いよいよ今年も終わり。今年の更新はこれで最後にします。
久々にまるごと音楽会に行きました。ボーズのソネさんはいつものように元気で、大阪人のお二人はいつもと違ってラフな格好。ネクタイ姿以外を初めて見ました。新しい人も増え、いつもの人も同じように続けてくれている。愛燦々だけは聴きたいなと思って、それを聴いたあと少し仕事を済ませてもう一度立ち寄ってみると、千の風になってでした(写真)。
愛燦々にしても千の風になってにしても、今の自分の心情と良く合う。時間もなかったのだけど、これは聴こうと写真だけ撮って、そのあとで家路につきました。
この千の風の歌詞、まだほとんどの人が知らない時に私は自分のページに掲載した(今は閉鎖したが)。あれから数年後、まさかあれほど有名になるとは思いもしなかった。ただ私の知っていた内容(どういういきさつであの言葉が出来たか)と、巷に流布した話は若干違っていた。今となってはどうでもいいと思っている。
愛燦々を聴きながら考えた。何と美しい日本語だろう。自分にはここまでの言葉を使いこなすことは出来ない。だけど本当に美しい。こんな言葉を使ってみたい。
さっき「DQNネーム(子供の名前@あー勘違い・子供がカワイソ)」を見ていた。親の愛はわかるが、もっと日本語(漢字も響きも意味も伝統も)を大切にしたらいいのにと思う。たぶんこの子たちの親や、こういう名前をつけたい人からは大きなお世話と言われるだろうけど。
仏教に八正道という言葉がある。正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念および正定だそうだ。この中の正語、ウィキペディアには『正語(samyag-vaac, sammaa-vaacaa)とは、妄語を離れ、綺語を離れ、両舌を離れ、悪口を離れることである。』と難しく書いてあるが、子ども向けの易しい解説書には『正しい言葉を使うこと』と単純に書いてあった。正しい言葉づかいが生きるのにどう問題になるのか。たかが言葉で修行にも悟りにもならないだろう。なんだこのばかばかしい教えは。子どもの私はそう思った。理解できなかった。おかしいと感じた。
実際、この正語=正しい言葉を使えという解釈でいいのかどうかはわからないが、今は正しい言葉を使うことは修行になるなと感じている。修行という言葉でいいかどうか不明だけど、少なくともよく生きるためには必要なことだと感じている。彼らの歌を聴いていても美しい日本語の歌はそれだけで心にしみる。ずっと聴いていたいと思う。
昨年は不安定な未来を表示して1年を終えた。今年は美しい日本語の写真で締めくくろう。日本人の美しい心がいつまでも続きますように。来年が良い年でありますように。