Yさんの閑日好日雑記

徒然に、気まぐれに何かが見つかれば

更新の一旦停止

2013年12月30日 | 日記
12月30日
今年からブログなるものを、元会社のI先輩がやっていたのを見せてもらい、
私もやって見ようかと初めて約半年が過ぎた。
平凡な時の流れの中で、何か行動する、見つける、思い出すことの大変さを
改めて諭された半年であった。
年末年始のため12月31日から1月3日までブログの更新を一旦停止します。

今日は、山仲間と高尾山の登り納め、小仏峠~城山~高尾山のルート。

走る書棚

2013年12月29日 | 日記
閑日:「何となく撮った写真シリーズ」④

富士急行線の富士登山電車である。
車内に書棚が見える。この車両は、有名な工業デザイナーの水戸岡鋭治氏が
外装、内装を手がけた電車である。
私は、富士急行線は何回も乗ったがこの車両には乗ったことがない。
何故かと云うと富士急行線はユニークな車両が多く在籍しているが、
単純に乗った時、巡り会わなかっただけである。
それは別として、電車の中に書棚。何となく撮ってしまった。
ただそれだけである。

今年最後の銀座

2013年12月28日 | 日記
12月27日
昨日に続いて、今年最後の銀座へ出かける。
天賞堂を覘いて、鉄道模型を見て買えない悔しさを紛らわす。
そして、今日の目的である銀座の元職場の納会に出席。
私の最後の飲み納め会でもある。場所は銀座7丁目ライオンの2階。
昨日のCサロンの忘年会とは、また別な銀座にある元職場の皆さんである。
OBになっても声を掛けてくれるのも珍しい。
私だけでなく、ここの職場で定年後アルバイトをしていたメンバーに
声を掛けてくれる。私事都合で欠席しても構わなのだが何故か顔を出す。
総勢25名前後の盛大な納会であった。

昨日も飲んだので、今日は控えめで行こうなどと初めは考えていたが、
飲み始めるとそんなことは何処かへ吹っ飛んでしまう。
納会終了後、数名で2次会に行こうということになり、昨日寄った「そば鳥」に
行くが、昨日に続いて満席で入れなかった。今日は予約を入れていなかった。
ここが満員ということは、多分何処も彼処もだめだろうと何軒か覘くが、
すべて満員御礼であった。
そんな時、若手のTさんが昔良く行った中華屋さんを覘いたら、たまたま帰る客
がいて何とか席にありつけた。
今年の最後の金曜日、当然と云えばの混みよう当たり前であるが、そな鳥が
満員ということはお店には失礼ながら、景気が回復しつつあるのかな。
席も確保でき気の置けない仲間と飲んで帰る。
銀座は、日の丸の旗を付けて新年を迎える準備万端であった。


銀座Cサロンの忘年会

2013年12月27日 | 日記
12月26日
ボランティア納めなどと先日書いたが、もう少し作業場(会議室)を
整理、整頓しょうとHSさんの発案で、Sさん交えてJCIIに行く。

夜は、揃って銀座のCサロンの忘年会に流れ込むので都合が宜しい。
このCサロンの忘年会は、写真家の方々に対する1年間の感謝をこめて、
私が在籍していた頃より続いている歴史というか伝統的な行事になっている。
最近は、ケータリングのサービスで食べ物などを用意しているが、
私が居た頃は社員が前々日ぐらいから、仕込みをしたりで手作りのものが
多かった。それが可能な時代であったのであろう。
今は、衛生面など考慮すれば無理なこと当然である。

何しろ毎年の事であるが、狭い会場に多くの参加者が集まるので、久し振りに
会う人たちとの挨拶もたいへんである。
OBになっても頭を下げに来ているような感がある。
私は、Sカメラマンと以前より打合せており、2次会場に行ってゆっくりやろうと
馴染みの「そば鳥」に移動する。
ここは銀座でも良い場所なのだが何故かいつも空いている。
しかし今日は予約しておいて良かった。珍しく満員状態であった。
ここになだれ込んだメンバーは、総勢9名で10時過ぎまで飲んで、語って
散会となる。

列車サボ・はと

2013年12月26日 | 日記
閑日:「僕の何となく好きなモノ」 ⑧

列車サボとは、鉄道車両の行先票である「サインボード」の略である。
このサボには、多種あり、方向板、行先板、系統板、号車札、種別札、愛称札
が主なものであろう。現在は、幕式が多くなり方向幕と呼ばれるものが多い。
私の持っている列車サボは往年の特急「はと」の愛称札である。
この「はと」は、昭和25年5月11日~昭和35年5月31日までに使われ
ていた客車特急用のものである。
本物は、ほうろう製であるが、もちろんこのサボはレプリカである。
表、裏に表記があり「はと」と「つばめ」になる。
なぜ「はと」が好きかというと阿呆列車ではないが、東京を9時発の「つばめ」、
「はと」は12時30分発、朝が弱い私には何故か好きである。
と云っても、もちろん当時乗ったこともないしその機会もなかった。
また「つばめ」は大阪管轄で、「はと」は東京管轄であった。
東京管轄ということは、品川客車区で運用されていた。
以前にも書いたが、父親がちょうどこれらの優等列車が走っていた時代の品川
客車区に勤務していた。そんなことも、心のどこかにあるのだろう。
写真のHOゲージ模型の展望車、クリーム色のラインの右端のちょっと赤く見える
場所が愛称サボの位置である。