リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

昔は金持が貧乏人を闘わせた娯楽が現代は貧乏人が金持を闘わせるスポーツ

2024年05月17日 | 日々の風の吹くまま
5月15日(水曜日)。☁⛅☁。きのうの今日というわけじゃないけど、何だか静かな「こぶの日」。もしかしてゆうべバンクーバーカナックスがエドモントンでゲーム終了間際で劇的な負け方をしちゃったもので、みんな気が抜けてしまったのかな。だって、第4戦で勝てばほぼ次のラウンド進出は確実という正念場で、2対0から第2ピリオドで同点に持ち込んで、うはっ、やるじゃないのぉ、行け、行けと言うところだったのに、第3ピリオド終盤でエドモントンがゴールして突然2対3でカナックスは背水の陣。結局そのまま試合終了で、あぁ~あ。アリーナや公園に作られた観戦席で騒いでいた人たちはさぞかし落胆しただろうけど、まあ、人間離れした巨額のお金が徘徊する今どきのプロスポーツはハリウッドのアクション映画と変わらないエンターテインメント産業なんだから、いっときの興奮を大いに満喫したら、じゃあ、次に行こってことになればそれでよし。

それにしも、地球上の動物世界でHome sapiens(人類)だけが持っていて、一見して理性的な人間をもっと、もっと、もっと「欲しい」と駆り立てる「お金」って、いったい何なんだろうな。今どきの人間の営みのほとんどすべてが「お金」を基準にして動いているようだから、ないよりはあった方がいいし、少しよりはもうちょっと多く、もうちょっと多いよりはたっぷりある方がいいのは確か。でも、どれだけあればいいのかというと、人それぞれにニーズや欲のレベルが違うから、どのあたりで満足すべきなのかを判断する要素も人それぞれで、あると言えるほどなくてもハッピーな人がいれば、そろばんの桁が間に合わないくらいあってもまだ満足できない人もいるし、お金を作るにしても地道にこつこつ稼いで満足する人がいれば、一発勝負で一攫千金を得ることに夢中になる人もいるから、ほんとにお金って不思議な生き物だと思う。

なぜかホッケーの負け試合の話がお金の価値の話になっちゃったけど、いつも思うのは、ごく普通の人間には一生や二生をかけても稼げないようなお金で雇われた億万長者たちが氷の上で闘うのを、普通の市民がけっして安くない料金を払って楽しむという現代の娯楽と、闘技場で奴隷や動物が命をかけて戦うのを衣食足りた市民が見て楽しんだ古代ローマ時代の大衆娯楽の対照的なところで、昔は金持がお金を持っていない人を闘わせて楽しんだのが、現代ではお金のない人が大金持同士を戦わせて楽しむみたいな逆転の図式がおもしろい。でも、逆転しているのはお金で測れるものだけで、基本的にはローマ時代も現代も人間社会は同じようなもので、精神的にはあまり進化していないような気がするな。まあ、Homo sapiens(賢い人間)がこの先Homo stultus(愚かな人間)に進化しなければいいってことだけど。

お金の話で今話題?になっているのが、サイバー攻撃で患者の個人情報が流出した大手の医療検査所に対する集団訴訟の賠償金。数十億円の賠償金が支払われることになったけど、当初は5千円から1万5千円と推定されていたのが、「被害者」が我も我もと殺到して90万人を超たために最終的に1人当たり800円弱となり、メディアが「被害者」の不平不満を報じるありさま。私たちもその検査所を利用していたから「有資格者」として登録を促すメールが来たけどアホかぁと無視。だって、FBに対する集団訴訟でも同じだったけど、集団訴訟で莫大な賠償金を勝ち取ってウハウハするのはその3分の1を報酬としてせしめる弁護士たちで、訴訟が大型であればあるほど原告1人あたりの取り分は「バカにしている」という金額になるんだもの。でも、もらえると聞くと欲しい、もらわなきゃ損となるのがお金に関する昨今の世相のようで、人間の性と言ってしまえばそれまでだけど、やっぱり何だかなあ・・・。


オレゴン州原産の高山植物ルウィシア~山火事に遭わないないといいけど


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