水早 -mizuha- 神社と写真と一人旅。

カメラ片手にゆるり神社めぐり。
公共機関&徒歩での日帰り参拝記録をメインに綴っています。

奈良県 1 海神社-1 <奈良県宇陀市室生>

2015-04-25 | ├ 奈良(ふらり旅)

 

奈良県宇陀市室生に鎮座する海神社へお邪魔しました。

 

 

 

 

 

名古屋からは近鉄で。

 

 

途中、名張で乗り換えて室生口大野で下車。所要時間は2時間45分ぐらいです。

 

 

近鉄の室生口大野駅。

心地よい初夏の陽気でもう暑いくらい。

絶対焼けるな、これは。

 

本日の日帰り旅は、室生寺に行ってみたいという父の希望もあって

のんびり父子ふたり旅です。

 

 

駅に降りた途端に何とも言えない幸福感。

あー・・好きだな、ここ。

 

 

歩いてみるともっと感じた。

いいなぁ。

ここに住んでみたい。と一瞬にして思ってしまった。

 

いや、住んでいたのかと錯覚するほど心に深く入ってくる。

そんな風に思う事はめったにないので、この土地は本能的に自分に合うんだろう。

 

 

駅から東へ200メートルほど。

ものの数分で朱色が鮮やかな一の鳥居に到着しました。

 

 

反対側から駅方面をみると、こんなかんじ。

 

 

地図で見てわかってましたがホント駅からすぐなのね。

 

 

海神社、二の鳥居

 

 

 

この、階段のぼって社殿タイプの神社ってすごく好きです。

 

 

昔からそうだけど、
坂の先が青空だったり明るく開けていたりする光景にいつも惹かれる。

 

 

 

手水舎は青いネットがかけられていました。

お顔がどこか愛らしい龍さん。

 

 

参道の石段脇にあるのは、大きな神代杉。

 

 

注連縄は、神域(常世)と俗世(現世)を隔てる結界。

御霊代として神が宿る印。

 

神社めぐりをし始めてから注連縄に真っ先に目がいくようになった。

ある意味、注連縄萌え。

 

 

主祭神:豊玉姫命

配祀神:天照大御神の荒魂、少那彦名命 、牛頭天王 、九頭龍大明神、 善如龍王

 

 

海のない室生地区なのに、海神社。

実は、この日のメインはこちらの神社だったりします。

 

 

ググった知識でなんですが、
海神社は「なるみの宮」といい、1396年に室生龍穴神社から龍神(善如龍王)を勧請。

しかし明治の神仏分離により、
海神の娘である豊玉姫命(=与止日女神(與止日女))を祭神とし、
社号も海神社と改称したとのこと。

海がないからこその海神社なのだそうです。

 

 

石段をのぼると、明るい空間が広がっていました。

 

 

拝殿

扁額には「海神社拝殿」とあります。

拝殿の扁額に『拝殿』としてあるのは初めて見ましたが、
これは拝殿なの?それとも舞殿なの?って迷う時もあるので、
わかりやすくて助かります。

 

 

 

行儀よく座っている狛さん。かわいい。

 

 

陽の光が眩しい境内。ながれる空気が清々しいです。

あらゆるものが丁寧に美しく造られており、
地域の方にいかに愛され大切にされているかを感じます。

 

 

こちらも、開放的な拝殿内です。

 

あーいいわぁ・・。

舞殿とおなじく、柱だけの舞台的な社殿に弱い自分。

でもこちらは上がれるかどうかよく分からなかったので、見るだけにしておく。

 

 

拝殿の左手には社務所。

 

 

 

あ、拝殿内部にはちゃんと『海神社』の扁額がありました。

 

 

橿原神宮の宮司さんによる書だと記されています。

 

 

本殿

 

 

三間社流造、檜皮葺。

江戸時代前期に造営されたもので、県の指定文化財です。

 

 

もとは一間春日造の2棟だったものを、相の間で並列に接続。

江戸後期にはこれに流造の屋根をかけ、千鳥破風付に改造した形となっているとのこと。

 

 

複数の社殿を並列に連結する例は奈良県下でも数多く存在し、
古式を示すものとして、宇太水分神社春日大社 の本殿(ともに国宝)などがあります。

しかし「春日造社殿を流造千鳥破風付き社殿に改造した」という例は極めて少なく、
当社の形式は複数社殿の連結の発展段階を示す実例として、

神社建築史上重要な構造であるとされています。

 

 

 

その②へつづく・・。

 

 

 


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