指導に頼ってきましたが、帰納的な方法による指導についても考える必要があるだろうと思います。言語学習はできる限り帰納的な方法を採る方がよいといわれますが、それは「使える」ようになる必要があるのか、それとも「説明できる」ようになる必要があるのかということです。「できる」→「分かる」が望ましいのか、「分かる」→「できる」が望ましいのか。私は前者だと思っています。

    文法の数

     ところで文法とは何でしょうか。文法について整理するのに、ここでは“Why Is English Like That?”という本を頼りにします。まず「文法」について次のようにあります。

    ...In fact, it is probably impossible to describe completely and accurately the full grammar of English, an this inevitably means that only certain elements are highlighted in any particular situation so that these elements can be small enough for students (and teachers!) to understand. ...
    (・・・事実、英語のすべての文法を完璧にそして正確に説明することはできないでしょう。つまりそれはいかなる状況においてもそこに提示してあるのは文法の一部の要素でしかないということだ。そしてこれらの要素だけでは学生(教師も!)が理解すべき文法にしては小さすぎるのです。・・・)


     文法をすべて説明することはできないという指摘は重要です。文法というのはネイティブ・スピーカー(母語話者)の頭の中にすべて入っているわけですが、それをすべて取り出して見せることはできないのです。
     次に本書に挙げられている文法の数について紹介しておきます。

    * Prescriptive grammar(規範文法)

    This type of grammar asserts which forms are correct and which are incorrect. It thus tells us how we ought to speak and what we ought not to say. It tends to bring value judgments into play, referring to forms from standard varieties of English as correct or "good" English and forms from non-standard varieties as incorrect or "bad" English. Many of the problematic rules of English come fromthis approach to grammar.

    * Descriptive grammar(記述文法)

    This is a more linguistically sound approach in which the rules of English are described from the way people actually use the language. modern applied linguists can analyze large language databases (corpora) of 100 million words o more and understand the way grammar features are being used in the real world, not only by speakers of standard varieties but also by speakers of non-standard varieties. This approach reports actural grammar usage but makes no value judgments about that usage.

    * Pedagogical grammar(教育文法)

    This type of gammar caters to the needs of second language learners and teachers. Although it may prescribe some general rules, it is typically mainly descriptive in nature, drawing on a wide range of insights from both formal and functional approaches, as well as other applied linguistics disciplines such as discourse analysis and pragmatics.

    * Formal grammar(形式文法)

    This is a model of grammar that focuses on the forms (rules) themselves and how they operate within the overall system. Many people have this model in mind when they think of traditional grammar.

    * Functional grammar(機能文法)

    Whereas formal grammar focuses on forms, functional grammar goes beyond this and also considers appropriate language use. it looks at the relationship between linguistic forms and their practical functions. For instance, the linguistic form How are you doing? normally functions as an informal greeting to friends rather than an actual question. This focus on both form and function is sometimes also referred to as discourse grammar.

    * Lexicogrammar(語彙文法)

    This is a model of language that recognizes that grammar and vocabulary are not really two different sysytems but one integrated whole. It attempts to explain how meaning is constructed by the interrelationship between lexis and grammar, highlighting, for instance, multi-word units such as to make a long story short that have single meaning or function (in this example, reaching a conclusion). These multi-word units are extremely common in language, but more traditional formal grammars have a difficult time explaining them.


     上の2つが一般的によく知られているものでしょうか。著者は最後に私たちが注意すべきことを書いています。

    But regardless of what kind of grammar book you use, it is important to be aware of its limitations. Many teachers look at grammars as an unerring souce of "true knowledge" about language, but this faith may be misplaced.
    (しかしあなたがどのような種類の文法書を使おうとも、その限界に気づくことは重要です。多くの教師は文法を言語について誤りなく述べた正しい知識であると捉えてしまいますが、これは間違った思い込みかもしれないのです)


    文法の傍流


     「文法の傍流」とは私の造語です。文法指導には主流と傍流があるというのが私の観察ですが、主流的になっている文法指導の方法とは一味違った傍流を考えてみることが主な狙いです。次の例は見る人によってはたいへん興味深いものでしょう。

    play baseball - a baseball playing - a baseball player
    take care - a care taking - a care taker
    make a decision - a decision making - a decision maker
    seek a job - a job seeking - a job seeker
    watch a bird - a bird watching - a bird watcher
    drive a car - a car driving - a car driver

    「野球をする」「野球をすること」「野球をする人」
    「世話をする」「世話をすること」「世話をする人」

     ひっくり返せばいいんだな――このようなことはその事実を与えてやれば気づくでしょう。関係代名詞の指導についても同じようにひっくり返すことでできます。

    Jack built the house.(ジャックが家を建てた)
    the house that Jack built(ジャックが建てた家)

    Frank lives in the house.(フランクはその家に住んでいる)
    the house that Frank lives in(フランクが住んでいる家)

    Lucy visited the house.(ルーシーはその家を訪れた)
    the house that Lucy visited(ルーシーが訪れた家)

     文法について考えたとき、“ESSENTIALS OF GRAMMAR”(Parisi & Antinucci)に挙げてある次のような事実もとても面白いものです。文頭につけられた*は非文であることを表し、?は容認と非容認が割れていることを表しています。

    1. John thinks that it would be better to leave right away.
    2. *The table thinks that it would be better to leave right away.
    3. Mary is leaving.
    4. John gave her the books.
    5. John and I washed the windows.
    6. *Mary am leaving.
    7. *John gave she the books.
    8. *John and washed I the windows.
    9. ?John and me washed the windows.
    10. Frank must have left because the windows are closed.
    11. I only ate a few pieces of candy.
    12. I only ate the candy.
    13. Frank kept Harold from leaving.
    14. Harold didn't leave.
    15. I saw Harold's children.
    16. Harold has children.
    17. Frank left.
    18. I know that Frank left.
    19. Frank has stopped smoking.
    20. Frank doesn't smoke anymore.
    21. Frank ate the apple.
    22. The apple was eaten by Frank.
    23. *The rock has stopped thinking.
    24. *The rock doesn't think anymore.
    25. *Frank sleeps the living room.
    26. *The living room is slept by Frank.
    27. Frank is sleeping.
    28. It is Frank who is sleeping.
    29. *The rock thinks.
    30. *It is the rock that thinks.


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  • ミセス ミス ミズ

    2007年12月21日 | 記事
     女性の呼称が「ミス」という美しい音から「ミズ」というミミズのような鈍い音に変わってしまったのはいつからなのでしょうか。最近の英語教科書では例えば次のような会話例が堂々と登場します。

    Are you Ms. Green?
    ―Yes, I am.


     ミズ(Ms.○○)の歴史と言うのはそれほどあるわけではありません。それはわずが30年ほど前の1975年に遡るにすぎません。
     ミセス(Mrs)は既婚婦人の姓(名)の前に付けて、ミス(Ms)は未婚の女性の姓(名)の前につける敬称ですが、最近の中学教科書ではけっこうミズ(Ms)という語を目にします。男性はミスター(Mr)で統一されているのに、女性の場合はなぜミセス(既婚)とミス(未婚)の区別をするのかということで生まれることとなったミズです。1975年、メキシコで開かれた国際婦人年世界会議において初めてミズが使われたのだそうです※1
     ミセスやミスのかわりにミズを使うことをアメリカ議会に提案したのはベラ・アブザグ下院議員です。立法化しようと言うのです。この他にも、女性に未婚・既婚の区別があるように、男性のほうにも区別を設けようという提案もあったといいます。ラッセル・ベイカーがムルム(Mrm)とスルス(Srs)というものを提案したのです。しかし考えてみれば分かるように、新しく区別を作るよりは無くす方が容易です。そのためかベイカー提案は真面目には受け取られなかったようです。ミズ提案のほうはウケが良かったのかどうか知りませんが、現在では「教科書」にまで入り込んできているという点では大成功したと言えるでしょう。いつかは映画の「ミセス・ダウト」が「ミズ・ダウト」になり、ミス・コンテストがミズ・コンテストと呼ばれるようになる日がやってくるのでしょうか。
     言語と性の関係には興味深いものがいくらでもあります。例えば、現在、NHKで「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組をやっていますが、プロフェッショナルという語については次のような具体例が挙げられます。次の2文は形式としては同じ形を取っていますが、それが表す意味には大きな違いがあるのです。

    He's a professional.
    She's a professional.


     「彼はプロフェッショナルだ」と言ったとき、この「彼」は医者や弁護士などのような何か専門職にあることを意味する一方、「彼女はプロフェッショナルだ」と言ったときには専門職は専門職であってもそれは比喩的な意味合いの強い「売春婦」という意味になるということです。なかなか興味深い言語の一面です。
     
     女性からしてみればこのような現実には不満があるところでしょうし、納得のいかないところかもしれません。しかし、このような現実を変えるための運動が行き過ぎると別の問題が出てくることになります。
     それはpolicemanには男性もいれば女性もいるのだからpolice officer[person]とするべきだというレベルに留まっている限りには問題はありませんが、stewardに対するstewardessを問題にしたり、女性は男性の付け加えではないという理由からmanにwoをくっつけた形をしているwomanを問題にするなどの事態に発展するとなかなかバカげた世の中になってしまうのではないでしょうか。womanはやめてwomonにしようなどという案が現実にあるわけですから驚きます。関係のないはずの日本語でもスチュワーデスと呼べば差別主義者のように言われる始末です。看護婦さんというのもいけないらしい。よく分からない社会になってると思うのは私だけでしょうか。
     加藤周一氏の『真面目な冗談』(1980年、平凡社)に収められている「日本語改革」を紹介しましょう。

    日本語改革

     新かな遣いなどはものの数でもない。事は「敗戦」を「終戦」、「占領軍」を「進駐軍」、「後進国」を「発展途上国」というあたりからはじまった。「支那語」はいけないから「中国語」になり、それがたちまち日常身辺に及んで「女中さん」が「お手伝いさん」になった。「女中」は本来身分の高い女にのみ使う言葉で、歌舞伎などでは一種の尊称だが、「お手伝いさん」に歌舞伎を見物する習慣がない以上、そんなことをいってみてもはじまらない。
     蔑称はすべて廃止しなければならぬ。「気ちがい」ではなくて「精神障害者」、「片輪」ではなくて「身体障害者」、「めくら」でも「盲人」でもなくて「視覚障害者」――いや、常にそう簡単にゆくとかぎらないのは、視覚障害者が必ずしも「めくら」ではなく、近視、遠視、乱視、色盲、その他多くの障害でもあり得るからだ。「めくら蛇に怯えず」は、「視覚対象の距離光度に係らざる色彩形状識別不能者蛇に怯えず」としなければならない。
     いつのころからか「女」が「女性」になった。「性」の一字を加えると、女の格がいくらかあがるだろうと、日本語の語感の鈍い「女性」または「男性」が(もしかするとCIAか)思いついたことであろう。しかしそんなことが長くつづくわけがない。思いきって、男女差別を廃するには、何としても「女」の一字を落とさなければだめだ。いっそ先祖はイザナギ・イザナミだから、「男」を「ナギ」、「女」を「ナミ」という日も、遠くないことであろう。
     さてまた大臣や政治家、昔は子分に先生などとよばれてきたけれど、今ではすべてワイロの疑いあまりにも濃く、そのうちこれも一種の蔑称になるにちがいない。本人たちがそれに気づけば、「女中さん」から「お手伝いさん」の流儀で、何とか名前を変える必要があるだろう。たとえば「内外会社献金高額消費者」。
     今や日本語改革の運動は、挙世滔々として、とどまる所を知らず、日進月歩して、人事を超え遂に動物畜類にまで及ぶにちがいない。家庭では、もはや「犬」ではなくて、「用心棒さん」、「猫」ではなくて「ねずみとりさん」になる。人はもはや「馬券」を買わず、「高速四足動物さんの番号札」をいただき、当たればもうけ、当たらなければ損をするだろう。しかしそれにしても、とって食われる「ねずみ」の方は、どういう名前でよばれるのかしら?


     womanではなくwomonを人々が使う(あるいは使うべきだと考える)日が来たとしても私はそのような動きには参加しませんし、そのような不細工な歴史(history)に関わりたくもありません。historyもいつの日にかpersontoryになってしまうのでしょうかね※2


    [追記:2007.12.26]
     『各種ガイドラインおよび高校英語教科書に見る敬称の問題』によればMsの成立の経緯は次のようなものだといいます。
     ・ビジネスの場面で使われはじめたという報告がある(1932年)。
     ・The Oxford English Dictionary, Second Editionによれば1952年が初出。
     ・Msの一般化は1960年代の米国における雇用差別問題である。
     ・Msの使用が積極的に推奨されることとなったのは1970年代に台頭した第二波フェミニズム運動がきっかけである。
     ・Msを表題に掲げた雑誌が創刊される(1972年)。
     ・国連において女性に対する正式な敬称としてMsが採用(1973年)




    ※1 こちらこちらを参照。少し前の1973年のボストン国際フェミニスト会議でミズの使用が公認という情報もあります。いずれにしてもこの頃のこと。なお、国連は1975年を「国際婦人年」とすることにしているのだそうです。
    ※2 念のために付け加えておくと、historyという語はhis storyとは全く関係のない語であるようです。「彼の物語」、つまりは「男性の物語」という意味が出発点になっている語ではないことは頭に置いておく必要があります。

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    多聴に挑戦!オーディオブックのご紹介

    2007年11月29日 | 記事
     この記事は拙記事「オーディオブックについて」と併せてご覧ください。「オーディオブックについて」ではオーディオブックの説明iPodとの連携オーディオブックを無料公開しているサイトなどの紹介しています。また、拙記事「ディクテーションの方法」ではオーディオブックを用いた書き取りの基本的な方法を整理しています。
     この記事では先ほどたまたま見つけたオーディオブックを紹介します。それは「こども式」というHPで見つけたものです。HPに入りHome > 多聴・シャドーイング > Wolf Hillの朗読を無料ダウンロード―お知らせとお願い!とお進みください。前書きとして書かれている文章をお読みになって「酒井研究室のダウンロード・ページへようこそ!」に入るとオーディオブックをダウンロードすることができます。このオーディオブックは「オックスフォード大学出版」ということでその質については保証されているといってもいいでしょう。インターネットの将来的な可能性を感じさせてくれる試みだと思います。ラッキー!ラッキー!
     みなさんもせっかくのチャンスですのでダウンロードをしてみましょう!

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    自由な選択授業―「トランスレイト」の試み

    2007年11月26日 | 記事
    自由な選択授業

     選択授業というものを受け持ってはやいことで7ヶ月が経ちます。前期後期制のため選択授業のメンバーは通年ではなく前期後期で入れ替わるのですが、一貫して言えることは「選択授業では何をすればいいの?」という疑問があるということです。講師として教えている僕は「これこれをして下さい」ということを言われることもなく、何を目標に授業をすればよいのか考えることがしばしばありました。確かに「英語の授業の復習をしてください」という声は本務の先生からいただきましたが、復習って言ってもプリント学習なのか一般的な授業スタイルの学習なのかでは違ってきます。いろいろ考えた挙句、結局「プリント学習」をさせることにしたのが前期でした。教科書に準拠した問題演習と言うところでしょうか。教科書付随のワークの拡大版と言うことになると思います。
     これはこれで僕は良かったのではないかとも思っていますが、後期は何か違うことをしたいなと思いました。具体的に何を「すべき」なのかは不明な選択授業ではありますが、良いように考えると選択授業というのは教える内容が教科書等でガチッと定まっていないという意味で「自由」ではあります。この自由さを活かして授業に臨みたいと思ったのが後期でした。
     後期の授業ではこの前はこの「トランスレイト」というプリントを使って授業をしました。このプリントについては後で説明の項を設けますが、見れば分かるとおりに単純そのものです。プリントを縦に半分に区切って、左側には英文を右側にはその日本語訳を載せてあるだけです。このプリントで何をするのかというのも非常にシンプルで、この日本語を見て英文が出てくるようにするというものです。いわゆる「英訳」に分類される活動です。日本語を見て英文が出てくるまで何度も練習をする。今回は一語でも間違えたら不合格ということにしました。ここでは従属接続詞が登場しているのですが、接続詞を文頭に置くか文中に置くかを逆にしていても不合格にしました。つまり最も単純な形(ある英文をあるまま再生する)で生徒たちにやらせました。この課題を与えて思ったのは日ごろは英語につまづいている生徒も暗記は得意だとか、覚えるべきものがはっきりと目に見えた形で示されると急にやる気を出したりする生徒が出てきたということです。
     僕は今回この活動は選択的にして、「やりたい人がやる」ということにしました。この課題がやりたくない人は無理にやらなくても良いことにしたのです。この活動をやらない人には別のプリントが用意してあります。このプリントは個人個人のレベルに合わせて進んでゆく?ようにを目標にして作ったもので、そちらをやりたい人はそっちをやる。
     選択授業は少人数で25人程度のクラスサイズですが、中にはどれも行おうとしない生徒も出てきます。いつもはそのような生徒の横に行き声かけをしながらやらせるのですが、今回は「トランスレイト」の活動に時間を取られて授業に参加しない生徒にまで手が回らなかったというのが本当のところです。この点は何か新しい方策を考えなければいけないと思っています。

    「トランスレイト」について

     「トランスレイト」という名前については別のものを考えたいですね。生徒たちには一応どういう意味かは説明しましたが面白くはないですね。また考えます。
     ということで、このプリントの説明に入ります。このプリントはすでに述べたように非常に単純です。ここ(685KB)をクリックするとプリントをご覧になることができます。PDFファイルで公開しています。今回は教科書6ページ分の内容を1ページにまとめました。全部で6箇所あります。下にも画像としてサンプルを示しておきます。ご覧になると日本語訳の右上についた四角が目に止まると思います。これは日本語から英語に「トランスレイト」できたらハンコを押してあげるスペースです。僕の場合は僕の苗字のシャシハタを押しています(面白いハンコってのはどこで売ってるのかな?)。
     このプリントは縦に半分に折って使用します。テスト前ということもあり生徒たちはよくやったと思います。



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    田尻科研シンポジウムへの参加報告と感想

    2007年11月25日 | 記事
    ※この記事は昨日書きましたので、昨日のことですが、<今日>となっています。

     今日、広島大学で行われた科研シンポジウム「田尻悟郎氏英語教育実践の解明」に行って参りました。広大の柳瀬先生のブログで知ったシンポジウムでしたが、英語教育関連に限らずシンポジウムというものに行ったことのなかった僕です。どんな感じなのかと興味もあり、不安も少し抱えていましたが、結論から言えば今日行われたシンポジウムは僕にとって非常に刺激的なものでした。広島に住んでいるということで参加するのに都合の良かった僕ですが、中には参加したくても遠方に住んでいたり、時間的・金銭的に都合が合わなかったりして今回の参加を見合した方もいらっしゃると思います。そこでこの記事では今回のシンポジウムがどのようなものであったのかを僕の頭の整理も含めて振り返ってみようと思います。ただし、以下で述べる内容は僕のメモや記憶を頼りにして復元されたものですから中には情報的に間違ったものが含まれているかもしれません。あくまでも僕が僕の視点で今回のシンポジウムをどのように捉えたのかという記述に過ぎないことを前提としてもらい、情報として間違っているものに関してはやさしく指摘していただければと思います。「やさしく」をもう一度強調しておきます(笑)。
     まずは以下に今回の講演者と進行メニューを示しておきます。

    スケジュール
    第一部
    13:00-13:10 開会の辞:シンポジウムの趣旨説明と事務連絡(柳瀬陽介:広島大学大学院)
    13:10-13:30 田尻実践における文法の扱い方を斬る!(大津由紀雄:慶應義塾大学)
    13:30-13:50 田尻実践における「コミュニケーション」(柳瀬陽介)
    13:50-14:10 田尻実践に出会った私たちはどうすればいいのか?(横溝紳一郎:佐賀大学)
    (休憩 20分)
    第二部
    14:30-14:50 英語教師田尻悟郎のライフヒストリー(横溝紳一郎)
    14:50-15:50 田尻実践を体験してみよう!(田尻悟郎:関西大学)
    (休憩 20分)
    第三部
    16:10-17:00 対談:田尻実践とは何なのか(田尻悟郎・春原憲一郎:海外技術者研修協会)
    17:00-17:20 質疑応答(田尻悟郎)
    17:20-17:30 閉会の辞(横溝・大津・春原・田尻・柳瀬)


     僕は柳瀬先生、大津先生、田尻先生のお名前は知っていましたが、横溝先生と春原先生は勉強不足のため存じ上げませんでした。
     以下に講演者順にお話になった内容を振り返ってみたいと思います。なお、青字で示すものは講演者のお話になった内容を表し、黒字で示すものは僕の意見なり感想であることとします。

    大津由紀雄氏―母語との対比を通して「ことばへの気づき」を!

     大津先生のお話は、母語(日本語)の仕組みとその働きについての知識が英語教師には必要であり、両者の適切な対比が子どもたちの「ことばへの気づき」を促すのだというものだったと記憶しています。最初はヒゲトリオ(大津先生、菅先生、田尻先生)が飲み屋に行ったら誰が一番もてるかという気さくな話題から始まった講演ですが、次第に専門的な議論になってゆきました。文は単語から始まり、語順が必要となり、それが句構造を作り、統語範疇(語や句の種類)を問題にさせ、句間の関係において階層構造を作り出すのだという説明を“John chased the girl.”を例にとり行われました。統語分析に用いられる木をひっくり返したような形の図(樹形図)を用いて文が階層構造になっているということを示されました。樹形図を示すことにより文は二次元構造をしているのだということを示されましたが、その後、文は二次元に留まらず三次元構造をとるのだということをおっしゃいました。このあたりの説明は凡人の僕などには理解が難しいところでしたがそうなるのかということで一応は了解をする以外にはありません。ここからが実際の英語教育の話題となりました。大津先生曰く、大事なのは三次元構造をしている文(法)を中学などで実際に生徒に教える際は、いかにしてそれを一次元構造であるかのように見せてやるかというところにあるといいます。これをするには、英語学や言語学の純粋な世界を離れて、「技」が必要となるようです。そして話題は田尻実践に移っていきました。例にされた田尻実践は「桃太朗伝説」というもの。大津先生は次のような文を例に挙げておられました。

    (1)He reads books every day.
    (2)Does he read books every day?
    (3)What does he read every day?
    (4)Who reads books every day?
    (5)*Who does read books every day?
    (6)Read books every day.
    注:(5)の*は文法的に誤りであることを示している。

     これは主語が三人称単数で現在文の時に一般動詞の語尾につくsについての指導が問題になっています。(5)は初級学習者がよくやる誤りであり、このミスをさせないためにどのような指導を行うのかについてはベテランの英語の先生でもなかなか上手に説明ができないものであるといいます。それが田尻技だと説明ができるというのです。
    ここではその田尻実践「桃太朗伝説」についての説明は省きますが、詳しくお知りになりたい方は「達人授業の実践指導事例集」というビデオが出ていますのでご覧になるとよいかと思います。僕は大学図書館で見つけて、見ました。
     大津先生は例に出した田尻実践「桃太朗伝説」について、三次元構造をした文を一次元構造であるかのように見立てるというやり方に関してはまことに見事としかいいようがないと評価されておりました。
     このような実践を行うことのできる田尻悟郎なる人物を支えるものについても大津先生は分析をなさっているようで、(1)田尻先生の並外れた言語感覚、(2)言語感覚に支えられた分析力と創造力、(3)好奇心・サービス精神、を挙げられました。
     田尻実践から僕たちが学べること。それは表面的な模倣ではなく、自らの(1)言語感覚を磨くこと、(2)分析力を磨くこと、(3)創造力を磨くこと、(4)好奇心・サービス精神を身につけること、だといいます。また、田尻先生の実践を支える上で大きなものに、田尻先生自身が母語(日本語)の仕組みとその働きについて豊富な知識を持っておられるという点があるといいます。田尻先生の授業は英語による説明、日本語による説明に加え、日本語と英語との対比が重要な役割を果たしていると評されました。これが生徒の「ことばへの気づき」を促すことにつながるというのです。そう言えば、「ことばの力を育む―小学校英語を超えて」という慶應義塾大学言語教育シンポジウムの紹介もありましたね。
    ちゃっかりと。僕もこれに参加したいと思っていましたが、慶応なのでなかなか遠い。ちょっと無理っぽい感じですね。
     と、こんな感じで、大津先生の講演は終了しました。非常に大雑把な講演紹介ですが、次に行かせていただきたいと思います。

    柳瀬陽介氏―教師は学習者に伝えたいことすべてを伝えられると思うな!

     言い忘れましたが、講演者の講演に対するタイトルは僕が勝手につけたものですから誤解のないようにお願いします。
     柳瀬先生のお話はおよそ10年前に初めて会って圧倒された田尻先生を作り上げたのは何なのかという問いから始まりました。田尻先生をもって天才やカリスマで終わらせてしまったらもったいない。田尻科研が始まる前から柳瀬先生はいろいろやってらしたようですが、何か物足りなさを感じておられたみたいです。悩んでいるうちにたどり着いたのがニクラス・ルーマン (Niklas Luhmann) のシステム理論とやらで、この理論を人間のコミュニケーションの定義らしきものに発展させ田尻実践分析に援用したというのが今回の発表であったと僕は理解しています。これは田尻悟郎分析にとどまらず、何が良い英語教師を作るのかという問題煮まで発展可能な理論だとおっしゃっていました。具体的には田尻実践の観察を通して得られた漠然とした仮説を先ほどのルーマンのシステム理論と語用論の中にある関連性理論を用いて定式化してみるこころみのようです。語用論(Pragmatics)とは聞きなれないことばですし、ましてや関連性理論などなんのこっちゃ分からないと思っていた僕(たち?)にも柳瀬先生は易しい説明をくださいました。どのような説明を下さったのか、また柳瀬先生がどのような発表をなさったのかについては柳瀬氏のブログ「英語教育の哲学的探究2」においてまとめられていますのでそちらをご覧ください。ルーマンのシステム理論というのを知らない僕が柳瀬先生のお話を伺って感じたことは、学者はある実践を目にするとそれをどこからか理論を引っ張ってきて定式化することに情熱を燃やすのだなということです。これはもちろん良い意味で言っています。僕などの一般ピーポーが田尻実践を目にすると「すごいなー」とか「面白れー」などと思ったとしてもそこから先に思考が進まないことが多いと思いますが、学者はその実践を分析し、定式化し、社会に還元をするのですね。優れていると言われる実践を分析し、何が優れているのか、どこが優れているのかが明確になれば、それをもとに普遍的なものが見えてきて、取り入れられるところは取り入れる教師が出てくる。新しい理論が生まれるというわけです。
     ところで、柳瀬氏の講演の中で僕は特に次のことは心に残りました(頭に残ったのかな?)。それはコミュニケーションをコードモデルとしてみたときに生ずる誤解のお話です。

    私(この私は一般論での私)は相手に自分の思いのすべてを伝えられるはずだ、という誤った期待というものを持ってしまう。教師は学習者に自分が伝達したいという教授内容のすべてを伝達できるはずだ(という誤った期待を持ってしまう)。学習者も、私は教師が伝達したいと願っている教授内容すべてを自分のものにできるはずだ、と思ってしまう。教師は学習者に自分が伝達したいと思う学習の意欲をすべて伝達できる(という誤った期待を持ってしまう)。学習者のほうも教師が伝達したいという意欲をすべて自分のものにできるはずだと思ってしまう。でもこういった期待はたいていの場合は裏切られる。

     柳瀬氏のこのことばが意味していることについては考えてみる必要があると思います。この意味で言えば、教えたことすべてを暗記していなければ100点を取ることのできない中学校の定期試験は見直されるべきだといえるかもしれませんね。教えたことがすべて頭に入るわけではないというわけです。逆に教えてないことであっても生徒たちはやってのける可能性だってあるわけですよね。例えば先日学校の定期テストの問題についてつぎのような議論がありました。それは1年生のテストで、三単現のsに関する問題作成で観点別の評価は「表現」に分類されるテスト問題です。

    次の表はFrankの自己紹介カードに書かれた表です。あなたは次の授業でFrankについてクラスのみんなに紹介することになりました。この自己紹介カードの内容にもとづいてFrankを紹介する文を4文以上考え、解答用紙に書きなさい。


     好きなスポーツ: 野球
     住んでいるところ: アメリカ
     ほしいもの: 新しい車
     話せないことば: 日本語
     好きではない教科: 数学
     持っていないもの: 新しい自転車
    (内容は変えています)

     内容は忘れたため適当に作った問題ですが、このような6問中4問答えることが出来れば満点であるというテストがあってもよいと思います。議論になったのは誰かを紹介するという活動を事前に行っておくか、それともテストでいきなり出すかということ。僕はこの程度のことはテストでいきなり問うのが良いのではないかと考えたのですがね。
     「教師が教えたことが全部生徒に伝わるわけではない」という点からは評価の出来るテスト方法だと僕は思いました。

    横溝紳一郎氏―演題変更、それでもえーんだい!

     教師研修を専門とする横溝先生。最初は「田尻実践を教員研修にどう活かすのか?」という演題での講演の予定だったようですが、いろいろ考えすぎて自己崩壊をしてしまったとのこと。ということで急きょ演題を変更。「田尻実践に出会ってしまった私たちはどうすればいいのか?」で講演がはじめられました。横溝先生の講演は田尻先生の授業風景を写したビデオを用いて行われました。第一のビデオは今年(2007年)の2月に中学校で撮影されたもの。取り扱っている内容は東京書籍の出している『New Horizon』の1年生版。UNIT8の最初の内容です。下にその範囲の英語の文を示します。
     
    ニュー・ホライズン1年生 ユニット8

     ここで田尻先生がこだわりを見せたのは「文の読み方」。最初から指導が入りました。最初のOh, no!の読み方に感情がこもっていないというのです。ちょうどクラスに大野君という生徒がおり、君らの読み方では大野君が返事をしてしまうではないか的な笑いも誘いながらうまい指導を行っていました。読み方のポイントとしては朝急いでいる感じを前面に押し出すというイメージです。ジェスチャーをつけながら「オウ!ノウ!」とやっていました。
    これを見ての感想はこのような指導を学校現場で見たのは田尻先生以外にはいないということです。もちろん現場に入って間もない僕なので偉そうなことはいえませんが、少なくともこれまで僕が見てきた授業ではジェスチャーを生徒に求めたり、教師自身が元気良く発音して見せる姿などを見る機会は皆無です。強いて言うならば塾ではその光景が垣間見られる場面があったように思います。僕は塾のアルバイトもしていますので、言えることです。少なくとも僕の勤務している塾の先生は元気。学校現場ではお目にかかれない元気さです。「アホやなー」や「バカタレ!」なども一種の笑いネタとして生徒に平気で言いますしね。田尻先生もそこらへんのコミュニケーションはうまく使いそうですね。
     上のUNIT8でOh, no!の読み方ともう一つこだわっておられたのが最後のお母さんのセリフ“It's on your head.”。これをどのように読むかにこだわりをみせておられました。「チケットどこ?」「かばんどこ?」ときての「ぼうしどこ?」です。“It's on your cap.”にもそれ相応の言い方があるというわけです。ここらあたりに焦点を置いて授業を進めておられるというのは僕の頭には残念ながらなかったものといわざるをえません。とても参考になりました。

    この続きは拙ホームページにて公開しています。

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    ディクテーションの方法

    2007年11月18日 | 記事
    英語学習法―ディクテーションという方法

     英語学習の方法とはどのようなものがあるのでしょうか。僕は以前「英語学習の方法について」(2007年6月30日)という記事を書いて、そのいくらかの方法を紹介しました。ここではその中で取り上げた「ディクテーション」についてそのやり方などを紹介しようと思っています。
     ディクテーションとは日本語にすれば「書き取り」の意味ですが、もう少し詳しく言えば、dictationですので、「言われたこと」を書き取る作業を意味します。dictateは「~を口述する」という意味の他動詞です。録音された音声を教材とし、口述されているものを自分の耳で聞いて書き取るのです。言われたことをそのまま文字に起こせばよいので、学習方法としては非常にシンプルです。テープ起こしという在宅ワークがありますが、それを英語でやるのだと思えばよいでしょう。余談ですが、テープ起こし業界では、テープに録音された音声を忠実にそのまま文章化することを、「素起こし」と言うらしいですね。ディクテーションという学習方法では素起こしを継続してゆくことによって英語力の向上につなげてゆきます。
     「英語学習の方法について」でも引用しましたが、もう一度ディクテーションの基本的原則を『英語力とは何か』(山田雄一郎、大修館書店、2006)から引っ張っておきましょう。

    【リスニングを中心にした統語力訓練】

    練習法=録音教材を聞きながら、スクリプトを作成する。

    留意点

    ① 教材は、スクリプト原本と録音教材のセットになったものを利用する。
    ② 会話教材ではなく、物語性のある読み物教材を中心とする。
    ③ 教材は、学習者の興味に合わせて選択する。
    ④ 教材の難易度を適切に判断する(スクリプトの作成作業であるから、学習者のレベルより低めのものを選択する)。
    ⑤ 未知の単語は1ページあたり3語程度にとどめ、それを大きく超える教材は避けるようにする。
    ⑥ 2週間で1教材(適量は、10~20ページ)のペース配分ができるよう、難易度と練習量を調節する。
    ⑦ この訓練は、学習者の自習を基本とする。
    ⑧ この訓練は、毎日行うことを基本とする。
    ⑨ 練習量は、学習者の判断にまかせるが、その場合も⑤を原則とする。
    ⑩ 聞き取れるまで、何度も録音を聞く。
    ⑪ どうしても聞き取れない箇所はテキストで確認してよいが、スクリプトはあくまで自分の力で完成する。
    ⑫ 教材の選択は、語彙力の訓練を兼ねて、トピックができるだけ広範囲に及ぶよう工夫する。
    ⑬ スクリプトの作成は、発音訓練を兼ねて行う。
    (赤字はブログ作成者)

    準備をしよう!

     ディクテーションに必要なものを準備しましょう。iPodやMDプレイヤーなど音声再生機器でもディクテーションは可能ですが、ここではパソコンを使ったディクテーションを紹介します。用意するものは以下のものです。
    1. パソコン
    2. 音声教材(オーディオブック)
    3. 音声教材に対応するスクリプト原本
    4. ディクテーションソフト
    5. 書き取る紙など

     (1)はお使いのパソコンでよいと思います。
     (2)と(3)はご自分で用意していただく以外にはありません。インターネット上のものを使っても良いかと思います。音声教材は別名「オーディオブック」ともいいます。audioのaudi-は「聴く」と言う意味を持っており、audience(聴衆)やaudition(オーディション)などにも見られる語根です。ネット上で公開されているものは「オーディオブック」などの語で検索すればヒットします。「オーディオブックについて」という僕の記事も参考にしていただければと思います。
     (4)のディクテーションソフトについては次のソフトがオススメです。

    Okoshiyasu2


    Okoshiyasu2

     このソフトの特徴は以下の通りです。



     ディクテーションを始めると何度も何度も巻き戻して聞く作業が欠かせなくなります。特に最初のうちはなかなか聞き取れないためこれを多用することになります。そこでこのソフトの利点が発揮されます。このソフトでは巻き戻しと早送りの秒数が指定できるのです。3秒ほど巻き戻す、5秒ほど巻き戻すなどをあらかじめ設定しておけばボタン一つで指定秒数だけ巻き戻して聞くことができます。僕はショートカットキーを次のように設定しています。
     再生・一時停止⇒Ctrl+Space
     巻き戻し⇒Ctrl+B
     これで文字を起しながら一時停止をしたり巻き戻しをしたりをすばやく行うことができます。
     このソフトの動作環境はMicrosoft Windowsということです。Windows XPでの動作は確認済みであるといいます。僕のWindows Vistaでも動きました。
     (5)の「書き取る紙など」は音声を書き取るための紙なりその他の文字を書き連ねるものを指します。僕はパソコン上でやることが多いのでワードでファイルを作っています。このファイルはご自由に使ってもらってもかまいません。ファイル内でのフォントの大きさは15ptが最適かと思います。僕はパソコンを使って書き取りを行い、1ページに2ページ分印刷されるようにして、印刷したもので原本スクリプトとのすりあわせを行っています。ディクテーションによって統合力訓練を行ってみませんか。

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    死ぬ気でやれ!死なないから。

    2007年11月17日 | 記事
     何か切羽詰った状況が人を変えることがあるのかもしれません。中学1年生、2年生でやんちゃをしている子どもたちも中学3年生の11月を過ぎるこの時期になると急に落ち着きだし進路のことを考えるようになる。入試が生徒指導にとって一定の役割を果たしているという意味で、そのシステムは評価されるべきでしょう。子どもたちにとっては入試をどう乗り切るのかは一種の切羽詰った状況であり、大問題です。高校に行くのか、専門学校に行くのか、それとも就職するのか。自らが進むべき道を考え、努力をする。なんとも美しい光景ではありませんか。切羽詰った状況と言うのは人を変える力を持つのかもしれません。
     言語学習にとっても同じことが言えるのではないでしょうか。切羽詰った状況とは帝国主義の時代で言えば、生きるか死ぬかの命に関する問題です。それは侵略を受け植民地化された側の問題であり、とりわけ自分たちの領土に侵入してきた人たちの言葉が出来るかどうかというのは直接の問題でありましょう。フィリピンやインド、マレーシアなどはそれが直接的に観察できる国であるし、アフリカにおける英語の役割などもそれをはっきりと映し出しています。
     彼らにとっての言葉は生き抜くための道具であり、生死を分ける問題なのです。彼らにとっても生活言語は別にありましょうが、問題は侵略側の言語が出来るかどうかなのです。彼らにバイリンガルやそれ以上が多くいるのはいろいろな理由や状況があるわけであって、それ自体が幸せだと言えないのは言うまでもありません。
     一方、日本人の場合を考えてみると日本語が生活言語ですので英語が出来るかどうかは全く問題ではありません。この状況は言語学習に一種の甘えが入り込む余地のある状況であり、性根が入りきらない状況でもあります。日本人は明治期以来英語を学んできたわけですが、日本人の英語力は徐々に低くなってきたのだという見方もあります。英語教師であった夏目漱石は「英語力の衰えた一原因は、日本の教育が正当な順序で発達した結果で、一方から言うと当然のことである」と述べました。英語に頼らずとも日本人は日本語であらゆる情報を得ることができ、外国人に頼らずとも日本人が日本人に英語を教えることが出来るようになったのだということであり、これは誇るべきことでしょう。
     そこでこの先問題になるのは、英語が出来なくても全く不自由しない幸せな社会「日本」でいかにして英語学習に取り組むのかということです。やる気をどこに求めるのかというのは重大問題です。しかしいろいろなものが多様性を帯びた現代ではそのやる気を引き起こす要因は一つには決まりません。個人の必要によって変わるし、変わってよいのだと思います。しかしどうであれ、一旦やると決めたら次の言葉にしがみついて努力する以外にはないということです。
     
     
    死ぬ気でやれ!死なないから。

     この言葉は「JUNK 爆笑問題カーボーイ」でリスナーの方から紹介された言葉ですが、なかなか良い言葉だと思います。もちろん「断食不眠9日間の難行を達成」というニュースに伝えられるようなことを思い立ったように素人が行えばこれは直接的に命に関わる問題に発展しますがね(笑)。
     言語学習を成功させようと思えば、一番の近道は「何か切羽詰った状況」を作り出すことでしょう。英語が出来なければ死刑という制度があれば、出来るようになる人は増えるだろうし、英語が出来なければ買い物一つまともにできないという状況があれば、出来るようになる人はさらに増えるでしょう。しかしそのような社会が幸せだとは到底いえません。やはり現代の語学は個人の強い意志と不断の努力によって成り立たせる以外にはないと僕は思います。

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    家庭で論文を読もう!

    2007年11月09日 | 記事
     論文検索サイト「CiNii」を紹介したいと思います。そのシステム概要は次の通りです。

    CiNiiとは

    CiNii(NII論文情報ナビゲータ)は、学協会誌・大学研究紀要・国立国会図書館の雑誌記事索引データベースなど、学術論文情報を検索の対象とする論文データベース・サービスです。
    国立情報学研究所(NII)では、各種サービスごとに提供している学術コンテンツの統合を進め、国内外の有用な学術情報資源との連携を可能とすることを目標としたプラットフォーム“GeNii”(ジーニイ)の構築を行っており、CiNiiは、そのGeNiiの機能の一つとして提供されています。
    CiNiiでは、学協会で発行された学術雑誌と、大学等で発行された研究紀要の両方を検索することができます。また検索された論文の引用文献情報(どのような論文を引用しているか、また、どのような論文から引用されているか)をたどったり、本文を参照したりすることができます。
    無料一般公開されている論文も豊富にあり、利用登録なしにどなたでも検索できます。また有料公開の論文については「機関定額制(法人単位のご利用登録)」やID(個人単位のご利用登録)を取得すると、料金優待などの特典があります。

    サイトの活用

     「CiNii」の情報は無料と有料に分かれているようです。有料版のメリットはよく知りませんが、無料版でも例えば以下のような論文は閲覧することが可能です。論文はPDF形式で公開されていますので、PDFを閲覧するためのソフトであるAdobe Reader 7.0以降がインストールされている必要があります。Adobe Readerはでインストールすることができます。

  • 夏目漱石「語學力養成」再考」(山田雄一郎、2002)
  • 外国語教師夏目漱石」(前田昭彦、1997)
  • 夏目漱石と英学修業 : 金之助の学んだ英語カリキュラムについて」(井田好治、1976)

     このような論文がインターネットを通じて無料公開されているという現実は「知の大衆化」が現実のものになっているということを思い知らされます。大学図書館に自ら足を運ばなくとも、家庭のパソコンを通じて情報が得られる。やる気次第でいつでもだれでも勉強することが出来る次代になっているのだと感じます。


    GeNii


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  • スティーブ・ジョブズ氏―Macworld Keynote Address

    2007年10月27日 | 記事

    講演中のジョブズ氏
     アップル社の最高経営責任者(CEO)であるスティーブ・ジョブズ氏による基調講演「Macworld Keynote Address」がなかなか面白い。この人物を知らなかった私はさっそくウィキペディアで調べてみた。すると「そのカリスマ性の高さから、発言や行動が常に注目を集め続ける人物である」とある。また、「プレゼンテーションの素晴らしさ、ライバル企業の経営者をも惹き付ける人間的魅力で知られる」ともある。これは実際に彼が行う基調講演を見てみるとよく分かる。「人を引き付ける強い個性」という意味のカリスマという言葉が実に似合う人物だ。
     実は彼の存在を知ったのは最近よく聞くようになった「ポッドキャスト」がきっかけである。首都大学東京教授で社会学者の宮台真司氏が番組の中で勧めていた。
     皆さんも一度ご覧になるとよいと思います。以下にリンクを貼っておきます。
     ジョブズ氏の講演は1時間45分あり、ポッドキャストに入れるには1.21Gバイト必要です。
     
    Macworld基調講演のページ(英文)
    iTunesのリンク(講演をポッドキャストに取り込む)

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    『名演説で学ぶアメリカの歴史』 上岡 伸雄

    2007年10月06日 | 記事
     アメリカというのは歴史が浅いわりには魅力ある国に見える。多様な人種が入り混じった国であり、言語的にも多種多様である。それは最近伝えられた「英語以外の家庭言語が過半数―ロス国勢調査」(Los Angeles Timesの記事はNot at home with English)と言うニュースにも現れている。
     いろいろな人間が一つの国の中で暮らしている。多様さが渦巻くアメリカをまとめあげようとすればそれは派手にならざるを得ないのかもしれない。『名演説で学ぶアメリカの歴史』ではアメリカの歴代名演説が取り上げられている。その多くは本書を買うまでもなく、「無料」でネット公開されている(多くは音声あり)ため、私たちは随分と便利な時代に生まれたものだと改めて感謝させられる。下に挙げたのは本書の目次である。ネット公開されているもの(私がすぐに見つけられたもの)についてはリンクを貼っているので、クリックするだけで「無料」で名演説を読むこができる。

    第1部 自由と平等を求めて(建国期から19世紀)
    1. 自由を与えよ、さもなければ死を!(Patrick Henry [1775])
    2. すべての人間は平等に作られている(Thomas Jefferson [1776])
    3. 偉大なる精霊は正しいことをする(Red Jacket [1805])
    4. アメリカの奴隷にとって、独立記念日とはどんな日なのか?(Frederick Douglass [1852])
    5. 人民の、人民による、人民のための政府(Abraham Lincoln [1863])
    コラム1 分裂した家(Abraham Lincoln [1858])
    6. 女性たちは人間なのか?(Susan B. Anthony [1873])
    コラム2 私はもうこれ以上永遠に戦いません(Chief Joseph [1877])

    第2部 世界の大国へ(1930年代まで)
    7. 穏やかに語り、棍棒を携える (Theodore Roosevelt [1901])
    8. 子供たちを苦役から解放する(Florence Kelley[1905])
    9. 我々はこの国の憲法がきちんと執行されることを望む(W. E. B. Du Bois[1906])
    10. 世界は民主主義にとって安全でなければならない(Woodrow Wilson [1917])
    11. まず民主主義が国内で安全であるようにせよ(Emma Goldman)
    12. 私たちが恐るべき唯一のものは恐怖それ自体(Franklin D. Roosevelt [1933])

    第3部 第二次世界大戦から冷戦へ
    13. 汚名のうちに生きる日(Franklin D. Roosevelt [1941])
    コラム3 これは原子爆弾です(Harry S. Truman [1945])
    14. 我々は自由な諸国民を支援しなければならない(Harry S. Truman [1947])
    15. 我々の文明の運命 (Albert Einstein [1947])
    16. 人類の終焉を受け入れることを拒否する(William Faulkner [1950])
    17. 我々は生命全体の流れの一部である(Rachel Carson [1954])
    18. 国のために何ができるかを問え(John F. Kennedy [1961])
    コラム4 私たちは好もうと好まざろうとリーダーです(Eleanor Roosevelt [1954])

    第4部 公民権運動とベトナムの泥沼
    19. 私には夢がある(Martin Luther King [1963])
    20. 同一の敵に対する戦い(Mario Savio [1964])
    コラム5 投票か弾丸か(Malcolm X [1964])
    21. 戦争は愚行なばかりか、不正でもある(William Sloane Coffin Jr. [1967])
    22. 名誉ある平和を求めて(Lyndon Johnson [1968])
    23. 高潔な物理学者はヒューマニスティックな物理学者(Kurt Vonnegut [1969])
    24. アメリカのビジネスは戦争である(Shirley Chisholm [1969])

    第5部 多様な価値観と単独主義
    25. 真の性革命(Betty Friedan [1969])
    26. 我々はインディアンだ!(Frank James [1969])
    27. 大統領を辞任する (Richard Nixon [1974])
    28. 悪の枢軸(George W. Bush [2002])
    29. あなたが殺そうとしているのは、私です(Charlotte Aldebron [2003])
    30. 今日、ロウはこれまで以上に危機に瀕している(Hillary Rodham Clinton [2005])
    コラム6 恥を知れ、ミスター・ブッシュ!(Michael Moore [2003])


     これらの名演説は繰り返すが、その多くがネット上で公開されている。内容的にも大変すばらしい(と思われる)ものであるため、英語学習の教材としてもいろんな意味でとても役立つだろう。音声についてはネット上で公開されているものとそうでないものがある。また、ネット上で公開されていてもその音質が悪いために大変聞き取りにくく、英語学習には不向きなものもある。ディクテーションなど音声を用いての学習を望まれる方は本書を購入してもよいかもしれない。本書には朗読CDがついている。

    ・・・・・・・・・・[Amazon.co.jp]・・・・・・・・・・
    書籍:名演説で学ぶアメリカの歴史
    著者:上岡 伸雄
    出版社:研究社
    発売日:2006/9/2
    ページ数:272ページ
    定価:¥ 2,625 (税込)


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    英語を使った政治家に

    2007年09月23日 | 記事
     今日は自民党の総裁選挙の日。2時から自民党本部において自民党国会議員投票が行われる。そんななか私は朝の情報番組「サンデージャポン」を見ていた。すると英語が話題に。どのような内容かと言えば、麻生太郎総裁候補が「英語で」スピーチをしたという話。19日に行われた日本外国特派員協会に対する記者会見でのことである。

    ジャパニーズ福田VSイングリッシュ麻生」より

  • ジャパニーズ福田VSイングリッシュ麻生
  • 総裁選、特派員も注目 2氏会見で自民への厳しい意見も
  • 麻生氏べらんめえ英語、福田氏マイペース…国際派アピール合戦
  • 村山談話ともに「継続」外国特派員協会で福田、麻生両氏
  • Aso, Fukuda address foreign press club

     麻生氏は会見の中で次のように語ったという。

    Now is the time for Japan to need a strong leader, a reliable leader to lead the machine in Kasumigaseki ― not the one who is tempted to be led by that very machine.
    Aso, Fukuda address foreign press clubより一部修正して)


     日本に求められるリーダーについて語ったものである。Now is the time...と聞いて思い出すのはキング牧師の有名な演説である。キング牧師は次のように語った。

    Now is the time to make real the promises of democracy. Now is the time to rise from the dark and desolate valley of segregation to the sunlit path of racial justice. Now is the time to lift our nation from the quicksands of racial injustice to the solid rock of brotherhood. Now is the time to make justice a reality for all of God's children.
    ("I Have a Dream"より)


     「今こそ立ち上がるのだー」的なこの表現はなかなかかっこよいものがあるが、番組内で盛り上がっていた話題は麻生氏の「英語について」である。番組のパネリストの中に英語圏に長年の留学経験を持つ方が麻生氏の英語の話題をふられ次のように述べた。

    麻生さんのはイギリスなまりですよね。イギリスなまりの英語ですね。


     日本人の英語に対する関心事はいつもこのようなものである。「イギリス英語といえば正式な英語ではないかー」とか「発音がどうだー」という。「日本の政治家が英語でスピーチしたこと自体が報道されるのは日本の政治家だけだ。他国の政治家が英語で会見をしたとしても『○○さんは英語を話しました』ということがニュースになることはない」という情報提供まであった。外信の記事を何人が書いているのかは分からないが。その書き手が日本人だっていう可能性も…。 日本人にとっては「何を」話すかではなく「どのように」話すかが最大の関心の的である。「英語で何を」ではなく「英語を」話したことが自体が問題なのであって、その次に問題になるのはその英語は上手か下手かということである。番組内では触れられなかったが、もうすこし時間があれば話はおそらく日本の英語教育批判の方向にいっていただろうと思われる。

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  • 精神鑑定をめぐる宮崎・野田論争

    2007年09月18日 | 記事
     山口県の光市で起きた母子殺害事件がテレビなどで議論の俎上に載ることが多くなった。『たかじんのそこまで言って委員会』(2007年5月27日放送)において橋下徹弁護士がこの事件裁判の被告弁護団に懲戒請求を行うよう視聴者に呼びかけたとされる件が最近では賑やかだ。「21人の弁護士に懲戒請求を求める」というサイトに代表されるように、懲戒請求の具体的方法などを紹介し、懲戒請求テンプレートを用意するサイトまでネット上に現れた。もちろんこれらが橋本氏の発言に触発されたものかどうかは分からない。そんな中で『たかじんのそこまで言って委員会』のレギュラーパネリストである宮崎哲弥氏もまたこの光市母子殺害事件に関して大きな論争をしていることを私は知った。それは弁護側精神鑑定人である野田正彰氏との間の論争である。その論争内容を以下のファイルにまとめてみた。

    光市母子殺害事件裁判 精神鑑定をめぐる宮崎・野田論争(2007年8月20日 現在)(PDFファイル)

     まったくの素人である私のような一般人が、あるいはこの事件に全くの無関係である私のような一般人がこの事件に対して向き合うとすれば、そこにはどのような反応の仕方があるのか。模索中ではあるが、私個人の感覚を頼りにする以外にはないとは思っている。事件についてはいろいろ考えるところはあるが、無責任な物言いはするまい。

     遺族の方が出版された本『天国からのラブレター』(新潮社、2000年)が映画になったという話を聞いた。公式ホームページはこちら。私自身はまずは書籍のほうから拝読したいと思う。

    今日から3日間(18日~20日)、差し戻し控訴審3度目の集中審理が広島高裁で行われます。

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    クローズ・テストについて

    2007年09月15日 | 記事
    クローズ・テスト

     クローズ・テスト(Cloze Test)は総合的な英語力の判定に使われるもので、大学入試問題の中にも時々見受けられるものである。クローズ・テストの概要について簡単にまとめると次のようになる※1

    [1]作成
    ①被験者に対して適当な難易度を持った350語前後から成る散文を選ぶ。Readabilityの測定を目的とする場合には、少なくとも50のblanksが作れる長さが必要である。
    ②散文中のある語から始めて5~10語間隔(外国語としてのテストであれば7~10語間隔が適当)で機械的に語を消去する。この際、消去する語の難易度によって多少の修正を加えることもある。文脈に対する手がかりを与える意味から、最初と最後の少なくとも1文、場合によっては2~3文はそのまま残すのが良いとされている。

    [2]実施
    特別な注意は必要なく、普通のテストと同様に行えばよい。

    [3]採点
    採点には次の2通りの方法がある。
    ①exact-word method(消去した語と同一の語のみを正答として扱うもので、実施する側にnative speakerがいない場合、最も簡単でかつ信頼性の高い方法と考えられている)
    ②acceptable-word method(消去した語と同一の語でなくとも、前後関係から正しく意味を伝える語であれば正答と見做す方法で、あらかじめ、可能性のある答を各blanksに対して十分に検討、用意しておかなければならない。native speakerがいる場合には、比較的簡単にこれらの答が用意できる)

    [4]判定
    他のテストとの相関などを利用してあらかじめ規準を設定しておくとよい。
    ※赤字はブログ作成者

    クローズテストの例

     例えば次のような英文があるとしよう。

    There was an old shrine in a village. One day a storm came and washed the shrine away.
    The next day people looked for the shrine. But they only found a big hole. People looked into the hole. It was deep and dark. Someone called into it, "Hello? Can anyone hear me?"
    No echo came back.

    A boy threw a stone into the hole. He listened, but there was no sound.
    People heard about the hole on TV. They came from far away to see it.
    One day a man said to the people of the village, "I'll build a new shrine for you. But you must give me the hole." The people of the village agreed.
    The man advertised the hole as a new dump.

    People gave money to the man and dumped things into the hole. They dumped garbage, test papers, old love letters and so on. Trucks came from many places. They dumped industrial waste, nuclear waste and many other things.
    A few years went by, but the hole did not fill up. People stopped worrying about garbage because they now had the perfect dump.

    The sea and sky became clean and beautiful. The village became a city.
    One day a young man was working on the roof of a new building. He heard a voice from the sky. "Hello? Can anyone hear me?" it said.
    He looked up, but he only saw the blue sky. He started working again. Something fell down from the sky and hit the roof near him. But he did not notice.
    It was the stone!
    Let's Read 3 Can Anyone Hear Me?(東京書籍『New Horizon English Course2』)より

     この英文を使ってクローズ・テストを作ると次のような感じになる。

    There was an old shrine in a village. One day a storm came and washed the shrine away.
    The next day people looked for the shrine. But they only found a big hole. People looked into the hole. It was deep and dark. Someone ( 1 ) into it, "Hello? Can anyone hear ( 2 )?"
    No echo came back.

    A boy ( 3 ) a stone into the hole. He ( 4 ), but there was no sound.
    People ( 5 ) about the hole on TV. They ( 6 ) from far away to see it.
    ( 7 ) day a man said to the ( 8 ) of the village, "I'll build a ( 9 ) shrine for you. But you must ( 10 ) me the hole." The people of ( 11 ) village agreed.
    The man advertised the ( 12 ) as a new dump.

    People gave ( 13 ) to the man and dumped things ( 14 ) the hole. They dumped garbage, test ( 15 ), old love letters and so on. ( 16 ) came from many places. They dumped ( 17 ) waste, nuclear waste and many other ( 18 ).
    A few years went by, but ( 19 ) hole did not fill up. People ( 20 ) worrying about garbage because they now ( 21 ) the perfect dump.

    The sea and ( 22 ) became clean and beautiful. The village ( 23 ) a city.
    One day a young ( 24 ) was working on the roof of ( 25 ) new building. He heard a voice ( 26 ) the sky. "Hello? Can anyone hear ( 27 )?" it said.
    He looked up, but ( 28 ) only saw the blue sky. He started working again. Something fell down from the sky and hit the roof near him. But he did not notice.
    It was the stone!


     これは7語間隔で機械的にカッコ抜きにしたものである。このようなテストを簡単に作ることが出来るエディターがフリーソフトとして公開されているので紹介しておこう。それは「BigEditor」というものである。問題番号(上記の例では1~28)を入れるのは手動で行わなければならないが、機械的に語を抜き出す作業は自動でやってくれる。

    --------------------注釈---------------------
    ※1 文献は不明だが、これはコピーをしてとっておいた何かしらの文献からの引用である。分かり次第ここに記載しようと思う。

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