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北風と太陽、そしてハチ 中歴-03

2014年01月27日 21時26分01秒 | 中国の歴史とことば
 北風と太陽の話があります。今日、ちょっと考えたんですけど、少し書いてみます。最後には中国の歴史と言葉にうまくつなげられるように、やってみますね。

 旅人のコートを脱がそうと、北風がものすごい風を送りました。旅人はコートをはがされてなるものかと、懸命に前屈みになりながら風に向かっていきます。風はあきらめて、選手交代。太陽があたたかく旅人を照らすと、北風の中を必死に歩いてきた後で、お日様に迎えられて、温かくなったのか旅人はコートを脱いでしまいます。そして、教訓は、人は厳しいだけでは思い通りにならない。時には回りくどいような、正反対の力によって人は動かすことができるのだ、ということになります。

 人に対して「北風」的なものとは、厳しい・冷たい・客観的・合理的・強権的に接するようなことでしょうか。それでは、「太陽」的なものとは、優しい・温かい・主観的・非合理的・穏健的な対応ということになります。これらは、人の歴史がつづく中で、折にふれて使い分けられてきました。

 北風的な政治家はというと、信長さんとか、大久保利通さんとか……? 日本史の中では、あまり具体的な人が思い出せません。信長さんだって、最近読んだ話では、謀反を起こそうとした荒木村重さんを何とか変心し、ふたたび帰順させようとしたような、やさしい面があったそうなので、1人の人間を単純に「北風タイプ」と割り切ってしまうのはよくないですね。

 1人の人間の中に「北風」的な気分の時と、「太陽」的な気持ちになってしまう時とが、時と場合によって出てくるというのが、本当なのでしよう。たまたま後世の人が見たら、強権的な合理主義者に見える人がいたとしても、それは一面であって、我々の知らないところで、太陽的だったりするので、簡単に決められないです。それらがゴチャマゼになっているのが人間です。

 けれども、何かに向かう「時」の戦略として、「北風でいこう」「太陽になろう」はあり得ます。昔、韓国のキム・デジュン大統領の時の太陽政策、その後の北風政策など、風向きによって、これらは使い分けられました。それは仕方のないことです。時流で変わってきます。

 さて、近ごろの日本は? というと、景気も悪く、政治は安定せず、自然災害に見舞われ、中国には政治的・軍事的プレッシャーをかけられ、韓国からは何かにつけて目の敵にされ(イ・ミョンバクさんなんて、日本にいたこともあるわけだから、かなりの知日派であったにもかかわらず、あれだけ日本に韓流ブームがあったのに、それに乗ろうとせず、政権末期から現在のバク・クネさんにつながって、これからは新しい関係ができるのかなと思ったら、向こうからビンタは飛ぶは、差し出した手をつねられるは、もうズタズタになってしまいました)、若者は就職口が見つからず(本当は門戸は開いているはずなのに、彼らはその戸をたたこうとしません。門戸の内部があまり見えなくて、入るのが怖い気がするのでしょう)、とにかくあまりいいことはありません。

 この打開策は、北風なのか? 太陽なのか? 

 つまり、北風とは、国民からは税金を厳しく取り立て、軍備は拡大し、仮想敵国とは交渉もせず、緊縮財政で、合理化し、人件費はカットして、製造業はどんどん海外進出させ、とにかく国家として生産を上げていく方向をとる。たぶん、民主党政権の時は、とにかく莫大な借金があって、これを何とかしなくてはならないし、ばらまくお金のことばかり考え、公共工事をストップして、国民から支持されようとして、高速を無料化したり、高校無償化したり、こどもへのお金をばらまいたり、あまりにうすっぺらな無計画政策ばかりで、ほとんど何もできないで、政権の座から転げ落ちました。民主党は出直しのための新たなステージに入りました。でも、メンバーは代わり映えしないし、また同じような政策しか出せないなら、55年体制よりもひどい自民党一強時代が来るかもしれません。民主党のみなさんはもっと政策のできる人たちだと信頼してたんですが、バカみたいな結果になりました。ケンカばかりして、自分だけいい格好をするパフォーマンスばかりでした。残念でした。彼らは太陽ではありませんでした。北風でもありませんでした。梅雨の頃のなま温かい風みたいでした。

 じゃあ、今の安部さんは太陽政策なのでしようか? 縮こまっていた企業を解きほぐし、金融を活性化し、みなさん、日本は素敵な市場ですよ。どんどん日本に投資してくださいと、世界各地でトップセールスを展開し、その結果、オリンピックを呼び込み、市場も活性化、景気も上向きと、いいことづくめで来ていました。ところが、安部さんは経済は一番やりたいことではなくて、憲法を改正し、日本古来の伝統を復活させ、美しき歴史ある日本を確立し、東アジアの中で光り輝く美しい国となること。そういう美意識のもとに行動しておられて、すべてはそのための方便なのかもしれません。

 そんな国は、どこにあるのかボクにはわかりません。そんな、まわりの国と一緒にやれない独善はまちがっているような気がします。もっと部下を韓国・中国に何度も送って、官僚だけじゃなく、民間や若者・老人・子どもいろんなチャンネルを使って、関わり合い、懸案事項をとことん話し合い、もう一度日本の過去の戦争を周辺国と歴史について研究させ、自分は言及を控え、歴史には一歩引いて構えて、タイミングを見計らって関係修復するための政治家としての言葉を丁寧に述べる人であって欲しい。

 北朝鮮にもアントニオ猪木でも何でもいいから、どんどん交流を促進し、表裏いろいろなチャンネルで交渉して、話し合いの席に引きずり出しして、経済規模は中国には及ばないけれど、政治ではなかなか無視できない、アジアから注目される、それこそアジアから太陽のように見られる日本になってもらいたいと思うのです。

 でも、難しいかもしれません。安部さんは自国の経済優先なので、その国が核のゴミで悩むかもしれないけど、とにかく原発は売らなきゃならないし、中国に影響されまくってるアフリカ諸国に、もう一度日本を見直させなきゃいけなくて、もうセールス一辺倒です。とても、自国からまわりの国に日差しを注ぐではなくて、北風のようにアフリカ・東南アジア・インドなどを回って自国の利益を追い求めています。とにかく儲かることに血眼になっています。そんなの、相手に見透かされていると思うのだけれど、相変わらず派手なパフォーマンスは続いています。

 北風だけではダメ。太陽もなかなか為政者としては、いつまでもいい顔をしていられない。それでは何か他にいるものはないのか? 合理的・強権的も時には大事。人から愛され、人にプレッシャーを与えず、人々をリラックスさせるのも大事。北風と太陽。力と心と言い換えてもいいかもしれない。それに足りないもの? それはハチじゃないだろうかと思ったのです。

 ハチは、みんなで暮らし、みんなで情報交換し、みんなで1人のトップを支え、共同体を形作っています。決して1人ではなく、助け合いの精神、お互いのことを考える。これは想像力なのかなとふと思いました。力だけではダメ、心だけではダメ。それをつなぐ想像力・イメージ力で、足りないものを補っていければなあと思ったんです。

 それで、韓非さんのように法による強権政治と、孔子さんの仁による思いやりと、その2つを使い分け、足りないものを想像し、おぎなっていけるハチみたいなもの。口で言うのは簡単なんですが、昔の諸子百家みたいに、何か著作つくるとか、哲学するとかできたらいいのですが、ボクには無理で、とりあえず、ちゃんと韓非子読んで、論語を読んでみようと思います。

 少しだけ、中国の歴史と言葉に近づいてきました。お粗末でした。夕方、クルマの中ではいいアイデアだと思ったんだけどなあ。


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