月に一回廃品回収がある。倉敷は、たぶん日本中の街の中でもその名前が知れ渡っている有名な街の一つで、よそに住んでいる人の中にはけっこう都会だと思っている人も多いんじゃないだろうか。私もここに来る前はそう思っていた。有名だし、なんと言っても語感がいい。旅行先で「倉敷に住んでます」と言うと、『まぁいいところに住んでおられますね』と羨ましがられる。確かに好きな街ではあるが、周りの人が思っているより遙かに田舎なのである。
町内会も残っているし、子供会もある。田んぼが広がり、方言もしっかり残っている。うちの町内には放送施設があり、町内の中心にポールが立っていてそこにでっかいスピーカーがあるのだと思う(どこにあるか知らないけど)。時々放送が流れてきて、「○○町内会の皆様、おはようございます。今日は廃品回収の日です。8時までに出しておいてください。」なんて言っている。
子供会がやっているのかと思ったらそうではないらしい。役員さんがこうやって自前の軽トラやでっかいトラックでボランティアしているらしい。うちんちにはこういう役が回ってきたこと無いので、純粋なボランティアなのかも知れない。私、職場でやったことがあるから知っているけど、これはあまり儲からない。古紙や段ボールの値段によりけりだろうけど、一時期古紙が暴落したときはほとんどただ同然だった。ただ、これをすることで行政から補助が出たので、そのお金が入ってきただけだった。職場ではそのお金をお祭りなどの費用にしていた。そのためのものだった。
家人によると、「このお金で子供会のお祭りをしたり、だんじりを修理したりするようよ」と言う。有り難いことだなと思う。ここにいた人を見るともう子供会の親という年齢じゃない。孫がいる人ぐらいだ。退職した後、地域のために何かしようという人たちなのかも知れない。
「あそこの印刷屋のおじさん、○○さんね、子どもが小さいときからずっとしてくださっているの。毎朝横断歩道に立って小学生が渡るときの交通整理もしてくれているの。子供がお世話になったときに近所の人に聞いたら、『私も子どもの頃にお世話になった』って言っていた。もう 3、40年してくださっているみたい。」
大人の中にも変な人や非常識な人がいるけど、やはり素晴らしい人もたくさんいるってこと。さすが大人だと、感謝とともに誇らしくも思ったりする。
「○○さんね、昔から一緒にしていた仲良しの人が病気で亡くなったのよ。それでガクって来て、町内の役員も廃品回収も人に譲って、もう辞めるみたい。年だし、今まで本当にお世話になったし、このへんで楽してもいいんじゃないかな・・。」
家人はそう言っていたが、どっこい今回もここで先頭に立って働いておられた。秋の叙勲に名前が載る人だけでなく、周りにはそれ以上の人がいることをみんなが知っている。