倉敷界隈(かいわい)

「今の倉敷」と「今の私」の記録です。

近所の大人

2007年01月31日 10時49分37秒 | 写真

月に一回廃品回収がある。倉敷は、たぶん日本中の街の中でもその名前が知れ渡っている有名な街の一つで、よそに住んでいる人の中にはけっこう都会だと思っている人も多いんじゃないだろうか。私もここに来る前はそう思っていた。有名だし、なんと言っても語感がいい。旅行先で「倉敷に住んでます」と言うと、『まぁいいところに住んでおられますね』と羨ましがられる。確かに好きな街ではあるが、周りの人が思っているより遙かに田舎なのである。

町内会も残っているし、子供会もある。田んぼが広がり、方言もしっかり残っている。うちの町内には放送施設があり、町内の中心にポールが立っていてそこにでっかいスピーカーがあるのだと思う(どこにあるか知らないけど)。時々放送が流れてきて、「○○町内会の皆様、おはようございます。今日は廃品回収の日です。8時までに出しておいてください。」なんて言っている。

子供会がやっているのかと思ったらそうではないらしい。役員さんがこうやって自前の軽トラやでっかいトラックでボランティアしているらしい。うちんちにはこういう役が回ってきたこと無いので、純粋なボランティアなのかも知れない。私、職場でやったことがあるから知っているけど、これはあまり儲からない。古紙や段ボールの値段によりけりだろうけど、一時期古紙が暴落したときはほとんどただ同然だった。ただ、これをすることで行政から補助が出たので、そのお金が入ってきただけだった。職場ではそのお金をお祭りなどの費用にしていた。そのためのものだった。

家人によると、「このお金で子供会のお祭りをしたり、だんじりを修理したりするようよ」と言う。有り難いことだなと思う。ここにいた人を見るともう子供会の親という年齢じゃない。孫がいる人ぐらいだ。退職した後、地域のために何かしようという人たちなのかも知れない。

「あそこの印刷屋のおじさん、○○さんね、子どもが小さいときからずっとしてくださっているの。毎朝横断歩道に立って小学生が渡るときの交通整理もしてくれているの。子供がお世話になったときに近所の人に聞いたら、『私も子どもの頃にお世話になった』って言っていた。もう 3、40年してくださっているみたい。」

大人の中にも変な人や非常識な人がいるけど、やはり素晴らしい人もたくさんいるってこと。さすが大人だと、感謝とともに誇らしくも思ったりする。

「○○さんね、昔から一緒にしていた仲良しの人が病気で亡くなったのよ。それでガクって来て、町内の役員も廃品回収も人に譲って、もう辞めるみたい。年だし、今まで本当にお世話になったし、このへんで楽してもいいんじゃないかな・・。」

家人はそう言っていたが、どっこい今回もここで先頭に立って働いておられた。秋の叙勲に名前が載る人だけでなく、周りにはそれ以上の人がいることをみんなが知っている。

日記@BlogRanking


日本の子ども

2007年01月30日 10時22分21秒 | 写真

アイビースクエアの広場で子どもがボール投げをしていた。

こんなところで迷惑な、やっちゃいけないだろうと思うのだが、誰も止めようとしない。観光地だから親と一緒に来ているだろう。親も止めようとしない。そもそも周りにいない。ひさしの下のイスで休憩しているのか、それとも買い物に夢中で子どもを放っているのか。周りの人も、子どもの風貌からどんな親か想像して、「触らぬ神にたたりなし」と思っているんじゃないかと思った。そう、今の日本って声を掛けにくいよな。当然なことを注意しても、「うちの子になんてことを」と切れる親がいる。自分自身にだけ通じる理屈を言う人がいる。給食費なんて払わなくていいのよ、義務教育なんだから。これを通じさせる親がいる。パーマ代や携帯電話は自分のものだからお金がかかってもいい。でも公のものは踏み倒してもいい。こういう親に育てられた子どもは、それ以外の考えをもてるのだろうか。

年配の女性が迷惑そうに見ていた。ひょっとしたら哀れんでみていたのかも知れない。悲しそうに見ていたのかも知れない。そんな姿に見えた。

私も少し悲しかった。この子たちの考えも、親の能力も、そしてこう言うところにしか広い場所がない今の日本も。

しかたなくそこを離れた。

日記@BlogRanking


祈る人

2007年01月29日 19時35分20秒 | 写真

倉敷の街は小さい。駅から美観地区が中心部とすれば、その裏、数百メートルも離れたらそこは商業地区でも観光地でもない普通の住宅地であり、その中に点々と大型の建物がある。それはスーパーであり、でっかいドラッグストアーであり、市民会館だったりする。他所の地ならここまでは混在して無くて、市民会館やコンサートホールのある場所の横なんて普通は長屋のある所ではないよな。それがあるのが倉敷なのである。

美観地区から歩いて5分の倉敷市民会館の横にお地蔵さんがあった。手押し車を押した年配の女性がまず何かをあげてから手を合わせて祈っていた。お地蔵さんが首からかけている袋にお米を入れたのではないのかなと思った。そのあと手袋をはめた手をゆっくりと合わせ長く祈っていた。

撮り終えた私が通り過ぎようとした時に歩き始めたこの女性は、小さな子どもが歩くぐらいのスピードでゆるゆると離れて行った。お地蔵さんの足下には真新しいピンクの花が供えてあった。あのおばあさんのだったのかもしれない。

この人たちが亡くなったあと地蔵や祠を守ってくれる人はいるのだろうか。たとえ守らなくなってもいたずらしたり壊したりするような若者たちにはなって欲しくない。いつか見直される時が来るはずだ。その時まで残って欲しい。石造りなら大丈夫なはずだから。

倉敷市民会館は、岡山にシンフォニーホールが出来るまでは県内最高の響きの器だった。小澤をはじめ、世界の有名な指揮者もここで振ってくれて指揮台にはそのサインが残してある。そのすぐ横がこういう姿。今でもこんな長屋も残っているんだな。住んでおられるみたい。昔の落語に出てくるみたいだ。住んでみたいなと思う。楽しんじゃないかな、隣近所が。

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旧友

2007年01月28日 23時22分27秒 | 写真

経験したことのある人はもう少ないでしょうが、昔パソコン通信というのをしてました。

電話回線でモデムというのを介して、ぴーぎゃーと音を出して文字をやりとりしてました。その時の仲間がもう一度集まろうとシスオペ宅に集合しました。当時の若者たち(笑)も年をとりましたがみんな元気で人生を楽しんでます。女性会員も多かったのですが、今回はあまり参加できずその辺だけはむさ苦しかったです(爆)。

色々な楽しみがあるだろうし、地位が上がったりお金持ちになったりとかもいいけど、こうやって仲間のいる空間っていいなと思う。いつもではなくとも、時々にでも集まれる人たちをつくるのは人生の中でも最もと言っていいほど重要。若い人たちにはそんな道を選んで欲しいです。

ところで例の「分限者」の件ですが、ルース・ベネディクトの「菊と刀」的に考えると、

『言葉の上から見てゆけば、分限に随う、分限を知る、分限を守る、などと言い、分限という代りに単に分、あるいは分際などともいった。分相応、涯分、過分、随分などという熟語もある。国語では、ほど、あるいは身のほどというのがこの分限に相当する。』

だから分限者は身の程を知っている人、単なるお金持ちではなく、お金の使い方を知っている金持ちと考えるべきじゃないかな。とすればいい意味かも。時代によっては、あるいは金のない人が妬ましい気持ちを込めることもあったでしょうから、少しイヤな感情が交じることもあったでしょうけどね。

今日の会で私が分限者を尋ねて年上の方の意見を聞いてみたとき、これが一番それらしい解釈と言っていいんじゃないかと思います。私的にはこれで決着させようと思います。

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ぶげぇしゃ

2007年01月27日 21時57分20秒 | 写真

あそこの家はぶげえしゃじゃから

と言う言い方をおばあちゃんがしてました。でも子どもの頃はよくわからなかった。意味は「お金持ち」と言うことはわかったけど、なんでぶげえ(ん)しゃと言うのかわからなかった。武芸者?昔武士だったから地位の高いお金持ちという意味か、それとも支配者階級だったからお金持ちになって、それ故に武士だった人=お金持ちという意味になったのかもなと思ってました。

大人になって、おばあちゃんは「ぶげんしゃ」と言っていたことがわかり、漢字で書くと「分限者」、私に教えてくれた人は、『分限というのはお金の単位(貨幣の名前?)で、これをたくさん持っている人と言うことから金持ちという意味になった』と言ってました。ネットで調べるとそういう言葉は出てこないんだけど、ただ

特に関西で使われたようですが、「裕福な人」「お金をたくさん持っている人」を意味する言葉として、四つありました。 一つ目。数えられぬほどにたくさんの財を持っている人を「良き衆」と呼びました。 銀を一千貫以上持つ人を「長者」、銀を五百貫以上持つ人を「分限者」と呼んだのです。 四つ目の呼びかたとして、「金持ち」というものがありました。

と書いてありました。

これを読むとお金に関係していることはわかるけど、言葉のルーツそのものはよくわかりません。まぁこだわっているわけではないのですけど。

倉敷美観地区の蔵屋敷を見ていて出入り口にこれがあるのを見つけました。ぶげんしゃの戸はこうしていたのかな。少なくとも貧乏な家はこんな立派な戸自体がなかったしね。

古い家の塀の上には割った瓶やガラスの破片が埋め込んでありました。泥棒除けなのだろうけど、小さい頃は「えげつないやり方だなぁ」と思いました。金持ちは意地汚いなと思ってました。あれって別の意味があったのかな。たぶん金持ちには金持ちのしんどさもあったんでしょう。

今では「良き衆」も「長者」「分限者」も使われることなく、お金を持っている人を「金持ち」とだけ呼びますが、古来の「金持ち」には今と違う意味がありました。 自分のためだけにお金を使い、外見を飾り見栄を張り外見を気にする、というのが「金持ち」でした。

その「金持ち」は、消費者の集まりである江戸において定着し、江戸時代以降は富裕な人を表現する唯一の言葉になってしまいました。

今の金持ちは、金持ちらしい金持ちが多いのかも知れませんね。

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ルック イースト

2007年01月26日 23時09分26秒 | 写真

倉敷駅裏のからくり時計を見る人です。

チボリ公園ができてから倉敷駅裏は整備されました。昔は広大な田んぼの広がるど田舎だったんですよ。私がここに住み始めた時はホントに何もない、ただ寝るための家だけのある場所でした。店なんて何もなく、住んでいたそばには牛小屋がありました。

チボリの計画ができて、駅裏も整備されてこのからくり時計もできました。一日数回この時計が動き、四面のアンデルセン童話劇が楽しめます。素敵でしょ、これ。

なのにですよ、再開発計画とか言ってこの素敵なテラスをぶっ壊すと言う計画があるらしい。もちろん有能な議員様方の立案。これだけお金をかけてきれいに整備して、市民も観光客も喜んでいるものをねぇ。

私、人はいろいろ言うけど、政治家って賢くないとできないし、大変かつ大切な仕事と思ってます。でもね、時に小さな議会の議員になればなるほどどうしようもない人もいるもので。

後ろに見えるチボリの観覧車、計画ではこの三倍の高さでした。ところが「景観が壊される」と議員さんが猛反対して今の高さになりました。チボリ公園ができてこの人たちも招待されて来園。くだんの議員さん、この観覧車に乗って一言

「なんじゃこの観覧車、ちいせえじゃねぇか」

チボリのスタッフをはじめそこにいた全員が顔を見合わせる・・。なんだ政治家ってこの程度の考えで動いているのか。いい悪いじゃなく、どういうパフォーマンスをするか、どういう屁理屈を付けて反対するか。ちゃんとした考えに基づいて動いているんじゃない。みんなによくわかったみたいです。

そのまんま東さんが知事になられました。私は政治家とプロスポーツの選手は結果で判断されるべきと思ってます。見込みで判断したり期待をかけたりするのはダメ。結果がすべてと思ってます。理由はどうあれ、できなかったらダメなやつと言われても甘んじて受け入れるべき。引退する時に何を残せたかが勝負とね。彼のようなしがらみのない人はやりやすさとやりにくさが混在しているでしょう。大変だろうけど結果を出せたらいいなと、いま思っているのです。

宮崎のためにも、全国の脱政治屋のためにも。

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素敵なガチャガチャ

2007年01月25日 21時01分21秒 | 写真

好きな人は、尊敬する人は、と聞かれたら、間違いなく梅原猛氏と答えます。彼の著作における結論へのアプローチの方法は、間違いなく科学者のそれ。他の人の著作に比べ、科学者の端くれの私には格段の説得力があります。中でも彼の縄文やアイヌ、原日本人の思想や森と文明の関係に関しての考察は、私にとっては真実以外の何者でもなく感じます。

てな感じでその手のジャンルの本をよく読みますのでこういうものは大好き。これ、一個200円のガチャガチャ。シークレットも含めて全部の種類がそろってます。一番の出来は遮光器土偶、次に火焔式土器。これ、チボリで買ったのですが、あそこって連続して同じものが出ないように工夫しているみたいで、ほぼ重複せずにそろいました。その後複数欲しかったのでさらに何度かしましたけど、一番でないのが馬の埴輪。私、これが最初に出て、「スカが当たったなぁ」と思ったのですが、本当は大ラッキーだったのかも知れないと後で思いました。

さて私の考えですが、日本には南はトンガの方から小舟で海流に乗って、北はかつてのアリューシャン陸橋から歩いて、西は大陸から海を渡ってたくさんの民族がやってきて混血を繰り返していた。これがオリジナルの日本人をつくっていたが、南北ユダヤ王国滅亡の後、北のイスラエル王国の人たちが東進。各地を曲がりくねって移動しながら朝鮮半島にも建国。やがてそこを通過して遊牧騎馬民族の性格を持ちながら九州や北陸地方へ上陸。その知識と軍事力、団結力を持って大和朝廷として日本の支配者層になる。神武東征の時に、すでに天孫族がその地を治めていたとの記述は、これらが複数回、色々なところから日本へ渡ってきて定着・定住したことを示していると思います。この後、連綿と続く日本の歴史はこのヘブル人(ヘブライ人との読み方は、中国語の漢字のあてを読み違えた誤記みたい。ヘブル人が正しいとのこと)の血脈として現在まで受け継がれている。男系継承としてね。

大陸にはその道筋があちこちに残っていて、モンゴルの北の方の民族の伝説、中国、旧ソビエトの国の少数民族にもその痕跡が残っていると思われます。日本の神社、お稲荷さん、作法、しきたり、習慣、伝説にも多くの示唆があると思ってます。お茶をしている人は、それがキリスト教のしきたり、ミサに源を発するものがあることはお認めになるでしょう。表裏千家の方も言われてますから。まぁ私が思っていることはこういう匿名のブログみたいなところ以外では口外していないんですけど。

さてこの遮光器土偶、ほんまかウソか首のところがとれて中に人の首が見えるようなものもみつかっているとか。また、どこかの遺跡を発掘していたら出てきてはいけないものが出てきてあわてて埋め戻したとか、色々な噂が飛びまくってます。

職場のそばにある某超有名神社におられたある人は、「熊山(岡山県)にある特殊な形の遺跡を調べていたらまずいものが出てきて、それを中止した。」と言っておられました。自分はそれを見たのだと。本当なのかも知れないし眉唾かも知れません。

ただ私は、真実というのは人が常識だと思わされていることより離れていることが多いと思ってます。その方が楽しいしね。

ますます変なブログになってきましたなぁ(笑)。

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宝くじ

2007年01月24日 22時34分00秒 | 写真

近所に24時間営業のスーパーがある。ここ、なぜか毎日冷凍食品を安売りしていて、イオンで買ったら300円以上のチャーハンが、ここだと常に241円。家人は、「冷凍食品はここ以外で買う気がしない」とまで言う。私も仕事で夜しか暇がないときもあるからとっても便利。24時間営業だから閉店前で食料品がほぼ売り切れなんてこともないしね。常にいくらかはあるから買う方も計算が立つ。残念なのは、閉店間際で3割引、5割引きなんてシールが貼ってないことぐらいだな(笑)。

もちろん昼間に行くこともあって、たまたま本屋の帰りにここによると真っ白な服を着た女性が何かしていた。一瞬、『電磁波攻撃を受けていると主張していた某宗教団体の勧誘か?』などと思ったんだけど、そんなはずはない。ティッシュを配りながら何か言っていたのでよく聞くと、宝くじ売り場が出来たのでどうぞと言っている。この出入り口の反対側に宝くじボックスが出来ていた。見やると早速何人かが買っている。へぇ便利だな。試しに買ってみようかと思った。

買い物して帰りがけ、もう一度この人を見た。ティッシュを差し出しても半分以上の人は無視して通り過ぎる。それでもこの人は満面の笑みで明るく声を掛け、実に楽しそうに仕事をなさっている。いいな、この人。内心はどうか知らないけど、これだけ仕事を楽しんでいる風に見えると、こっちまでうきうきしてくる。きっといい人なんだろうなと思った。

私、お金のない学生時代ビラ配りのバイトしたことがあります。これ、○○枚を全部配ってバイト代××円なんだよね。貰ってくれないと時間ばかりかかって雀の涙のお金しかもらえないわけだ。イヤじゃなかったらもらってあげて欲しい。ティッシュなんて使い道あるでしょ。

そんなわけで、私は駅で配っているティッシュもマクドナルドの割引券も、何でもかんでも受け取ることにしてます。家人はそんなもの要らないでしょと言うんだけど、要らなくてももらいます。わかってくれなくてもね。

最近写真を載せるブログではなく、自分の思いばかり書くブログになってしまってます。なんか趣旨が変わってきてますね。写真を見てくださっている方、ごめんなさい。

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リアカー

2007年01月23日 20時43分02秒 | 写真

犬を散歩させるいつもの公園に行くとリアカーで遊んでいる子どもがいた。なぜかこれを引っぱって遊んでいた。自分のなの? どうして公園にこんなものを持ってきているの? 普通の家にはもう無いよな。誰かが持ってきて放置したものなのか・・。しかしこんなものを放置しないだろうし、もし要らないのなら是非私が欲しいと思うぐらいだ。

実はこれ、ある日本人がバイクからヒントを得て作ったのそうだ。

バイクの横につけるサイドカーを見て、こう言うのを後ろに付けたらいいだろうと考えて、そこから後ろ(=リア)カーと名付けたのだそうだ。

私がいいなと思っているのは、これが世界の貧困を救えるかも知れないからだ。と言うのは、アフリカなどの貧しい国にこれを移植しようとしている人たちがいるらしいと聞いたからである。一時期ODAとか言って、多くの金を貧しい国、発展途上の国に渡した。金ではなく最新の機械や施設を渡したところもある。たとえば砂漠に最新のスプリンクラー、ポンプ、トラクター・・・などなど。で、10年経ったらどうなったかというと、最新のがらくたになった。

機械を動かそうにも電気が無くなった。最初は太陽光発電をしていたが、一度壊れたら直す部品も技術もお金もない。いきおい壊れたまま放置されることになる。機械を使いたくても油を買う金がない。壊れても直すことは誰にも出来ない。トラクターは重くて動かすことさえ出来ない。ただの残骸のようにそこに放置されることになった。でもリアカーなら違う。

人の力で動かせる。壊れても直せる。油は要らない。貧しい人たちでも使える。直せる。同じものを作ることが出来る。これほどそこの地域にフィットしたものはない。いつの日か世界で、「リアカー」と言う日本語(メイド・イン・ジャパンの英語もどき)が通じるようになるのかも知れない。

高いものをあげるのがいいことではない。そこの国に応じたもの。使えるものを考えないと行けない。リアカーは世界を救えるのかも知れない。この話を聞いてわかったのである。

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倉敷朝市

2007年01月22日 21時21分03秒 | 写真

恒例の朝市に行ってきました。毎月第3日曜日の朝8時から、倉敷駅前商店街である三斎市と言います。いつもは7時過ぎには行くのですが、今は怪我で食べられないものがあるのでそう急ぐ必要はない。家人は早く起きて、そばのスーパーの朝市の方に行くと張り切っていた。昨日2時過ぎに寝た私が朝起きたのが8時前。居間を見ると家人が爆睡中。行かないの?と聞くと、朝起きて二度寝してしまったと言う。そんなに眠いなら寝てたらいいと言うのにやはり行きたいと子どもと出かけた。私は三斎市に直行。いつもの放し飼い地鶏の卵を20個買って、少し治ってきたので食べる練習用にと鶏の唐揚げを300円。買いたいものは買えたし眠いからすぐ帰ってもよかったんだけど、まぁ少しと思いふらふらしていると今までになかった店を発見。今回だけかも知れないけど骨董市があった。

最近やたら縁のあるビクターのわんちゃん一体いくらなんだろう。と言うか、これって売り物じゃなかったよね。貰ったの?買ったの?へちったの??

あとすごいなと思ったのは、カメラをいくつか売っていたこと。ニコンの銀塩カメラ。FM2やF3。昔なら即買っただろうけど、今の自分の視力とフィルム代、現像代を考えたら手を出さないことが吉と諦めた。この頃のカメラはメカ的にも美的にも持つ価値がある。一般人(笑)はこの時計が欲しいのでは。この店、なんか家の中の要らないものを売っている感じで、骨董の正規の価格が付いていないみたいだった。つまり掘り出し物がある、それも簡単に手にはいると言うこと。まぁそれでも買わないぐらい私は貧乏だったけどね。

アマチュアカメラマンはこういうシーンを撮っておかないといかんと思っているのです。ありし日の朝市の様子。ふるいちの大判焼きを作っているところ、それを買う人、町の様子、、、、なんてのを。

私の家には小さいときにおくどさんがあった。小学6年か5年の時、笹に花が咲き、一斉に全部枯れた。おばあちゃんも「生まれて初めて見た」と言っていた。調べると、70年に一度か140年に一度のことらしい。あの時カメラを持っていたらと何度も思った。今なら何百枚も撮っておいたんだけどな。

日記@BlogRanking