リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2010年5月~その1

2010年05月16日 | 昔語り(2006~2013)
帰るところがあるから旅が楽しい

5月7日。きのうの午後、帰って来た。16泊15日の長い旅行。こんなにも長い間日本に滞在したのは、たぶん34年前のハネムーンと初里帰りを兼ねた旅行以来だろうな。カレシと一緒の日本は12年ぶり。いろんな意味で一緒に行って良かったなあと思うことが多かった。

4月20日バンクーバーを定刻に出発して、4月21日成田着。入国管理で指紋採取と写真を取るのに(2年前は40分以上かかったから)長蛇の列を覚悟していたら、ジグザグの行列用レーンで人が並んでいるのは審査カウンター前の最前列だけ。一瞬あれ、どうしたの?と狐につままれたような感じで、カナダと違って夫婦でも「ひとりずつ!」の入管を通るのに5分とかからず、荷物が出てくるのを待つ方が長かった。どうやらアイスランドの火山噴火でヨーロッパからの便が途絶えていたせいらしい。ラッキーといえばラッキー。ヨーロッパ各地の空港でキャンプしていた人たちには悪いけど。

東京に着いた日は最高気温が26度近かったのに、翌日はなんとひと桁の7度くらいに急降下して、おまけに雨。雪が降ったのはついこの前だし、これじゃあバンクーバーよりも寒いじゃないか。まあ、涼しいところから来たのでジャケットはあったけど、こんな寒さは予期していなかったなあ。もっとも、東京の人たちだって予期していなかったんだろうけど、とにかくこの寒さは何だ?

こうして天変地異?の中で始まった2人の日本の休暇。詳細はおいおい書くとして、要約すると:

23日に宮崎入り。さっそく会議の前の景気づけパーティで、顔なじみの参加者たちと旧交を温める。24日は会議第1日目。夜の公式パーティでびっくりのハプニング。会議第2日目の25日はワタシの誕生日かつプレゼンデビューの日。スライドだけを用意して行ったけど、メモもなしで1時間もよくしゃべったもんだと我ながら関心。その後はいつものように会議をサボって宮崎の街をそぞろ歩き。26日帰京。ここからホテルに10泊で腰を据えての東京の休暇。31階の部屋のカーテンを開けると、都庁がどで~んと突っ立ている。コンピュータのチップとノートルダム寺院のミックスだと評した人がいたけど、まさにタワーの2本の頂点は『スターウォーズ』のデススターみたい。そのせいかどうかしらないけど、レンタルした携帯が2台とも1分と持たずに切れてしまう。さては石原さん、電波をかく乱してんじゃないの?

本格的な休暇初日の27日はかっぱ橋道具街。うわ~、ある、ある。欲しいものばっかり。小皿料理にぴったりの白い食器。つい欲しくなる道具。それを全部買うとしたら、コンテナをチャーターして来ないとならないだろうなあ。ま、カレシは欲しかったフォークで巻き上げたスパゲッティのサンプルのミニ版を買って満足だし、ワタシも小さいものいくつか買って、あとは「この次」にすることにした。

28日も雨。少しは止みそうな気配だけど、ホテル地下のコンビニで買った500円の傘をさして、まずはクライアントを訪問。挨拶だけのつもりだったこの訪問、何となく仕事の「面接」のような感じになったのはどうしてかなあ。終わったところで友だちとランチ。ゆりかもめに乗ってお台場の科学未来館まで。英語でしゃべるのがどうのこうのと言っていた友だち、カレシは「ボクの教室の生徒よりもずっとレベルが上だ」と絶賛。科学館でしばし遊んで、ロボットのアシモがとっとことっとこと走って見せたときは度肝を抜かれた。

雨が上がって暑くなりそうな気配がし始めた29日は谷中を散歩。翌30日は築地で友だち夫婦と寿司のランチ。今回は2年前に品切れで食べ損ねたいわしの握りもちゃんと食べられて(この執念!)満足。次いで両国の江戸東京博物館で東京の歴史を勉強。国技館の外を自転車を押した若いお相撲さんが2人歩いていた。あのスタイルでどうやって自転車に乗るのか不思議といえば不思議・・・。

月が変わってゴールデンウィークは5連休という考えられないような長い週末。銀行も郵便局もずっと閉まってしまうらしい。ATMがなかった頃はみんなどうしていたんだろうな。ゴールデンウィークにお金がかかるのは昔から変わっていないだろうけど。その超大型連休初日の1日は東急ハンズと高島屋と紀伊国屋でのんびりとショッピングデイ。2日は上野のアメ横。神田に出るつもりがいつの間にか秋葉原。夕食はホテルに近い東京ヒルトンに遠征。3日は東京丸の内でハネムーンで泊まったホテル(丸の内ホテル)の大変貌を見に出かけた。あのときは古ぼけたホテルで、窓からは向かいのビルで深夜になってもぶらぶらしているサラリーマンが見えた。ゴルフのスイングの練習をしていたりで、あんまり激務をやっているという印象じゃなかったんだけど、今はどうなんだろうな。夜は恵比寿で友人夫婦の結婚満20周年とカレシとワタシの合併満35年の合同祝賀ディナー。なかなか工夫の凝らされた料理で、おいしかった。

翌4日は鎌倉へ。好天で、暑い!好天続きのゴールデンウィークは50年ぶりなんだとか。おかげで鎌倉中どこへ行っても人、人、人。まあ、これが日本のゴールデンウィークなんだろうけど。最終日の5日はホテルの会席料理レストランで妹夫婦とお別れをかねてのランチで、これも上品でおいしかった。後はそろそろと荷造りを始める。スペアとして持って行ったスポーツバッグにも詰めるかと思ったけど、実際はスーツケースを拡張させたので、本来の2個にみんな収まった。やれやれ。

そしてきのう、日本時間で6日夕方、連休の海外旅行ラッシュが去っていやに閑散とした成田から、40分遅れ(機材の調整って何なんだ?)で離陸。行きも帰りも機内食が2回出るけど、近頃は経費と燃料の節約のために乗客も強制的にスリムダウンしようというのか、食事とは言えないような少量なもので、次の食事まで腹ペコ熊になってしまう。おなかが空いたらスナックでも買えということだろうけど、値段はすごいし、モノはまずいのひと言に尽きる。航空会社の経営がきびしいことはわかってるんだけど・・・。日付変更線の魔法で同じ日の昼前にバンクーバー着。入国手続きを済ませて荷物を引き取りに行く間に、ワタシはパスポートがないとひと騒ぎ。バッグの外ポケットにカレシのと一緒に入れたつもりで自分のが外に落ちたのに気がつかなかったらしい。幸い拾って近くにいた警察官に渡してくれた人がいて、パスポートは無事に戻ってきたけど、これが入国管理の前だったらえらいことになったところだった。最後の最後になってワタシも気が緩んだのかなあ・・・。

というわけで、トーキョーリゾートでののんびり休暇はいよいよ終わり。旅の初めの方でカレシのパパが亡くなった。近いだろうとは予想していたんだけど、マリルーからメールが入ってもカレシは「ボクがいても別にできることはないんだから」と(たぶん表面的に)そっけない。たしかにそういえばそうなんだけど、父と息子の関係は男にしかわからないものなのかもしれない。北米でよくやるように、パパも葬式は出さず、火葬にして昔日曜日ごとに出かけていた沖合いの釣り場に撒灰。後日に家族が揃ったときに故人の思い出を語り合う追悼パーティという予定だという。

帰ってきてみたら、あ~あ、またまた仕事が待ち伏せ。どどっと3つ並んでしまって、長い「遊び時間」の終わりを実感。不思議なことがひとつ。頑固なばね指になった親指。しばらく仕事を離れていたら回復するかと思ったのに、逆にどんどん固まったような感じになって、しまいにはうっかり曲げると飛び上がるほど痛くて困っていた。ところが、帰ってきてキーを叩き始めたとたんに、ぎごちないんだけど、なぜかかなりのところまで曲がって、それほど痛くなくなった。ワタシの親指は持ち主よりももっと仕事の鬼ってことかな。

旅もたまにはいい。だけど、旅が楽しいのはやっぱりその先に「帰るところ」があるからだろう。どんなに長い旅でも、やがて我が家に帰って、ほっと息をついて、また日常に戻れるとわかっているからこそ楽しめるんだろうと思う。あんがい人間と言うのはどこかに根っこを張らないと生きていけない動物なのかもしれないなあ。

ノスタルジックな旅

5月8日。目が覚めたらなんと午後1時。二人ともぐ~っすりと眠ったらしい。東京では、ふだんの生活時間がほぼ日本標準時間に近いせいもあって、2人とも時差ボケに悩まされることがなかったし、帰って来た当日は少し早い就寝だったけど、きのうは時差ボケらしいこともなく、普通の時間(午前3時半)に戻っていた。それで9時間以上も眠るというのは、やっぱり旅の空ではよく眠れているつもりでも意外に浅いのかもしれないな。あんがい長旅がしんどい年令になって来たということかもしれないけど。

カレシはもう再来年の日本旅行の話をしている。(もっともヨーロッパに行った後はしばらく次はどこそこへ行こうとやるので、同じ流れなのかもしれないけど)昔ひとりで行った京都で回ったお寺に一緒に行きたいとか、いや京都よりは(初めての一緒の日本旅行で行った)奈良の方がいいとか、それよりも北海道へ行ってワタシの生まれ故郷をもう一度見たいとか、おいおい、なんだかすごい大旅行になりそうな話だなあ。再来年になってそんな体力があればいいけど。

今回の12年ぶりの一緒の日本行きで、カレシはカレシなりにいろいろと考えることがあったらしく、けっこう回顧的な言動が多かった。電車の中から覚えのある駅名を見つけて「ずっと昔にこのあたりのしょぼいホテルに泊ったっけね」と言い出したり、新宿では「サンルート」の名前を見つけてわざわざ寄り道して見に行って「ここに泊ったのは寒い夏の年だったよね」とヘンに感慨深げなカレシだったけど、わざわざ東京駅の丸の内側へ行ってみようと言い出したのも結婚して初めて2人で来た日本で最初に泊った「丸の内ホテル」を見るためだった。持って行った観光ガイドには新しい「高級ブティックホテル」に変身したと書いてあったけど、ほんとうにガラス張りのビルの高層階を占拠するモダンなホテルになっていて、カレシは「この次はここに泊ろうね」と今から乗り気。

妙なノスタルジアに浸ってるなあと思っていたら、鎌倉では「ここを覚えてる?あそこを覚えてる?」とやたらと聞いてくる。残念ながらワタシには鎌倉に来た記憶はあるけど、思い出せるのはマクドナルドの店でカタカナで言ったつもりの「クォーターパウンダー」が通じなくて立ち往生したことくらい。鶴岡八幡宮で大イチョウの歴史を話して聞かせたことなんかまったく覚えていないし、百何十段の石段を登って鎌倉の景色を眺めたことも覚えていない。カレシが2人の「古き良き時代」の思い出を語り合おうとしているらしいとはわかるんだけど、正直なところ、日本中で観光に行った「地名」は記憶にあっても、そこで2人が何を見て、何をしたのかはいくらがんばっても思い出すことができない。まるで写真が抜け落ちて空白だらけになったようなアルバムのようなものなのだ。それでも、覚えていないというたびにカレシはちょっとがっかりしたような顔をしながらも「ああしてね、こうしてね」と懸命に空白を埋めようとしてくれたのは、「いろいろあったけど、2人の原点に立ち返ろう」という、気持を言葉で表現するのが苦手なカレシなりの意思表示のように思えて、胸がじ~んとするほどうれしかった。

まあ、期せずして新婚旅行ならぬ「旧婚旅行」になったようなものだけど、ワタシが「日本人じゃないねえ」と感心?されたことをあちこちに触れ回ったあげく、最後に「ボクはやっぱり日本に住んでハッピーなタイプじゃないんだとわかった」とぽつり。来週5月12日は「2人」の生活が始まって満35年。恋にのぼせ上がるのは一瞬のできごとだし、結婚は1日でできるけど、相思相愛の「夫婦」になるには実は気の遠くなるような長い時間がかかるものなのかもしれない。海を越え、人種、文化、言葉の壁を越えた2人であれば、35年かかったとしてもさして驚くことではないのかもしれない。これからまた35年、どうなるかなあ。仲良しのかわいらしいおじいちゃんとおばあちゃんになれるかなあ・・・。

ある日曜日の午後

5月9日。日曜日。正午少し前にカレシが跳ね起きて、ワタシもつられて起床。寝る前に「バスルームの(自動的に消えるはずの)ライトが消えない、おかしい」と報告?して来たもので、シャワーをした後なら蒸気が漂っていて、モーションセンサーが「人がいる」と勘違いしたんだろうから、朝になっても消えてなかったら言ってよねと言い渡してあった。それで気になっていたんだろう。実際にライトは消えていたようで、カレシは朝食の準備をしながらなんかしょっぱい口笛を吹いているから、こっちは身づくろいをしながらくすくす。んっとにもう、「お空が落っこちてくる」と騒いだひよっ子じゃあるまいし。

ま、空騒ぎで終わって何よりだけど、今日は忙しいんだから、あまり「あそこがおかしい、ここがおかしい」といちいち事故?報告しに来ないでくれる?んっとに、おかしいと思ったら何がおかしいのかぐらい自分で考えてみてもよさそうなもんだけどなあ。まあ、思考回路がちょっと「平常」から外れると「タイヘンだ~」という配線になっているらしいから、しょ~がない。ワタシだったらそういうときは「ふむ、ど~してそ~なの?」という方へ流れるんだけど、そこは人それぞれ。火災報知器のボタンを押す人と、消防車で出動する人とで、なんとなくうまく釣り合っているのかもしれないな。うん。もちろん、消防士の方がタイヘンなんだけど・・・。

午後の気温は20度近くまで上がって、いかにも初夏のような陽気。今日はご近所のカヨの50歳の誕生日パーティに招かれていて、それがカヨの親しい人の家での午後のガーデンパーティ。日本では月曜日が始まるから、納期の仕事を2つ大車輪で片付けてのおでかけ。カヨも夫氏のアントンも職場は違うけどキャリアは共にソーシャルワーカー。郊外の広々とした芝生に多様な人種や年令の人たちが三々五々集まって談笑しているのを見るとカヨの交流の広さがわかるというもの。引っ越してきた頃はまだよちよち歩きだった一人息子のジェヴァンも今ではひょろりと伸びた典型的な高校生。お祝いのスピーチの後で「ママに母の日の感謝のキスを」と言われて、照れながらカヨの頬にチュッ。拍手喝采にまた大照れで長い手足を持て余している様子に一同は爆笑。日差しまで華やいだ午後、ワインを片手に初めて会ったいろんな人たちとのしばしの世間話はすごく楽しかった。

帰って来たのは午後6時。かなり早い時間に食べてしまったので、午後9時過ぎに夕食兼ランチ。ごく軽くということで半解凍してあったマグロとサケで、手っ取り早く薄切り大根の巣の上にまとめた定番のポケと刺身数切れに大根おろしをあしらった「緊急メニュー」。まあ、日本でおいしいものを食べまくって、持ち帰った2.5ポンド(1キロとちょっと)のおみやげ?を何とかしなければならないから、お手軽料理もいいかな。もっとも、約2週間も毎日三食がレストランやパーティの料理でこの程度の増量で済んだのは意外だった。けっこうよく歩き回ったせいかもしれない。まあ、いつもの魚三昧の食生活に戻れば、この「おみやげ」もすんなりと処分できるだろうと思うけど(もう1ポンド減ったし)、来週末にはまた同業パーティがあるから、はたしてどうかなあ。

食道楽は旅の楽しみだけど

5月10日。月曜日。相変わらずいい天気。ひょっとしたら東京からのおみやげかな。でも、新しい週の始まりだから、今日からは本格的に腰をすえて仕事モードにならないと・・・といいつつも、起きて朝ごはんを食べながら「今日は何をしようか~」というのんびりムードは、のんびりしているだけになかなか退散してくれないから困る。仕事がどかどか入ってきてるんだってば~、もう!

きのうパンを焼いたので、やっといつものジュース、シリアル(オート麦のふすま、麦の胚乳、ひまわりの種、ときどきはかぼちゃの種)、トースト、コーヒーの「普通」の朝食。毎日こんな調子で、変化らしい変化といえばシリアルがKashiのシリアルだったり、Whole Foodsで量り売りしているグラノーラだったりする程度で、ごくごくたまに卵とベーコン。年がら年中同じようなものなんだけど飽きたなあという気にならない。なのに、旅の空での朝食はなぜか3日もすると飽きて来るから不思議だなあ。

東京のホテルでは最初の2泊のときに「無料サービス」という食事券を渡されたけど、場所はラウンジで、内容は洋食。そこで和食レストランの朝食バイキングに行ってみた。一番最初にソーセージとハムがあったのにはびっくりしたけど、甘塩の鮭や焼き魚、野菜炒め、煮物、茶碗蒸し(しめじが2、3本入っている)、ひじきの炒め物、漬物に納豆に明太子に湯豆腐(冷やっこ)、そしてご飯かおかゆに味噌汁。けっこうヘルシーだということで、無料サービスは無視して2人分5千円の「朝ごはん」を食べた。特におかゆが気に入って、これに塩鮭や明太子やしそきゅうりを入れて食べたら、うはあ、おいしい。隣のテーブルのおばさまたちの顰蹙をかっちゃったけど、とにかくおかゆが好きだった。宮崎では和食と洋食の両方があるバイキングで、3日のうちで出てきたのは1日だけで残念だったけど、きれいなピンク色をした「五穀がゆ」がことのほか気に入った。

東京の同じホテルに戻ったら、また「無料サービス」の洋食の朝食券を10日分くれたんだけど、和食レストランに行けば「クーポンは?」と聞かれる。日本人には和食、外国人には洋食ということなのかと思って、せっかくのただ飯を利用せずに10日も自腹を切って和食を食べるも何ももないもんだと、和食券と交換してもらいに行ったら、フロントの人は困った顔。カレシが洋食は健康に悪いからイヤだとねばったら、しばらく奥へ引っ込んでから出てきて「10泊のうち5泊分だけにしてください」と言ってきた。よくわからない説明をつなぐと、どうやら海外からの客には朝食はほんとうに「おまけ」だけど日本国内の客には朝食込みの宿泊料と、価格体系が違うらしい。和食は洋食より高くて、差額は2人分で約千円だから、つまりは10日なら1万円も余分のサービスすることになる。京王プラザさん、出血サービスさせてスイマセンね。だけど、せっかくだから5日分を和食の朝食券に替えてもらって、その日の気分で洋食にしたり、和食にしたり。それでも人間てのはわがままな動物で、3日も続くとどっちも飽きてしまった。(それでもおかゆはオリヴァーツイストよろしく空になったお茶碗を持って代わりをもらいに行ったくらい気に入っていたけど・・・。)

当然15日の間は毎日朝、昼、夜の三食が「外食」だったので、駅の立ち食いカレーから、(宮崎での)手打ちラーメン、ビル地下の小さなそば屋のざるそば、デパートの「レストラン街」でのとんかつ、すしや懐石、創作イタリア料理、おしゃれなカフェのピッツァ、ヒルトンの本格フランス料理まで、よくいろんなものを食べた。ビーフカレーにはビーフのかけらしか入っていなかったけど安くてけっこうおいしかったし、打ち立てのラーメンは昔風のスープで極上の味。築地のすしも「久兵衛」のおまかせすしもどっちもおいしかったし、ル・ペルゴレーズのコースもすばらしかったし、気取った懐石料理も見た目がなかなか鮮やかで楽しめた。新宿では高層ビルの外にはどこでも「レストラン街」の看板があって、そば屋からカフェからイタリアンまでずらり。旅行者でも食べるに困らないというのが印象。まあ、なにしろ人が多いところだからあたりまえなんだろうけど。ただし、ビルの地下もデパートの上階も、レストランのラインアップは似たりよったりで、ビルレス、デパレス、ファミレスといったところか。

いろいろおいしいものを食べたんだけど、肉はあまり食べなかった。いいレストランで出てくるのはいわゆる「霜降り」というやつで、脂身で白っぽくなっている肉の写真を見ただけで口の中が脂っぽくなるし、豚の角煮?というのは味がしみ込んでおいしそうだったけど、よく見たら半分が脂身でまさにchewing the fat(長々と愚痴話をすること)。すし屋もトロが大人気。まあ、魚のまぐろはともかく、動物の脂身は飽和脂肪だから、体に良くなさそうなんだけどなあ。元々日本人は農耕民族で、おまけに仏教の影響で菜食中心だったから、エネルギー源として動物脂肪にありつけるのは貴重なことで、ひょっとしたらその頃に脂身好きがプログラミングされたのかなあ。ま、脂身たっぷりの肉でも大きなステーキにして大食いしないだろうから、さしたる害はないのかもしれないけど・・・。

日本のものが世界のどこのよりもおいしいと思ったのがケーキの類。甘すぎず、こってりしない上品な味で、カレシも絶賛でホテルのケーキ屋に入り浸り。そういえば、どこを歩いてもケーキ屋やベーカリーが多かったなあ。あんなにあっていいのかなと思ったけど。食べるのに一番手を焼いて愉快だったのが、宮崎の「なんじゃこらシュー」という巨大なシュークリーム。オリジナルは「なんじゃこら大福」でシュークリーム版を考案したようだけど、野球のグラブくらいありそうなのに、たっぷりのカスタードクリームとあずき餡のクリームが詰まっていて、その中に大きないちごと栗とクリームチーズの固まり。クリームがはみ出してくるのに手こずりながら丸々食べたけど、ゆうに千カロリーはあっただろうなあ。写真を撮っておけば良かったな。ほんとに壮観だったんだから・・・。

日本のすしに関しては(当然だけど)バンクーバーで食べられるすしとは比べものになられない。なにしろ端っからネタが違う。ウニを食べたらその違いがよけいにわかる。久兵衛のすしが「鮨」だとしたら、築地で食べたのは「寿司」。バンクーバーのちょっといい日本料理屋で食べるのはカタカナの「スシ」で、マクドナルドよりも多いといわれる街角の店で作っているのは「sushi」ってところかなあ。それくらいに違うから、もう別々の食べ物といった方がよさそうな。

まあ何といっても、おいしいものや珍しいものを毎日食べられるのが旅の楽しみ。それでも、どんなグルメ料理であっても、旅が長くなればやっぱり飽きが来て、食べなれた平凡な家庭料理が恋しくなるんだろうけど・・・。

35年も英語をしゃべっていれば

5月11日。火曜日。ちょっと早めに目が覚めた。今日が納期の仕事が、仕上がりの推定量をかなり超えそうで、間に合うかどうかと思いながら、きのうはえいっと寝てしまった。ほんとに寝たかどうかは別として、やっぱりそういうときは脳みそ樽のどっか底の方から「気がかり」という泡がふつふつと発酵して来てしまう。結局は、寝たのかどうかもわからないうちに外が明るくなり、しゃあないから起きようということになる。眠りと言うのはおもしろいもんだと思うな。

朝ごはん、そして仕事場へ直行。はあ、ほんとに間に合うのかいな、とため息。遊びすぎたしねえ。だらけ病が治らないと困るんだけどなあ。そうやって時計とカレンダーをにらみながら自分に圧力をかけていると、俄然張り切りだすがの、まさに掛け値なしにでゲンキン主義なワタシ。こういうのをmoney playerというのかもしれないけど、あまりにも猛烈まじめモードになってぶっ飛ばしたもので、日本の夕方が期限の仕事なのに朝一番で納品。勢いに乗ったついでに、明日が期限の次の仕事もそれっと片付けてさっさと納品。うん、やっとだらけモードから脱却しつつあるというところかな。次のはちょっとばかりでかいから、その調子、その調子・・・。

日本での会議ではどういう風の吹きまわしか、1時間のセッションを受け持たされてしまった。まあ、やってみない?といわれて能天気に「いいよ」と言ってしまったからそうなったんだけど、返事をした後になって、うは、1時間も人前でしゃべるってけっこう大変そうだ~と頭を抱えた。それでも台本があれば何とかなるんじゃないかと思案したけど、結局はバスルームの改装だの、予算消化期の魔の3月だのとばたばたするばかりで、台本どころじゃない。3ヵ月前になり、2ヵ月前になり、1ヵ月前になり、とうとう1週間前になって、もうやけっぱちでパワーポイントのプレゼンファイルを作った。やたらと色を使わず、写真もスライド1枚だけで、説明しなくてもわかるもの。かなりシンプルで、我ながらわりといい出来だったけど、やっぱり切羽詰らないとギアアップできないのがワタシなんだろうなあ。

もうひとつ思案投げ首しているうちに切羽詰ってしまったのが、英語と日本語のどっちでプレゼンをやるかという問題。台本があればどっちでも楽々だろうけど、スライドをつくり終わったのが出発のもう2日前で、台本どころかメモを作る暇もなし。忙しいときの思いつき料理と同じで、ぶっつけ本番になってしまった。さて、何が飛び出すか・・・ここで告白しちゃうと、さすがのワタシも内心はちょっと心配だった。日本語はさび付いているし、英語はいくら35年も日常言語として使ってきたといっても、元々は母語じゃないからほんとうに1時間もノンストップでしゃべり続けられるものなのか。

実は、しゃべり続けられたんだなあ、これが。持ち時間いっぱいでオーバーしそうになったくらいしゃべり続けられた。びっくりしたのは当のワタシ。ときどきテーマから脱線はしたけど、フリーランス駆け出し時代のケチ弁護士との鍔ぜり合いの話とか、会社が倒産する3日前にそれを知っている社長の「ローンが入るから」という言葉を真に受けて仕事を引き受けて、当時としては痛い焦げ付きを作った話とか、20年もやっているとまあけっこういろんなエピソードがある。あちこちで頭がこくこくと動いていたのは「うん、そうそう」と共感してくれていたのかもしれない。ここぞというところでは笑ってくれたし、込み入った話をしたわけじゃないから途中で言葉に詰まることもなかったし、ほんとにべらべらとよくしゃべったと思う。終わった後で、おもしろかったよと言ってくれた人たちがけっこういたし、参考になったといってくれた人たちもいた。最前列に陣取っていたカレシは、「みんなが共有できる話をわかりやすく話していたから、みんなちゃんと聞き入っていたし、誰も途中で出て行かなかったから、うん、Aプラスの点をあげとこうか」。ありがとうさん。

カナダに渡って来て、あしたで満35年。筋道が通って他人にわかる英語があたりまえのように即興的に、しかも1時間もすらすら出てきたというのは、英語の人生がここまで来たんだという、ひとつの道程標に達したということだろうな。決して英語の発音や文法がネイティブ並みと言えるレベルじゃないと思うんだけど、そういう評価で一喜一憂する時期はとうに過ぎたということだろう。まあ、生まれつきおしゃべりな人間が35年も英語圏で社会人をやって来たらそれくらいは行けるんだってだけのことかもしれないけど。東京でも日本語をしゃべっているときの方が頭の中で「日本語で話をしているんだ」と意識しているのを感じたのに、英語で話しているときは特にそんなことは意識しなかったから、とうとう英語がワタシの第一言語になったということらしい。プレゼンは期せずして一種の「英語検定試験」になったのかもしれないな。ま、スコアはどうでもいいけど、背中まで手を回せるんだったら、「ワタシよ、がんばったね」と、自分で自分の背中を思いっきりどんと叩いてやりたいなあ。

出不精夫婦に車2台は無理

5月12日。水曜日。ゲートのチャイムで夢を破られた。午前11時。寝ぼけたまま「誰なんだ~」とうつらうつらしていたら、またチャイムが鳴る。こんどは立て続けに鳴る。そっか、今日は掃除の日。シーラとヴァルが到着したんだ。今日は我が家だけと言うことで、少し早めにと予告されていたっけ。あわてて飛び起きたカレシがゲートを開けに行った。防犯アラームが鳴り出す。ワタシもあわてて飛び起きてアラームを解除。ああ、今日も初夏のようないい天気・・・

掃除が終わった後は、静かな午後。次の仕事にとりかかる。前年の文書を渡されて、これを踏襲してということだけど、う~ん、書き直したくなるところがけっこうある。WordのPropertiesを見ると原稿の作成元がわかることが多いから、さっそく調べて「Company」のところにあった名前をググってみたら、どうも文書作成サービスをするらしい。翻訳サービスも業務の中に入っているようで、うたい文句を読んでいると、どうやら過去の文書が厳然とした「前例」になるらしい。一貫性を期するということなんだろうけど、だったら、Tradosなんかを使えばその通りに行くのに、なんでよけいなお金をかけるんだろうな。翻訳者はロボットじゃないんだっつうの。文章には十人十色のスタイルがあるっつうの。ま、「前例」をそのまま流用できたりするから、「ん?」というところを目をつぶってしまえば、時間単価が大いに上がっていいんだけど。

夕食後になって、カレシが旅行中にバッテリがすっからかんに上がっていたエコーのエンジンをかけると言い出した。充電式のブースターを買ってあったので、今度はトヨタのサービスを呼ばずにやってみるという。ブースターにケーブルを差し込めないとか、眼鏡がないとマニュアルを読めないのに肝心の眼鏡が見つからないとか、何かと付随的な問題に遭遇したけど、やっとケーブルをバッテリにつないでキーを回した・・・けど、エンジンはうんともすんとも言わない。あ~あ。ブースターが欠陥品なのか、やり方が悪いのか・・・。しょうがないから、結局またトウトラックを送ってもらう。やってきたトウトラックの運転手曰く、「この前はトラックだったよねえ」。カレシ曰く、「もう頭に来たから、2台とも売り払って自転車を買うよ」。

運転手氏がトラックから自分のブースターを持って来て、手際よくバッテリにつなき、「はい、エンジンかけてみて」。ん?あの、し~んとしてるけど。運転手氏はケーブルを動かしてみたり、つなぎ直したり。とたんに、ダッシュボードのライトがついて、勢いよくエンジンがかかった。どうも我が家のブースターも欠陥品じゃなくて、使い手の装着の仕方が良くなかったらしい。運転手氏にお礼を言って伝票にサインして、「またね」とは言わなかったけど見送ってから、カレシと夜のドライブに出かけた。ハイウェイをぶっ飛ばしたり、上り坂を駆け上がったりと、30分ほど走って充電しようと言うわけだけど、期せずしてカレシと水入らずのおしゃべりが楽しめる「クオリティタイム」。なにしろコンピュータからもテレビからも仕事からも離れて、あてもなくひたすら走るだけだから、自然におしゃべりが始まる。(だからといって、バッテリが干上がってばかりでは困るんだけど。)

だけど、だけど、なのだ。引きこもりがちな2人のライフスタイルには車2台はやっぱり無理がある。昔の車のバッテリは何ヵ月も走らなくてもちゃんと生きていたのに、今どきのバッテリは半月もしたら干上がってしまう。やたらと電子機器が付いていることも理由のひとつだろうけど、ひょっとしたら環境保護のような理由でバッテリの技術自体が変わったのかもしれない。もっとも、そのおかげで必要もないのに地球温暖化に貢献するガソリンを燃やしてどんどん走り回らないと干上がってしまうというのは本末転倒じゃないかと思うんだけど。今どきの自動車技術、何かがおかしいような気もする。早くプラグイン式の電気自動車が欲しいなあ。でなきゃ、いっそのこと、エコーを売っちゃって、車を必要とするときはタクシーを使うことにしようかな。ワタシは出不精だから、浮いた1年分の保険料で1年分のタクシー代をまかなえそうだし、トラックは走る機会が増えるてバッテリも上がらないだろう
し・・・。なんたって、出歩かない2人には2台も車はいらないのだ。一考の価値ありだなあ、ほんと。

車も仕事もぶっ飛ばさないと

5月13日。木曜日。ずっと天気が良かったけど、そろそろ崩れるらしい。日本で遊び回って帰って来てからちょうど1週間。なんだかちょっと信じられない感じで、もうずいぶん前のことのような気がする。帰ってきてメールを開けたとたんに仕事の待ち伏せを食らって、ずいぶんばたばたしていたからだろうな。スーツケースを一応しまったのはきのうだったし、テーブルの上にはまだ整理していないパンフや地図が山積みだし。もっとも、いつものことだという気もする。Déjà vuというやつか。

日曜日の夕方に納期があるし、その前の土曜日の夜は同業パーティだし、今日はほんとに鉢巻をを締めなおしてかからないと、またぞろぎりぎりで慌ててしまいそうだけど、こっちもdéjà vuってところで、さっぱり気合いが入らない。だらだら、もたもたやっていると、前回の仕事について質問が飛んで来る。実に細かいところまで目配りをして、的を得た質問をして来る人で、こっちも「えっと、ど~してこうなったんだっけ?」と頭を絞って、直すとところは直し、表現を変えるところは変え、なくてもいいものはその理由を説明する。実際に会ったことのある相手だから、ついよけいな背景知識をひけらかしたり、軽口のコメントまで入れたりして、こっちの方がよっぽどおもしろい。

今日はな~んとなく喉が痛い。風邪かなあ。東京では風邪を引いたかと思うような咳に悩まされた。会議では風邪を引いたという人が何人かいたし、東京に戻る飛行機では隣に座った若い人がやたらと咳をしていたから、喉が痛くて、咳が出始めたタイミングからして「やられた」と思ったんだけど、喉の痛みはすぐに取れて、鼻水も熱も関節痛もなく、咳と痰が出るだけ。薬局で買った浅田飴の咳止めドロップ(1回に大きなのを3個!)が効いたし、ティッシュは駅前で配っているのを(外国人にはくれないらしいので)こっちから手を出して調達したしで、何とかしのいだけど、バンクーバーに帰って来たその夜にけろっと咳が止まったから、結局は風邪ではなかったんだろう。たぶん、東京の空気の成分にアレルギー反応したのかもしれないな。

なにしろタバコを吸う人が珍しくなったところから来た身には、東京の空気はとにかくタバコの煙臭い。新宿駅西口前の歩道にある「喫煙エリア」では、仕切った場所から溢れるくらい大勢の人たちがいっせいにモクモクやっているもので、通行人は立ち込める青い煙(これって濃縮副流煙じゃない?)の中を通らなければならない。歩道には4ヵ国語の「路上禁煙」の標識が描かれているところを見ると、どうやら歩きながらのタバコは「マナー違反」でも立ち止まってなら吸ってもいいんだよってことらしいけど、「初めにマナーありき」なのかもしれないな。そういえば、小町横丁には近くにいる他人を「臭くてたまらない」とトピックを上げる人たちがいるけど、こういう不特定多数を「臭くてたまらない」と批難するトピックは見なかったような・・・。

夕食後、ゆうべぶっ飛ばして充電した(はずの)エコーのテストがてら、郊外のコリアンスーパーまで野菜類と魚の調達に遠征することにした。完全にすっからかんに干上がってしまうと、充電できなくなったりするから、ダメかなあと思いつつもおそるおそるエンジンをかける。あら、やたらと元気いっぱい。さては、「めんどくさくなってきたから売っちゃおうか」な~んて話していたのを聞いていたのかな。ゲンキンなやつ。土曜日にはパーティにワシントン州から参加する人も乗せるから、がんばってもらわないとね。ハイウェイは、混んではいないけど上りも下り(という概念はないけど)もかなりの交通量。まだ9時前だからなのか、いつもこんなぐあいなのかはわからないけど、ゆうべもそうだった。こっちは制限速度オーバーでガンガン飛ばしているのに、それをガンガン追い抜いていく車が多い。それとは関係ないとしても、今日は往復中に救急車に遭遇すること4回、消防車1回)。なんとも忙し
い世の中だこと。

野菜は(日本で食べて味をしめた)エリンギ、ぶなしめじ、大豆もやし、ししとうにオクラにニラ、しょうが。太いにんじんと大根。可動棚いっぱいに鉢植えのゴマの苗があった。韓国料理はゴマをよく使うようだから、自家栽培する人も多いんだろうな。実を採るのかなと思っていたら、カレシがゴマの葉を見つけて来たので、ほんとうはどうやって食べるのかわからないけど、お試し買い。魚類は半額セールをやっていたティラピア(包装には日本語で「いずみ鯛」と書いてある)にイカのげそに大きなほたてにビンナガにサケ。後はカレシの好きならっきょうや魚のソーセージ、リチの入ったナタデココ、ランチにする冷凍のキムチチヂミとイカとえびの韓国ギョーザ。けっこう大きな買い物になった。大きな店だから、多分韓国から直輸入の珍しいものがたくさんある。食洗機なのか洗濯機なのか、はたまた何なのかわからない家電まで置いてあって、ハングルを読めたらいいのになあと思うことしきり。ヒマになったら勉強してみるか・・・ん、まだまだそんなヒマはできそうにないかな。あ~あ・・・

まあ、あしたこそはエンジンをガンガン噴かしてハイウェイをぶっ飛ばさなきゃ。元気になったエコーの話じゃなくて、喉が痛かろうか何だろうが、エンジンをフル回転しないと二進も三進も行かなくなりそうなのはワタシの仕事の方・・・。

まあ、そんなにこだわらなくても・・・

5月14日。起床、正午。もう金曜日。今日こそは気合いを入れて仕事にかからないと。喉の痛みは治まったから、やっぱり風邪ではなかったんだろう。その代わり、というのもヘンだけど、今日は親指の付け根が痛い。寝ている間にうっかり曲げて、瞬間的な激痛で2度も目が覚めてしまった。(それで結局正午まで寝てしまったんだけど。)付け根の内側にコロコロしているところがあって、そこを押すと飛び上がるほど痛い。つまりは「腱鞘」というやつが炎症を起こして腫れているんだろうけど、最初に問題が起きた上の関節の方はコロコロがあっても押しても痛まない。このばね指、突然にそうなってもう2ヵ月。さっぱり改善されないどころか、利き手だから使わないわけにはいかないせいもあってか、悪化しているような気がする。困ったなあ・・・。

まあ、ワタシはだいたい両手利きだから、ピンチヒッターに右手を使えばちょっとぎごちないにしても一応は何とかなる。これが完全に右利き、左利きだったら、仕事にも日常生活にもさしつかえただろうな。ほんと、こんなときに片手利きの人たちはさぞ大変だろうと思うけど、どうしているんだろうな。実家住まいだった頃、母が利き腕を骨折して、家にひとりの昼間にランチに食べようと思ったハムを切ることができなくて泣きたくなった、「あんたは両手が使えていいねえ」と言ったことがあった。そもそもワタシが両手利きになったのは、娘の左利きを矯正しようと躍起だった母が、吃音障害が起きてあわてて中途でやめてくれたおかげなんだけどな。ま、人生というのは何が後になってどう転ぶかわからないもので、この「左がダメでも右がある」という一種の安心感があんがいワタシの能天気な性格の形成にひと役買ったのかもしれない。(これでけっこう一途なところもあるんだけど・・・。)

つまるところ、「左がダメなら右がある」というのは「左」と「右」のディコトミーなんだけど、ここのところを「左と右」と見るか、「左対右」と見るかによって、ものごとを見る視点が違って来ると思う。ワタシは一見して相反する2つのものがあって「ひとつの宇宙」ができていると考えるけど、「右か、左か」という二項対立の考え方をする人だってたくさんいる。右「と」左があると思えば、特にどっちにこだわることもないわけで、良く言えば柔軟、悪く言えばいい加減ということになるかな。これが右「か」左かという二択になると、どっちでもいいわけじゃないから、そこに「いい方を選択したい」という欲望が生まる。それ自体は当然の欲求なんだけど、そこで「いい方を選ぶこと」へのプレッシャがかかると「こだわり」が生まれるんじゃないかと思う。こだわりにこだわる人が増えれば、そこに「こだわりの文化」が生まれるだろうな。だけど、「こだわり」は本来あまりいい意味じゃないはずで、あるものや状態にこだわるということはその一点にズームインしてしまうということで、要するに「視野狭窄」。大きなことへのこだわりならまだしも、小さなことにこだわってしまうと半径5メートルの視界が5センチくらいになってしまって、自分の足元も行き先も見えなくなるんじゃないかと思うんだけど、どうなのかなあ。

両手利きで助かったという話がなぜかこだわりの話になってしまったけど、ひょっとしたら、東京で「こだわり」という言葉が溢れていて、なんだかみんな何かにしがみついているような感じがしたからかもしれない。その「何か」がひと目でそれとわかるブランド品だったり、画一的なファッションだったり、「イベリコ豚」だったり、「○○産のこだわり何とか」だったりするから、あんがいメディアの策謀で「こだわらせられている」のかもしれない。もっとも、ワタシもすっかり日本知らずの日系外国人になってしまっているらしいから、観光客が見た表面的な事象に対する印象に過ぎないじゃないかと言われたら、そうだろうなあと言うほかないんだけど。

ま、よけいなことにぶつぶつこだわってないで、夕食を済ませたら仕事に気合いを入れなくちゃ・・・。

華麗なる学歴の人たち

5月15日。土曜日。夕方のパーティの前にやれるだけやっておこうと、起きてから朝食もそこそこに、仕事の鬼に変身・・・とまではいかないけれど、まあ、けっこうまじめに仕事。外はいい天気なんだけど・・・。

ワシントン州からの友だちが迷子にならず無事に到着して、パーティに出かけるまでしばしのおしゃべり。実はきのう夜、我が家までの道順を知らせるのに、ちょっとばかり方向音痴なワタシが右折と左折を間違えて教えて、あわてて訂正するという一幕があった。でも、家を出る前に電話してくれて、カレシがわかりやすく説明してくれたので、自分も方向音痴だという彼女も迷子にならずに済んだ。右と左を取り違えるなんてことは日常茶飯事なのがワタシなんだけど、こういうのは困るよね。

パーティはカナダの同業者、アメリカの同業者が混じって、初対面同士も多いけど、和気あいあい。それにしても、フリーランスでこの商売をやっている人間って、同業同士で集まるとみんな猛烈なおしゃべりになるからすごい。ふだんひとりぼっちで仕事をしているせいなのかもしれないけど、10人くらい集まっただけでもすごいんだから、
100人以上集まったときの「音量」のすごさは形容しがたい。もっとも、同業といっても教育や経験の背景がそれぞれに違う。年代的に初めからキャリアとして目ざしたのではなく、人生の節目で「いつのまにか」この道に入ったという人たちが多いけど、みんな、日本のどこそこの大学を出て、どこそこの大学に留学して修士を取ったなんて華々しい経歴の人たちばかりで、「学歴ゼロ」なのはワタシだけだろうな。

まあ、統計用語で言うならば、グラフの線の周りに群れるたくさんの点々からぽつんと離れた「孤立値」みたいなものかな。いつもそういう気分で育った感じだから、目の前に「すごい人たち」がずらりといても気後れしないのがワタシで、たぶん、「空気の読めないやつ」ってことになるんだろうけど、ま、いいっか・・・。

楽しくおしゃべりしまくって、国境の南へ帰っていく友達を見送って、さて、また仕事。期限はあしたの午後8時。間に合うかなあ・・・