島根つづき。
意宇六社の一社、六所神社方面へ向かいます。
眞名井の滝から真名井神社の前まで戻り、
神社南から延びている広い道を通って南下。
滝からそのまま下ったほうが近いのですが、
なんとなくこの道を歩いてみたかった。
きれいに整備された広い道には、点々と松が植えられています。
(真名井神社の御由緒記より)
どうやらここはかつて松並木の参道だったようです。
往時を偲びながら、のんびりと歩いてみました。
いずれ立派に成長した松並木の参道が、参拝者を迎えてくれることでしょう。
しかしあつい。
カラっとしてるけどやっぱ暑いもんは暑い。
炎天下をノンストップで歩き続けて20分もすると、
滝のように流れる汗で、ライトグレーのTシャツがすっかり全面ダークグレーに。(笑)
真夏の徒歩参拝では、グレーのTシャツは着ちゃダメなんだと学びました。
バテそうになった頃、狛さんはっけん。
出雲国総社 六所神社
向かって右、玉取りの吽さん。
左の阿さんもかわいい。ちなみに安政4年うまれの狛さんたちです。
おじゃましますね。
手水舎。
龍さんの前に置かれた葉っぱがすてきー。
前の二社もそうだったけど、この地域の竹製の柄杓がかなり好みです。
随神門
拝殿
御祭神:伊邪那岐命、伊邪那美命、天照皇大神、月夜見命、素盞鳴尊命、大己貴命
六所神社は、古代律令時代の出雲国総社として古くから崇敬されてきた古社です。
『佐陀大社縁起』(神在祭の内容を記した現存最古の史料)には、
全国の神々はまず当社へお集まりになってから佐太神社へおいでになったと
記されています。
御神紋は、神魂神社・真名井神社とおなじく「二重亀甲に有文字」。
現在、当社は出雲国府の政庁跡地(真上)に鎮座していますが、
かつては国庁隣接地にあったと推測されています。
(約100メートル東の「丁明神」が本来の社地ではないかとの説もあるそうです)
平安以降、国府の衰退によりかつての中心地に移転し、
地区の氏神として信仰されて現代に至っています。
本殿を背後から。
毎度恒例の一枚。
広大な場所、壮大な建築物、林立する柱、天高くそびえる塔・・
といった、壮観な眺めが大好きなのですが、
他にも、たかーい所に登ってみたり逆に足元にもぐってみたり、
何故かついやってみたくなる事がたくさんあります。
そこに何があるのか、そこから何が見えるのか、
知りたくなって近づいていく。
小学生のころ大好きだった木登りとか探検ごっことかの延長かしら。
たぶん当時のまま、成長してないんだなー。
こんな階段下とか、つい入ってみたくなるし。
寺社でこうして足元を見るたびに思うけど、
石に乗ってるだけなんだもんなー。よく倒れないよね。
本殿の右手、丁明神社。
御祭神:青幡佐久佐彦命
社伝によれば、六所神社はかつて「佐久佐の社」と称され、
八重垣神社とともに、式内社「佐久佐神社」の論社とされています。
境内に立つ、佐久佐社の社号標。
本殿左に、王子神社。
御祭神:高御産霊命、神御産霊命
境内社としては、このほか天満宮が鎮座していました。
こじんまりとしていながら、とても落ち着く境内。
悪しきものを寄せ付けない、清浄な空気が満ちているようで、
鳥居から内側は、まさに結界の中というかんじ。
ここにいる限り安心安全。
そんな気がしました。
おや。瓦が立てかけてある。
なんだろ。
蛇でも棲んでるのかな??
涼しい境内で元気復活。
隣接する出雲国府跡に少し寄って、次の目的地へ参ることとします。
こうして見ると、ほんと六所神社って政庁の真上にあるんだね。
さっきの地図と比較すると面白い。
時は流れるものじゃなく積み重なるもの だと思うので、
幾重にも重なった時間の上に、いま自分が立っていることを想うと、
感慨深くておもわず涙が出そうになります。
神社の背後に広がる出雲国府跡。(松江市大草町・山代町・竹矢町)
史跡名勝天然記念物。
中に入って行っていいものかどうか分からなかったので、
遠目に眺める。
意宇平野に位置する出雲国府跡は、
奈良・平安時代の古代出雲国の中心だった官衙遺跡です。
今で言うところの、県庁や市役所などが集まった官庁街ですね。
現在の六所神社鎮座地が中心部と想定されるほか、
政庁後殿(or正殿)、後方官衙、国司館、付属工房など
7世紀後半~13世紀までのものが発掘調査によって明らかになっています。
では、国府跡&神社の反対側に広がる古墳群を眺めつつ、
川沿いを歩いて再び「風土記の丘」バス停まで戻ります。
「今は、国は引き訖へつ(ひきおえつ)」と詔りたまひて、
意宇の社に、御杖衝き立てて、
「意恵(おうゑ)」と詔りたまひき、
故、意宇(おう)と云ふ。
出雲風土記にある、国引き神話の一文です。
いにしえから現在まで、ここに降り積もった人々の長い長い時間を想いながら、
大草の地をあとにしました。
つづく。