倉敷界隈(かいわい)

「今の倉敷」と「今の私」の記録です。

明るい未来を音楽にのせて

2009年12月31日 00時12分55秒 | 写真

 いよいよ今年も終わり。今年の更新はこれで最後にします。

 久々にまるごと音楽会に行きました。ボーズのソネさんはいつものように元気で、大阪人のお二人はいつもと違ってラフな格好。ネクタイ姿以外を初めて見ました。新しい人も増え、いつもの人も同じように続けてくれている。愛燦々だけは聴きたいなと思って、それを聴いたあと少し仕事を済ませてもう一度立ち寄ってみると、千の風になってでした(写真)。

 愛燦々にしても千の風になってにしても、今の自分の心情と良く合う。時間もなかったのだけど、これは聴こうと写真だけ撮って、そのあとで家路につきました。

 この千の風の歌詞、まだほとんどの人が知らない時に私は自分のページに掲載した(今は閉鎖したが)。あれから数年後、まさかあれほど有名になるとは思いもしなかった。ただ私の知っていた内容(どういういきさつであの言葉が出来たか)と、巷に流布した話は若干違っていた。今となってはどうでもいいと思っている。

 愛燦々を聴きながら考えた。何と美しい日本語だろう。自分にはここまでの言葉を使いこなすことは出来ない。だけど本当に美しい。こんな言葉を使ってみたい。

 さっき「DQNネーム(子供の名前@あー勘違い・子供がカワイソ)」を見ていた。親の愛はわかるが、もっと日本語(漢字も響きも意味も伝統も)を大切にしたらいいのにと思う。たぶんこの子たちの親や、こういう名前をつけたい人からは大きなお世話と言われるだろうけど。

 仏教に八正道という言葉がある。正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念および正定だそうだ。この中の正語、ウィキペディアには『正語(samyag-vaac, sammaa-vaacaa)とは、妄語を離れ、綺語を離れ、両舌を離れ、悪口を離れることである。』と難しく書いてあるが、子ども向けの易しい解説書には『正しい言葉を使うこと』と単純に書いてあった。正しい言葉づかいが生きるのにどう問題になるのか。たかが言葉で修行にも悟りにもならないだろう。なんだこのばかばかしい教えは。子どもの私はそう思った。理解できなかった。おかしいと感じた。

 実際、この正語=正しい言葉を使えという解釈でいいのかどうかはわからないが、今は正しい言葉を使うことは修行になるなと感じている。修行という言葉でいいかどうか不明だけど、少なくともよく生きるためには必要なことだと感じている。彼らの歌を聴いていても美しい日本語の歌はそれだけで心にしみる。ずっと聴いていたいと思う。

 昨年は不安定な未来を表示して1年を終えた。今年は美しい日本語の写真で締めくくろう。日本人の美しい心がいつまでも続きますように。来年が良い年でありますように。


龍の末裔

2009年12月30日 11時52分14秒 | 写真

 今は皆さんは暇なのだろうか。忙中閑ありと、ふと暇になる時があるものだ。することがなければこれはどうだろう。この近辺の作家たちの展覧会、いや作品即売会か。

 別に龍だけをモチーフに作っているわけではない。緑化をしている会社の展示があったり、家具や小物、絵や帽子もあった。全部を売っている訳じゃないみたいだけど、あの家具は欲しかったなぁと思っている。

 話は変わるが、この写真は広角レンズで撮っている。にもかかわらず右の車輪が丸く写っているでしょ。写真をやらない人はわかんないだろうけど、これってできることじゃない。DxO Optics Pro と言うソフトを見つけてその体験版で補正してみた。数々のレンズが登録されていて自動で補正されるし、この写真のように広角用のアタッチメントを使っている場合はもちろんマニュアル補正が出来る。体験版を使用してとても素晴らしいソフトと確認したので買った。2万近いソフトの上、外国製品でDL販売のみと3重苦だったけど無理した。こんな買い物は初めてだった。

 さて龍の末裔だが、ここに余り載せると見に行く楽しみが無くなるから龍の作品に絞って載せよう。この黒がいいねぇ。陶器製と思う。全体を載せると名前や支持棒も写っちゃうから頭部だけね。

 場所はアイビースクエアのところ。有り難いことに入場無料で写真も撮り放題。ちゃんと明記してあるから皆さんも撮るといい。

 ところで、高橋克彦が「世界には牛を神とあがめる地域と龍を崇拝する地域とあり、かつては龍族と牛族の戦いがあった」と言うモチーフで作品を何冊か書いていたが、『それは今でも続いている。あんたはどっちに属しているんだ?』と言う不気味な電話があったそうだ。たまたま彼が不在で奥さんがその電話に出て、それを友人に話すと「危険だから本人は出ないこと。奥さんに不在だからと言ってもらえ」とアドバイスされた。くだんのヌシは再びかけてきて、『そうか、作家の想像と創作の内容か…』と納得してくれたようだが、彼の話ウソではなかろうし、神の話は危険だなとも思っている。

 日本は元々龍(水神)を神とあがめ、牛(角のある鬼)は敵だった。西洋では逆に角のある牛が神で龍は悪の使い。旧約聖書に書いてある黄金の牛をあがめたからモーセが怒った話も、結局は牛のように角のある神を我が神と崇めていたからであろう。モーゼ像に角をつけたのもそういう理由か。となれば天皇家も牛(角)派? 

この話はやめた方がいいようだ。


THE LAST 三斎市 ~ 夢の跡

2009年12月29日 16時20分03秒 | 写真

 TVや新聞では今年の10大○○というのをよくやっている。今年の一番はやはり政権交代かな。選挙前のネガティブキャンペーンで自民党がいかに劣化していたかがよくわかったし、ここ最近の政治を見ていて民主党がどれほどの能力かもよくわかった。与党になって少しは変わったかと思ったけど、やはり社民党は無能だったことが白日の下にさらされた。とまぁ日本全体のことはおいておいて、倉敷界隈では倉敷のニュースを掲載しましょう。

 明るい話題は月1回の三斎市かな。家人が身体をこわしてからは行ってないけど、私も何度も行ったし、駅前で唯一と言っていいほど人の集まるイベントだった。

 いろいろ工夫して楽しませてくれる。これはマジックショーだろう。私はこんなささやかだけどアットホームな企画が好きだ。子どもたちも喜んでくれるしね。

 これは同日にやっていた紙芝居。私は田舎生まれだけど、さすがに小さい頃に紙芝居がやってきてぎょうせんを食べながら見たなんて経験はない。もう6,7年早く生まれてたら体験したかも知れないけどね。驚いたのは、紙芝居って図書館で借りられるんだってこと。今でもあることも借りられることも驚きだった。※ぎょうせん=水飴のこと

 三越跡に天満屋が開店したけど、あの金の使い方やごね得の○○△×には腹が立つ。○○△×には絶対行かない。

 残念だが景気はどんどん悪くなっている感がある。クリスマス前の商店街がこの有様。私が暇のあるのは土日だけ。写真もその時のもの。もちろん昼間だよ。三斎市は続いているけど、反対側の商店街でやっていた一番街復活祭は無くなった。もう二度と復活しないようだ。悲しいなぁと思う。

 さすがに美観地区には人が集まる。これは冬の朝10時ぐらいだからこんな状態だけどね。ただ、チボリが無くなった今、倉敷に泊まる人はいなくなった。倉敷は「数時間滞在して他所に行く通過点」になってしまった。県知事はホントに岡山には金かけるけど他地域には一切金を出さない。まだこれからも任期があるのかと思うとうんざりする。チボリだって経営の能力のない人たちが予算だけ使い切るやり方をした結果こうなった。県が高可能性を含む施設をダメにした典型例だ。

 彼の潰したチボリは今こんな状態。2月には更地にして返すのだそうだ。その時に倉敷に来るならみんなで大歓迎してあげたい。

 と愚痴っても仕方ない。自分らに出来るのは与えられた中でいかに頑張れるか。自分でどうにか出来ることばかりじゃないからね。これからも同じ。自分の力内でどうにか工夫していくことしかないと思っている。

 以前も書いたが、地球温暖化は太陽活動の激化だと思っている。これからは通信障害が起こったり、極以外でのオーロラ観測が出来るだろうと言ってきた。誰も信じてくれなかったけど、どうやら最近こういう内容のTV番組があったらしい。私が何度言っても信じてくれないのに、TVで報道されるとみんなそう言い出す。TVとは偉大だなぁと思う。願わくは2012年に地球に大激変が起こらないようにということだ。これについては私には何とも言えない。科学者の端くれであっても、予言者でも預言者でもないから。わかっていてもじゃぁ自分が何をするかと言えば、電気を節約して無駄を省いて,CO2を少しでも減らすことぐらい。それは、ひょっとしたら無駄なことかも知れないけれど、自分に出来る唯一にして最大限のことだと思うから。

 どんなことであっても、自分に出来ることを精一杯やるしかない。それが蟷螂の斧であってもそれしかない。何もしないことはただの逃げだ。

日記@BlogRanking


えびす通りを抜けるとそこに…

2009年12月28日 11時07分01秒 | 写真

 一昨日ブログの最後に書いた店にもう一度行きたくてまた出かけていった。自分用の木食器が欲しかったのもあるけど、なぜか心惹かれる店だったからだ。普通こういう気持ちになることはないのだけれど、それが不思議で確かめてみたかったのも、出かけた理由のひとつであった。

 マイ小匙と小フォークを買ってお金を払うときに店主(写真右端)に頼んでみた。倉敷界隈に載せたいことと写真を撮らせて欲しいことを。店主は実に気持ちよくOKしてくれた。決して買ったから断りにくかった訳ではないようだった。ありがたいことだと感謝した。

 私は貧乏だし、カメラマンにも合わないから買わないけど、もし趣味が合うならこの籠がいいだろう。これならずっと使い続けたい。おしゃれなマダムが持っていれば素敵だろう。銀座の老舗百貨店でも六本木ヒルズで持っていても似合うに違いない。「職人がこだわって作った品」だそうで、質もいいのだろうけど値段もいい。この隣の棚のは20万とかの商品が並んでいた。他にも7万とか14万とか、ぶらりと寄って衝動買いするのは難しい値段だった。確か3万とかのものもあったのではなかったかと思うけど、お客さんが思案中だったので私はすぐにその場を離れた。残念だけどおかげで余りよく見てはないのだ。

 小さなものではこう言うのはどうだろう。右端の手帳入れは特に格好いい。繰り返すけど、カメラマンには合わないけれどね。

 こういう店、センスも質も全て素晴らしいんだけど、いかんせん女性が持つ物ばかりで買いたくても買えない。倉敷帆布という舟の帆の布を材料にしたバッグ屋さんでも同じ。買いたいんだけど自分に合うものがない。男が買わないから作らないのか、無いから買わないのか、いずれにしても結果として目の前に男用がないことは事実だ。結局男用って趣味のものより仕事用なのかなぁと思ってしまう。

 私はと言うと、欲しかったのは木の食器。木のスプーン、木のフォーク、和菓子を切るのも、冷飲物用のマドラーも全部木のが欲しい。カレーを金属スプーンで食べると金属の味がしてカレー本来の美味しさが損なわれる気がする。ステーキも、さすがに切るのは金属のナイフだけど、私は木のフォークでないと食べるのがイヤだ。大きめの木匙で雑炊を食べるのなんて最高。もちろん取り分けるのも全て木の食器がいい。以前は木のものが無くて、陶器製を使ったり、一時期は百均で見つけた木食器も使っていた。木食器ブームがあったのか、ある時期から急に百均にこの手のものが並びはじめたからだ。だけど気づいた。百均商品はほとんどが中国製だろう。ちびが中国製のおもちゃで体調を崩して困ったことがあったから、そんなものを口に入れるのはどんなによく見える商品でもイヤだ。あの国は、売れればいい、どんなに苦情が出てもうちは関係ないと知らんぷりの国。責任を持ってものを作ったりはしない。日本人とは根本的に考え方が違う。

 ここの製品、この店で作っているわけではないそうだけど、安心して使えると店主に言ってもらえた。これからも木食器はここのを愛用しようと思っている。実はこの店、前を通る度に格子越しに見えるこの光景を見てずっと気になっていた店だった。

 さて気になる方がおられるならこの名前を探して欲しい。えびす通り商店街のアーケードを抜けてすぐ、えびす饅頭から1分で到着できる。目の前にはノスタルジックな看板で有名な自転車屋。このあたりには昭和がたくさん残っている。

 そうそう、買った商品もノスタルジックな紙袋に入れてくれる。それもまた嬉しい。次はカレースプーンにしよう。漆塗りがいいか、竹のもいいなと思う。買おうかどうか悩んだ竹の箸もいつか買いたい。これ、自作したこともあるけど、さすがに自分のとは一線を画す出来(当たり前だが)だった。湯豆腐用にすくうのも買いたい。いっぺんに買うと店に行く楽しみが無くなるから、出かける度に少しずつ買っていこうかと思っている。

 不思議に思うのだけど、私が行ったときに客が1人もいなくても、私が入るとすぐに必ず他のお客が入ってくる。みんなこの店に興味があるんじゃないかな。客がいると入りやすいものだ。自分が呼び水になっているのだろうか。それならとても光栄だ。この日は手籠を買おうかどうか思案中の夫婦連れが入ってこられた。20万のが売れたのだろうか。10万以上のものを買おうとしていたのは間違いない。高いけど、その価値のある品だと思う。

 自分が気に入った店を他の人も気に入ってくれるのはひどく嬉しいものだ。気に入りすぎて教えたくないこともあるけど、今日はそれはやめにしよう。木食器こそが料理本来の味を楽しめるものだと思っているから。皆さんもぜひどうぞ。


年末の子どもたち

2009年12月27日 12時58分13秒 | 写真

 今年も子どもの写真をたくさん撮った。と言ってもここに掲載したのはみんな名を知らぬ子どもたちのスナップだ。地元の子もいるだろうけど、観光地の倉敷とて、県外から来ていた子どもならもう二度と会わないまさに一期一会の写真だった。

 この写真、実はママが対岸からエサをやる光景をとろうとカメラを構えていた。ところが子どもが怖がる。逃げ回る。

 観察して思ったんだけど、白鳥って結構凶暴みたい。大人の男に対しても威嚇したりくちばしで挟もうとしてくる。もちろん子どもにとってはとても怖い生き物。身体の小さな子どもから見たらかなり大きく感じるから、よけい恐怖感が増すだろう。この時はパパが「怒っているみたい」と言っていたので、よけいそれを感じていたのかも知れない。怖がる子どもを助けてパパが一緒になってエサをやろうとするのだけれど、それでも子どもたちの腰は引けてる。結局ママは写真を諦めてしまった。この子たちの勇姿はここにしか残ってないのかもと思っている。

 昨日のことだが、娘が突然体調を崩した。高熱が出て身体がだるく、フラフラ状態。「風邪かなぁ、薬でも」と思ってふと感じた。ひょっとしたら感染力の強い例のやつかも。早速ちびを隔離し、喘息があるのでインフルエンザなら重篤化するかもと真夜中に中央病院に。朝には少し元気が出て仕事に行くつもりだったんだけど、お腹の具合も悪くなったので結局電話して休んだ。インフルエンザではなく細菌性の腸炎。これってGWの時にもなったんだよなぁ。

 写真の子どもたち、もし親がインフルエンザになったら大変だ。小さな子どもを放っておくわけにはいかないから一緒に病院へ連れていくだろう。ご飯も作ってやらないといけないし、おかあさんは寝ている暇もない。子ども手当だとかなんとか政治家は言うけれど、それよりもっと働きやすい環境にして欲しい。今のように精一杯の状態で生きているのではなく、もっと余裕を持って生活できる社会に変えて欲しい。保育園に行きたくても幼稚園に入りたくても叶わない社会、親が病気になった時に一時的に子どもを面倒してもらえるシステムは他の先進国ならありそうなものなのに、日本はいつでも自分の力だけ。

 老人は金を持っているけれども使わない。理由は簡単。政府を信じてないから。結局自分を助けるのは自分で、政府が何もしてくれないのはわかっている。もちろんもっとひどい国があるのはわかっているけれど、世界でもトップレベルの先進国ならそれぐらい出来ていてもと思ってしまう。

 最近の首相はほとんどが世襲の二世議員だけど、彼らって我々の本当の生活がわかっているだろうか。生まれた時からお金に恵まれていた人がとんちんかんに経済をこねくり回しても、結局我々には恩恵はない。あるとすれば会社や自分たちお金持ちの利益になることだけ。だって彼らにとっての「現実」はそれだから。

 最近強く感じる。二世はダメだ。あいつらには庶民感覚が欠如している。鳩山さんを見ていて特にそれを感じている。じゃぁ現在の野党様たちは、、、、これはこれで笑っちまうんだな。

 結局自分の将来は自分で守っていくしかないと、堂々めぐりの結論は毎回同じになってしまう。


年末寸景(正月準備)

2009年12月26日 23時01分59秒 | 写真

 今日は文章を余り書かずに写真で正月前の風景を記録してみましょう。全てはこの風景から始まったのです…。

 商店街のビオスの広場、おかみさん連中が集まってなにやらしていた。電飾のついた枠の針葉樹の葉のような飾りを取り外していたので、「あぁそういえば昨日がクリスマスだった。クリスマスの飾りを片付けているんだな。家ではクリスマスなんてしないからすっかり(クリスマスが昨日だったことを)忘れてたよ…。」とまぁそんなふうに思って見てたのです。

 歩いて行くと商店街のあちこちで正月用の飾り付け。よく考えたらこう言うところを見るのは初めて。このあと小さな子が脚立をずりずりと運んできてその上に立ち上がっていた。大丈夫かと心配したけど、小さな子とはいえしっかりしたものだった。取り越し苦労だな。

 やはり阿智神社にはお参りしておかないとと出かけたんだけど、ここには新しいテラスのようなものが。何するんでしょう。ここに立って何か撒くとか。それともお屠蘇を置いたりする用の場所なのか? 破魔矢やお札を並べておいて巫女さんたちが売ってくれるとか…。正月に来て確かめてみないといけませんね。

 お参りしようとしたらちょうど3人の方が修理をはじめられて、じゃぁお参りは初詣にとっておこうと止めました。賽銭箱脇の扉に直径10cmぐらいの取っ手のような穴があって、そこが壊れるので補強(?)してました。賽銭を投げ入れたいけど届かないからと、そこの穴から投げようとする人がいるとか、そんな話をしてました。 

 注連縄も新しく、正月準備も着々と進んでました。本当は12月31日の夜12時にお参りに行きたいんだけど、前来た時は参道が人で埋まって動けなかったから今年は行かないと思う。もうすこし人が少ない時にお参りしようと思います。

 くだんの場所に帰ってきてびっくり。あの飾りは片付けていたのでは無く正月用の飾りを作っていたようで、それを吊す時にちょうどぶち当たりました。しばらく見てたんだけど、こう言う時に可動式の液晶は便利。絶対撮れないアングルの写真が撮れるからね。もしバリアングルでなければこれを撮ろうとしたら地面に這いつくばらないとダメ。いくら何でもそれでは変質者扱いされるわな。下から覗こうとしているように見えるから(みんなズボンだけど;笑)。

 地方の駅前商店街はどこも、、、正月前でも人通りは少ないでしょう。倉敷も同じ。郊外の大型店なら人も多いだろうけど、その大型店舗でも「人は多いけどみんな買わない。見るだけ。ウインドウ・ショッピングで終わり。」だそうで、確かにレジに列が出来ているのはユニクロだけだった。そのユニクロでも、土日限定の690円とか2980円の商品ばかりをみんな買っている。鳩山家を除けばみんな金がないんだよな。「使いたくない」が正しいのか。

 この飾りを吊している時におかみさんの1人が胸で合掌してた。偶然なのかも知れない。深い意味なんて無いのかも。だけど私には、飾りに願いを託しているように見えた。どうかお客さんがお金を落としてくれますようにと。その商店街で、私は、、、ちびのために木のスプーンを2個買った。コーヒーカップにつているような小さな木の匙。ちびが食べるのにちょうどいいだろうと思って。

その店はとても気に入った。

「また来ます」

そういって出てきた。今度は自分専用の珈琲用を買おう。店主さんが許可してくれるならここでも紹介したいと思っている。明日にでも行ってみようかしらん。もう一度あの人と話がしてみたいし。

日記@BlogRanking


モニュメント(または籠の鳥)

2009年12月23日 17時55分32秒 | 写真

 「長谷川…、遙ちゃんだね、、。」 『私は今は籠の中の鳥なの…。おじさんは自分のことを籠の鳥だなんて言う中学生を変な子だって思わないの?』 そう書いて、あれかと思える人は少ないんだろうなと思う。

 エディが生きていた頃、最初は庭の大きな檻の中に入れていた。小さな時は柵の隙間から出てきていたし、もう少し成長すると土を掘ってそこから脱走していた。あの頃は犬の飼い方がよくわからなくて、随分つらい思いをさせてしまったと、家人は今でも悲しがっている。

 1,2才の頃だろうか、彼が檻の中にいたとき近所のネコがやってきた。彼女は犬が外に出られないのを理解して、その檻の周りを観察するようにゆっくりと歩いていた。もちろんエディは怒りまくるのだが、どんなに相手が怒っていても柵の外なら安全とネコはバカにしたように見ていた。ネコってイヤらしい。自分にはどうしても好きになれない。詐欺師が「だまされるやつが悪い」と言っているように感じる。ネコ好きの人には申し訳ないけどね。

 檻の中の生き物からは外はどう見えるのだろう。自分は不自由で不幸と思うのか。外の人たちが羨ましいのだろうか。それとも案外外が滑稽に見えるのか。

 檻の中が不自由と思う反面、それのおかげで外敵から強力に身を守られる。食べ物に不自由することもなく、自然の中なら当然死んでいるはずの病気や怪我からも守られる。行動範囲が制限されるという不自由との引き替えで安穏な生活が保障される。若い子に言葉を選ばせると「自由」と言う言葉を好む。でもそれは自由ではない。彼らの自由とは「好き勝手」でしかない。人間は自由を欲しがっているとは思えない。自由とはとても生きにくいものだ。朝起きてご飯を食べる決まり、歯磨きして出社(登校)する日常、いつも同じ制服を着て、同じ時間に同じ事を繰り返す。つまらない、面倒だ、やりたくない、自由が欲しい。そうは言うけど、本当の自由であったなら、誰からも干渉されなかったら、ご飯(エサ)を手に入れることから、着るもの、住む場所、これからどうするかか…、全てを自分で調達しなければいけない。そんなこと出来るわけ無い。自由を求めるのは甘ちゃんの無知な戯言でしかないだろう。

 この飾りは、ジャズ・デーと言うか、倉敷のあちこちでジャズを楽しむ催しがあって、その一環なんじゃないかと思う。写真の人は無料の観光ガイドの人だけど、その説明を聞いた訳じゃない。TVニュースでちらっと聞いただけだ。正しいかどうかもよくわからない。

 この写真の左側、写っていないところに泉水があって、そこに鯉が泳いでいる。その上にテグスみたいな糸でこんな感じの網がしてある。サギ、たぶん青鷺が魚を捕らえに来るのを防ぐためのものだろう。仕方ないことと思いながらも、余りいい感じは受けてない。見て嬉しくはない。

 この網を見て、キレイだな、素敵だなと思うと共に、自分が鯉になったようにも感じた。しばらくここで待って、イベントを見たいなと思ったんだけど写真だけ撮って帰宅した。今はそれしかできない。時々イライラしてカメラを叩きつけて壊したくなることもある。それでも今は我慢するしかない。もう寝よう。

日記@BlogRanking


正月準備

2009年12月20日 15時31分09秒 | 写真

 ついに今年も終わりですねぇ。いろいろあった年でした。良かったかどうかの判断は後世ですね。

 さて、最後の準備をしましょう。1か月ぶりぐらいに美観地区に行ってみました。阿智神社では新年の用意。氏子の方々でしょう、青竹を割って柵を作っておられました。店はクリスマスと新年の飾り付け。夢屋近くのいつもの場所では葉ボタンを売っていて、小さなのを7個セットで400円で買いました。土とビオラ10ポッドも合わせて1000円。家人と子どもたちのために鉢植えにしました。

 家人は少しだけ治りました。

「今は(この病気で)手術する人はほとんどいません。手術せずに治します。(手術は)10人に1人ぐらいですかねぇ。」

 お医者さんの言葉に安心したかと思った矢先、レントゲンを見た先生が「紹介状を書きますからすぐ手術しましょうというレベルです」。最近このどんでん返しが多いんですよ、いろんな場面でね。

 私はと言えば、写真が撮れるかどうか不安でしたが、今日こうやって撮れるようになりました。ここ1ヶ月ぐらい右腕が痛く、カメラを構えることが大変でした。いつも右手にストラップを巻き付けてグリップをわしづかみして歩いていたんだけど、ぶら下げるのも痛いし、それを目の高さまで引き上げて構えるのはもっと大変だった。

 「使い痛みですね。ここの筋肉は関節を超えてここについているんだけど、そこが炎症を起こしているんでしょう。なかなか治らないんですよ、これ。何かスポーツをなさっていたんですか??」

 今の私の周囲の状態は、スポーツ選手が身体を酷使しているようなものだったか(笑)。

 さて、これから仕事をしましょう。片手が使えないと、キーボードが打ちにくくて時間がかかって仕方ない。それでもどうにかしなくっちゃ。家族のためにも今できることを精一杯。それに3月までには腕を治さないとね。とても大切なことがあるのです。あれだけは何が何でもうまくやらなくちゃ。手が動かないなら代わりに口ででもやってしまおう(笑)。

 もちろん何の問題もなくその時には治っているのです。どんなことも時間が解決してくれる。雨もいつかはやむし、寒い日も、時が過ぎれば春の陽気に変わる。4月になればごろっと変わるかな。四月になれば彼女は…、サイモンとガーファンクルのCDはどこに置いたっけ。

日記@BlogRanking


文字

2009年12月06日 12時01分35秒 | 写真

 この文字を見て倉敷に来た当初のことを思いだした。

 自分は倉敷ってかなりの町だと信じ切っていた。正直言って県庁所在地の岡山より有名、岡山よりって言うより、全国的に有名。そのうえ名前がいい。漢字の字面がいい。名前で言うと鎌倉と倉敷が行きたい町の二大巨頭ではないだろうか。江ノ電(倉敷の水島臨海鉄道もだけど)って名前にも惹かれるなぁ。乗ってみたいし行ってみたいと。まぁ自分は鉄道オタクではないけれども。

 とまぁそんな有名な町だから都会に違いないと思っていたけど、30年前に初めて来てびっくり。駅がこれ以上ないと言うぐらいボロっちぃ。本当にここは観光地か?と疑った。駅前には広い道路…、のはずが中央分離帯のあるべきところに数軒の家が建っている。立ち退き交渉がこじれて居座っているのかと感じた。有名な美観地区は拍子抜けするぐらいの小さな場所で、倉敷在住の友人の「(倉敷は)何もないところ」と言う言葉がわかったような気がした。

 それから2年後、今度はこの町に住むことになった。困ったのは食事だった。

 当時はひとり暮らしだったから自分でご飯を作らないといけない。だけどひとり分なら作るより食べに行った方がいい。ところが店がない。飲み屋はあるけど、ファミレスのサンデーサンがあったぐらいで、大学近辺にある食べ物屋みたいなのが全くない。レストランに毎日行くのはお金が許さない。ラーメン屋でいいのだけど、それもない。仕方なく国道を走って探しに行っても見つからない。近所にジャスコがあったから、そこで総菜ばかり買って食べていた。そもそも店が6時になると閉まっていた。7時まで買えるのはジャスコだけだった。仕事が終わって買いに行くには時間がなかった。倉敷ってとんでもない田舎だなって思った。県北の津山も似たような場所だったから、同じぐらいの田舎なんだなぁと思っていた。大学そばに戻りたかった。

 そんな時、夜遅く(と言っても10時迄だけど)まで開いている小さなスーパー(みたいなの)を見つけた。やっと買えるぞと、ホッとして何度も行った覚えがある。当時遅くまで開いている店なんて無かったから当然だったのかも知れないけど、閉店間際になると人がいなかった。買い物客がではない、店の人がいなかった。

 魚屋があって、サバの煮付けなんかがパックになったのを買っていた。生も置いてあったけど、調理済みのものも置いてあった。店の人はいなく、もう奥の厨房も暗くなっていて、かんかんの横に「ここえお金を入れてください」と書いてあった。それでちゃんとお金を払ってくれていたんだからとてもいいところだったんだよ、倉敷って。

 私はこのシステムも、「ここえ」もちょっとバカにしていた感がある。いやしくも(笑)学士様だ。「ここえ」はちょっと許せなかった。『あなた勉強してないの?』そう感じたことを正直に言おう。ただ、後日友人と話をしていてちょっと考え方が変わった。

 倉敷の生活に慣れないという私が、倉敷のおかしなところと言うことで、この「ここえ」の話をすると、友人はこう言った。

 『田舎の年寄りはそう書くよ。』

 そうか、そういうこともあるのか。古い人にとってこういう書き方ってありなのか。バカにしたんじゃなく、これもあることなのかと納得した。

 写真の字を見た時も思った。「いたずら」でも「いたづら」でもどうでもいいじゃないか。国語の先生になって指摘することも無かろう。それよりもこうやって書いてまで守ろうとしてくれる人がいることが美しい。いたずらする(たぶん若者)がいることが悲しい。

 「日本は本当に良い国になったのか…。豊かにはなったけど、(戦争)前よりいい国になったとは思わない。」

 ルバング島から帰ってしばらく経ってから小野田少尉の言った言葉が忘れられない。

日記@BlogRanking


昔の風景

2009年12月05日 09時14分10秒 | 写真

 写真は偉大だなと思う。人間の記憶なんて、確かにそれも偉大なんだけど、こうやって見ることの出来る記録とは全く違う。

 この写真は多分10月ぐらいの我が町内の様子だ。このあたりにはまだ町内の祭りが残っている。春日神社という小さな社があり、そのお祭りなんだと思う。子どもたちは小学生の時には自動的にこれに参加することになる。疑問など無い。強制されるわけでもないけど、拒否することもない。こういうもんだと思っている。

 うちの子もこの手作りのだんじりを引っ張っていたのだが、もう成人して関わり合いが無くなってしまっていた。私はこの行事のことを半ば忘れかけていた。毎年この時期に子どもたちのかけ声が聞こえてきて、「あぁ今でもやっているんだな」と思い出す程度であった。この時は、確か図書館に本を返しに行っていて、この風景に出くわした。

 そう、田舎ではこうやって志を三方に載せていた。封筒に1000円入れている時もあったけど、ちゃんと熨斗袋に入れるのが普通だった。だんじりの最後尾に年長の子がいて、その子にこうやって各家の家長が渡していたっけ。子どもの頃だったからお金が集まるのが嬉しかった。そのお金が何に使われたかは知らない。神社のものになったのか、だんじりの補修に使われたのか、大人が飲み食いに使ったのか・・。ただ子どもたちはそうするのが慣習だった。

 この町内にも多くの新築の家が建った。元からの住民が立て直したものもあるけど、私のように他所から移り住んだ人間もいる。私たちは自分の子どもが関係している時だけこう言う行事にかかわるけど、地の人たちはそうではない。私の田舎でもそうだった。こう言うところを見ると、自分は余所者であり、ここになじむのは孫子の代、あるいはもっと先なのかなと思う。阿智神社でも同じ。私はあそこが好きで非常にしばしば訪れるけど、あの周辺の人のうちに貼ってある「阿智神社氏子」のシールを見ると、自分は仲間ではないのだなと思ってしまう。神社はそう思ってはいないのかも知れないけど、まぁこればっかりは仕方ないのかなと感じている。

 話を戻そう。

 写真を撮っていて思った。私のような人がたくさん混じって住んでいて、果たしてこれから10年後にもこんな風景が続いているのだろうかと。どうか続いて欲しい。今は町内の世話役の方が力を出してくれている。でも私より年上だ。あと10年、あと20年・・、私がなじむのか、その前に消えるのか。この写真が、「昔の風景」にならなければいいがと、少しもの悲しくも感じている。

日記@BlogRanking